開演
椿達はミラールーム、椰鶴達は巨大迷路に突然飛ばされ、今何が起きたのか把握に努めようとしていた頃、ミオラ達は、広く静かで不気味な劇場に来ていた。
「うわっ!なんだ!?」
「ここ⋯⋯劇場かな?」
「⋯⋯そのようね。」
「ていうか、他の奴らは?」
グレイの言葉に私達は周りを見渡す。
見渡す限り目に映るのは誰も座っていない椅子とステージ。
ここにはグレイ、ヒショウ、私の3人しかいないようだ。
「なんだよ!またかよー!」
「俺達、こういう運命なのかな?」
「ホントね。何度創られた世界に移動させられないといけないのかしら。」
知らない遊園地に迷い込んだと思ったら、続けざまに劇場へ移動させられてしまった。
あの女の子達は何がしたいのかしら。
「そういえば、遊ぼうって言ってたよね?」
「あぁ⋯⋯真ん中にいた金髪の女の子よね。」
青地に白いリボンの着いた可愛らしいワンピースを着た女の子。
病院の広場で大道芸を披露している最中、女の子だけがこちらを凝視していた。
遊園地へ来る前も、ここの劇場に移動させられる前も、女の子が合図を出していたように感じる。
きっとあの女の子が鍵を握っているのだろう。
「そういや言ってたな!そのセリフもめっちゃ聞き覚えあるんだけど?」
「それは篭姫と堕亡のことね。」
「小さい子って遊びたがりなのかな?」
「小さい子っつってもアイツらは不老不死だから年数ちげーだろ。あぁ見えて俺らより年上だし。」
「そうね。もしかしたら幼い頃に何か抱えてしまうと自分の為にこういった世界を作りたくなってしまうのかもしれないわね。」
「あー、なるほどな。それじゃあさっきのヤツらもってことか?」
「あくまでも可能性の話よ。」
誰もいなく反響しやすい劇場の中に私達の声だけが響き渡る。
「てか、本当に誰もいねーな!」
こんな広々とした空間にたった3人だ。
女の子達がいる訳でもない。何故移動させられたのか不思議だ。
「何も起こらないし、さっさと出ましょう。」
座席と座席の間にある階段。その階段の先にはたった1つ大きな扉があった。
「そうだね。早く出よう。」
「何のためにここに連れて来られたのか分かんないで終わっちまったじゃねーか。」
「ただ私達をバラけさせたかっただけなのかもしれないわ。」
「この間にも誰かが女の子達に良くないことをされているかもしれないよね。」
「それはマズイだろ!」
「だからこそ早く出るのよ。」
階段を1番に登りきったヒショウが扉に手をかけた。
ガチャン!!!
扉を手前に引っ張った瞬間、重みのある金属の大きな音が鳴り響いた。
「⋯⋯え?」
困惑した様子のヒショウ。
扉に手をかけたまま立ち尽くしていた。
「おい、どうしたんだよ。」
「⋯⋯開かないんだよね。」
「仕方ねーな。俺がやってやるよ。」
ヒショウが手をどけるとすぐさまグレイが扉に手をかけ力いっぱいに引っ張った。
ガッシャン!!!!
「いってー!!!」
「大丈夫!?」
「⋯⋯力入れすぎよ。」
全体重をかけて引いた事が災いし、反動で首を痛めたのだろう。
階段を登りきらずに離れた所から様子を見ていた私の位置でも、首がガクッと後ろに動いたのが見えていた。かなり痛そうだ。
首を抑えて蹲ったグレイを見かねたヒショウが、グレイの抑えた手の上に自分の手を重ねた。
「ウィンクトゥーラ。」
たった一言ヒショウが呟くと数秒後にグレイがいきなり立ち上がった。
「待って!?痛みなくなった!ヒショウ、何したんだ!?」
驚いた様子のグレイ。目を丸くしながら、首を動かして痛みがないことをアピールしていた。
「もしかして今のレガロの効果かしら?」
「あ、うん。そうだよ。ただ、完全には回復してないと思うから無理しないでね。」
グレイに笑いかけるヒショウ。
和倉を治療する事になった時も、誰よりも早く行動をして治療に貢献していたヒショウ。
この子は他人を大切にする気持ちが大きい子なのね。
だからこそのガーディアンなのかもしれないわ。
グレイがヒショウに対して何度もありがとうと繰り返すため、ヒショウは声を出して笑っていた。
あぁ。本来ならこんな笑顔を見せるのね。
私達の前でも自然に笑ってくれるようになったら、吉歌と牡丹も喜ぶでしょう。
「っていうか!鍵閉まってんだけど!」
ハッとしたグレイが扉を指さして私を見る。
「そんな、私に訴えられても困るわ。管理人じゃないもの。でもそうね。ここが開かないとなると⋯⋯。」
もう一度辺りを見渡すが、外から出入りが出来そうな場所はこの扉しか見当たらない。
そうなると⋯⋯
「舞台の後ろに扉がないと、外には出られないかもしれないわ。」
「マジかよ!じゃあとりあえず舞台の裏見に行こうぜ!出られればそれでいいんだし、客用出入口がどこかなんてもう関係ねーだろ!」
「まぁ、一理あるわね。」
「2人とも早く行くぞ!」
グレイが階段を駆け下りて行く。ヒショウも遅れをとるまいと急いで追いかけていた。
私はそんな2人の少し後ろから歩いて階段を下りながら、劇場全体を観察した。
出入口はこの扉しか見当たらないだけでなく、ここには天窓も何もない。すべて壁で囲われている。
ここに迷い込んだ者は逃がさないという意思が汲み取れる。
正直、舞台裏に出口があるかもなんて言ったけれど、可能性はほとんど0なんじゃないかと思っている。
ここまで徹底されて出られないようになってるのに、舞台裏からなら出られますなんてそんなミスするかしら?
まだ階段の途中にいる私に対して2人はもう舞台の目の前に着いていた。
「ミオラ!俺達、先に出口あるか見て来るから!」
「えぇ。お願い。」
「ヒショウ、行こうぜ!」
「そうだね。」
2人は舞台に飛び乗ろうとステージに手をかけた。
次の瞬間、それを待ち望んでいたかのように舞台上でボンッと大きな破裂音がした。
「うぉ!?」
「うわっ!!」
「危ない!」
咄嗟に伸びた蛇達のおかげで、バランスを崩した2人を支える事ができた。
2人が立て直すのを確認すると、腰に巻きついていた蛇は私の元へと戻ってきた。
「ありがとう。」
蛇達を撫でると目を閉じゆっくりと身体をうねらせた。
そんな中、私の視線は無意識的に舞台上へと移動していた。
心には先程まで確実にこの劇場に存在していなかった、うさぎの被り物をつけ風船を持った子が立っていた。ベスト・ネクタイにショートパンツとロングブーツというスタイル。
顔が見えないため服装だけでは判別できないが、骨格からは何となく男の子ではないかと感じる。
確かこの子はさっきの集団にいたわよね。
そうなると少し危険かもしれないわ。
舞台の目の前にいる2人も同様に感じたようで、すぐに応戦出来るようバレない程度に構えていた。
静まり返る不気味な劇場。
そんな中幼い男の子の声が響き渡った。
「Welcome to the wonderful theater.」
「なんだぁ?」
首を傾げるグレイを見るうさぎの顔。
突然感情のないうさぎに注視されたからか、体をビクつかせたグレイが1歩後ずさった。
そんなグレイから視線を外す事無く続けた。
「ようこそ、ボクの劇場へ。来てくれてありがとう。」
「ここへ呼んだのは貴方?」
「そう。でも正確にはアリシャ。」
「アリシャ?」
「僕達の大切なお姫様。」
私の質問に答えながらも歩みを進めると、舞台花で立ち止まった。
「3人にはせっかくここに来てもらったから、楽しんでいってほしいんだ。」
「楽しむって、何を?」
「もちろん劇だよ。」
「見ていけってことか?」
「そうだね。でもそれじゃあお兄さん達にはつまらないかもしれない。」
持っていた3つの風船を天に掲げると風船が6つに増えた。
「ボクと一緒に楽しい舞台を作ろう。」
「はぁ!?」
「え、どういうこと?」
「私達も参加しろってこと?」
「まぁ、強制ではないけど。でもここの劇場は舞台上だけがメインじゃない。劇場全てが舞台だから。ここに入ったら演じるしかないよね。そうそう。ボクが持ってるこの風船の中には舞台のテーマが書かれた紙が入ってるんだ。それと、丁度ボクの真上にある天井に針が見えるでしょ?手放した風船が針に当たったら割れる。割れた風船の中に入っていたテーマに沿ってこの劇場が変化する仕組みになってるよ。変化した劇場の中で楽しい舞台を作ってね。」
混乱する私達を置いてけぼりにしてどんどん話を進めていく。
話している途中で「ちょっと待って」「おいっ!」と私達が声を掛けても話が止まることはなかった。
そして、有無を言わさず手元から離れ天井へと向かっていく6つの風船。
私達は風船の行く末を見守ることしかできない。
パンッ!!
風船が劇場の高い所まで飛んでいってしまう中、1つだけが針に当たり割れると中から紙がヒラヒラと舞い落ちてきた。
足元に落ちた紙を拾い上げると、私達に紙を見せた。
そこには大きく可愛い文字で『学園生活』とだけ書かれていた。
「おめでとう。みんなの作る物語のテーマは『学園生活』だよ。」
「本当にやるのか?」
「そうだよ。」
「俺達、演技なんて未経験だよ?」
「大丈夫。それは心配ないよ。この劇場では、テーマに沿ってれば自由に物語を進めていいんだ。何せみんなが主人公だからね。」
「主人公って⋯⋯私達3人しかいないじゃない。貴方を含めても4人。こんな少ない人数で舞台を作るの?」
ずっと正面を向いていたうさぎの顔が確実に私を捉えた。
光の当たり具合により所々影ができるうさぎの被り物。
グレイがたじろぐ気持ちが何となく分かった気がする。
「それも大丈夫。他の演者はボクが準備するから安心してね。」
「準備するっt」
「そうそう。」
私の言葉を遮るように話し出す。
自分の話を聞いて欲しいという感情が嫌でも伝わってくる。
「注意事項があるよ。」
「注意?そんなのあんのか?」
「もちろん。みんなの為の注意事項だからよく聞いてね。①演技だからってあまり好き勝手にやり過ぎないように。②みんなが舞台で体験したことは現実の君達にも反映されるよ。③舞台上ではレガロは使えないから気をつけてね。」
その注意事項に違和感を覚えたのは私だけではなかったようで、ヒショウと少し離れた位置にいる私は目が合った。
「ちょっといいかしら。」
「うん。」
「注意事項の③だけど。レガロは使えないって言ってるけど、レガロが必要になるようなものなの?」
今までは質問に対してすぐに答えていたのに対し、初めて無言の時間が訪れた。
「⋯⋯⋯⋯それは分からないかな。」
「待って、何でそんなに考える必要があるの?」
「今ので注意事項は終わりだよ。質問ももうなさそうだよね。」
こちらへ背中を向けると心へ移動していく。
返答から察するに、私達にとってレガロが無くなるというのは致命的なようだ。
また②で言っていたことを踏まえると、かなり危険が伴う可能性が考えられる。
「全然話聞かねーんだけど。」
「あまり突っ込んでほしくないのかな?」
「てかレガロ使えないって問題あるか?」
「問題あるでしょう。」
私の方を振り返る2人。それと同時に丁度こちらを向いたうさぎの顔。
私はお構い無しに続けた。
「殺されるかもしれないわ。」
「はぁ!?なんで!?」
「ヒショウもそう思ってるのでしょう?」
さっき目が合ったから。もしかしたら同じように考えてるかもと思ってハッキリと問いかけた。
そしたら答えにくそうに俯くヒショウ。
やっぱりそう思うわよね。
そんなヒショウの様子に戸惑いを隠せないグレイ。
「嘘だよな?」とヒショウの肩を掴むが苦笑いをされてしまった為、助けを求めるような不安そうな表情でこちらを見る。
ごめんなさい。嘘とは言えないわ。
そんな私達の様子をずっと眺めていたその子はフフっと笑った。
「そういえばボクの名前を言ってなかったね。ボクはビット。ここの管理人だよ。」
今までより高揚する声を聞き、私達の予想が確信にかなり近づいていると感じた。
ブーー!!
「うぉ!」
「何の音?」
「⋯⋯これは⋯⋯。」
聞いたことがある音。これは開演のブザー。
「もう時間だね。それじゃあ楽しい物語が出来るのを楽しみにしてるよ。行ってらっしゃい。」
ビットが私達に手を振ると、視界がぐわんと歪んだ一一
一一っ⋯⋯何、また?
私は歪んだ世界に酔いそうになり耐えられず目を瞑っていた。
すると、どこからか賑やかな声が聞こえだした。
ゆっくりと目を開けると、そこはもう劇場ではなかった。
「⋯⋯ここはどこ?」
学園生活がテーマだと言っていたけれど、私のいる部屋は一面真っ白の壁の部屋。何故かカーテン付きのベッドが3台並んでおり、部屋中に医薬品の香りがする。
私は椅子に座らされており、目の前には大きな机があった。本やバインダーが置いてある。
そして、部屋を見渡したことで分かったことが1つ。グレイとヒショウがいない。バラけさせられてしまったのだろう。
「何回別れさせられないといけないのかしら。」
仕方がない。2人を探そう。
でも、まずはここがどこなのかちゃんと把握しなくてはいけないわね。
無闇に部屋から出るのは危険だわ。
座っていた椅子を立ち上がろうとフと足元を見た。
「白衣?」
いつの間にか私は白衣を着ていた。白衣と言ったら医者のイメージしかないけれど、学園生活にどうして?
疑問を抱きながらも外の景色を確認するために閉じていたカーテンを開けた。
その先に見えたのは広いグラウンドと木々だった。
私はその風景を眺めていると、以前グレイから聞いたことを思い出した。
休み時間に広いグラウンドで友達とよく体力育成として走り込みをしていたと。
校舎には医療担当の先生がいて、保健室というところで治療してもらったことがあると。
もしかしてここってその保健室?
私は学校なんて行ったことがない。
教育は全て担当の講師がそれぞれ屋敷に来て教えてくれていた。
だからこそ建物に入ったことがなければ、どんな物があるのかもよく分からない。
学園生活なんて言われても想像がつかない。
それなのに演じろって⋯⋯なかなか無茶な話じゃない?
あと少し部屋を探索したらヒショウ達を探しに行こうと窓から離れた時、コンコンというノック音と共に扉が開かれた。
急いでそちらを振り向くと、その先には学生服と思われるものを身にまとった可愛らしい女の子が2人、荒くなった息を整えながら立っていた。
「せ、先生!」
「ミオラ先生!助けてください!」
「⋯⋯先生?」
先生って⋯⋯名前も呼ばれたから間違いなく私の事よね?
先生と言われてもまだ理解が追いついていないが、只事じゃないのはその2人の様子で何となく察することが出来た。
私は先生の演技をすればいいのね。まぁ、私の知っている先生はあの厳しい講師達だけだから上手く演じられるかは分からないけれど⋯⋯。
「どうしたの?」
「ヒショウくんが!ヒショウくんが過呼吸で!」
「⋯⋯ヒショウが?」
「はい!早く来てください!」
部屋に入ってきた2人は私の腕を引っ張った。
私は前を走る2人に連れられてヒショウの元へと向かうことになった。
まさか探しに行かなくても出会えるとは思わなかったわ。
でも、過呼吸ってことは⋯⋯
何となくだが、ヒショウの元へ向かうまでの間に簡単に状況を整理する事が出来た。
私の手を引く女の子や廊下ですれ違った子達を見る限り、魔女や魔法使いだ。ここはどこかの魔法学校なのだろう。そして私は保健室の先生。この子達がヒショウくんという敬称をつけて呼んでいる所を見ると、多分ヒショウは学生。そして今過呼吸になっている。そしてその原因は「恐怖症の発症」だろう。
⋯⋯グレイも近くにはいないのかもしれないわね。
知らない女の子が沢山いる上に頼れる人も近くにいないとなると、そのような状態になってしまうのも無理はない。
到着した教室はかなりざわめいていた。
ヒショウが過呼吸になっているからという理由だけではなさそうだ。
「ヒショウくん!ミオラ先生呼んできたよ!」
「先生、あそこです!」
女子生徒が指し示した先には人だかりが出来ていた。
介抱しようとする女子生徒と数人の男子生徒、そしてその中央で苦しそうに地面に倒れるヒショウがいた。
「ヒショウ!大丈夫?」
私が駆け寄ろうとした瞬間だった。
「おっと危ない。」
私の行く手を男子生徒2人が塞いだ。
「何をしているの?早くどきなさい。」
その言葉に対して顔を見合わせて笑う2人。その後ろからまた1人男子生徒が現れると2人はその生徒が通れるように間を開けた。
どこかで見た事のあるような光景ね。
「ミオラ先生〜。大丈夫大丈夫。こいつ、女の前だけこんな弱っちくなるんだよ。気にすることねーって。」
ニヤニヤと気持ちの悪い笑みを顔に張りつけている。
私の嫌いなタイプだわ。
「女の前だけで弱くなるなんて言葉で済まそうとしている貴方達の神経が私には理解できないわ。」
「あ?」
そうだった。私は先生だ。癖で普段通りの話し方をしてしまった。
先生らしからぬ私の言葉に男子生徒3人は眉をひそめる。
「私は養護教諭よ。彼は今過呼吸になっているの。私の仕事よ。どきなさい。」
「やだなぁ先生。そんな怖い顔しないでよ。でもそんな先生も美人だからさっきの言葉、俺許しちゃおうかな〜。」
⋯⋯ほんっと話が通じないわね。
こんな事してる場合じゃないのよ。
レガロが使えるなら石化させてしまえばいい話だけれど、それが出来ないとなると⋯⋯
⋯⋯いや、私は養護教諭。暴力はダメよ、絶対。
殴り掛かりそうになる気持ちを落ち着けると、私は後ろを振り返り黒板に向かって歩き出した。
「おやおや〜、先生帰っちゃうの?」
「ヒショウの事見捨てる感じ?」
楽しそうに笑う男子生徒を無視した私は、黒板の前に置いてあった他より少し背の高い机に手をかけた。
絶対こんな事しちゃいけないと思うけど、ヒショウを助けるためよ。暴力よりはマシだわ。
それに現実に反映されるなら尚更、早く助けないと。
呼吸を整えると、私は机に飛び乗った。
「え?」「は?」
男子生徒にとって私の行動は予想外だったのだろう。
それは男子生徒に限った話ではなかった。
教室の生徒達がこちらを見て固まる。
私はそんな視線など諸共せず机の上を走りヒショウの近くで飛び降りた。
「ヒショウ!」
「ヒュッ⋯⋯ミ⋯⋯。」
「落ち着いて。目を瞑ってゆっくりよ。ゆっくり息を吐きなさい。大丈夫だから。」
私の言葉に、目を瞑ると大きく深呼吸を始めたヒショウ。
医学とお喋りが好きな講師の豆知識が役に立ったわね。
そんな私の様子を見た男子生徒が人をかき分けて私の後ろに立った。
「先生ー。机の上走っちゃダメっしょ。てか、そこまでして助けたいわけ?なんで?そんな奴ほっといて、俺達と遊ぼうよ。」
ポンッと肩に乗せられた手を、私は勢いよく振り払った。
呆気に取られている男子生徒。
「いい加減にしなさい。」
威圧したからか、生徒はサッと手を引っ込めた。
逃げるなら隙のできた今がチャンスね。
「⋯⋯ミ⋯⋯オラ⋯⋯。」
「話さなくていいわ。立てる?」
落ち着いてきた様子のヒショウは首を縦に振った。
それなら話が早い。
触られるのも嫌だと思うけれど、大人数に囲まれるよりは多少マシでしょう。
申し訳ないけれど我慢してもらうしかないわ。
ヒショウの手首をしっかりと掴むと、一旦ビクついたものの私の手を振りほどこうとはしなかった。
これなら思っていたよりも大丈夫そうね。
「一旦保健室に連れて行くわ。このクラスは今自習中かしら?残り時間勉学に励みなさい。ヒショウくん、行きましょう。」
頷くヒショウを連れて教室を出る。しかし私が向かうのは保健室と真逆の方向。
保健室から教室へ来るまでの間、外に出られそうな扉は見当たらなかった。
ならば、まだ行くことの出来ていない場所に出口があると考えるのが妥当。
グラウンドも学園生活の一部。そう考えれば世界から出られなくとも、外には行けるはず。
教室から少し離れた位置まで来る事が出来たため、私はヒショウの手を離して少しだけ距離をとった。
「手を引っ張ってごめんなさい。」
「そんな!謝らないで!少し驚いたけど⋯⋯でも、俺1人じゃあの集団から出られなかった。あの時顔見知りが現れて、例えそれが女の子だとしても『助かった』って心の底から思ったんだ。女の子にそんな感情が出たのは初めてだよ。来てくれてありがとう、ミオラ。」
ヒショウの笑顔が引きつっていなかった。
それは驚く程にとても柔らかい笑顔だった。
「そう言ってもらえて良かったわ。」
助かったって思ってもらえてたことが分かって、安堵と共に嬉しさが込み上げた。
ただ、今はヒショウの変化に喜んでいる場合では無い。
私はそんな気持ちに一旦蓋をした。
「まずは人の少ない外で休憩しましょう。保健室はいつ誰が来るか分からないから休まらないでしょう。それに、グレイを探さないといけないわ。」
「そうだね。」
そう言いながらも後ろを振り返るヒショウ。
「どうかした?」
「さっきの男の子達俺の事嫌ってたから追いかけてくるかなって思ってたんだけど…。」
「確かにそうね。でも、来ないのはこちらとしては有難い話だわ。」
そんな話をしながら階段を下りていくと、目の前に外に出られそうな大きな扉が現れた。
「よかった!扉見つかった!」
「まだ油断は禁物だけれど、とりあえず無事に外に行けそうね。」
私達が階段を全て下りきり、扉に手をかけようとしたその瞬間だった。
「あー!いた!あっちだ!」
「保健室じゃなかったのかよ!」
「ミオラ先生〜、どこ行くの?待ってよ。」
右から大きな声が響いてくる為そちらを見ると、1番端の教室から先程の3人が顔をのぞかせていた。
あそこは保健室。私が最初にいた場所。
私達の事を追いかけて来なかったんじゃない。
向かった場所が違っていただけだった。
あの時保健室に行くって言っておいて良かったわ。
「⋯⋯うぅわっ、最悪。」
「ミオラ、口調が⋯⋯。」
3人が来ていたという状況があまりにも嫌すぎて出た言葉に対し、ヒショウがオドオドしていた。
「ごめんなさい。あの人達がどうしても嫌だったの。」
そんな会話をしている間にも、3人はこちらへ向かって歩いてきていた。
本当にしつこい子達ね。
でも、捕まるわけにはいかないわ。
「ヒショウ、出るわよ。」
「うん。」
私とヒショウが勢いよく扉を開け駆け出すと、後ろから汚い怒号と共に走ってくる足音が聞こえた。
私達が開けた扉は裏口だったようで、校舎の裏手に出た。
校舎に沿って走れば表に出られるだろう。
普段はレガロを使って応戦している私達。今はそれが使用できない。だからこそ、彼等に対抗する術がない。
体力や武力はある方だけれど、私はそれに特化している訳では無い。ヒショウは男の子だけれど、どちらかと言うと私に近い気がする。
追いかけてきている中に武力に長けている者がいた場合、私達は不利な状況だと言えるだろう。
とにかく全力で走るしかない。
出来ることならここでグレイと合流出来るといいのだけれど。
「ミオラ、いつまで走るの?」
「3人が私達を完全に見失うまでよ!」
中庭を抜け校庭に出た。校庭の先には体育館が見える。その周辺には生垣が続いていた。
生垣に隠れたり曲がり角を上手く利用すれば3人を撒けそうだ。
「体育館の裏手に行きましょう。」
目標が定まった為、今まで以上に全力を出して走る。
白衣は風を受けて走りにくいが、普段着ているタイトワンピースに比べたら随分とマシなものだ。いつも以上に早く走ることが出来ている気がする。
普段着の動きにくさがこんな時に役立つなんて想像もしなかったわ。
立場上幼い頃から無理やりスカートを履かされ、抗議を入れても許してくれない両親にウンザリしてたけれど、それが役立つなら両親に感謝しないとね。
あまり好まぬ両親へちょっとした感謝の気持ちが芽生え始めた時、隣で並走しているヒショウが「あっ!」と声を上げた。
「あれ、グレイじゃない?」
ヒショウの指さす先、私達から見える体育館の裏手に行ける道と丁度反対側。
そこにいかにも悪い事を好みそうな雰囲気の集団が屯していた。
その中で唯一背が高く体格の良い銀髪の男子生徒がいた。
後ろ姿でも分かる。あれは確実にグレイだ。
「「グレイ!!」」
叫ぶ私とヒショウの声が揃う。
まだ距離があったが、流石に2人分の声はその場の全員の耳に届いたようだ。
グレイ含め全員がこちらを見た。
ざわめく男子生徒達に反し、グレイは目を輝かせ大きく手を振って叫んだ。
「おー!!ヒショウ!ミオラ!やっと会えたな!!」
グレイに近づくと周りの話し声が聞こえてきた。「ミオラ先生だ。」「隣のヤツ誰?」「グレイさんの知り合いっぽいな。」と口々に言う。
グレイさんって⋯⋯まさか周りの人達のこと、この短時間で従えたの?まぁ、彼ならやりかねないわね。
でも、もしそうなら⋯⋯一言伝えるだけで動いてくれるんじゃないかしら。
淡い希望を抱き、全体に聞こえるように声を張り上げた。
「助けて!!」
予想は当たったようで、グレイ含め男子生徒全員が私の言葉にただならぬ様子を察したらしい。
真剣な表情で立ち上がるとこちらへと距離を詰めた。
「2人共そんなに息荒くしてどうしたんだ?」
「実は今⋯⋯。」
走る速度を弛めヒショウが説明を始めようとした瞬間、後方から聞き覚えのある声が近づいてきた。
「ヒショウ、もうそこに来てるわ。」
「う、うん。分かった。グレイ、簡単な説明でごめんね。今、俺とミオラは他の男子生徒から逃げてるんだ。だから」
「そういう事か。」
そこまで聞いたグレイは周りの生徒達と顔を見合わせて笑った。
「2人の事、守ればいいんだな!」
「任せてくださいよ!」
「ミオラ先生困らせる奴はぶっ潰します!」
「お兄さんの事も守ります!」
グレイに続く生徒達。
これだけの人数が居れば安心ね。
「ありがとう。助かるわ。」
簡単な説明だったが、その間に男子生徒達がこちらへ追いついたようだ。
ただ、予想外の反応を示した。
「やべー⋯⋯あれ1年の⋯⋯。」
「ヒショウのくせに、アイツらと絡みあったのか⋯⋯。」
「これ、まずいんじゃ⋯⋯。」
グレイ達を一目見た途端に狼狽え出した。
これは⋯⋯
「怪我させねー程度に、総員かかれ!」
グレイの号令で男子生徒達が3人を取り囲んだ。
人数で圧倒していた為、3人は動けず立ちつくしていた。
だからこそ簡単に3人を取り押さえることが出来た。
「っざけんな!離せよ!」
「その人数で俺達囲むとか本当は弱いんじゃねーの?」
「1年のくせに調子乗ってんじゃねー!」
「その調子乗った弱々な1年に簡単に捕まって逃げられずにいるのはどこのどいつだよ。」
挑発と威嚇をしていた3人だったが、グレイの一言で一気に黙る。
ただ、これがかなりの騒ぎになっており、いつの間にか野次馬が集まってきていた。
それと同時に想定外の者まで近くへ来ていたようだ。
不審にざわめく野次馬と男子生徒達。
全員の視線の集まる場所を見ると、そこには別の男子生徒の集団があった。
「俺らの仲間が世話になったな、1年共。」
先頭にいる金髪の男子生徒の一言で時間が止まったように静かになる。
何⋯⋯この子なんなの?
しかし、全く状況の呑み込めていないグレイは首を傾げた。
「世話になったって⋯⋯あぁ、こいつらのこと?」
「あぁ。⋯⋯お前は1年のトップのグレイだな。噂は聞いていたが、本当に力のありそうなやつだ。」
くくくっと笑う金髪くん。
「てか、あんた誰?」
「グレイさん!それは!まずいっす!」
「あんたはダメですよ!」
グレイの言葉に慌てふためくグレイの仲間達。
その中の1人が私達にも聞こえるように言った。
「あの方は、力でこの学園のトップに登り詰めた3年生のマヒトさんです!」
マヒト。わざわざ『力で』なんて言い方をするって事は、言い方は失礼だけど暴力とかかしら。
そうだとしたら、レガロを使えない私達にとっては最悪の相手だわ。
「マヒト⋯⋯ふーん。」
「まさか、俺の事知らないとは言わせn」
「悪ぃ。今知ったわ。」
グレイの答えに空気が凍りつく。
グレイの仲間達は絶望の表情を浮かべていた。それに対して本人は特に何も考えてなさそう。
マヒトは1年生でトップのグレイを知っているのに、グレイは学園トップのマヒトを今知ったと答えたためそれがマヒトの逆鱗に触れたのだろう。
今までの涼しそうな笑顔から一変、マヒトの顔は怒りに満ちていた。
マヒトは何も言葉にせずグレイを指さす。
「やれ。」
マヒトの指示を受けた取り巻きはグレイを避けて周りの仲間達に向かって一直線に走り出す。
グレイの仲間は怯えてしまい動けない様子だった。
グレイに向かって歩き出すマヒト。
今から何が起こるのかは一瞬で判断がついた。
「ミオラ、ヒショウ!逃げろ!」
「分かったわ!」
「分かった!」
私達は元々逃げ隠れる予定だった体育館裏の生垣へと飛び込んだ。
ここはグレイ達と少し距離があるが、隙間から様子を見ることが出来た。
ここに隠れた時点で、多くのグレイの仲間が地面に倒れ伏しており、マヒトの取り巻きはほとんど怪我をせずにいるのが分かった。
「ねぇ⋯⋯グレイ、大丈夫かな⋯⋯レガロ使えないけど行った方がいいかな?」
「⋯⋯私達が出て行ってもきっとやられるだけよ。大丈夫だと信じて見守るしかないわ。グレイは私達より武力に長けてるから。」
「そう⋯⋯だね。」
信じてる。もちろん心からグレイなら大丈夫だって思っている。だって彼、強いもの。
ただ、人数にかなりの差があるため、囲まれたりしたら流石のグレイも厳しいかもしれないと不安が過っていた。
実際、マヒトと拳を交え始めたグレイはいい戦い方をしており、負けそうな様子は微塵も感じられなかった。
しかし、マヒトはトップを力で勝ち取った者。対等なのが気に入らなかったのだろう。
距離をとった瞬間、グレイを指さした。
すぐに動き出しグレイを囲むマヒトの取り巻き達。それを止める者はいない。
20人近くに囲まれ一斉に襲いかかられたら⋯⋯今のグレイは一溜りもないのではないだろうか。
恐怖に駆られながらも下手に出られない私達はその集団から目が離せずにいた。
「なんだ?タイマンじゃねーのか?」
「タイマンだけが全てじゃねー。時には俺を崇拝している者達を使うのも一つの手だ。」
マヒトがニヤッと笑うと、囲んでいた取り巻きが一斉にグレイに襲いかかった。
レガロが使えない今、グレイにとっては最悪の状況に違いない。それでもグレイはやられるだけではなく、羽交い締めにしてきた者達を振り切ったり殴り返していた。
しかし、人数差にはどうしようも出来なかったようだ。
グレイが見えなくなった直後、集団が動きを止めた。そしてマヒトがそこへ近づく。
マヒトを誘い込むように避けた為、ここからでも中央が見えた。
グレイは見るも無惨な状態で倒れていた。
「グレi」
「シッ!ダメよ。今は我慢して。」
「でも、グレイが⋯⋯。」
「分かってる。それは私も分かってる。」
グレイに駆け寄ろうと立ち上がり声を上げたヒショウを私は必死に止めた。
「今私達が立ち向かっても、彼を助けることはできない。私達までやられるわ。無茶しないで。」
「⋯⋯なんで⋯⋯グレイ⋯⋯。」
涙を堪えながらもグレイから目を離せずにいるヒショウ。
助けたい気持ちは私にもある。だって大切な仲間だから。
でも、それでも、あのグレイでさえやり返せなかったのだ。
ヒショウまで向かったら、確実にやられてしまう。
それは絶対に避けなければいけない。
「大丈夫。グレイはあの程度で殺られる奴じゃない。そうでしょう?」
「⋯⋯うん。そうだね。」
グレイの安否は気になるが、私達は生垣で身を潜めることにした。
しかし、それも簡単に上手くいく話ではなかったようだ。
「ミーオラちゃんっ!」
「っ!?」
「ひぃ!!」
声が聞こえた方に顔を向けると、生垣の上からマヒトが覗き込んでいた。
おかしい。気配を全く感じなかった。
「ねぇねぇ、ミオラちゃんさぁ、そいつ匿ってどうすんの?」
マヒトの指差す先にいるのはそいつと呼ばれた怯えた表情のヒショウ。
「⋯⋯どうするって?」
「だって、そんなビクビクして弱っちいやつ匿った所で何のメリットにもならねーだろ?それじゃあミオラちゃんの時間も、そいつの存在も勿体ねーじゃん。だからさぁ⋯⋯。」
しゃがみこむと、生垣の隙間から顔を覗かせニンマリと笑った。
心底ゾッとした。
「そいつ、遊んであげるからこっちに寄越しなよ。」
「絶対にいやよ。」
「⋯⋯なんで?」
「危険な事しかしないような貴方に、ヒショウを渡せるわけないわ!!」
「⋯⋯。」
私の返答に表情の無くなったマヒトはスっと立ち上がると、額の血管を浮き上がらせ怒りに満ちた表情を浮かべた。
この人は表情がコロコロ変わって分かりやすい。
ただ、分かりやすいからと言って何か出来るわけでもないのだが⋯⋯。
「つまんねーな。学園トップの俺に従えないんじゃ、女だろーが先行だろうが関係ねー。気が変わった。まずはミオラ。てめーから殺す。」
凄くまずい状況になってしまった。
それは頭の中でちゃんと理解している。
でも⋯⋯何故か体が動かなかった。
もしかして、恐怖で動けなくなってるの?
そんなこと今まで無かったのに。
レガロが無いだけでこんなに相手に恐怖を感じるの?
頭で何度指示を出しても動かない体。
「ミオラ!しっかり!逃げないと!」
女性が苦手なのに、私の腕を掴んで引っ張りながらも必死に声をかけてくれるヒショウ。
なのに、動けない。
私は立ち上がれないまま、こちらに伸ばされるマヒトの手を見つめることしか出来ずにいた。
もう捕まる。
マヒトの手が私の腕を掴もうとした瞬間だった。
ドゴーン!
「えっ!?」
「⋯⋯え、何?何が起きたの?」
突然目の前からマヒトが消えた。
いや、違う。勢いよく吹き飛ばされたのだ。
飛んで行った方を見ると、かなり遠くの壁を破壊しながらマヒトが倒れていた。
起き上がらない所を見ると、気絶しているのかもしれない。
想像もしていない出来事にざわめく生徒達。
私はマヒトの倒れている方向と反対の方向へと目線を動かした。
そこには、倒れながらもマヒトの方を見て驚いた表情を浮かべているグレイと、そのグレイの丁度足元に立っている明らかにこの世界の住人では無さそうな長い白髪の魔女がいた。




