鬼ごっこ
ミオラは己が置かれている状況を把握するため、光に貫かれぼやけた目を慣らしながらも即座に周囲を見渡していた。
突然鋭い光が目を貫いたと思うと、次に目を開けた時には全く見たことの無い世界へ来ていた。
空は真っ赤に染まり、鴉が飛んでいる。周りの森からも鴉の鳴き声が聞こえてきている。
「⋯⋯嫌な雰囲気ね。」
「こ、怖いにゃあ!!ここどこにゃあ!!」
「知らない場所⋯⋯ですね。」
ここには私と吉歌ちゃん、牡丹ちゃんの3人だけがいた。
「お兄様達はどこへ行ってしまったのでしょうか?」
「違う場所へ飛ばされちゃったのかしら。」
「さ、3人だけだなんて心細いにゃあ⋯⋯。」
ビア達がいないこと、知らない世界へ来てしまったことが重なり、私達の中には不安しかなかった。
そんな時だった。
「鬼ごっこする人、この指と〜まれ!」
どこからともなく聞こえてきた楽しそうな声。
その声が合図だったかのように、私達3人は勢いよく何かに引き寄せられた。
この可愛らしい声は⋯⋯
「堕亡ね。」
「うふふっ!だっいせっいか〜い!」
引き寄せられた先に立つ大きな時計台の上には堕亡がいた。
堕亡はニコニコと微笑み楽しそうにしているようだ。
「私達をこんな場所に連れてきて何がしたいのかしら。」
私の質問を聞くや否や、堕亡は表情を変えずに言った。
「鬼ごっこしよう?」
「⋯⋯鬼ごっこですか?」
「そう!鬼ごっこ!ルールは簡単だよ!よーく聞いてね!」
堕亡は時計台から飛び降りるとゆっくりと静かに着地した。
顔を上げると、笑顔で話を始めた。
「僕が鬼、お姉さん達が逃げてね。あの時計台の鐘の音が鳴る迄の15分間、僕から逃げ切ることができたらお姉さん達の勝ちだよ。」
「⋯⋯吉歌達が捕まったらどうなるにゃ?」
これは私達3人の脳裏に同時によぎったであろう疑問だった。
さぁ⋯⋯どう来る?
「お姉さん達が捕まったら?ふふっ⋯⋯僕がお姉さん達を捕まえた時は、お姉さん達にはここにいる蝶々さん達のお友達になってもらうよ。そして、僕と一緒にずぅーっとこの世界で過ごすんだっ!」
「それはどういうことですか?」
「うーん⋯⋯説明が難しいからなぁ⋯⋯。実際にやれば分かると思うよ!」
私にはその『説明とは言い難い説明』が腑に落ちなかった。
「堕亡。ちゃんと説明してちょうだい。今の説明を聞いただけだと、私達の遊ぶメリットが1つも見当たらないわ。『一緒に遊ぶ』からには平等じゃなきゃおかしいんじゃないかしら。平等でないのに貴方と遊ぶつもりはないわ。」
堕亡は目を丸くしたが、すぐにふふっと笑った。
「そっか。遊んでくれなくなるのは困るから、頑張って説明するね!」
そう言うと、私達の方へ歩いて向かってきながら説明を始めた。
「お姉さん達が負けた時は、お姉さん達は蝶々になって僕とこの世界で過ごすんだ。そして勝った僕は、また新しいお友達を探しに外の世界へ出ることが出来る。お姉さん達が勝った時は、お姉さん達は元の世界へ戻れるよ。そして負けた僕は、もうこの世界から出ることができなくなるんだ。」
私は説明の意味が理解できなかった。
負けたら蝶にならなければならないということももちろんだが、それ以上に理解できなかったこと⋯⋯それは、私達が勝った時、堕亡はこの世界から出られなくなるということ。
それは、どういうこと?
私はその意味を聞き返そうとしたが、堕亡が口を開く方が早かった。
「まぁ、今まで負けたことないから僕も分からないけどね!そういうことだから、一緒に遊んでくれるよね?」
私達の目の前まで来た堕亡は笑顔を崩さずにいる。
話を聞いている限り、確かに不平等さは見当たらない。
「⋯⋯仕方ないですよね。お兄様達のことも気になりますし。」
「早く帰りたいにゃ⋯⋯鬼ごっこするしかないにゃ⋯⋯。」
この世界から出るためにも、一緒に遊ぶことを了承しなければならなそうだ。
ならば、最後にもう1つ⋯⋯
「堕亡。帰りたいなら貴方と遊ぶのが必須なのは分かったわ。だから、遊ぶ前に最後にもう1つだけいいかしら。」
「うん!いいよ!」
「鬼ごっこ中にレガロを使用するのはアリ?ナシ?」
特に何も言われなかったけれど⋯⋯万が一咄嗟にレガロを使う場面が来てしまった時、ルール違反だと後出しされては困る。
反対に、私達が負けた時に「レガロを使っても良かったのに」なんて言われた時に冷静に受け入れられる程私は大人じゃない。
だから、先に知っておいた方がいい。
堕亡は手を顎に当てて首を傾げながら悩んでいたが、すぐに答えは出たようだった。
「お姉さん達とは普通に遊びたいし、レガロでお互いを傷つけるのはナシにしよう!それでも遊んでくれる⋯⋯?」
「お互いを傷つけるのがナシなら、貴方もレガロは使えない事になるけれどそれでもいいの?」
「えっと⋯⋯僕のレガロはね、鬼ごっことか隠れんぼとかいろんな遊びを開催できるっていうレガロなんだよね。そもそもみんなに危害を加えるようなカッコイイレガロはないから、僕は全く問題ないかな〜!」
「そう。貴方のその言葉を信じるわ。」
今ここでナシと宣言されたなら、それに従って動きましょう。
「一緒に遊びましょう。」
それを聞いた堕亡はとても嬉しそうに笑った。
「うん!遊ぼう!」
そして、時計台の上へ一瞬で飛び移ったと思うと両手を広げた。
「さあ、鬼ごっこを始めようか!僕が10数えるからその間にお姉さん達は逃げてね!数え終わったらお姉さん達を捕まえに行くからね!」
そう言うと、早速数を数え始めた。
「い〜ち、に〜い、さ〜ん⋯⋯」
「誰か1人でも生き残れるよう、分かれて逃げましょう。」
「そうですね。⋯⋯無事を祈ってます。」
「頑張るにゃ!!」
私達はそれぞれ森の中へ急いで逃げた。
時計台を中心に、吉歌ちゃんは北へ、牡丹ちゃんは西へ、私は南へ。
元の世界へ戻るため、1人でいいから堕亡に捕まることなく逃げ切れるよう遠くへ、遠くへ⋯⋯。
もう堕亡は数を数え終わって誰かを探しに行っているだろう。
私の方へ来ているかもしれないし、他の2人を追いかけているかもしれない。
しかし、森の中に人の気配が一切ない。
全く追いかけられている気がしない。
私以外の2人のどちらかが追いかけているのかしら⋯⋯。でも、いつ現れるか分からないから油断は出来ないわね。
出来るだけ時計台から離れようと走り続けていた時だった。
「きゃあああ!!!」
「⋯⋯牡丹ちゃん?」
森全体に響き渡る少女の叫び声。この声は牡丹ちゃんに違いない。
⋯⋯捕まってしまったのかしら。
叫び声は本当に一瞬で、声が聞こえなくなると森の中には静けさが戻ってきた。
その静けさが恐怖を煽ってくる。
嵐の前の静けさとはこの事ね。
私は後ろを振り返らずに、また遠くへと走り出した。
その時だった。
ザァーーーーー⋯⋯
背後から勢いよく吹き付けてくる風。
私はこの風をよく知っている。
だからこそ、一瞬だが恐怖から足を止めて後ろを振り返ってしまった。
「⋯⋯誰もいない。」
私の言葉と同時に、また聞き覚えのある音が周りに響き渡り始めた。
チリーン⋯⋯チリーン⋯⋯
あぁ⋯⋯次の獲物は⋯⋯
「私なのね。」
そう呟くと、目の前に堕亡が現れた。
「メデューサのお姉さん、みーつけた!!」
私は堕亡の現れた方向と反対へと一目散に走り出した。
「待ってよ、お姉さん!!」
振り返っている暇はない。今は逃げることに集中しなければ⋯⋯。
今まで聞こえてきた叫び声は牡丹ちゃんだけ⋯⋯残りは私と吉歌ちゃん。
吉歌ちゃんのためにも、私が時間を稼がなければ⋯⋯。
私は、縦横無尽に木々の間を駆け抜けた。
これで少しは堕亡を撒けたはず⋯⋯。
堕亡の位置を確認しようと後方を振り返った。
しかし、その一瞬の油断が命取りとなってしまった。
「お姉さんっ!」
声に驚き顔を戻すと、後ろを追いかけてきていたはずの堕亡がいつの間にか目の前に来ていた。
「どうして⋯⋯!」
突然の出来事に私は『堕亡を避ける』という判断が遅れてしまった。
木の上へ逃げようと、身体をひねり蛇達を近くの木の枝へ伸ばした時にはもう遅かった。
「つっかま〜えたっ!」
堕亡は無邪気な笑顔で私の肩を掴んだ。
その瞬間、私の周りに大量の蝶が現れた。
「一一っ!何も⋯⋯見えない⋯⋯。」
私の視界には蝶だけがおり、堕亡も景色も全く見えなかった。
それは数秒の出来事で、私の視界を遮っていた蝶達はすぐにどこかへ飛んで行ってしまった。
⋯⋯今のは何だったのかしら。
視界が晴れたため堕亡を探そうと周りを見渡すと、1匹の蝶が私の目の前を飛んでいた。
「⋯⋯ミオラさん、聞こえますか?」
突然どこからか聞こえる牡丹ちゃんの声。
「ミオラさん、私です。牡丹です。」
どうしてだろうか⋯⋯目の前を飛ぶ綺麗な蝶から牡丹ちゃんの声が聞こえてくる。
「⋯⋯牡丹ちゃん?」
「はい。そうです。」
目の前の蝶へ問いかけると、返事が返ってきた。
「牡丹ちゃん⋯⋯どうして⋯⋯。」
状況を飲み込めていない私に、牡丹ちゃんが言った。
「ミオラさん。自分の身体を見てください。」
言われた通りにすると、そこに私の身体は無くて⋯⋯
「⋯⋯嘘でしょう?」
私も牡丹ちゃんと同じように蝶と化していた。
「どうやら、堕亡さんに捕まると蝶になってしまうようです。蝶となってこの世界で堕亡さんと過ごすというのは、この事だったみたいです。」
「⋯⋯確かにそう説明していたわね。」
私がこの状況に絶句しているのに対し、牡丹ちゃんは冷静だった。
「私が初めに捕まってしまいましたから、その後堕亡さんの後を追いかけながらも時計台を見てきたんです。まだ残り時間が10分ありました。今頃やっと残り時間が5分を過ぎた頃だと思います。」
「⋯⋯そう。ということは、残りの5分間、吉歌ちゃんが出来るだけ見つかる事なく逃げ切ることができるのを祈るしかないのね。」
「はい。ですが、吉歌さんが逃げるのを私達が補助することが出来るのではないかと思ってます。」
蝶化しているため、表情はよく分からないが、牡丹ちゃんはしっかりとした目付きでこちらを見つめているような気がした。
「それはどういうことかしら?」
「堕亡さんの操る蝶は私達の目で確認することが出来ていました。ならば、蝶化した私達のことを吉歌さんが目視することもできるはずです。そして、蝶化した私は姿を消した堕亡さんを確認することができました。吉歌さんは、私達が蝶化していることを知りませんが、堕亡さんの位置を把握出来る私達なら、吉歌さんを安全な場所へ導くことができるかもしれません。」
姿を消した堕亡を目視できたのは、風鈴の音が鳴った直後に現れた時だった。
それでは逃げきれず捕まるだけだ。
もしも牡丹ちゃんの言う通り、蝶化した今堕亡の位置が把握出来るなら、牡丹ちゃんの作戦が通用するかもしれない。
「ちょっとした賭けになるかもしれないけれど⋯⋯無事に元の世界へ帰るにはやるしかないわね。」
「はい。」
私達は堕亡を探し追いかけることにした。
「急ぎましょう。堕亡さんが吉歌さんを見つける前に、吉歌さんに追いつかなければ。」
「そうね。⋯⋯牡丹ちゃんは時計台に寄ったあと、私の居場所をどうやって見つけたの?」
先を飛ぶ牡丹ちゃんの後ろを追いかけながら聞くと、牡丹ちゃんは飛び続けたまま言った。
「色です。」
「⋯⋯色?」
「はい。人のいる場所が濃い紫に染まっていました。森の木々とはハッキリ異なる色のため、遠くからでも分かるんです。それと、堕亡さんは濃い赤に染まっています。それを探せばすぐに見つけられます。」
そう言うと、牡丹ちゃんは急に止まった。
今は空高い場所にいるため森を見渡せる。
「⋯⋯いました。」
牡丹ちゃんの向いている方向を見ると、確かに濃い紫と赤のシルエットが森の中を動いているのが見えた。
「濃い赤が堕亡ということは⋯⋯急いだ方が良さそうね⋯⋯。」
「そうですね。早く行かないと追いつかれてしまいます。」
私達は急いで吉歌ちゃんの元へ向かった。
吉歌ちゃんの紫色の少し後方には、堕亡の赤色が近づいてきていた。