魔宿荘
長崎は山を切り開いた町が多い。
多くの建物が切り土と盛り土を繰り返して、段々畑のような家並みが広がる。
作れるだけ作ってしまえ。というような無計画な開発の思惑が見えてくる。そんな無節操な町が出雲町である。
出雲町で悪魔が散見されるようになった。道行く老婆に話を聞くと「昔はよく見かけたものだったけどね。最近は見なかった」なんて言う。山から流れてくる水が原因であるとか、近くの教会が原因だとかいろいろいわれている。
夜道を歩くのは避けるようにした。人気のない道を通るのも避けた。
最後の隘路だけは無理だったが、あそこを通らねばアパートにいけない。
風呂敷にいくらか包んだ荷物だけをもっている。目つきの悪い女性の管理人に指示されて、自分の部屋へとやってきた。愛想というものがない。
左隣が悪魔。
右隣には神父。
向かいには魔女。
心が折れた。
魔宿荘202号室、家賃2万5千円也。
いろんなものから逃げ出すようにして、今の物件を見つけた。金額も安いのでなんとか頼みこんで住んだ。保証人は求められなかった。都合がよいと思ったが、裏を返せばむくつけき者どもがこぞって住む場所だともいえる。そして、それを管理する女性もただならぬ目つきになるのもやむなしだ。
悪くはない。魔宿荘は川の近くに立っている。窓を開ければいつも風が吹き込んでくる。不思議な家だ。どこかの家がかびてるのだろうとは思うけれど、鼻につくかびの香りも慣れてみればかぐわしい香りに感じたりもする。ここに腰を落ち着けて、3か月になろうとする。
ほとんどプー太郎に近いような生き方の僕を見つけた隣人の悪魔は僕に絡むようになった。女っ気がなくて、ゲイの疑惑が出るほどの僕だ。ことの真偽を確かめるためにか、悪魔は僕に絡む。
薄着で僕の近くをウロチョロするのだ。
悪魔の誘惑に悩んでいることを隣人の神父に相談すると「やっちまいな」ともなんともざっくばらんな回答をしてくれた。
「それをどうにかしたくて相談に上がったのですよ?」
「貞淑の誓いを立てた神父にそのような相談をする? 言語道断! 羨ましい!」
話にならんかった。
向かいの魔女に相談をした。
「悪魔って使ったことないんだよね。ねえ、彼女か彼かわかんないけどさ、髪の毛とか爪を持ってきてたら高いお金で交換するよ?」
取引を持ち掛けられた。検討しますと言って引き下がった。
一階の住人にも話を聞こうか考えたけど、二階のやつら以上に厄介な存在がいると聞いているので相談するのは辞めといた。
ある日、悪魔に訊ねる。
「なぜ、僕に絡む?」
「あたしがそうしたいからだよ。刺激にもなるし、名前を思い出すかもしれない」
名前を忘れた悪魔は刺激に飢えていた。迷惑だった。
悪魔と一緒に近所を散歩したり、仕事したり、飯食ったりを繰り返しながら悪魔の生態を知ろうとする。悪魔の世界では、魔女とかそういった異能は存在しなくて、科学というものが全盛の世界らしい。そんな素晴らしい世界があるなら、いつか見てみたいものだ。なんて自分は思っていた。
そして、ある日悪魔は名前を思い出した。記憶は枝のようなもので、洗い物をしているとき、風呂に入っているとき、散歩をしているとき、ふとした時に揺らすように思い出したそうだ。
悪魔は名前を思い出したので、いつでも帰れる。帰ることができるが、その時には自分をつれて行きたいという。でも、今更魔法のない世界になんて住もうだなんてのは思わない。だって、その世界には人間しかいないのだろう?
「だけど、あたしがいる」
強い魅力的な話だと思ったけれども、自分は申し出を固辞して断った。
少なくない時間を過ごした悪魔は、今生の別れを思わせない調子であいさつをして帰っていった。
急に姿を消した悪魔に悪態をつく管理人の矛先は僕に向かった。
騒がしい隣人と別れたことによって、胸に穴があいたような寂しさを持つ。悪魔が語っていた世界をみたいなんて思うこともないわけじゃない。
そんな風に思っていると、今度は悪魔曰くの科学の力で魔宿荘の202号室に、パラレルを飛び越えるワームホールが設けられる。かくして、悪魔との再会を果たした。
やはり、こいつは悪魔を悪魔たらしめるような不思議な力と堕落の力があったのだ。