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焦げ茶のローファーがアスファルトを打つ。住宅街の外れにある、人気のない参道の前で二人は立ち止まった。
真朱はスマホと現在地を見比べて、目的地がここで合っていることを確認すると、プリーツスカートのポケットにスマホをしまった。
鞄は邪魔なので駅前のロッカーにしまってきた。身軽な身一つと白練を連れて、真朱はアスファルトから石畳に足を踏み入れる。
誠曰く、この先にある神社で怪異が起きているらしい。参拝者の話では数日前からその内に入ることができなくなったという。
詳しく聞き込みをしてみれば、その内に入れないというのは文字通り、境内に入れないということだった。参道を歩いていると、いつの間にか参道の入り口にいるらしい。
普通の人から見れば十分怪異だ。だが、陰陽師からしてみれば優先順位は必然と低くなる。なるほど、放って置かれるわけだ。
「白練、何か感じる?」
「感じるけど……これは」
白練が微妙な顔をする。
「止まって。ここから結界だよ」
白練が真朱の腕を掴んで歩みを止める。
真朱は踏み出そうとした足を止めた。
「ありがと。さて、どうしましょう」
そう言いながらも真朱の手は動いていた。
縦に、横に、刀印を切る。
九字を切った真朱は、楽々と結界内に踏み込んだ。
「どう?」
「さすが私の見込んだ主だね」
護身をした真朱に、白練は満面の笑みを浮かべる。
白練もまた、真朱に追従して結界内に足を踏み入れる。結界を越えると同時、白練の洋服がほろほろとほどけて、狩衣に編み直された。
白い狩衣の袖が、ふわりと風に揺れる。この結界程度、白練には障害にもならないらしい。
ちらりと真朱は白練を見た。
本人には言わないけれど、真朱は真白の装いをする白練が一番好きだ。家でも和装でいるが、狩衣の袖を引っかけるからと単に袴姿ばかりだから、彼の本来の姿を見るのは稀だった。
日本の和服特有の質感を見て、真朱は満足する。うん、やる気入った。
「行くわよ、白練」
「うんうん、行こう行こう」
焦げ茶のローファーが石畳を打つ。その横で白練の下駄が鳴る。
二人は、石畳の先にある神社を目指した。
◇◇◇
参道を進み、鳥居をくぐれば、そこは目も当てられない惨状だった。
木々は枯れ、生き物はいない。
ひび割れ、首が落ちた狛犬。
賽銭箱にすっぽりとはまっている、掲げられていたはずの鈴。
社の壁は崩れ、地に落ちた瓦の破片があちこちに飛び散っている。
真朱は目を疑った。ほんの数日だ。たった数日で、ここまで変貌したのいうか。それともそれより前からこうだったのか。
真朱は後者の可能性を即座に打ち消した。久賀の人間が、ここまでひどい惨状を後回しにするわけがない。ここに漂う障気の濃度はあまりにも濃すぎる。
ならばこれは、陰陽師達の予知にもせまる見立てを越えて起きたこと。久賀の陰陽師にすら予測できなかったこの状況、自分にどうにかできるのか不安になる。
「真朱、緊張してる?」
「……まぁね。ここまでの大物、初めてだもの」
「あはは、大丈夫、大丈夫。私がいる限り───おっと」
白練が一歩前に出る。狩衣の袖で振り払うように、飛来してきた何かを弾いた。
弾いたそれが地面に突き刺さる。
何かと思って視線をやれば、社の瓦の破片だった。
「危ないねぇ。私の主に手を出すなんて死にたいの?」
白練が飛来してきた方を見る。
拝殿の奥に禍々しい何者かの気配がある。
白練はどうする? と問うように真朱に視線を向けた。真朱は大きく息を吸い込むと真っ直ぐに前を見る。
「白練、引きずり出して!」
「うん、そうこなくちゃ」
白練は唇の端を上げると、何もないはずの空中からするりと刀を抜く。
それを握って、真っ直ぐに白練は駆けた。
拝殿前の階段を一足跳びに越え、賽銭箱を踏み台にし、開かれていた拝殿に侵入した。
「御尊顔、拝見……っと」
床に着地した白練は身を起こすと、しまわれていたモノを見た。
それは神社に祀られているものとしては在り来たりだった。
日本の神道におけるご神体が多岐に渡る中、メジャー中のメジャーといっても差し支えはないほどに。
それは白練の顔を映す。
廃れた祭壇に祭り上げられている鏡が、白練を映す。
自分の顔を認識した瞬間、本能的に拝殿を飛び出す。
床を蹴り、賽銭箱を越え、真朱の元に戻る。
「あっははー、真朱、やってしまったよ」
「何が……」
「あれは隠れているんじゃない。まだ未開封だったんだよ」
白練の言葉を聞くと同時、拝殿からわらわらと何かが出てくる。
黒い狐のような、犬のような、人のなり損ないのような、そんな何かが何匹も溢れ出てくる。
「信仰が足りてないんだろうねー。恨み辛みが浄化されずにつのってしまって、中途半端に封じをこじ開けている状況だ」
「……どういうこと?」
「御霊信仰って知ってる? あれ、悪霊をカミとして祀りあげる信仰だけど……───ここは失敗した神社だってこと」
真朱と白練目掛けて、四つ足の獣が食らいかかる。白練は刀を下から上に切り上げる。黒い獣の顔が、左右に別たれた。
真朱がその間に印を結ぶ。
「オン、アミリテイ、ウン、ハッタ!」
別の場所から飛びかかってきた黒い獣が、見えない壁によって弾かれる。
印を組んだまま、真朱は白練に問いかける。
「それで? この状況、どうすればいいの」
「正しきカミとして祀りあげるのが最良だけど……今の時代の信仰でアレの腹は満たされないよ」
黒い獣を次々と切り払って霧散させていく白練は、しれっとそう言った。
白練の言い種に、真朱は頭が痛くなる。
出来ない手段を論じる暇はない。
「……私にアレを調伏しろと?」
「うんうん。それが後腐れも何もなくて手っ取り早いよ」
真朱は頭を抱えたくなった。
この! 狐は! しれっととんでもないことを要求してくれる!
「私にカミを調伏できると思うの? 寝言は寝てから言いなさい」
「まぁ、普通はね。さすがに私もそんな事は言わないよ。でも言っただろう? あれは失敗作だ」
白練の唇が三日月のように反り上がる。
「まだカミじゃないんだ」
白練の瞳が細く線になる。
ぽぽぽと青白い狐火が白練の周囲に浮かび上がる。
仄かな熱を伴う狐火は、宙で八本の刀に変化した。
「行け」
白練が短く命令すると、黒い獣達の身体に突き刺さり、燃え上がる。
「ほら、真朱。道は開いたよ。ご神体は鏡だから、顔が映らないようにだけ注意してね」
「……ほんっと、貴方はなんで私の式になったのよ……誠くんみたいな人なら、こんな面倒もささっと終わらせるでしょうに」
「あれは駄目だよ。真朱ほど美味しそうに見えない」
白練は唇を尖らせる。真朱はやれやれと深いため息をつくと、印をほどく。
白練が開いた道を歩む。
黒い獣はもう出てこないようだ。真朱は警戒は怠らずに階段を上り、賽銭箱の横をすり抜け、拝殿に上がる。
鏡、鏡、と思いながら拝殿を覗くと、白練の言う通り鏡が祀られていた。そろそろとローファーのまま踏み込む。手入れのされていない床がきしきしと軋んだ。
鏡に写らない距離で立ち止まると、真朱は印を結ぶ。
「オン……」
「待った、真朱!」
真朱が真言を唱えようとした瞬間、拝殿の戸の影に隠れていた獣が後ろから飛びかかってくる。
白練が獣の殺気に気づくが、間に合わない。
真朱が振り向くのと獣が真朱を押し倒すのは同時。
真朱が祭壇に背中から倒れる。
祭壇の鏡が滑り落ちる。
床に、叩きつけられる。