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「そういえば、どんな夢を見たんだい?」
進まない歩みを義務のように進めていると、ふと白練が真朱に声をかけた。
「うーん……色々な場面を断片的にって感じだったんだけど。でもたぶん、今から聞きに行く話に関わってる気がする」
真朱は高校の制服を着ているが、学校には行かない。
登校しようとマンションから出た矢先、真朱のスマートフォンに着信が入ったからだ。
着替えに戻るのも面倒だった。真朱はブレザーを脱いでスクールバックに入れてた紙袋に入れ、ブラウスの袖をまくり、ネクタイの代わりに鞄の中に入れてたループタイをつけた姿でそのまま歩きだした。特徴的なブレザーとネクタイさえ外してしまえば、平日の昼間に制服で出歩いていても、ちょっとやそっとで怪しまれはしなくなるから。
スカートからすらりと伸びた健康的な足をせかせかと動かしながら、真朱は目的地を目指す。
白練がぴょこっと耳を揺らした。
「具体的には?」
「えー、言うの?」
白練が食い下がる。
相手にあんまり言いたくないんだけどなぁと思いつつ、ちらりと白練の方を見た。
次の瞬間には、真朱は白練の頭を叩いていた。
「あ痛」
「耳出てる」
そこまで気にする必要はないだろうに。白練はそう思いながらも、渋々変化を強く意識して人間に成り済ます。
肉体が存在する白練は、普通の人にも見えてしまうのでこういった変装は欠かせない。
今も浮かないように着心地の良い和服ではなくて、真朱チョイスの洋服を着ている。真朱曰く今日のコーデは「ゆるっとキャンパスコーデ」らしい。
クリーム色のパンツに白のシャツ、濃い緑のカーディガンを合わせたその洋装は白練の印象を和らげ、行き交う人々の視線をすれ違うごとに奪っていく。
真朱は白練の美しさを知っている。顔の造形は言わずもがな、その所作さえもが洗練されていて美しい。
白練本人は意識しなくとも、注目されてる中で耳やら尻尾やら出されては困るのだ。
「はい、耳しまった。しまったから、夢の中身教えてくれる?」
「あー、はいはい。分かったから、分かったから顔を近づけないで」
犬が甘えるように、背中を丸めて横から頬をすり寄せてくる。すれ違ったお姉さんが顔を真っ赤にしてガン見していたのを真朱は見逃さなかった。
真朱は白練から逃れて距離を取ると、たかたかと歩調を強めた。
「今日見た夢だけど、要点は二つ。白練と、たぶんあれは荒御霊だと思う」
歩幅を大きくして軽々と追い付いた白練が首を傾げる。
「私かい?」
「そう。どうしてかは分からないけど、私に向かって謝ってたわ」
望み通り教えてやると、白練は流麗な眉を寄せる。
「私、何か君に謝らないといけないようなことしたっけ?」
「知らないわよ。もう既にしてるのかもしれないし、これからするのかもしれない。ただの夢で意味が無いかもしれない」
ひらひらと手を振ってあしらえば、白練がうりゃっと真朱の頬をつついた。
「そうやって甘く見てると痛い目見るよ」
じろりと真朱は白練を見る。がしっと頬をつついてくる指を握った。
「……その前に貴方が痛い目見るかしらねぇ」
「ありゃ、ごめんって。謝るから私の指を折ろうとするのやめないかい?」
ギリギリと関節的に曲がらない方へ白練の指を反らそうとしていた真朱はパッと手を離した。
「全く……」
「はっ、もしかしてこれ? 夢の暗示って。私、君に謝ってしまったけど」
「安心しなさい。全っ然、違うと思う」
ぽんっと閃いたように手を打った白練を、真朱はバッサリと斬り伏せた。残念と言いつつも、白練は笑う。
「調子出てきた?」
「……余計なお世話よ」
「真朱、朝から調子悪そうだったからねぇ。うんうん、君はやっぱり少し強きなくらいが可愛いや」
横を歩きながら、器用にこつんと頭をぶつけてくる。
真朱はぷいっとそっぽを向いた。この狐はよく気がつく。気を遣われていたと思うと気恥ずかしくて、白練の顔を見れなかった。
当の本人は真朱が本調子に近づいたことにほこほことしてる。うんうんと一人頷いては、逸りがちな自分の歩幅を、真朱の歩調に合わせて小さくしてくれた。
そうやって二人で並んで歩いていると、ようやく目的地にたどり着く。
とある喫茶店。カランコロンと古ぼけたベルを鳴らして二人は店内へと入る。
真朱が店内を見渡すと、店内の隅のテーブルを陣取っている一人の男性と目があった。
「よぉ、真朱ちゃん。久しぶり」
「誠くん、早いね」
「まあな」
鼻高々に胸を張る誠を横目に、真朱は彼の向かいに座る。白練も彼女の隣に座ると、適当に広げられたメニューを見だした。
「真朱、私これが食べたい」
「だって。誠くん、お財布」
「当然のように俺が払う流れか……まぁ、経費で落とすから良いけどさ」
白練のホットケーキのついでに、真朱もコーヒーを頼む。
「真朱ちゃん、コーヒー飲めるのか」
「お砂糖はいれるけどね」
他愛ない会話をして注文した品が来るのを待つ。十分程度でコーヒーもホットケーキもやってきた。
運んできた店員にお礼を言うと、誠は「さて」とテーブルの中央に一片の紙を置いた。
指を離してパチンと指を鳴らすと、紙が青い炎に包まれて灰になる。
「これで話せるな」
人避けの呪いだ。手順も儀式も何もないが、誠は今のでそれを済ませてしまった。
真朱はちょっとムッとする。自分との実力差を見せつけられているようで面白くない。
「……それで? 私を呼びつけて何させたいの? 平日は学校があるから、土日にしてって言ってるのに」
「すまんすまん。こーゆーのは都合が悪いときに限って重なるもんだ。久賀の奴らも全員動いててな、今動けるレベルの術師はお前ぐらいなんだよ」
「聞き飽きたわよ、そのセリフ」
くるくると砂糖をコーヒーに溶かしながら、真朱は言い返した。
久賀家。
真朱の本家は、所謂陰陽師の家系だ。
ここ数年、腕利きの陰陽師が豊作だと言われている久賀家に舞い込む依頼は、それなりの量になっている。本家直系以外は副業としている稼業のわりに、副業のためにしばしば本業が疎かになることもあるとか。
誠の言う通り、都合の悪いときに限って色々と重なるせいなのだが。
今回もまさにそうらしい。
「県内外問わずにあちこちで怪異が多発している。今の段階で発生件数は、うちの縄張り内だけで三十八件。うち十三件対処済み、二十一件対処中」
「後四件は?」
「保留中。新たに今日未明に発生した一件と、昨日までに発生した三件が間に合ってない」
誠曰く、この四件は全て対処中の陰陽師達からの報告で上がってきたものだという。
直接人に危害が与えられているものから最優先で取りかかっているため、「依頼」という形で入ってきた他の怪異とは違い、手透きの者が処理する方針だったらしい。
「四件のうち三件は地理的に近い場所で起きている。そこ三つは俺が行くが、どうしても残り一件は逆方向でな、発見からそろそろ三日経つし、時間が惜しい」
「それで私ってわけ」
コーヒーカップに口をつけながら、真朱は確認する。誠は「そういうこった」と笑った。
白練がぱくんっとホットケーキを頬張る。むぐむぐとリスのように頬袋に詰め込む白練の方を見て、真朱はぱかっと口を開けた。
真朱に気づいた白練が、ホットケーキの一角をナイフで器用に切り取ると、彼女の口に放り込む。真朱のやわらかな頬が少しふくれた。
「仲良いなぁお前ら」
「そう?」
「だってお前、俺と契約しても、そんなことしてくれねぇだろ?」
「あはは、君が私の主とか」
「はは、だよなー」
にこにこと笑い続ける白練。
白練の中途半端に区切った言葉の意図を正確に把握した誠も、表面上は笑っておく。
おっとこれ以上はやめておけと本能が告げる。笑っていられるうちがセーフラインだ。
ホットケーキを嚥下した真朱が、ふぅと息をつく。
「いいわ、誠くん。引き受ける」
「おっ、ありがてぇ。それじゃ、早速詳細なんだが……」
誠は真朱の返事に屈託なく笑った。それからすぐに自分のスマートフォンを取り出して、真朱に詳細なデータを送る。
真朱はそれに軽く目を通す。
「頼んだぞ。俺は時間も惜しいから先行くわ。金置いておくぞー」
「はーい。行ってらっしゃい」
せかせかと誠は腰をあげると、五千円札を一枚、テーブルに置いて、背中越しに手を振って去っていく。
ちら、と五千円札を見た白練がついついと真朱の肩をつつく。
「何?」
真朱が手元のスマートフォンから視線をあげると、白練がメニュー表を指差した。
「もう一つ頼んでいいかい?」
まだ食べる気かこの狐。
「……食べ過ぎよ。却下」
普段は必要ないといって最低限しか食事をしないくせに、他人の奢りと分かれば遠慮のない白練に真朱は呆れた。