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向日葵

作者: 板辺単上

「今日、越して来たばかりなんですよ」

 そう言うと彼女は軽く微笑み、うなずいた。

「ここはとっても、日当たりが良いんですよ」


 転勤が決まったのはつい先週の事だった。

 急な話だったので初めはホテル暮らしをしていたが、お金が掛かって仕方ない。と言って、仕事が落ち着くまでは引っ越し先を吟味しているような暇が無い。

 それで地元の不動産を訪ね、この安アパートを紹介された。

 大した荷物も無いので早々に荷開け作業を切り上げ、ベランダで煙草をふかしていると、隣の部屋のベランダに、一人の女性が立っている事に気が付いた。

「暑くありませんか?」

 そんな風に、声を掛けたのだったと思う。

 彼女は何をしている風にも見えなかった。夏の盛りで、気温は三十度を越えている。普通若い女性は日差しを嫌うものだと思っていたから、意外だった。

「好きなんです。日に当たるのが」

 へえ、そんなものか、とその時は大して気にも留めなかった。煙草を吸い終わると軽く会釈をして部屋へ戻った。冷房の利いた部屋へ入ると、すっと汗が引いていった。

 それからしばらくは仕事が忙しく、彼女と顔を合わせる機会はあまり無かった。それでも少し出勤の遅い日の朝などに煙草を吸いにベランダへ出ると、彼女は必ずそこにいた。日がな一日、こうしてベランダで日を浴びているのだと彼女は言った。

「体に障りませんか?」

「いいえ、とっても気持ちが良いんです。ここは日当たりがいいから」

 家に帰るのはいつも深夜だったので、隣の部屋の電気は消えたままだった。

 そうして夏が過ぎる頃になると、ようやく仕事も一段落し、休みを取れるようになってきた。休みが取れると気持ちにも余裕が出てくる。

ある日の帰り、ふと気が向いていつもとは違う道を通ってみる事にした。アパートの裏手を抜ける通りだ。薄ぼんやりとした白い影にぎょっとして、目を凝らすと、それがどうやら隣の部屋に住む女性である事に気付いた。

「こんばんは」

 何となしに声を掛け、近づいてみる。

 彼女は顔を向け、微笑んだきり、返事をするでも無い。気まずくなって視線を逸らすと、彼女の前に一輪の向日葵が咲いている。

「向日葵、ですか」

「ええ」と彼女が口を開いた。「昔はもっとたくさん咲いていたんです。でもね、このアパートが建ってから日が当たらなくなってしまって……、みんな、枯れてしまったんですよ」

「最後の一輪、なんですね」

「ええ」そして彼女は悲しげに微笑む。「でも、夏ももう、終わってしまいますね」


 それから何日かして、ふと気が付くと隣の部屋は空室になっていた。

 夏は終わり、季節は秋になっていた。仕事が落ち着いた事もあり、いつまでも仮住まいでいるわけにもいかなかったので、不動産へ行って本格的に引越しの相談をすることにした。話のついでに、隣の部屋に住んでいた女性の事を訊ねてみた。

「毎日、一日中家に居たみたいですけど、どういう方だったんですかね」

「隣?」と彼は首を傾げる。「あそこにはずっと、誰も住んでいませんよ?」


 枯れた向日葵が、微笑んでいるような気がした。


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