4、音、五時から学校まで
目が覚めた。その後、目を覚ます為にシャワーを浴びる。
熱い熱い冷水が私の目を覚ます。
「冷たいな、」
熱い冷水を浴びて俺はそう呟く。浴室から出て、紺色のズボンに少しブレザーの色が写って青くなったワイシャツの制服に着替える。そうして、リビングの机の上にある花を見る。
そこには、枯れてしまった白詰草がある。どれだけか前に摘んで、この家唯一の花瓶に差したのだ。時間がなく、同じ時間だから変える事は無かった。それに、この花以外に花瓶に挿す気のある花は無い。
「……痛い…」
まだ寝ぼけ頭で歩いて玄関へ行く下の郵便物は全て、管理人が玄関まで運んでいるはずだ。
玄関まで行くと、そこには郵便物が落ちていた。その中から新聞だけを取り出し、広げる。
「…【優勝は誰!?】 」
どうやら何かのイベントでトラブルが起こったらしい。俺は最後の方を読む。
「『結果、景品は全員に配られた。』」
…公平な結果に終わったらしい。それなら良い。
また、頭痛がする。俺はリビングの机の上に郵便物を投げ、置いていた手作り感満載のクッキーを啄ばむ。これは学校の靴箱と机の中に入っていた物だ。メモとして、『まともに喰え』と書いていた。多分、俺が部長を担当している中等部の放送委員、昼休み特別放送『この人紹介だよ~』の『朝はほとんど喰ってない』と言う俺の発言から女子の誰かが入れたのだろうが…
「誰なんだろう?」
メモはノートの切れ端で真面目そうな筆跡。飾るつもりの無い、ビニール袋に輪ゴムと言ういい加減さからバレンタインでお菓子を贈ったり手紙を入れたりするようなタイプの女子ではないと予想できるが…。きっと、これを作った人は一人暮らしなのだろう、クッキーが重い。朝ごはんに使える様に強力粉で作ったのだろう、この気遣いが出来るのは一人暮らしの人間。そして、とても早起きだ。
「…うん、きっとそうだ。」
俺は朝に弱いくせに早くに学校に着く。俺より遥かに早くつくような人間は運動部ぐらいなのだろう。女と断定しているのは俺の感なのだが。
俺は部屋にかけている紺色のブレザーを捜す。机の前に在る椅子の背凭れにかけている筈なのだが、無い。他に持っていくとしたらリビング、だが、先程リビングに無い事は確認済み。其れならばと、俺は浴室のある扉を開ける。そして着替えを置く籠や、洗濯機の中を確認する。そこにもこの家では目立つ紺色は見当たらない。
「他に…何処にあるんだ?」
俺が本気で頭を悩ませる、そんな問題だ。理由は簡単、寒いからだ。腕を組み、右手を顎に当て考え込む。そして、答えもブレザーを探す理由のように簡単だった。
俺は何となく玄関から見て手前の左側にある部屋に入る。…その奇抜い色彩の部屋に不釣合いな闇色の服が、そこにはあった。
部屋の真ん中に、紺色のブレザーは放って置かれていた。
「ああ、なんて酷い。一体、誰がそんな事を…」
なんて、わかりきった下らない冗談を言う。
「さぁて、学校にでも行こうか」
ここから学校までは二十分、それはマンションの入り口から計った結果だ。生憎、最上階の端のこの部屋からだと走ってもマンションの外まで十分かかる。歩くと十五分だ。何故か、それはエレベータを使いたくないからだ。エレベータを使うと何処か変になる。この前も、見知らぬ人間に『今は何日か』と聞いて逆切れしていたことを覚えている。
だから、六時十五分に学校に着くには五時四十分には家を出ら無くてはならない。まあ、時間なんて見なくとも何故か間に合うのだが。
リビングの真ん中に置いていた鞄を掴み、机の上のクッキーを適当に取って口に運ぶ。一、二、三、し…六枚、十分だ。それらをポケットに入れると、玄関の扉を開けて外に出る。
トントン、と学校指定の黒のスニーカーをきちんと履く。袖元から鍵を取り出し、扉の鍵を閉める。ここを開けっ放しにすると管理人が面白がって入ってくる。あの気違いが、一体如何して開いていることがわかるのか解らないが、…………分裂しているような気がする。理由は簡単だ。
俺は反対の端にある階段を駆け下りる。そこは、向かいのツインマンション【白兎】の階段と密着している。管理人の趣味らしく階段の中には窓がある。それは普通だと言う意見は聞かない。先程密着していると言ったが、その『白兎』の方の階段と密着している部分の壁に窓があるのだ。これが趣味だと言うのだ管理人を気違いだと言わないでどうする。
ちなみに、その窓はちゃんと開く。その向こうには【白兎】の階段がある。つまり、いつでも向こうに行く事は出来るのだ。
窓の鍵さえあれば
これもまた趣味らしく最上階とその下の階段はこちら、【三月兎】に南京錠、その下は【白兎】の方に南京錠がという交互になっているらしく、どちらも管理人の持つ一本の鍵で開くらしい。
まあ、そんな事は今関係ない。一歩一歩、調子よく降りてゆく。この調子では少し速いらしいが、特に何かあるわけでもないのでそのままで…。
【白兎】の方の階段で掃除をしている管理人が窓の向こうにいた。向こうは俺に気付いて手を振る。俺は軽くお辞儀をしてそのまま階段を下りる。
【三月兎】の入り口、そこは電子ロックだ。たとえ、【白兎】の住人でもこちらの電子ロックをクリアしなくては【三月兎】には入れない。その窓口には――――管理人がいた。
「おや、またあったな。」
気さくに挨拶をする。茶髪の二十代ぐらいの男、瞳は奇妙な事に赤い。前に聞いたのだが、頭も瞳も天然物なのだそうだ。いや、それよりも。
「貴方、確かに【白兎】の階段にいましたよね?」
確かに見た。こちらに挨拶していた。しかも【またあったな】と本人が言っている。
「ん? ぼけたのか? 確かに階段で掃除してたけど?」
「じゃあ、如何してここに居るんです…?」
首を軽く傾げて、男は面倒臭そうに言う。
「俺だから」
ワオ! ソレハソレハ納得デスワネ。オホホホホホホ…って、
「そんなわきゃあるかあああああああああああああああ!!」
「いや、そんなものだよ」
この管理人は説明出来ないようなことをする。こんな同じ時間に別のところにいるなんて序の口だ。
「そういえば、お前らまた、片方がここから出ると同時にお前が出てきたな。何だ? マジックか何かなのか?」
どうやら、監視室にも一人いるらしい。また変な事を言っている。
【白兎】の方にも最上階に学生が住んでいるとこいつに聞いた。そいつがマンションの入り口から出ると同時に何時も俺が【三月兎】の最上階の部屋から出てくると管理人が喜んでいるのだ。
「結構、男っぽいけどあれは女だ。しかもお前と同じ学校のな。」
そう歯を見せて微笑ったこの管理人。【 芳養中 史樹】と言う立派な名前があるがそんな名前、呼ぶ気にはならない人柄だった為。俺は一度も呼んだ事は無い。
「じゃあ、用は無いな。」
「おいおい、話しかけたのはお前だろ? お・と・ちゃん」
………一々反応していたら持たない。俺は【三月兎】の電子ロックから出る。
【三月兎】はこのツインマンションの入り口から入って右側のマンションだ。双方の入り口に入るまでの空間は中庭。中心に樹があるが…これ、大木になったらどうすんだ管理人。マンションの入り口と反対の部分は階段を密着する事で塞がれている。実は少し考えての設計なのだ。と胸を張って管理人は主張する。
俺はマンションの入り口へと歩を進める。そこのまた、自動ドアでゲートの中からは住人に所持を義務付けられたパスがなければ開ける事は出来ない。ゲートの中は単純に監視室と管理人室がある。そして窓口には―――勿論管理人。
「分裂してない?」
一応聞いてみる。
「いや? 分裂…はしてないよ。」
管理人の曖昧な返事に、俺は溜息をつき外に出ようとする。
「おっと、音ちゃん。」
が、管理人の言葉に足を止める。
「何でしょうか?」
皮肉たっぷりに笑みを浮かべると、管理人は何も無いように要件だけを言う。
「【タロット】、どう?」
その言葉の意味は、その部屋に住む人間しか知らない。
最上階には特別な部屋が割り当てられている。それが【タロット】。名前の由来は簡単だ扉に管理人手作りのタロットカードが貼ってあるからだ。【三月兎】には【シルクハット】の【ハッター】の部屋。【白兎】には【白兎】の【白兎】の部屋。ゲートに沿って作られている為にベランダが少し大きい。【白兎】の部屋のベランダには手を伸ばせば簡単に移ってしまえそうな、そんな距離だった。
「特には?」
そんな素っ気無い返事に管理人は大仰に首を振る。
「ああ、全く酷く素っ気無いねぇ。【白兎】の方なんか『中々会えるはずの無い【三月兎】の方と仲良くなれそうです。』なんて良い言葉を言っていったんだ。お前も気の利いた返事しろよ」
何処かの誰かの言葉と比較され、学校に行きたい俺は適当に良い感想を口にする。
「お隣のご飯の香りが美味しいです。」
それだけ言ってゲートを出る。
「かぁー! 卑しいなぁ、勿体ねー! 折角女学生の部屋が隣接してるってのに!」
隣接は何処の部屋もしてる。そんな突込みを入れられそうな 馬鹿を放っておいて俺は学校への道のりへと足を進めた。
マンションの前の道は自転車と歩行者専用だ。尚且つ、自転車を使うような距離に何も無い事と、学生はマンションには二人しかいない事からここは真ん中を歩いても何ら問題は無い。
異様に大きいマンションを振り返る。ここの家賃は高いそうだ。
何故「そうだ」なのか、ガス代やら何やらは全て免除されているからだ。管理人に。理由は管理人曰く『【タロット】に住んでいる学生は免除』だそうだ。このマンションは管理人の趣味が大量に採用されているため、何があるかは解らない。
この町は決して都会ではない。かと言って田舎であるわけではない。海と山に囲まれているが、とても町が大きい為、田舎とはいえない。だが、都会ほど大きくは無いのだ。
過疎化を食い止めさせようと市の全力を尽くして発展させた結果がこの町だ。町は真新しく、何処か西洋的な外観だった。
そして、子供を呼び込む為に偏差値の高い学校を作った。それが、俺の通う学校だ。中等部と高等部に分かれており、高等部に編入する事は何ら不思議ではない。勿論、エスカレーター式だ。
その町の発展の一つにツインマンションも入っている。元々立っていた建物や景色をしっかりと残し、それに合う賑やかな町を作った。
この町に関する説明はこんなものだった。
だが、俺は何一つ覚えてはいない。これは全て管理人の受け売りだ。俺には、生活に必要以外の記憶は無かった。それを知っているのは、管理人ぐらいだ。あの人はとても感が良い。話しただけ、それだけで記憶が無い事に気付いてしまった。
……名前自体は俺が付けたが、それが何故か正式な名となっていた。それが俺には不思議でならない。
大通りを真っ直ぐ進むと、目の前に大きな建物がある。それが学校だった。大通りは学校の敷地にぶつかると右と左に分かれる。そこで右に行くと高等部の門に、左に曲がると中等部の門へとたどり着く。中等部の俺は勿論左に曲がる。
学校は六時に門を開ける。六時十五分に既に学校についているのは真面目な体育系部員か何となく早く来る人間、もしくは何らかの事情のある人間だった。
昇降口にたどり着き、自分の下駄箱を開けて上履きを取ろうとする。が、
くしゃ、
また、何か入っていた。全て取り出すと、ピンクや黄色といった色とりどりな封筒が六枚と、白い和紙に【はたしじょー】ときったねぇ字で書かれた物が一枚。そして、
ビニール袋いっぱいに入ったクッキーが一つ。
入っているものの順などから、この六枚は昨日から入っていたのだろう。その上に乗っていたクッキーはまだ少しホカホカとしている。
(やっぱ、正解。かな)
このクッキーの主は大体見当は付いていたが、これで確信へと変わった。
(【何時も美味しくいただいています】とでも返事を書こうかな…)
クッキーを鞄に納めて感動を抑えながら、一番最近に入れられた【はたしじょー】なるものを一応読む。
「えー、【拝啓、音様。俺の島で生意気な放送しやがって、紹介するなら二年の【アイコちゃん】を余すところなく紹介しろ!】………………、これは果たし状じゃなくて要望というんだよ二年B組の秋元君。」
下駄箱の横で聞き耳立てていた贈り主に声をかける。大きく身体を震わせているところを見ると図星のようだ。
「【アイコ】ちゃんは、次だよ。大体の事を質問するけど……残念だね。ここにラブレターがある。」
六枚のうちの一番、眼に痛いキラキラした手紙の宛名を見て秋元君に向かって手紙を振る。それを見て、秋元君は涙目になる。
【アイコ】とは、中等部二年生の女子。最近学校で話題のアイドル的存在だ。俺は放送委員と言う情報通の委員をしているから知っているが、そうで無かったならそんな子、存在すら知らなかっただろう。
涙目の秋元君はなかなかに苛めがいのありそうな性格のようだ。少し、チャンスと共に苛めたくなる。
「…読んであげる。」
靴を入れて上履きを履き替えながら手紙を開ける。中にはカラフルな文字が
「【拝啓、音様。 相川 奈津子と言うものです。何時も音様の放送聞いています。そこで、アイコは【女の子を大切にする】と言う音様の心構えにキュン死にしました!(キャハ! 学校で調べて大体のことは知っています。一人暮らしで、寂しいですよね。こんな厚かましいかも知れませんが、アイコとお付き合いして下さい! 返事は直接、言ってくれませんか?】。……だって、秋元君。代わりに【好きな人がいるから駄目だ】って言ってきて。」
秋元君は驚いた顔をしている。「どうしたの?」そう聞くと秋元君は叫ぶ。
「だって、! 【直接】って書いて!」
「だって、断ったら泣き落としか。周りの冷たい視線があるから。それに、移動して【抱いて】なんていってズルズルと付き合わないといけない事もあるし。」
そんな現実的な非情な事を言って、驚き顔の秋元君を惨めな顔に変化させる。
自慢ではないのだが…、はっきり言って俺はモテる。そして、既に経験済み。何をって? そんな、野暮な事を……。
ともかく、このタイプの女子の告白の断り方を間違えるとどうなるかも俺は知っている。だから、秋元君に頼んでいるのだ。
そんな俺の考えとは裏腹に、秋元君は俺を完全に悪者だと思っている。まあ、実際悪いかも。
「自分で言えよ。言い包める位、お前なら得意だろうが。」
そんな捻くれた言い方で返事をする秋元君に、俺は微笑みかける。
「うん? さっきからチャンスを与えてるんだけど…気付いてない?」
「?」
「あーっ、やっぱり気付いてなかったのかー。仕方ないなぁ秋元君は。」
俺は大仰に首を振ると、一度溜息をついて説明をする。
「つまり、失恋直後は落とし時。そこで俺を非難して彼女を気遣えばもしかすると上手く行くかもしれないんだよ? 解る?」
秋元君はポカン、と俺を見詰める。そこまで頭が回ってなかったようだ。さすが純情少年、モテモテ男の俺とは違う。俺は顎に指を当てて明らかに考える動作をする。そして芝居のかかった台詞をわざと秋元君に聞こえるように言う。
「う~ん、困ったなぁ。秋元君じゃ駄目ならやっぱり俺か。アイコちゃん、俺に益々惚れちゃうね。どうしようか。………そうだ、俺は実は女装好きの変態だって言おうか。ピンクにオネェ口調なスパンコール、大好きの派手人間だって。拷問に近い事で喘がせて感じて、勃っちゃうような奴だってさぁ。それと」「俺が行く!!!!!」
おっと、大成功。話しているうちに秋元君の顔色が悪くなっていたからいけるかな? とも思ったけど、成功。
秋元君はそのまま、教室へと走っていく。俺はようやく、解放されて廊下を歩く。
きっと、【彼女】はさっさと自分の居場所へと行ってしまったのだろう。彼女は太陽と、人間。【音】を嫌う。俺は名前の所為でもしかすると仲良く離れないのかもしれない。
「まあ、彼女は偏見はないし。きっと大丈夫だよね。」
あの彼女だ。きっと、大丈夫。
そんな言い訳じみたことを考え、教室の前の廊下につながる角を曲がったときだった。
「ひゃぁっ!」
変な悲鳴を上げて、人がぶつかったのは。俺は軽い衝撃を受けて、少しよろめくがたいしたことは無い。それは俺に思いのほか体重と力があるせいか、それとも……
「いたたたっ、」
相手に―――力と体重が無かっただけだった。
角を曲がって出会い頭にぶつかったのはトーストを咥えた転校生の女の子。では勿論無くて。
可愛い顔立ちをした、カロリーメイトを口からポロリと落とすネクタイにブレザー、制服のズボンを着ていると言うか着られてる男子生徒だった。確かに、そのドジッぷり見事な物でそれがワザとではない事が尚且つ素晴らしいのだが。生憎俺はバイではない。ノーマルだ。一応…………
「う~、またやっちゃった。」
ぶつかった相手には一度も怪我をさせたことが無いこのドジっ子は、謝るよりも床に落としてしまったカロリーメイトを気にかけていた。その様子に毎回、哀れみを感じさせられる。
「祐樹ー、前方不注意だぞ。」
足元でカロリーメイトを掻き集めて、持っていたビニール袋に入れていた小柄な男子生徒。 仲井氏 祐樹は、突然に頭の上からかけられた声に、反射的に顔を上げる。
大きな瞳を更に開いて、祐樹は俺を見上げる。そうして何時もの様に祐樹を見詰める俺を同じように見詰める祐樹は暫くすると頬を緩ませる。
「おはようございますっ!」
その容姿をありったけ使ったような煌びやかな極上スマイル。この子は天然だ。天然だからこそ、この子の人気は高いのだ。眩しすぎるその笑顔を防ぐ為に顔を手で覆うと直ぐに祐樹は眉根を下げる。
「音、せんぱい?」
拒まれた、と思ったのだろうか。やはり愛らしい。
実を言うとこの子は中等部一年生。なのだが、教師も生徒も祐樹には甘く、二年の教室に来ても咎めるどころか『もっと居てくれ』とコールが来る。だから、俺の学年の廊下に居て何ら不思議ではない。きっと用事なのだ。俺に。
俺は祐樹に手を差し伸べて、その手を取った祐樹を立たせる。祐樹は立ち上がっても、結構小さい。俺もそんなに大きくは無い。せいぜい168cmだったか、そこいらだ。だが、祐樹は146㎝だ。22cmの差は大きい。
そんなことを祐樹の旋毛を眺めながら考えていた。祐樹は相変わらず、落としたカロリーメイトを物惜しそうに見詰めている。それを見て、俺はまた何時もの事だとポケットからクッキーを取り出す。
「ほら、何回渡させれば気がすむんだ。」
六枚のうち一枚を齧り、その他を祐樹に渡す。祐樹はまた『有り難う御座います』と言う目を俺に向ける。ビニールをポケットに突っ込んで、祐樹はクッキーを齧る。そのクッキーが無くなるまで、俺は自分のクッキーを食わなかった。
何故か。それは、祐樹が焦るからである。焦ったら勿論落とす、落としたら拾おうとする。すると祐樹に足を引っ掛けて転倒する人間続出。良い事無しな事になるのだ。祐樹が最後の一枚を口に含んだのを見て、俺は一枚を食う。俺が食い終わると祐樹はようやく最後の一枚を噛む。何故か、絶望的に食のスピードが遅い。
満面の笑みを浮かべて、祐樹は俺に感謝の言葉を連呼する。そのたびに俺は『お礼はクッキーを作った人間に』というのだが、作った人間がわかったとしても祐樹は渡してきた相手にお礼を言うのだ。
そんな祐樹を黙らせて、俺は気になっていた事を聞く。
「で? 二年のここに居たのは俺に用か?」
軽く首を傾げる。すると、廊下を行く数名の女子が携帯のカメラを構える。まあ、そんなのは日常茶飯事。祐樹は、オドオドと胸ポケットから手帳を取り出し口を開く。
「えっと、ですね。あの今日のゲストさん。先生から連絡は入れてもらったんですが。打ち合わせには一度も出てなくて……昼食を食べたら直ぐに放送室へ行けば良いと先生に言われたそうで、『それで良い』と言っただけで…あの、断らなかった。です。」
別に俺の気まぐれで変わる『この人紹介だよ~』は確かに打ち合わせに出て無くても良い。彼女はそれを知っているようだ。祐樹は最終的に俺が知りたい事を言うと黙ってしまった。参加不参加、これが知りたかったのだ。
祐樹はそれでも、何かもごもごとしている。
「…なんだ?」
何となく、俺は祐樹に問いかける。祐樹はハッとしたように顔を上げて俺を見るが、何も言おうとはしなかった。わけではない。
「あの…本当に彼女が…?」
…………祐樹の言いたい事はわかっていた。『本当に彼女がクッキーの作り主か』と言う意味と『本当に彼女が………俺の好きな人間か』という意味なのだろう。俺は簡潔に答える。
「嗚呼、クッキーに関しては管理人と漂ってくる香りでわかった。好きな人間―――それを、聞くのは少し野暮ではないかね? 祐樹」
俺は面白半分で祐樹に聞く。祐樹は顔を真っ赤にして『すいません』と頭を下げる。
まともに答えられない事を知っていながらそんな事を聞く俺もどうかとは思うが……
(苛めたくなるのは、道理だと思うが……)
俺はサドスティックであり、尚且つ祐樹はM要素があった。俺には格好の獲物であるといえる。そんな事を思って俺は何となくここ、二階の廊下から外を見る。部室等の裏に偶然にも生えた様な、そんな感じを漂わせる木。それは偶然ではなく、元々この敷地は図書館でありその木は象徴だったのだが、今はその大木をそのまま残す形で隅へと追いやられている。
その木の上のほうの枝に、 彼女は居た。
「まぁーたあんなところに」
あそこは中々光が入らないらしく、彼女には居心地の良い住処なのだろう。俺は窓を見たときに見つけたその姿に、見惚れた。何処か、こことは違う要素を持つような、そんな表情と存在感。それは共感を感じさせる物だった。
あそこは無音地域。木々と部室等が音を吸い込む。そして、光を遮る。時には人さえも、消してしまう。そんな、場所。
木に寝るのは白くは無いもの、奇抜な奇妙な色合いと。人を魅せる月が、木の上にはあるものだ。




