バディ解消を言い渡されたから即乗り換えてみた
エルタリア王国。剣術と魔術による武の道で周辺諸国に名を轟かせている国である。戦争、という言葉が用いられなくなってもまだこの世界には魔物の脅威というものが存在していた。それ故に魔術と剣術において高い水準を持つエルタリア王国は、周辺諸国から怖られていた。
エルタリアの武を支えるものとしてあげられるのが、エルタリア王立学院の存在だろう。エルタリア王立学院は、在学中、そして卒業後も互いに高めあうために「魔術師」と「騎士」でのバディを組むことが定められていた。それは、若いうちから剣術と魔術の特性を知り、そして互いを補い合う技術を身につけるためである。このバディ制度というものは非常に重要視され、卒業後もバディ同士は仲睦まじくいることが普通だ。場合によっては、バディ同士の婚姻というものもある。それこそ、そこに性差は無い。同性同士であったとしても、王立学院時代からのバディである存在と事実上の婚姻を結んでいるような関係すらある。有名なのは騎士姫ジャクリーンが魔導姫アルビアラに跪き、彼女に指輪を捧げたという場面を描いた絵画、「騎士姫の誓い」といった——。
そんな、昔授業で習った内容が私の頭の中を流れていった。バディ同士の絆。それがいかに大切なものか、ということを。であれば、目の前のこの男は、王太子でありながら自国の美しい文化に泥を塗っているようなものなのでは無いかと。
バディの魔術師である私、ディアに剣を向けながら男は言う。このエルタリア王国の王太子であり、次期国王の座を約束された男、フェストラ・エルタリアは。
「ディア。お前は魔術科の主席と言いながらも、全く俺を支えてはくれなかった。この場をもって、お前との盟約を解除する。今後はこちらのリサが俺のバディとなる」
嫌味なほどに美しかった。目の前で、私の目の前で型を抱き合うふたりは、一枚の絵画になってもおかしくないほどに美しかった。——外見だけは。
リサ・エリアはつい最近この学院に編入してきた編入生の女性である。リサの美しい艶々とした金髪は蕩けるように甘い蜂蜜のようで、フェストラの磨き上げたシルバーのような銀髪と対になるほどに美しい。真夏のディルニア湖の湖面のように爽やかな青い瞳は、やはり夏空のようなフェストラの水色の瞳の中に映れば有名画家の描く絵画のようにも見える。そして、何よりもリサの豊満な体! 女性としての魅力に満ち溢れたその体躯は、魔術科の地味な制服の上からでも女としての魅力に満ち溢れていた。
私とは違う、と思った。
私の地味な灰色の髪の毛は、勉強のしすぎで手入れもろくにされていない。場所によっては万年筆のインクがついたのか、黒のまだらになっている箇所もあるほどだ。目もくすんだ緑色で、手入れされていないプールのようだとフェストラに言われたこともある。夜中まで本を読んでいたからか視力は落ち、買い換える金も無いから度数が微妙に合っていない眼鏡でその地味な瞳を覆い隠していた。そして、私は何よりも男だった。男の中でも貧相な体を、魔術科の地味なローブが覆い隠していて——つまり、私に勝ち目なんて無かったのだ。
言われた言葉を、私はぼんやりと反芻していた。
「かわいそうなフェストラ様。あたしだったら、フェストラ様のことをもっと支えてあげられるの。だから——ごめんなさい、ディアさん」
あどけなく、鈴を転がすような声で。しかし、その奥に凛とした気品と気の強さを感じ取らせるような声音でリサは言った。
「フェストラ様と、バディ関係を解消してちょうだい。フェストラ様と私は、真実の愛に目覚めたのよ」
「リサ……! ああ、そうだ。俺はリサとの愛に目覚めた。リサは私をもっとも支えてくれる存在なのだ」
感極まったような声で言い、フェストラが彼女の腰を抱き寄せる。折れそうなほどに細い腰を抱くその手つきからは、ふたりが男女の関係であることを如実に語っていた。
「フェストラ、私は——」
「泣いて縋っても遅いぞ、ディア」
震える声で言葉を紡ぐ私に、フェストラは言う。
泣いて、縋りたいのだろうか、私は。脳内を走馬灯のように記憶が駆けて行った。
——バディになって初めての、共同課題提出。本来騎士科の面々は、筆記試験よりも実技試験を重要視される。しかし、共同課題は違う。バディと助け合い、ひとつの課題を提出する必要があるのだが……フェストラは、ろくに手伝いもしなかった。フェストラの護衛である騎士、アルバート・ダイン騎士と、夜中まで図書館に篭って私ひとりで行った。成績は優を取ったが、フェストラは私やアルバートを労うこともせず当然のように鼻を鳴らしただけだった。
——バディになって2年目の冬。私が熱を出したことがあった。流行病だった、別に重いものではない。病床に伏せる私のことを、フェストラは見舞うことすらしなかった。早く病気を治せ、という手紙も無く、私はアルバートに看病され、そして病院に連れて行ってもらった。
そんな記憶が脳裏に浮かんでは消えていく。
極め付けはつい最近。意中の相手に花と菓子を贈る、エルタリア王国の伝統行事である「花の日」のことだった。花の日は、バディや結婚相手に花を贈る日である。花言葉に愛の気持ちを込め、自身のバディに送った騎士リヒターの祝日である。その日、フェストラは私の元に来なかった。申し訳なさそうな顔をしたアルバートが、私のところに来て一輪の花と砂糖菓子を置いて行っただけである。あとから聞いた話では、その日フェストラはリサと出かけていたらしい。その時は気にも留めなかったが——そもそも私は、その日が花の日であることも忘れていたのだ——いわゆる逢引き、というものだったのだろう。自分の騎士に尻拭いをさせて、自分は美しい女性と逢引きしていたのだ。
——縋る理由、無くないか?これ。
私はすっかり忘れていた。フェストラにバディになれ、と言われた時のあの高揚感を。自国の王太子に選ばれたという自尊心を。フェストラとの生活の中で、すっかりそれは無くなっていた。フェストラ自身に、その心は何度も折られたのだから。
アルバートと完成させた共同課題を見て、こんなものかと言い放ったフェストラの声に含まれた隠す気も無い孤児への侮蔑。花の日の翌日、意味ありげにリサと視線を交わすフェストラから感じる優越感のようなもの。熱を出したあの日の、心細さ。
それら全てを考え、私はひとつの結論に行き着いた。
「——かしこまりました、殿下」
自分は何の未練もなく、このバディ関係を解消できる、という結論に。
「なっ……!」
私の言葉に、フェストラは芸術品のように美しい顔をさっと朱に染めた。きっとこの男は、この場で、この教室という公然の前で、魔術科主席である私を貶めたかったのだろう、と思った。魔術科主席、平民の期待の星である私はフェストラにバディ関係解消を迫られ、泣いて縋る。それによってフェストラの無駄に高い自尊心を満たし、周囲に彼と私の上下関係を示すこともできる。学院卒業後もこの時のことを理由に私をこき使い、自分はリサを王妃に迎えて悠々自適と生活をするつもりだったのだ。リサは愛し合いながらも、私の我儘でバディにはなれなかった存在として周囲の同情を買い、私の存在がありながらもフェストラの最愛の妻として彼の横に収まる魂胆だった。
……良い計画である。理に適っていた。——ただし、それは全て私が、泣いて縋るほどにフェストラに惚れているという前提の上で、という話だ。私はもう、フェストラに未練はない。
「お前……っ! お前ごとき孤児の平民が、俺の下以外でまともに生きられるわけがないだろう!」
「お言葉ですが、フェストラ殿下。私は魔術科主席です。卒業後はこの王立学院附属の大学に進み、魔術の道を極める誘いが来ております。その後はこの学院の講師になることも可能ですし」
「お前も俺のことが好きだったのだろう、強がっても遅いが、今なら泣いて縋れば許してやる」
「最初は確かに惹かれていたかもしれませんが、別に今は興味はないですね……」
淡々と反論する。いや本当に興味は無いのだが。
私は孤児だ。生きていくために必要なものを求めていた。見目が麗しいだけで、実利の伴わないものは得意では無い。むしろ嫌いだ。無骨だとしても実利の伴うものの方がより美しい。
つまり、フェストラ王太子殿下の存在は、私に取って見目麗しいだけの使えない道具でしか無いのだ。
彼は刃を突きつけたまま、愕然とした顔をしている。本来であれば私があの顔をする予定だったんだろう、と頭の片隅で思った。
「ではバディ解消の手続きに関しては、そちらで済ませてください。私は些事に巻き込まれたく無いので」
「待て、ディア……! お前、この学院に泥を塗る気か!?」
「そうよ、ディアさん! この学院の規則は、魔術師と騎士のバディでの行動なのよ!?」
「国王——父上の顔と、この学院の歴史をなんだと思ってるんだ、お前は!」
そっくりそのまま返したい。最初に自国の尊い文化とルールを破ったのはお前である。一応、バディ解消のルール自体はあるが、バディ解消は互いの間で秘密裏に決められるべきものであり、解消した後は速やかに新しいバディを組めば良いだけだ。規則上は一週間。それ以降は、教員にきちんとした説明がない場合、退学処理とされる。つまり私の行動はきちんと学院のルールに沿ったものである。
「お前のような苗字のない孤児の平民と組む騎士などいるものか! エルタリアの騎士は名誉を重んじる。孤児などに新しいバディなど組めるはずも無いのだ」
「エルタリア騎士が名誉を重んじるのは事実でしょう。しかし、それは家格などではありません。エルタリアの騎士が重んじるのは自身の心のうちにある名誉です」
「だとしても、だ。自分の心のうちにある名誉に従うのであれば、お前のような花も地位も何も無い、名前だけの主席のバディなど見つかるはずも無いだろう」
「——すぐに、見つければ良いのですね?」
私は目を細めた。周囲はざわついている。王太子と魔術科の主席のスキャンダルに夢中だ。
フェストラの腐った性根では、名誉は見目に寄るらしい。であれば、最近貴族連中の間で浮き名を流している——有り体に言えば、さまざまな色めいたスキャンダルの中心であるリサに夢中なのもわかる。彼の中では、リサのバディであること、彼女の色に惑わされることも立派な「名誉」なのだろう。馬鹿らしい。
視線をさまよわせていた私の目が、ひとりの男に吸い寄せられた。アルバート。アルバート・ダイン。フェストラの護衛騎士であり、彼はバディを持たない。なぜなら彼はフェストラという王族の護衛なのだから。だからこそ特例で彼はバディを持たないことを許されていた。もちろん、持っても良いのだが——職務に忠実な彼は、それを許さなかった。本来であれば彼は学生ではなく、護衛として学院に通い、授業などを受ける必要はない。しかし、彼の類まれなる剣術に魅せられた騎士科の筆頭教員が、特例での入学を認めた人物。
私よりも頭ひとつ分は背の高い彼の、冴えざえとした夜の闇を煮詰めたような漆黒の髪の毛。切れ長の、髪の毛と同色の瞳は、今は焦りと申し訳なさに潤んでいる。周りは彼のことを忠実な猟犬と称していたことを思い出した。そんな彼は、今も——前からも、私の前では好奇心旺盛な子犬のようだった。
一緒に共同課題をこなしたあの日。無骨で無口な彼からは考えられないほど、突飛で飛躍的な発想に満ちた質問をされたこと。
熱にうなされる私を見舞ったときの、飼い主が病床に伏せるのを見て慌てながら必死にできることをするような様子。びしょびしょのままの濡れタオルを額に乗せられて、思わず吹き出したことを覚えている。
何よりも、主君からと偽って花と砂糖菓子を送ってきた花の日のことを。フェストラが好むような華美な花や菓子ではなく、道端でよく見るような美しく、机の上に飾っても邪魔にならない花や、勉強をしながらつまめるような菓子に、フェストラからではないだろうと私が尋ねた時のあの——悪戯がバレた子犬のような、申し訳なさそうでありながらも嬉しそうな、顔。
それらがひとつの答えになる。私はつかつかと、アルバートに近寄った。アルバートの黒い瞳が、焦りに満ちる。彼は薄い唇を開いた。
「申し訳ありません、ディア。主君の行動を止められず——」
「つまらない謝罪はよしてくれ、アルバート。私がしたいのはそんな、建設的でもなんでもない話ではない」
教室の視線が、私たちに集まっていた。
「アルバート・ダイン騎士。願いがある」
「なんでしょう、ディア魔術師」
咳払いをひとつ。
「私のバディになってくれ。今捨てられた。君が拾え」
私の言葉に、アルバートの目が見開かれた。黒い瞳は限界まで見開かれる。あんぐりと口を開けるフェストラの顔が愉快で、思わず笑った。
「痩せぎすで貧相、見目も悪いし孤児の出で家柄もない。あるのは魔術科主席の地位だけだ。君が拾えよ、他に拾うものも無いだろうしな」
一拍、二拍。間が空く。
しくじったか、と思った。私とアルバートの友情があれば、きっと彼も私を受け入れてくれるのではという打算があった。何よりも彼は優秀で、見目に関してはきっとフェストラに及ばないだろうが——均整の取れた肉体や、剣を振るう太刀筋、実直ながらも真面目で、時折こっちが驚くほどに鋭く突飛な質問をするよく回る頭は、フェストラよりもずっと好みだった。
「お前……っ!」
沈黙を破ったのは、フェストラだった。美しい顔を朱に染め、私たちを睨みつける。剣をまた、私に向ける。それは、場の注目が自身ではなく私たちに向いているからだろう。
「お前、何をやっている、アルバート! バディを解消してすぐに、そのバディの護衛に粉をかけるはしたない男に——」
その言葉は最後まで言えなかった。私にも見えない太刀筋で、フェストラの美しい細工の施された剣が叩き落とされる。いつのまにか私はアルバートの腕の中にすっぽりと収まり、アルバートはその腰に佩いた、彼自身を象徴するような無骨でしかし質の良い剣を抜いていた。それがフェストラの剣を叩き落としたのだと、私は一拍遅れて理解する。
「狂ったか、アルバート! 父上に言いつけるぞ、私に、王太子に剣を向けるなど……!」
「いいえ。私は護衛として就任する際、現国王から秘密裏に言葉を賜っております。自身の息子、王太子フェストラが自国の文化及び規則に背を向ける場合、私は好きにして良いと。父上は、国王は、何よりもあなたの騎士への感情を疑問視していた。あなたはエルタリア騎士の名に泥を塗ったのだ!」
教室に、凛とした声が響く。私はその声を一番近くで聞いていた。
「フェストラ・エルタリア王太子殿。私は今を以て、あなたの護衛の任を降ります」
そう、冷酷に言い放つと、アルバートはそのまま私に向き合った。すみません、と小さな声がして、私の体を抱いていた手が離れる。それがどこか寂しかった。
「…………ディア、私はフェストラ殿の護衛の任務を降りた」
「……つまり、もう学院に残る理由はない、と?」
「違う。…………あなたは、存外……鈍感なんだな」
そう言いながら、アルバートは私の足元に跪いた。まるで芸を覚えた子犬のようなきらきらとした瞳が私を射抜く。絵画の中の住人のように、アルバートが私の前に膝をつき、剣を捧げ持つ。その構えを見て、私は目を細める。それは臣下の礼でもあった。
「私は今自ら捨てられた。あなたが拾ってくれ、ディア」
「……拾われるのは私では?」
「違う。ディア、あなたは自分の価値を知らない。魔術式を見る時、あなたのその瞳は美しい宝石のように理知的な光に煌めくし、その灰色の髪の毛は私の故郷の雪景色の空の色に似て透明だ。その瞳や髪の毛が、陽の光の中にいるとどれだけ美しいかあなたは知らないのだろう、だからあんなことを言うんだ」
ど、と心臓が高鳴った。
何を言っているんだ、と言葉を紡ごうとして、うまく言葉にならない。顔に血液が集中する感覚。熱い。
「私にはわかるよ、ディア。あなたのことをずっと陰から見ていたから。あなたが好きだ。愛している。あなたがどれだけ努力していたかをよく知っている。だから私を拾ってほしい、誰でもないあなたに。そしていつの日か、あなたに苗字を差し上げたいんだ」
——それは、鮮烈な告白と求婚だった。
「私を拾って、私の苗字を名乗ってくれないか。——ディア」
甘い囁きに、私はただ頷くことしかできなかった。私が頷き、その剣に手を伸ばす。剣の柄を握るアルバートの手に、そっと自らの手を添えて立たせた。
「……仕方ないから拾ってやる、アルバート」
そういえば、彼は剣を納め、喜色満面の表情で私を抱きしめたのだった。
それから、数年が経った。
あの後、フェストラは王位継承権を失った。騎士の誇りを汚したということで、あの場にいた幾人もの貴族や、学校上層部から強い糾弾を受けたのだった。王位継承権はフェストラの弟の、凡庸ながらも正義感の強い少年に託された。王はまだ元気で存命だ。次代の王太子が成長するまで、まだ待つことができる。
フェストラとリサは異例の、王立学院を退学という罰に処されたらしい。最後まで私への恨み言を言っていた、と風の噂で知った。
そして私は、無事に附属の大学に進学。もちろんバディであるアルバートも来ていた。次代魔術科と騎士科の筆頭教員の座を約束されてはいるが、孤児には荷が重いと辟易している。
まずは下積みからさせてほしい、と教員に頼み込めば、彼らは穏やかな顔で頷いた。私とアルバートは今教員としての資格を取るための勉強をしている。
学院の図書館でそうして勉強していたとき。アルバートが小さく笑いながら、私の手をつついた。子供のようなその動作に、図書館では静かにしなさい、と言おうとしてそちらを見て。私は目を見開く。
壁の、「騎士姫の誓い」の絵の横に。小さくはあるが美しい絵画がかけられている。それはどう見てもあの時、私と、ひざまずき剣を捧げるアルバートの姿だった。そういえば一年ほど前に、絵を描いても良いかと言われたことを思い出す。年嵩の男性だった。私は研究で忙しくて、よく話は聞いていなかったのだが——。
「筆頭教員の誓い、だってよ、あの絵」
「……あれは駆け出しの画家では無かったのか?」
「騎士姫と魔術姫の絵を描いたのは当時でも有名なエルフの画家だよ。まだ存命だ」
「つまり——」
「そういうこと。俺たちの絵を描いたエルフも、長命なエルフだ。流石にもう衰えたと思っていたが——あの時と同等の傑作になったと喜んでいたよ」
空いた口が塞がらない。ぽかんとする私を見て、アルバートが笑った。
「ディア筆頭教員候補におかれましては——あの絵の続きとして、ディア・ダインになる気はない?」
そう笑いながら、彼は美しい細工の指輪を差し出した。




