第一部 第八章 兆し
体に感じる揺れは、日ごと微増していた。
コーエンは、震度計の針の軌跡を眺め、ため息を吐く。
「そろそろ、報告書が中央に届いた頃だろうか?」
神官長はどう考えているのだろう、と少し悩んで、やめた。
ここには秘密が多すぎる。
完全に信用しているようで、全てを知らされているとは限らない。
だから、一線を引く。
「過去の資料に、感応石が似た反応を示した事例がないか調べる方がいいかな」
神官長は、ここの資料は百年前から更新されていないと言った。
中央の柱は、百年間替わっていないとも言った。
見るとはなしに資料を捲りながら、考察する。
柱は…人なのだろうか。御使いが残っている可能性はないのか、と。
いずれにせよ、聞いた話が本当なら、百年以上前に生まれていた、柱の記録はあるはず、と当たりを付ける。数値としての資料はなくても、感応石の反応を記した記録は残しているはずだ。研究者ならばそうする、と半ば確信する。
同時に、中央にも探りを入れることにする。
中央神殿に残ったままのかつての同僚・ラトゥスに手紙を出すことにした。こちらは、反応があればいい方、と期待せずにおく。
「きっとまだ、寸暇を惜しんで走り回ってるんだろうな」
長生きできないぞ、と余計なことを思う。
不眠不休で装置の検証を手伝い、柱の部屋で吐血して運ばれたのは、棚に上げておく。
「あの子は、日焼けなのかな?だとしたら、随分と白いな」
僅かに記憶している柱の姿を思い出す。
寝台に横たえられた少女は、真っ白かった。
リオンは、他の子どもたちと一緒に、見習いの雑務をこなしていた。
簡単なことから少しずつ、と言われ、下の役所と神官たちの執務室を書類を持って行き来する。
もう旅の疲れは抜け、以前の日課だった水汲みの感覚で軽くこなしていた。
「リオンってば疲れないの?今日もう何往復目?」
通路で出くわした、一番年下の少年ケレスが驚いた声を上げた。
「そんなに疲れること?まだまだ大丈夫だよ」
答えながら、リオンはラーソン村は体格だけじゃないんだな、と苦笑した。
午後、ケレスを除いた四人は魔術の講義を受ける。
しかし、初歩から学ぶ必要のあるリオンだけ、別室で受ける――というのは表向きで、リオンの魔力を隠すために、他の子とは別に訓練することになっていた。
「魔力を上手く変換できれば、事象を発現させられるわ。それには想像力が大事なの。足りない部分を言葉で補うのが呪文だと思って」
「はい」
リオンはエリシアから講義を受けていた。
「事象を想像するのが苦手な人は、呪文を磨いて魔術の発現を補うの。でも、あなたの場合は必要なさそうだから、呪文の系統や型は省略するわね。学びたくなったら声をかけてちょうだい」
言われていることの半分も理解できなかったが、呪文には言葉のように使い方や決まりがあるのかな、と認識しておく。
次いで、安定して水を出せるように訓練した。
この日だけで、鍋に必要な水なら自由に出せるようになった。
「本当に飲み込みが早いわね。水滴だけでも一週間とかかかるものなのよ」
エリシアは、昔の記憶を引っ張り出す。
呪文を覚えてやっと、水を出せるようになったのに、とかつての自分と比べてしまう。ずっと優等生で通っていた。急に湧いた敗北感からか、かける言葉が見つからない。
「多分、水汲みで想像しやすかったんだと思います。書類運びも水汲みに行くのと同じで、全然疲れないし」
「そうなの?私は水汲みをしたことがないから、桶に汲まれた水がどこからきてどう運ばれているか、考えたものよ」
リオンは、母ニーナがラーソン村で苦労したという話を思い出した。
「エリシアは神殿で育ったの?――ごめん、聞かなかったことにして」
うっかり口をついて出た言葉に慌てる。
が、エリシアは気にした様子もなく答えた。
「そうよ。私には、外からくる子どもたちの話が不思議でならないけれど、リオンには神殿が不思議かしらね」
それから二人は沢山話をした。
エリシアは大神殿の暮らしを。
リオンはラーソン村のことを。
「じゃあ、エリシアは司祭になるの?」
「そうね。ここで経験を積んだら、大神殿で司祭になると言われているわ。配属先までは決まっていないと思うけれどね」
「司祭になりたいの?」
「正直、わからないの。子どもの頃から言われ続けてきたから、『そうなる』と思っていたのよね」
エリシアは、初めて顔を曇らせた。
「司祭になる子は、大体が柱のお世話係になるの。私は『外された』と思ったのだけど…多分、もう一年もしないうちに決まるのよね、どうなるのかが」
リオンは、優秀なエリシアでも悩みがあるのか、と垣間見た大人の世界に漠然とした不安を覚えた。
夕食の時間まで、子どもたちには自由時間があった。
リオンはひとり部屋に戻ると、服の襟を寛げさっきから気になっていたものを確認する。
首に下げた銀の指輪が、熱を持っていた。
触れると、火傷しそうに熱い。が、胸のあたりは火傷どころか赤くもなっていなかった。
指でつまんで眺める。
うっすらと光っているようにも見える。
いつもはお守りだと、大事にしていたそれが、何故だか不気味に思えてきた。
よく見ると、複雑な文様が描かれている。装飾にしては小さくて薄い。
「魔術で呪文を使うって言ってたけど、まさかなー」
努めて明るい声を出す。
だが、そこでふと気づいた。
「父さんの形見なら、母さんが持ってればいいのに。なんでおれに持たせてるんだろう…」
もし、これが呪文なら、どんな意味があるのか――
『知りたい』という思いと『知りたくない』という思いがぶつかり合う。
「おれは、どうしたいんだろう。そんな特別になりたかったわけじゃない。ただ、村の役に立ちたかったんだ…」
ああ、と思った。
同じようにエリシアも悩んでいるんだ、と。
「おれ、普通に神官になれるのかな?神官にもいろいろあるみたいだけど、まずは神官だよな…」
ふと、指輪が陰った気がした。
「あれ?」
うっすらと発光しているようにぼやけていた輪郭が、くっきりしていた。
首を傾げる。
なんだかわからないが、守ってくれたんだ、と思うことにした。
少し時間は遡る。
中央神殿の一角にある建物で、老神官は頭を悩ませていた。
「まともな柱候補はいないのか?この際、中央の神官の中からでも選ぶか…」
複数の資料を卓に広げ、ああでもないこうでもないと唸っていると、誰かが扉を叩いた。
「入れ」
老神官は、上背のある血色の悪い神官を見て、舌打ちする。
「今度は何の報告だ!?まともな物を持ってこい!」
叫ばれても、目の前の神官は微動だにしなかった。
手に持っていた書簡と赤い封筒を差し出す。
「コナフトのコリトナー神殿から、柱の打診が来ています。ミリヤを除く今いるどの柱よりも優秀です」
視線を合わせず、事務的に告げる。
『柱の打診』と聞いて、老神官は差し出された書簡をむしり取る。
そこには、数字の羅列と、感応石の変化が丁寧に文章で記されていた。
「ふんっ、地方の分際で上玉を隠していたのか、勿体ぶって!」
目の前で悪態をつかれても、血色の悪い神官は顔色一つ変えない。
ただ、淡々と告げる。
「まだ十四歳です。規定では十六歳にならないと…」
「黙れ!今は魔力供給が先だ。歳なんぞ気にしていられん!」
老神官は、乱暴に卓を叩いた。
血色の悪い神官の後ろにいた、武器を手に持った男が割って入る。
「長官、書簡は届けましたので、これにて失礼します。さ、ラトゥスも出ましょう」
促され、血色の悪い神官――ラトゥスは退室した。
「中央だ中央、中央に連れてこい!」
扉の外にまで、喚く声が漏れている。
ラトゥスと一緒に退室した男、軍務神官は「大変ですね」と声をかけて去っていった。
その姿を一瞥すると、踵を返す。
やることは山積みだ。一寸の時間も惜しい。
今日は、午後から震度計がおかしい。
魔力の歪を識別する装置も、異常を示している。
『どこにも歪が現れていない』のだ。
こんなに穏やかな日があったろうか、と記憶を掘り起こす。しかし、思い当たらない。嵐の前触れでなければよいが――
やがて、疲れた様子の血色の悪い神官が多い区画に入った。
「ラトゥス、ちょうどいい所に」
そう、声を上げて足をもつれさせながら駆け寄ってきたのは、今の助手だ。
「歪が現れたか?」
予想して質問する。
しかし、助手は激しく首を振った。
「逆です、消えました!」
ラトゥスは眉間にしわを寄せると、確認した。
「記録は付けているな?」
「はい。しっかりと観察記録は取っています」
「すぐに確認する」
二人は駆けだした。
中央神殿を抱える大都ノルを見下ろせる丘で、リリは神殿の様子を観察していた。
人間は不可解な生き物だと思う。
自身が何をしたかも忘れ、同胞を犠牲にし続けている。
両の手を見る。
何もない。
「魔力の受け皿が必要ならば、自我など不要であろうに」
かつての苦しみを思い出し、身震いした。
遠くで不快な音がする――魔力の歪ができている――のを察知した。
目を閉じ、意識を向ける。
魔力の薄まった空洞に、大きな魔力が流れ込んでいくのが視えた。そして、歪が均されていく。
「あれは…そうか」
ひとり、納得する。
遠くの魔力は安定した。
今度は近くの様子を探る。
神殿の奥深くに眠る少女に意識を向けた。
白い空間を漂う。
体の自由は奪われたままだ。
だが、珍しく、意識だけははっきりしていた。
いつもの全身を切り刻まれるような苦痛は、感じない。
どこかからあたたかな光が流れてきているのが視えた。
「優しい光…」
声は出ず、意識の中で呟く。
光の流れる先は、ぽっかりと穴の開いた場所だった。
「また地震…」
来る、と思った。
だが、輝きを増した光の帯が、急速に穴を塞いでいく。
あれよという間に穴はなくなり、何もない真っ白な空間になった。
ミリヤは、ふっと体が軽くなるのを感じた。
何が起きているのか知りたい、と穴の方に手を伸ばそうとしたが、できなかった。
ただ、白い空間を漂っていた。
「?今、柱の手が動いたように思うのですが…」
ミリヤに仕える女神官の一人が気づいた。
「そうかしら?私にはわからないけれど、でも、魔力が少し回復しているようね」
側にいたもう一人が応じた。
そして、ミリヤの片手を取ると、じっと観察した。
両手の指には十の指輪が嵌められている。
少女の華奢な指には不釣り合いな、太くて大きな銀の指輪だ。
「どうしてか最近、魔力の吸収が早いわよね。良い兆候だといいのだけれど…」
「私には、柱が倒れないように、お祈りするしかできません」
二人は顔を見合わせると、静かに祈りを捧げた。
リオンは今朝も快適に目覚めた。
寝床が変わっても熟睡できる自分が、親不孝しているようで、ニーナに申し訳なくなってくる。
支度をして食堂に向かう。
入り口に、ガレスがいた。
「リオン、お前は、お前のやりたいようにやれ。神殿に飲まれるな」
「ガレス?急にどうしたっていうの?」
それだけ伝えると、ガレスは去っていった。
今になってようやく、ガレスと数日会っていなかったことに気づく。
神殿の暮らしは忙しく、刺激に満ちていた。
「だからって、ガレスのこと忘れてるなんて、おれ、酷いよな…」
ラーソン村では、午前中の訓練は日課だった。
毎日顔を合わせていたのに、思い出しもしなかった。
そして、神殿の手伝いと魔術の訓練が当たり前になっている自分に驚いた。
同時に、神官長と初めて会った時のことを思い出す。
まだ面会はできていない。だが、食堂では顔を合わせているので、用があるなら声がかかるだろうと思った。
矢先――
神官長に呼ばれ、執務室に通された。
「リオン、神殿の暮らしには慣れたかい?」
来客用のテーブルで二人は向かい合って座った。
「はい。ガレスに会えなかったのを忘れていたくらい、馴染みました」
リオンは、苦笑しながらさっき考えていたことを述べた。
「ガレスには、しばらく神殿の警護を頼むことになったんだ。だから、この神殿に滞在するよ。ただ、神官たちとは生活区画が違うからね。ちょっと会いにくくなるけれど、融通できるから会いたかったら声をかけてほしい」
「え、ガレスも仕事なら、邪魔できないんで大丈夫です」
神官長は、目を細めて柔らかく笑んだ。
「君は、随分と気を遣うねぇ。『我が儘になれ』と言っているんじゃないんだよ。ただ、ちょっと我慢しすぎているんじゃないかと心配になる」
言われて、リオンは少し考えた。
「おれ、ラーソン村では周りより小さくて力も弱かったから。周りに迷惑かけないようにっていつも思ってたかも」
子ども同士では話せない、だが、大人たちには気づいてもらえなかったことを話した。
「君が村のために役に立ちたいと努力していた話は、ガレスから聞いているよ。村では『二番目に』剣の筋が良かったともね」
リオンの背が跳ねた。
「え?!」
言われた言葉を理解できない。
『ガレスに認められていた』らしいというのが納得できない。
頭の中で何度も言葉を反芻するうちに、涙がぽろりと落ちてきた。
「ガレスが…お世辞とかって、ない。けど、おれ…頑張ってるって…認めてもらえてたの?」
泣きたいわけではないのに、しゃくり上げて言葉が途切れ途切れになる。
神官長は何度も頷いた。
「エリシアからも聞いているよ。旅の途中にも一生懸命に訓練していたってね」
神官長は静かに立ち上がると、リオンの後ろに回ってそっと背中を撫でた。
「いっぱい努力をして、いっぱい我慢をしてたんだね」
「ううっ…」
リオンは、両手で顔を覆って泣き出した。
村では『泣かない』と決めていたのに、簡単に気持ちが揺らいでしまった自分が悔しい。
同時に安堵した。
虚勢を張らなくても、ありのままの自分でも受け入れてくれる場所があると思えたから。
神官長は、ゆっくりとリオンの背中を擦りながら話し始めた。
「リオン。君はまだ十五歳の子どもなんだよ。もっと自分を出していいんだ。泣いたって恥ずかしいことじゃない。ここの子どもたちは、みんなのびのびしているだろう?」
リオンは、ここで親しくなった子どもたちを思い出した。
みんな楽しそうによく笑う。
神殿の決まりはちゃんと守ってるけれど、結構自由に過ごしている。
ラーソン村にも『水汲みは列を作って順番を待つ』とか『午前中は鍛錬する』とか決まりがあった。
だが、子どもたちはふざけ合ったり喧嘩したり、みんな好き勝手にやっていた。
「おれが勝手に、『村の役に立たなきゃ駄目』って決めてたんだ…」
「そうかい?それはとても立派な心掛けだね。でもね、子どもらしくするのも大事なんだよ。でないと大人たちが心配になってしまうからね」
リオンは鼻を啜った。
神官長がそっと手巾を取り出して、リオンの顔を拭った。
リオンは、自分がとても小さな子どもになった気分がしたが、おとなしくされるままになった。
神官長マレクは、そんなリオンの様子をじっと観察していた。
この子が、あの時の赤ん坊なのか、と過去の記憶を引っ張り出す。
真っ白い赤ん坊だった。とても薄い金色の髪をしていた。
『母親』は産後の肥立ちが悪く、助けられなかった。
母親も白かった。それはそれは見たことのないほどに。
短く切りそろえられた髪は、黄みを帯びた白。瞳の色は、白目のわからない赤紫色だった。
旅とは無縁の、神殿の奥で大切に育てられてきた女性が、逃亡中に産み落とした子――それがリオン。
どうしてなのか、一緒に逃亡してきた若い女神官が、『母親として育てる』と赤子を手放そうとしなかった。
途方もない魔力を持った子だった。神殿で育てれば、どうしても目立ってしまう。
危険だ。
と同時に、『好都合だ』とも思った。
女神官は、治癒の魔術が得意だった。
怪我人の対処が難しい僻地に隠そう――打算があった。
神殿とは無関係の、石切りの村を紹介した。
村長には『逃亡中の神官』とだけ伝え、保護を頼んだ。
案の定、村長は二つ返事で引き受けた。
そこは予測できた。
予測できなかったのは、同行していたガレスだ。
ガレスは神殿を出入りしている傭兵マルスを頼って、ここに来た。
身元は隠していたが、恐らく彼は軍務神官の家系だろう。
明らかに訳ありの逃亡神官に付いて、ラーソン村に定住するとは思わなかった。
逃亡中の女神官二人に、秘密を抱えてそうな剣士のガレス。
実に奇妙な組み合わせだった。
ガレスは――決して頻度は多くないが――コリトナーの町に出入りしていた。
怪我人の輸送や行商人の護衛。幾度も神殿の護衛を引き受けてくれたこともある。
腕が立つだけでなく、護衛としての立場を弁えている。さらに、礼儀作法もきっちりしていた。
こちらも訳ありの神殿。非常に重宝した。
そろそろ、決めなければ――ガレスを巻き込むか否か。
マレクは、リオンが落ち着くまで、そっと背中を擦り続けた。




