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20話:風の渓谷

 俺たちは、他の魔剣狩りの部隊がいないかを警戒しながら、慎重にプラド山脈北部を進んでいた。


 そして――


 ついに目的地、《風の渓谷》へとたどり着いた。


 その場所は名の通り、絶え間なく吹き荒れる強風に包まれていた。渓谷の岩壁はところどころ風によって削り取られ、自然の暴威がそのまま地形に刻まれている。


「山道でも風は吹いてたけど、ここは桁違いだな……」


 俺は吹き上がる突風に目を細めながら呟く。


「ええ……風のせいで岩肌も削れてる。まともに進むのもひと苦労ね」


 ティアも目元を押さえながら、渓谷を睨む。


 前に進むには風を読み、身を屈め、時には跳ぶ――そんな動きが必要そうだ。ただ歩くだけでは通れない。この地を「剣術の修練の場」とする理由が、言葉でなく肌でわかる。


「ここが……風剣術の発祥地ってやつか。やっぱり一筋縄じゃいかなさそうだな」


 剣を学ぶ前に、まずはこの風そのものが、俺たちの力を試そうとしている――そんな気配があった。


 そのときだった。


 背中の《ユニオンソード》が淡く光を放ち、俺の意識に直接、声が響いた。


「よお、ようやくたどり着いたな。待ってたぜ――俺はシュルツ。風の剣士だ。化け蟹の時にちょっと力を貸したから、覚えてるよな?」


 飄々とした調子の、どこか気楽さすら漂う声。だが、そこには確かな実力者の余裕があった。


「見ての通り、ここは俺の修業の場……いや、《風剣術》の発祥の地そのものってやつだ。だからこそ、こうしてお前に直接語りかけられる」


「……直接、ってことは、前はできなかったんだな」


「そうそう、まあユニオンソードも場所を選ぶってことさ。んでだな――」


 声の調子が少し真面目になる。


「隣にいる嬢ちゃん――ティアだったか? 悪いが、彼女はこの先には進めねぇ」


「……え?」


「風の剣術ってのは、体格や経験じゃない。《風に選ばれる素質》が必要なんだよ。そして残念ながら、今の彼女にはその素質がない。渓谷の奥は、素質なき者にはただの地獄だ。だから、ここから先は――お前一人で行くしかない」


 俺は拳を握りしめた。ティアがここまで何を背負ってきたか、少しはわかっていたからだ。


「おいおい、そんな顔すんなって。別に永遠に無理ってわけじゃない。彼女にも道はある。だが、少なくとも“今は”ってことだ。……伝えてやってくれ」


 風が一層強く吹きつける。


 俺は一度深く息を吸い、風の渓谷の入り口で立ち止まったティアに向き直った。


「ティア、話がある。……ちょっと、聞いてくれるか?」


「なに? どうしたの?」


 ティアが首を傾げる。その視線は真剣で、不安を隠そうとしていた。


「ここから先は……その、ティアは進めないみたいなんだ」


「……どういうこと? 私が足手纏いだとでも言いたいの?」


 彼女の声にわずかに怒りが混じる。けれど、すぐに俺は首を横に振った。


「違う、そういう意味じゃない。……いや、ある意味そうかもしれない。ここから先は、風の資質を持っていない者には、とてもじゃないが進めない地形なんだ」


 ティアの目が見開かれる。


「ユニオンソードにはさ、過去の剣術の達人たちの意志が宿ってる。その中に、風の剣士・シュルツって人がいて――」


 俺は背中の剣を少し持ち上げて見せた。


「彼が言ってたんだ。ティアには“今は”風の素質がない。ここを進むのは危険すぎるって」


 ティアはしばらく黙って俺を見つめていた。


「……つまり、私は選ばれなかったってこと?」


「違う。選ばれてないんじゃなくて、“まだ”その時じゃないってことだと思う。俺には、なんとなく風の流れが見える。でも、君にはそれがない……たぶん、それが決定的なんだと思う」


 ティアは唇を噛み、拳を握った。けれど、すぐに息を吐き、力を抜く。


「……わかった。じゃあ私は、ここで待ってる。それぐらいはいいでしょ?」


 その瞳には悔しさと、ほんの少しの信頼があった。


「ああ、必ず――風剣術の真髄を掴んで戻ってくるよ。君に誓って」


 風が二人の間を通り抜ける。どこか、別れを告げるような音に聞こえた。


 「さて、話はついたようだな」


 背中のユニオンソードから、あの飄々とした声――風の剣士シュルツが再び語りかけてきた。


 「なんか嫌なことさせちまったみたいで悪かったな。だけどさ……氷の剣士の女には、無理はさせたくなかったんだよ。あいつの剣には、ちゃんとした未来がある」


 ユーモラスな口調の奥に、優しさのようなものが滲んでいた。


 「で、本題だ。まずはこの渓谷の一番奥、俺の修行場まで来い。それで――そこまで来れたら、本格的な試練を科してやるよ」


 そう言い残して、シュルツの声は静かに消えていった。


 ……つまり、ここからは自力で進めということか。


 俺は足元の砂礫を踏みしめ、立ち上がる。


 風の渓谷――その名の通り、そこには常に風が吹き荒れている。しかし、この風はただ強いだけじゃない。集中すれば、風の「流れ」が少しずつ視えるようになってきた。


 風は一定ではない。ときに荒れ狂い、ときにふっと緩む。


 ――風の弱まる“瞬間”を見極めて進むんだ。


 俺は身体を低く構え、風の向きを読みながら、物陰へと身を滑り込ませる。風が強まるタイミングでは決して無理をしない。


 足場が崩れている場所では、《大地剣術》の錬成で岩を固め、飛び石のようにして跳び越えていく。


 吹き荒れる風の圧力を真正面から受けたときは、呼吸を深く整え、風の“芯”を見つけて切り裂くようにして突破した。


 ――これは、技術じゃない。感覚だ。


 自分の中に流れる風のようなものと、渓谷を吹く風を重ね合わせる。その境界が薄れていく感覚があった。


 そして。


 俺は辿り着いた。風の流れが交差する先、円形に開けた空間――そこだけ、渓谷の風が渦を巻いて静かに収束している。


「……ここが、最奥か」


 立ち止まり、周囲を見回す。草一本生えていない、風が穿った岩の地形。大気は澄んでいて、けれど重く、ただならぬ気配がある。


 ――風の試練が、ここから始まる。


 広場の中央に、風が渦を巻きながら集まっていく。空気が震え、唸りを上げて――


 やがてその風は人の形を取り、俺の前に立ちはだかった。


「よくここまで来たな」


 聞き覚えのある、飄々とした声が響く。


「さて、風の試練は――極々シンプルだ。今出てきた、俺の幻影。それを“掻き消して”みな」


 目の前に立つのは、風の剣士シュルツの幻影。けれどその実体は、風そのものだ。形を持たず、揺らめき、どこか楽しげにこちらを見ている。


 俺は一歩前に出て、ユニオンソードの柄に手をかけた。


(……斬れない)


 直感でわかる。斬撃や力任せの技では、この幻影には通じない。なぜなら、幻影には「質量」がない。物理的な干渉ではなく、もっと繊細な“解法”が必要だ。


 俺は風の渓谷を進んだときの感覚を思い出す。風の流れ、風の、風の呼吸。あのとき、風の「弱点」を見極めたように――


「……この幻影にも、必ず“核”があるはずだ」


 剣を抜き、目を閉じて集中する。


 幻影を構成する風は絶えず動き続けていた。渓谷の風よりも何倍も速く、複雑に、そして緻密に流れている。


 普通の目では見えない。だが、今の俺には“感じる”ことができる。


(……あった)


 渦を巻く流れの中心。すべての風の流れが交差する、たった一か所。


 そこが――幻影の“結節点”。


 俺はゆっくりと刀を構える。風と同じように軽やかに、そして正確に。


「……ここだっ!」


 剣が風を裂いた。まるで空間の“糸”を断ち切るように、幻影の中枢を貫いたはずだった。


 「――甘いな。結節点を見つけたまでは良い。だがな、結節点は“いつでも動かせる”んだぜ」


 「っ!」


 シュルツの幻影が揺らぎながら声を放つ。


 当然だ。これがただの見せかけの試練で済むはずがない。風とは常に変化し、捉えがたいもの――それこそが、風剣術の本質。


 (大振りの斬撃じゃ、到底追いつけない……)


 必要なのは、“点”を突くための鋭く小さな動き。


 (あの技しかない……)


 頭に浮かぶのは、さっき見たばかりの氷の剣士・ティアの戦い。刺突と防御を極めた彼女の剣術。その“動き”を今、借りる。


 ――けれど、それだけでは足りない。


 シュルツは“掻き消せ”と言った。結節点を突いただけでは、幻影はまた形を変えて蘇るだろう。だからこそ――俺は、今の自分のすべてを注がなければならない。


「……やるしかない!」


 俺はユニオンソードを握りしめ、蒼き炎を解き放つ。


 刀身が燃え上がり、灼熱の風が周囲を巻き込む。


 ――《蒼焔剣》、展開。


 そしてもう一つ。


 俺は氷剣術の“突き”の構えを取った。ティアのように、無駄のない直線を意識する。


 風の流れを見ろ。感じろ。読め。すべての空気の動きを一点に集めて――


「……今だ!」


 俺は全身の力を爆発させ、一直線に突きを放つ。


 蒼焔の炎が剣先に収束し、結節点を貫いたその瞬間――


 ――ズンッ!!


 風が裂けるような音が響き、周囲の空間そのものが揺れた。


 結節点が砕け、シュルツの幻影が崩壊する。


 刹那、渓谷に吹いていた風が一瞬だけ止まり、静寂が訪れた。


 次の瞬間、頭の奥にシュルツの声が響く。


「見事だ、ユーマ。俺は……ようやく、後継者を作ることができたよ――」


 どこか、満足したような優しい声だった。

最後まで読んでくれて、本当にありがとうございます!

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