13話:西山港(せいざんこう)
俺とおじさんは、プラド山脈の東側をゆっくりと下っていた。
風は冷たく、背後には故郷の村が小さく霞んでいる。
「おじさん! あれが……海か!?」
山の稜線を越えた先に、途方もなく広がる青い世界――それが目に飛び込んできた。
俺は思わず声を上げる。これまで見たこともない、終わりのない青だった。
「ん? ああ、そうだな。あれが海だ」
おじさんが目を細めて言う。
「お前、山の中で育ったからな。海を見るのは初めてか」
「ああ……すごい、でかいな。……うわ、ちょっと感動したかも」
「海はいいぞ。魚も旨いし、潮の風は体にもいい。……ま、旅の目的じゃないけどな」
おじさんがニヤリと笑いながら、さりげなく釘を刺してくる。
「わかってるよ。でも、初めての場所ってだけでワクワクするんだ」
そう――俺の旅が、ここから本当に始まる気がしていた。
日が暮れるころ、俺たちは東方への玄関口――**西山港**に到着した。
「ふう、今日はよく歩いたな。まずは宿屋に行くぞ」
おじさんはやれやれと肩を回しながらも、どこか嬉しそうだ。
「おすすめの宿がある。安心しろ、飯もうまいからな」
俺はおじさんの背中を追って、夜の港町を歩く。
そしてたどり着いたのは、小さな木造の民宿だった。
「邪魔するぜ。部屋は空いてるか?」
おじさんが戸を開けて声をかけると、奥から女将さんらしき人が顔を出した。
「あら、リュウガじゃないか! 本当に久しぶりね、十何年ぶりかしら。部屋は空いてるわよ。すぐ夕食も出すから、ゆっくりしてって」
「ふふん、ここは俺の馴染みの宿なんだ」
おじさんが胸を張る。
「へえ、知り合いだったんだ。……おじさんが褒める飯ってのは気になるな」
「特に料理が最高だ。腹いっぱいになるぞ!」
「じゃあ……蟹の素揚げとか出てくるかな。海っていえばカニだよな!」
「……か、蟹? あ、いや、蟹は……今日は……多分、ないと思う。うん、きっとない」
おじさんが何やら歯切れ悪く目を逸らした、その瞬間だった。
「お待たせ〜! 今日はね、いい蟹が獲れたから、素揚げにしておいたわよ!」
女将さんがにこにこと笑いながら、豪快な皿を運んでくる。
「うわあ! これが海のカニか! でかい! 沢のとは全然ちがう!」
俺は目を輝かせて見つめた。だが、隣で座っていたおじさんの顔色がみるみる青くなっていく。
「か、蟹……かに……なんでよりによって蟹なんだ……!」
「おじさん? どうしたの?」
「……俺はな、蟹がダメなんだ……ユーマ、全部食べていいぞ。……できるだけ、早くな」
「えっ、マジで? やった! じゃあ遠慮なくいただきまーす!」
俺は夢中で箸を伸ばし、海の幸に舌鼓を打った。
翌朝――潮風が心地よく吹くなか、俺はおじさんに連れられて鍛冶屋を訪れた。
鍛冶場は港の外れ、小高い岩場に建つ黒煙と鉄の匂いが漂う場所だった。
「ガイラ! 俺だ、リュウガだ。ちょっと見てほしい奴がいるんだ!」
おじさんが遠慮なく扉を開けて声を張り上げると――
ギィイ……ガンッ!
奥から重い足音が響き、ぬっと現れたのは全身煤だらけの大男だった。
黒髪は乱れ、顎には立派な髭を蓄えている。肩幅が異様に広く、全身が鉄そのもののような雰囲気だ。
「あん? おいおい……リュウガじゃねぇか。まさかお前が西山港に戻ってくるとはな」
声もまた、まるで鍛冶場で響く鉄槌のように重い。
「はは、悪いな。緊急だったもんで連絡も入れられなかった。急な頼みになる」
「ふん……まあ、お前がそんな顔して来るってことは、ロクでもない用だな?」
ガイラは目を細めて、俺に視線を移した。
「それで、見せたいってのはこいつか?」
「ああ。俺の弟子みたいなもんでな。ユーマって奴だ。こいつに一本、刀を打ってほしいんだ」
「ふん……どれ、そこのおまえ。背中の剣、ちょっと見せてみろ」
ガイラさんにそう言われて、俺は少し迷った末、ユニオンソードを背から外して手渡した。
ガイラさんは剣身をひと目見るなり、目を細める。剣の表面を軽く指先でなぞり、鞘越しに重さを測るように持ち上げた。
「……おい、リュウガ。この剣、まさかおまえの弟子が使ってるのか?」
「いや、今は使ってない。事情があってな」
「その“事情”ってのは……まあ聞かなくても察しはつく。なるほどな、これは……ただの剣じゃねえ。
多属性融合型、魔剣技の記憶も相当蓄積されてる。下手すりゃ七大魔剣級……違うか?」
おじさんは腕を組みながら小さくうなずいた。
「ユニオンソードだ。こいつが偶然拾った。今は動かんがな」
「はっ、なるほどな……だから代わりの剣がほしいってわけか」
ガイラさんはため息をついて、俺に剣を返してきた。
「悪いが……そいつの“代わり”なんて刀、俺には打てねえよ。無理だ。素材も技術も魂も足りねえ」
「おい、ガイラ。お前ほどの鍛冶師がそう言うなんて――」
「リュウガ、そう熱くなるなよ。俺の腕を信用してくれるのは嬉しいが……
こいつに必要なのは“鍛える”剣だ。そいつに見合う剣を渡せるのは、あいつしかいねえ」
「――“あいつ”?」
「ああ。東方の首都、**淵平城**にいる“大地剣術”の使い手、《鍛冶師ディラン》。
大地の里出身でな……あいつは、素材を見抜き、理想を形にする。“剣を創る”ことができる鍛冶師だ」
「ディラン……」
「紹介状を書いてやる。あいつは気難しいが、気に入られればお前にとって“一生の剣”になるものを鍛えてくれるはずだ」
鍛冶屋を後にした俺たちは、次なる目的地――東方の首都・淵平城へ向かうことになった。
「淵平城には定期便が出てる。行くだけなら楽なもんだぜ」
おじさんにそう言われ、俺たちは港へと向かった。
けれど、港に近づくにつれて、なんとも言えない妙な空気が漂ってくる。人の声はあるのに、どこか重苦しい。海の香りと一緒に、沈黙の気配が混じっている。
「なんだか……静かだな。活気がないっていうか」
桟橋の近くで荷を積んでいた船乗りの兄ちゃんに声をかけてみる。
「すみません、淵平城行きって……まだ出てないですよね?」
すると男は顔をしかめて、渋い声で答えた。
「ん? 淵平城に行きたいのか? ――悪いが、今は無理だな。化け蟹様が出てる」
「……化け蟹様?」
初めて聞いた名前だったが、どこか敬意の混じった“様”付けが気になる。
「おうよ。昔からな、この西山港じゃ有名な話さ。
年に何度か、“とんでもねえサイズ”の化け蟹様が航路に現れるんだ。山みてぇな甲羅に、船ごと真っ二つにできる鋏。
こっちから手ぇ出さなきゃ、たいてい害はない……が、掠っただけでも沈没確定ってわけだ」
後ろでおじさんが、ため息をついた。
「……ダメだ、待とう。俺は、アイツだけはもうゴメンだ」
リュウガが真顔で言い放ったとき、俺は驚きを隠せなかった。
「おじさん……そんなにカニが苦手だったのか?」
するとリュウガはうつむきながら、ぽつりと語り始めた。
「昔な――俺がまだ若くて、修行真っ最中だった頃の話だ……」
それは、ある夏の浜辺。
陽射しがきらめく波間に、まるで岩のような巨体が佇んでいた。
それこそが、化け蟹様――かつて帝国と海上決戦を繰り広げたという伝説の甲殻生物だった。
その甲羅は、今や沈没戦艦のコア骨格。数本の歩脚を欠いた勝は、半ばヤドカリのような姿へと変貌していたが、悠然と海辺で眠るその巨体には、威厳が満ちていた。
「……そこに俺が、踏み込んじまったのさ」
当時のリュウガは、炎の剣士として血気盛ん。祖父から伝え聞いた「伝説のバケガニ」を討ち、名を上げようと乗り込んできたのだった。
「そこにいるのが伝説のバケガニか! 腕試しに来たぞ!!」
――だが、次の瞬間。
岩と思われた巨影がむっくりと起き上がり、淡く光るラインが甲殻に走った。
『ヤメテオケ……キケンダ』
重厚な念話が、脳内に響く。そう、化け蟹様は今や人の言葉をテレパシーで使える存在だった。
だが、若きリュウガは止まらなかった。
「すげぇ、喋った! でもな! 俺の一撃は止められねえ!」
火炎を纏わせた剣を振り抜き、炸裂する爆炎斬。
……だが、それを。
化け蟹様は平然と片手でハサミキャッチした。
『イタイメニアワナイト……ワカラナイカ』
そして――リュウガごと持ち上げ、岩に叩きつけること数度。ズン! ガン! バシーン!
「う、うわぁぁっ!!」
意識が飛びかけたリュウガを見下ろし、化け蟹様はわずかに申し訳なさそうな念話を送った。
『……ゴメンネ……チョットダケ……』
――そして繰り出される、伝家の宝刀シャコパンチ。
「ポフッ」という軽い音とともに、リュウガの意識は海へと消えた。
目覚めたのは、西山港の漁民の家だった。全身は傷だらけ、服は海の匂いが染み付いていた。
「……それ以来だよ。俺が蟹を見るたびに動悸がするようになったのは」
語り終えたリュウガは、どこか遠い目をしていた。
「だからなユーマ……今は、絶対に待とう」
「いやおじさん、いくら東方が比較的安全だからって、こんなところで立ち止まってるわけにはいかない!」
俺は拳を握り、強く言った。
「俺はあの剣――ユニオンソードに代わる武器を手に入れなきゃならないんだ。
このまま立ち止まってたら、前に進めない!」
リュウガは一瞬目を丸くしたあと、苦笑を浮かべた。
「まったく、若いのは元気だな……。でも、わかるぜ。その気持ち」
おじさんが肩をすくめる。
「よし、だったらこの港のどこかに“命知らずの船乗り”がいるかもしれねえ。探してみるか!」
俺たちは再び港の喧騒の中へと足を踏み出す。
目指すは、東方の都――淵平城。
伝説の鍛冶師と、大地剣術の秘密が待つ場所だ。
その旅路の先に、俺にしか扱えない“新たな剣”があることを信じて。
最後まで読んでくれて、本当にありがとうございます!
もし、ちょっとでも「面白いじゃん!」と思っていただけたら、 ↓の【★★★★★】を、ポチっと押して応援していただけると、作者が、本気で泣いて喜びます…!
ブックマークも、ぜひぜひ、よろしくお願いします!
また次回、お会いできるのを楽しみにしています!




