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ヒトの伝説  作者: Glucose-One
第2章 とある子供 1888
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第7話 行動した日

〈〈1888年 ベルオクス=ウェルリオ共和国連邦

  ベルオクス共和国領ラーザルン 南ラーザルン州〉〉

子供は部屋の片隅にいた。

相変わらず表情に変化はなく、その思考をそこから読み取ることは困難を極める。

だが、これまでと同じ呆けたような表情かと言えば、確実に違う。

子供は、今まで感じたことのないような感情を感じた。

記憶が始まる前から一緒にいた人物、アファルイーに対する恐怖だ。


子供の世界の大部分を占める存在の変質は、

単なる一時の変化では収まらない。

子供はついに、今の状況に一抹の違和感を感じたのだ。

そうして、彼は自分が何をするべきなのかを悩み始めた。

本来なら、やるべきことは全てアファルイーが指示してくれる。

だが、こと現在に関しては、

彼女に何かを尋ねることは憚られた。


子供は何十分も、何時間もアファルイーを見つめたまま、

じっとしていた。

だが、どれだけ待っても現状は変わらないし、

どれだけ考えても進展はない。


やがて子供は行き詰まりを感じた。

閉め切られた部屋。

心を閉ざしたアファルイー。

ずっとこの部屋にいては、

自分の気持ちも暗い奥底へと行ってしまいそうな気がした。



その時、子供はふとひらめいた。

外に出よう、と。


――――――――――


子供は聖法を使った。

元いた場所に何らかの存在感の残滓を残したまま、自分の気配を消す聖法だ。

理論立てて聖術で再現しようものなら

どれだけの労力が必要になるのか見当もつかないほどの、

超越的な効果だった。

子供はさらに、

特定の物体を透過する聖法も使った。

20世紀を目前に控えた現在の聖術の如何なる先端技術を以てしても

再現が不可能な効果である。


だが、そのことを子供が知る由もない。

子供はドアを透過すると、淡々と廊下を進んでいった。

時間は平日の日中。

この宿舎においては、

子供なら学校に、大人なら仕事場にいる時間帯だ。


彼が心のどこかで期待した、

生徒に話しかけられる、というような展開は起こらなかった。

だが、子供は特段期待を裏切られた、という感覚を持つことなく、

静かに階段を下りていき、やがて宿舎を出た。



上を見れば青空

前を見れば簡素な庭園があり、その奥にある住宅街もかすかに覗くことができる。

そして、目の前にある宿舎の奥には世界樹の姿がかすかに見える。


全て、平凡な風景だ。

子供はもう、何度も目にしてきた。

だが、自らの行動の結果としてまみえたこの光景に対し、

子供は平凡ならざる何かを感じる。

いわゆる達成感に近い感情だが、

子供にはこの感情を言語化する術がない。

だからこそ、言語によって感情が規定・陳腐化されることなく、

さも高尚な感情が自分の中にあるのだと感じることができているのだ。


子供は心の高鳴りを胸に、

一歩一歩 歩みを進めていく。

全てが平凡で、全てが取るに足らない。

だが、今の子供の目を通して見た光景は、

全てが輝いて見えていた。


そんな中、子供をどきっとさせるものが

目に飛び込んできた。

人の姿である。

青髪青瞳の青年だった。

服は例の聖科学校の生徒のものだ。


子供は好奇心を胸に

その青年に近づいていく。

どうやら、青年のほうはずっと前から子供のことに気付いていたようで

やっとのことで2人の目が合った。

子供だけでなく青年にとっても予想外な出会いのようで、

目を丸くしたまま、じっと子供のほうを見ている。


それから、子供はゆっくりとした足取りで青年に近づいていき、

距離は目と鼻の先にまで近づいた。

青年は木陰の盛り上がったところを枕にして寝そべっており、

身長の低い子供が青年に見上げられている。


青年はやはり子供の姿に対して戸惑いを隠せないようで、

恐る恐る手を伸ばした。

やがて、その手が子供の頬に触れ、

更にその頬がつまむ余地があるぐらいにふっくらとしていることに気付く。


青年は、子供の姿が幻術系の法術の類ではないことを察した。


「ど、どうも」


青年は勇気を出していったが、

声は予想外にかすれていたため、

軽く咳払いをして言い直す。


「どうも、こんにちは」


その言葉に対して子供が小さく頷くと、

青年は子供が現実であることを再確認する。


「ど、どうしたんだい?」


青年は体を起こしながら言った。


対して、子供は別に目的があってきたわけではなく、

青年に返答できない。

そのせいで、2人の間にはしばらくの間、

何ともいえない沈黙が流れた。

青年はそれを気まずく思って

何とか言葉を絞り出す。


「君もしかて、

 例の精霊人と一緒にいた白い子供かい?」


何となく自分のことのような気がしたため、

子供はしばし悩んだ後に頷いた。


「名前は?」


子供は答えられない。

子供には、まだ名前がなかった。


一体どうやった返答しようか。

子供はそんなことを考えているうちに、

あることを思い出した。

そういえば、

名前を決めるという約束を

アファルイーと交わしたのだ。

正直なところ、詳しいことは覚えていない。


「ない

 ……まだない」

「ない?

 君の種族の文化か何かなのかい?

 君、種族は?」

「精霊」

「………精霊?

 じゃあ、その体は?」


子供は俯いて、

自らのつま先から胸部へと視線を移していく。


「特別だから」


どう特別なのかは分からないが、

少なくともアファルイーは

特別だと言っていた。


「特別……

 ――確かに、特別な体だ

 まぁいい

 身の上を聞くのは無粋だったね」


青年は再び地面にねっころがり、

両腕を枕替わりにした。


「君、暇?」


子供は頷く。


「なら、ちょっとだけ話に付き合ってよ」


子供は再び頷く。


「ほら僕、見ての通り

 すぐそこにある聖科学校の生徒なんだよ

 で、朝の9時から1限目が始まるんだけど、

 今何時か言ってごらん」


子供は答えられない。

細かい時間の概念に疎いせいもあるが、

そもそも時間など気にしたことがなく

読めるはずがなかった。


「ほら、あそこの時計に書いてあるよ」


子供は青年が指さしたほうを見る。

教会から生えた塔の上に時計があった。


「短針が9に寄っていて、

 長針がちょうど6を指してる

 つまり、今は9時半ってことだ」


青年は清々しい笑顔になる。


「どういうことか分かるかい?

 僕は、1限目の授業に遅刻してるってことさ」


やはり子供には

青年の言っていることがよく分からない。

だが、青年の独特な笑顔を見て、

何となく面白い感じがした。


「普通は同じ部屋の人とかに

 起こしてもらうんだけどね

 同居人が起こしてくれなくなって

 久しくてね

 それで普段は、

 彼女に起こしに来てもらってるんだ

 規則違反だけどね」


青年は笑みを少年に向ける


「けどね

 今日はなぜか、

 彼女も起こしに来てくれなかったんだ

 多分、毎日規則を破るのが

 辛くなったんだろうね

 僕の落ち度さ」


青年は苦々しい笑顔を浮かべて続ける。


「で、本題なんだけど

 今日の1限目は数学なんだよ

 その数学の教師が酷くてね

 以前に、前に出て問題を解かされた奴がいたんだよ

 アルミナ人の血が入ってる、肌色の濃い奴なんだ

 そいつがそこで

 初歩的な計算ミスをしたんだ

 そしたら教師は大激怒

 そいつに向かって

 ジプシー顔だの、

 火であぶって肌をこがしてやろうか、

 なんて言うんだよ」


子供は言っていることの意味を理解できない。

ただ、青年の表情を見て、

それが酷い話だというのを察した。


「聞いてるこっちとしては

 顔面蒼白さ

 結局、ミスしたことにムカついたのか、

 そいつの人種に対する不平が出てきたのか

 分かったもんじゃない

 酷い奴だよ

 で、僕はそんな教師の授業に遅刻しちゃってるわけだ

 当然、途中入室なんて出来ないよね?

 だから、こうして暇を潰してるわけさ」


青年は言い終えると、遠くを見るような目をする。

それを見て、子供は噴き出しそうになる。

よくは分からないが、

どことなく滑稽な姿だった。


「なぁ、知ってたらでいいんだけど

 例の、君が一緒にいた精霊人のこと

 教えてくれない?

 窓もドアも閉め切ってて

 全然様子が分からないんだ

 前に尋ねた奴がいたらしいんだけど、

 取り合ってもらえなかったみたいだしね

 皆困ってるよ

 彼女の顔が拝めなくて」


子供はアファルイーの状況を想像して

何となく嫌な感じを覚える。

青年は変わらず呑気だが、

今のアファルイーと対比して、

何か嫌味のある呑気さに見えたからだ。


「言わない」


子供はムッとして、

きっぱり言った。

青年はきょとんとしていたが、

すぐにそれまでの表情を取り戻した。


「まぁ、それでもいいよ

 その代わり、何か話題はない?

 せっかくこうして会えたんだから、

 もっと話そう

 君の関心に合わせるよ」


そう言われて、

子供は少し焦る。

特段、その青年と話したいことはないからだ。


だが、ふとあることを思いつく。

アファルイーと交わした、名前を決める、という約束をどうしたら果たせるか、

青年に相談しようと思ったのだ。

アファルイーについては話さないと言った手前、

何となく気まずい感じがしたが、

構わず言う。


「一緒に名前を決めよう、って約束をしたの」

「君の?

 誰と?

 例の精霊人とかい?」


子供はしっかりと頷く。


「でも、今は出来そうにないみたい」


子供はアファルイーがいる部屋を指さす。

青年もその方向を見る。

窓はしめきられていて

カーテンもしまっている。

中の様子は全く伺えない。


「もしかしてあれかい?

 あの精霊人、

 病んじゃってあんな風に籠ってるのかい?」


子供は悩みつつも

何となく頷いた。


「学校にもね、

 こういうことを言う奴がいるんだよ

 精霊人は個人主義的な種族だから、

 外界との関わりを閉ざしたがるってね

 でもやっぱり、ただ病んでただけなんだね」


青年は合点がいったように続ける。


「考えてみれば、

 そりゃそうだよ

 こんなところに亡命してきたんだから、

 きっと禄でもないルートでここまで来たんだろうね

 で、いざ新天地に来てみたら、

 期待と違って心が一気にズドーンってなっちゃう

 可哀想だね

 こんな状態で放置してるのは、

 間違いなく教会の責任だ」


青年は声色を強めて言う。

それを見て、子供は勇気を振り絞って言ってみた。


「どうしたらいい?」

「——どうしたら?

 そんなこと言われてもね……」


青年は悩んだ後、言う。


「教会に直談判できる立場じゃないからなぁ

 機会があったら、

 教師に言ってみるよ

 僕は由あって、

 普通の人の倍は教師の世話になってるんだ

 機会はあるよ

 ダメだったら仲間内で情報共有するよ、

 例の精霊人にすっかり惚れこんでる奴もいるから、

 多分何かやってくれるよ」


青年は勢いよく立ち上がって、子供のほうを見る。


「そういえば、

 僕のほうが名前を言ってなかったね

 スヴェンだ」


青年が手を差し出した。

よく分からなかったが、

子供はとりあえず手を差し出すと、

青年はその手を力強く握った。

子供はすっかり驚いてしまったが、

お互いの手を握りあうというこの行為に

何となく好感を持った。


「さっき言った提案だけど、

 今日中に行動に移すから、

 明日ぐらいには何らかの進展があると思うよ

 もし出来るなら、

 明日の朝、外に出てきてくれよ」


スヴェンは子供の肩を軽くたたくと、教会の敷地の出口へと向かった。


「僕が学校でシバかれないことを祈っておいてくれ」


スヴェンは手を振ると、颯爽と立ち去った。

子供が手を振り返す頃には、スヴェンの姿は見えなくなっていた。

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