第5話
〈〈1888年 ベルオクス=ウェルリオ共和国連邦
ベルオクス共和国領ラーザルン 南ラーザルン州〉〉
聖父パウルによれば、
馬車で1時間程のところに目的の町があるという。
さきほどの列車の貨車と同じく、
馬車にも何らかの魔術がかけられているようで、
馬車内はかなり快適だった。
そこで、パウルはアファルイーと件の子供にかなりの好奇心を寄せていた。
アファルイーの経歴のこと、
子供が精霊でありながらも人族に近い体を持っていることなどだ。
パウルは、ノイズ混じりの拙い精霊語で続けた。
『シカシ、マサカ16世紀生マレノ方ト
コウシテ話スコトニナルトハ、
想像モシテイマセンデシタ』
「16世紀生まれといっても、
本当に末頃ですが」
アファルイーが生まれたのは1599年。
つまり、今から289年前のことだ。
「それに、16世紀生まれなんてろくなものではありませんよ
魔王軍に故郷が破壊されるのを、
リアルタイムで体験したわけですから」
苦笑いを浮かべてそう言うと、
パウルは渋い表情をして黙ってしまう。
それを見て、
アファルイーは思わずはっ、とする。
せっかく話しかけてもらったにもかかわらず、
この返し方はまずかった・
そう思い、とっさに話題を変える。
「そういえば、
最近の中央大陸の情報も
外で出回っていないでしょうから
何か質問があれば、
分かる範囲で答えますよ」
それを聞いて、パウルは表情を明るくする。
『オオ、ソウデスカ!
ソレナラ、
シェイビー学園ニツイテオ聞カセクダサイ』
シェイビー学園は、
12世紀の偉大な聖術士シェイビーによって創設された。
以来、中央大陸内ではあらゆる分野で、
国際的には、特に聖術方面で絶大な影響力を持っていた。
魔王大戦前までは。
アファルイーの出身校でもある。
『色々ト噂ガ交錯シテイテ、
ハッキリシタコトガ分カラナイノデス』
アファルイーは顔を曇らせる。
「シェイビー学園は閉鎖されましたよ
つい2世紀程前の話です」
不味い話題を選んでしまったと感じ、
パウルはまた黙ってしまう。
アファルイーも何となく暗い気分になってしまい、
2人の間には会話がなくなった。
思えば、魔王大戦がはじまって以来、
アファルイーの身の回りには碌なことが起こっていない。
いざ思い返してみると、
彼女の世界はあまりに悲惨だった。
――――――――――
数十分がたつと、
そろそろ町に着くか、という頃になり、
パウルは再び口を開いた。
『御二方ニ、
言ッテオカナケレバナラナイコトガアリマス』
真剣な口調だった。
『詳シイ事ハ、教会ニ着イテ落チ着イタ後ニ話シマス
ヒトマズ知ッテオイテイタダキタイノガ、
コノ町ニ関シテデス
コノ町ハ、本来ハ ベルオクス人居住区デ、
人族以外ノ立チ入リガ禁止サレテイルンデス
ソコデ、特例トシテ御二方ヲ教会デ預カルワケデス
ソノコトヲヨクワカッタ上デ、
教会デハ最大限ノ慎ミヲ持ッタ行動ヲオ願イシマス』
アファルイーは軽く頷くと、再び窓の外を見る。
何となく息苦しい感覚がし始めていたが、
それでも、新天地に対する興奮は冷めなかった。
――――――――――
パウルの教会は町の中央にあった。
アファルイーが慣れ親しんだ様式とは
似ているようで似ていない。
当然のことではあるが、
宗派が違うということをひしひしと感じた。
2人は馬車から降りると、
幾人かの通行人の視線や教会関係者の好奇心の目をくぐり抜け、
やがて一つの小部屋に入った。
パウルも緊急で2人を迎えにいったため、
町はもちろん、教会の者ですら、
2人が来ることを把握していなかった。
小部屋では、パウルが何やら山盛りの書類を取り出すと、
そこに署名をすることを求められる。
署名はベルオクス語でなくてよいと言われたが、
書類自体はベルオクス語で書かれている。
そのため、署名を求められていること以外、
その書類に関してさっぱり分からなかった。
『長期的ナ計画ヲ言エバ、シバラクハコノ教会デ過ゴシタ後、
近クノ町ニ移ッテ頂キマス
ココハ ベルオクス人居住区デスカラネ
ソノ後ハ、ソチラノ町ノホウデ、
本国ノ首都ルベリオルンニ向カウタメノ手続ヲスルコトニナリマス
宜シイデスネ?』
アファルイーは頷く。
『当教会モ、南方カラ亡命シテキタ人族ヲ受ケ入レタ経験ガアリマシテ、
アル程度ハ慣レテイマス
タダ残念ナガラ、精霊人族ノ亡命者ヲ受ケ入レタ経験ハ、コレガ初メテデシテ
デスカラ、想定以上ニ時間ガカカル可能性ガゴザイマス
ソコハドウカ、ゴ理解下サイ』
パウルはアファルイーの署名が入った書類を高速でめくりながら言う。
『色々ト落チ着キマシタラ、
元々ノ仕事ニ加エ、
一連ノ手続ノタメニ、
暫クノ間出張ニ出マス
デスカラ、何カアレバオ近クノ修道女ニ
オ声ガケクダサイ』
――――――――――
その後、2人は不機嫌そうな修道女に連れられ、
一室に案内された。
宿舎は教会に隣接していて、
その最上階の部屋だった。
宿舎自体が新しい建物であるためか、
清潔感に関しても特段の問題はない。
部屋には最低限の家具もある。
精霊人族のアファルイーにとっては十分すぎるほどだった。
アファルイーはそうこう思いながら、
部屋を散策した。
修道女2人は相変わらず訝しげな顔をしていて、
アファルイーはどこかぎこちない感じがした。
精霊語を話せないようで、
会話も始まらない。
修道女2人は要が済んだと思ったのか、
アファルイーの顔を一瞥すると、
すぐに部屋から出て行った。、
去り際に鍵を渡す時も
非常にそっけない感じだった。
アファルイーは
自分が軽蔑されているような感覚を覚えたが、
その感覚はいったんしまっておく。
「ねぇ、私達2人だけになったわね」
アファルイーは特に意味もなく
子供にそう言った。
子供は「うん」と言って頷いたが
よく分かっていなさそうだった。
だが、アファルイーはそのことに構わない。
自分がベルオクス文化圏にいること
そこで、仮の住居を手に入れたこと。
何より、2人が今も無事でいること。
こうした状況を噛みしめて、
アファルイーは思わず笑みがこぼれた。
色々と悩ましいこともあるだろうが、
一応は目的を達成したのだ。
自由と生命
自分の人生を生きるのに必要な前提条件が、
しっかりとアファルイー自身の手の中に納まった感じがした。
安心か疲労か、
アファルイーは脱力したように椅子に座り、
じっと子供の姿を眺めた。
――――――――――
暫くして、パウルに呼び出されたアファルイーは、
生活に関して詳細な説明を受けた。
そして、早速ある提案を行った。
教育だ。
いつになるのかは分からないが、
いつか必ずルベリオルンで生活することは決めていた。
そこでの生活のため、
そしてそれまでの生活のためにも、
ベルオクスのことについて知らなければならない。
だが、まずは何らかの手助けが欲しい。
アファルイーは淡い希望を胸に、
パウルにその考えを話した。
だが、アファルイーの淡い期待に反して、
状況は良くない方向に向かった。
教育の援助をパウルに断られたのだ。
断られた上でよくよく考えてみれば、
当然の話ともいえる。
いくら精霊人族といえど、
亜人族にすぎない。
そんな者がベルオクス人居住区の教会で保護してもらったうえで、
住居も与えられた。
更に教育も受けたい、というのは、
ある種 厚かましい願いでもあったのだ。
精霊人族は、十分な大気と精神さえあればいくらでも生きていける。
そんな種族の社会では、
質は別として、
年齢・職業に関わらず、
あらゆる者に教育の機会が開かれている。
だが、それは例外的な社会に過ぎない。
通常の人型種族の社会では
そうはいかないのだ。
大多数の人間は生活のために、鉛筆ではなく道具を持ち、
教科書に並ぶ文字列ではなく目の前の仕事と向き合わなければいけない。
世の中には、教育を受けられない人族が山のようにいるのだ
すっかり期待を裏切られたアファルイーは、
部屋に戻り、自身の興奮が急激に冷めていくのをひしひしと感じた。
部屋が最上階にあるせいで、
戻るまでの間に多くの通行人の視線に止まったことも
彼女の惨めさを悪化させた。
アファルイーはあてもなく、
子供に話しかけた。
「ねぇ、どうしましょう」
子供は何も答えない。
それもそうだ。
子供に今の状況が分かるわけがない。
アファルイーは窓の外を見た。
自由という大切なものが、
まだ自分の元に戻っていないことに気付いた。
――――――――――
夕方。
手持無沙汰になったアファルイーは、
過剰なほど部屋の掃除をしていた。
元々あった家具の位置を変えたり、
聖術を用いて修理・飾り付けをしたりした。
この手の作業に関して、
アファルイーは大してセンスを持っているわけではなく、
使った労力に比して
部屋の様子はそれほど整った印象を受けない。
だが、中央大陸で豪邸に住んでいた頃と比べれば
かなりマシだ。
その頃は、一階の一室だけで生活が完結していて、
その他の部屋についてはノータッチだった。
しかも、使っている一室に関しても、
大量の本が無造作に置かれている、
清潔感のない部屋だった。
部屋の掃除が一段落してくると、
アファルイーは椅子に腰かけ、
窓から宿舎の外の様子を眺める。
教会自体が町の中心部に位置していることもあって、
非常に整った街並みを一望することができた。
アファルイーが知る典型的なベルオクス人の町とほとんど合致した光景だった。
暫くの間、落ち着いた心持ちで外を眺めていると、
アファルイーはあることに気付く。
何やら、同じ服を来たベルオクス人の子供たちが、
次々と宿舎に入ってきていたのだ。
聖父パウルによれば、
この宿舎は教会関係者だけでなく、
近隣の聖術専門の基礎学校である、
聖科学校の生徒の寮生も利用しているらしい。
とすれば、その子供たちというのが聖科学校の生徒なのだろう。
アファルイーからすれば、
全くもって頭の痛い話である。
まだ確固たる理性の発達していない者が
すぐ近くにいるというのは、
今のアファルイーの身の上からすれば
不都合極まりない。
また悩ましい事案が増えた、と感じたアファルイーは、
すぐに窓から目をそらした。
子供のほうを見ると、
ベッドの上に座って、
ひたすら壁をみつめている。
特に話すべきこともないが、
話す以外にやるべきことはない。
アファルイーは椅子から立ち上がって、
子供のほうに向かう。
その時だった。
コンコン、とドアがノックされる音がした。
何となく嫌な予感もしたが、
アファルイーは仕方なくドアを開ける。
予感があたったというべきか。
ドアの向こうには、
生徒と思しき少年が立っていた。
その少し後ろのほうには、
更に十人近い生徒が顔を覗かせて、
こちらの様子を伺っている。
からかいに来たのだろう、と思ったが、
ここで関係をこじらせれば面倒だと思い、
威圧感を与えない程度の無表情を保った。
「ど、どうも
すぐそこにある聖科学校の生徒です!
精霊人族の方が我々の宿舎に来た、と聞きまして、
顔合わせをしたいな、と……」
少年の表情は引きつっていて、
立ち姿もこわばっている。
視線はあからさまにきょろきょろしていて、
焦点は定まっていない。
アファルイーが中々返答しないこともあって、
ますます緊張していた。
だが、とうのアファルイーも、
少年の言葉を理解できない。
アファルイーは混乱から醒めると、
子供を呼んだ。
「彼が何を言っているのか
教えてちょうだい」
そう言うと、子供はぺたぺたとアファルイーの歩いていく。
やがて、子供が玄関前に着くと
生徒たちの間でどよめきが広がる。
子供の放つオーラのせいなのか、
それとも特異な見た目のせいなのか、
アファルイーの前に立つ少年も子供の姿が信じられないようで、
何度も子供のほうを見てしまう。
「とりあえず、お名前を伺っても?」
少年は一層 緊張した様子でアファルイーに話しかける。
「名前を聞いてるみたい」
子供がそう言うと、
アファルイーは合点がいった、という表情をする。
「その提案は大変うれしいわ
また今度の機会にね」
アファルイーが柄に合わないような笑顔を浮かべると、
子供は彼女の言葉をベルオクス語にして少年に伝える。
その後、アファルイーは少年の返答を待たずに
ドアを閉めて鍵をかけた。
彼女は、この生活が心底嫌になりそうだった。
――――――――――
夕食の時間。
宿舎に隣接する生徒用の食堂は
恐ろしいほどの熱気で包まれていた。
というのも、
この宿舎に凄まじく美しい精霊人が来た、という情報がもたらされたのだ。
先遣隊の役割を担った生徒が、
その精霊人の美貌について高らかに演説していた。
その精霊人の横に真っ白な子共がいたという話も加わって、
議論は一気に混沌と化していた。
もちろん、一般的なベルオクス人がこの話を聞こうものなら、
なぜベルオクス人居住区に亜人族がいるのだ、
という話で始まり、
追い出そう、という話で終わってしまう。
だが、ことこの食堂内では、
そうした意見が押し殺されていた。
「で、その精霊人の名前は?」
一人の生徒がそう言うと、
少年は分からない、と言う。
それを見て、幾人かの生徒から、
「役立たず」「臆病者」といった野次が飛んでくる。
食堂はあまりにもうるさく、
しばらくして顔を真っ赤にした修道女が食堂にやってくる。
懲罰を受ける事になっては元も子もないため、
生徒たちは一気に鎮静化する。
それでも、その精霊人に関する話題は収まらなかった。
ある隣り合った2席の間でも、
例に漏れず精霊人族に関する会話が交わされていた。
「それで、君はどう思う?」
その言葉は、青髪青瞳に加え、色白の肌を持った青年から発せられた。
いかにもウェルリオ人的な特徴であるが、
顔立ちはまさにベルオクス人のそれである。
その言葉に答えたのは、
青年に隣り合った少女だった。
こちらは茶髪に黒瞳で、褐色の肌をしている。
血の四分の一がアルミナ人のもので、
それが色濃く体に出たのだ。
「どうもこうもないわ
珍しいのは確かだけれど、
どうせ亡命してきて、
教会で保護されたんでしょう?
最近じゃよくある話だわ」
「でも、南からってのは、
初めて聞く話だろう?
大抵は西回りのルートを使って、
ルベリオルンに行くはずだ
もしかすると、
西回りのルートが使えなかったんじゃないか?
とすると、中央大陸の東部から脱出してきたのかもしれないよ」
「言われてみれば確かにそうかもしれないけど
でも、それはそれで怖いわね
東部のいい話は聞かないわ」
精霊人に関して、
青年はまだ話し足りない様子だったが、
少女はあまり関心がなさそうだった。
「まぁでも、顔立ちが綺麗なら、
一度くらいは見てみたいね」
「これだから面食いは」
少女が呆れた感じで言うと、
青年はさりげなく別の話題に移った。