第七話
改めてライシは、アッシュ率いる一行をじろりと見やった。
(数は全員で四人、うち二人は女性で武器は弓か。残りのアッシュとかいうやつとスキンヘッドの大男は、剣に斧……か)
戦況はいうまでもなく、圧倒的にライシが劣勢である。
数ももちろんだが、腐っても勇者となったアッシュの装備の質が厄介だった。
勇者に与えられる武器は、ただの武器ではない。
それははるか神話の時代より存在したといわれ、一つ持つだけで強大な力を得るという――聖将器というらしい。
アッシュが手にする剣は――刃長はおよそ90cmほど。肉厚で幅広な刃は重量感あふれるが、さすがは聖将器とだけって白金の輝きはとても神々しく美しい。
ドラゴンに模した鍔などにも黄金や宝石などによって彩られていた。
勇者が持つに相応しい代物のはずなのだが、いかんせん仕手が悪すぎる。
これでは本当に馬子にも衣裳だ、とライシは内心で嘲笑した。
「さてと、それじゃあいっちょおっ始めますか……っと!」
ライシは地を蹴った。
剣を構えたアッシュにどんどんと肉薄して――そのまま何事もなく素通りする。
戦場において勝利するための条件は大きく分けて二つある。
一つは大将首を狙うこと。迅速かつ的確に仕留めさえすれば味方に余計な被害を生む心配もない。
また統率者を損失することで敵の士気を大いに低下させる効果も狙えよう。
もう一つは、仲間もすべて全滅させること。
仲間を失い孤立に陥らせることで大将の士気を低下できよう。
仮にどれだけ強大な力を有していようと、孤立無援の状態では大軍を相手にはできない。
もっとも、そうするためには味方の被害も常に想定しておく必要がある。
決して無傷のまま勝利する、などというのは高望みがすぎよう。
(一撃で仕留められればそれで十分だけど、もし失敗したときのことを考えたらリスクが高すぎる……だったら!)
ライシの辞書には基本、手加減の三文字は存在しない。
男であれ女であれ、一度武器を手に戦場に立てば誰もが等しく戦士であるからだ。
戦士には年齢も性別も、そういった概念の価値は瞬く間に路傍の石と化す。
とはいえ、それでももともとの性質が故か徹底的に心を鬼にできないのがこのライシという男である。
「許してくれよ……!」
鋭い下段回し蹴りを放つ。
鞭のようにしなり、死神の鎌をも連想させた鋭い脚撃は容赦なく女の太ももに突き刺さった。
ばしんっ、という鋭く肉を弾いた音が周囲に反響した。
「あ……あぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
それに伴って絹を裂いたような悲鳴が当たりにこだまする。
声の主は、弓を持った女性だった。すらりとした乙女の柔肌は、みるみる内に赤紫色に変色していく。
ほどなくしてひどく腫れあがり、女は満足に立っていることもできずにその場に崩れ落ちた。
骨を折ったのだから、彼女を襲う痛みは生半可なものではない。
弓は遠距離からの攻撃に適している。
そのため、もしアッシュを倒しきれなかった場合、間違いなく援護射撃が行われよう。
彼女らの腕前がどれほどのものかはこの際置いておき、それでも脅威であるにはなんら変わらない。
以上からライシは、戦いやすさを優先して弓を持つ女性から倒すことにした。
命までも奪うつもりは最初からない。戦闘不能にさえ陥れればそれでいい。
これが男性であったのならば、その時は遠慮なく顔面を狙っている。
「せいやっ」
ライシは続けてもう一人の女の足も同様に蹴り抜いた。
女の足が、あらぬ方向へと曲がる。
「私のあじがぁぁぁぁぁぁっ!」
「こ、このクソガキ……よくも俺の仲間をやりやがったな!?」
「それはお互い様だろう。それに正確に言うならお前は俺の家臣を二人も殺したが、俺は命までは奪っていない。早く町に戻って適切な治療を受ければ助かるだろう」
これは、ライシからできる最終警告だった。
アッシュはたしかに、勇者の風上にも置けない。
同じ人間からしても彼のような外道を許せるほど、ライシも大人ではないしお人よしでもない。
けれども一応、同じ人間だからこそ最後の警告を投げた。
これで大人しく退散するようであれば、ライシからしても特になんの咎めもない。
一刻でも早く、アリッサたちを安心させてたかった。
また亡き者にされてしまった家臣を手厚く弔いたい。
しかし、ライシの思いとは裏腹にアッシュは剣を構えた。
もとより外道に相応しい彼の表情だが、今は憤怒によってひどく歪んでしまっている。
「ガキが……調子に乗ってんじゃねぇぞ? おいマルク! あれやるぞ!」
「お、おうなんだな!」
マルク、と呼ばれた大男は――見た目に反してどこか小心者のようだ。
マルクの手にある斧はとてつもなく大きかった。
それこそ鉄塊のようだ、とこう形容してもなんら違和感もない。
身の丈以上はあろう長さと、鉄槌のごとき刃は黒々としてどこか禍々しくもある。
よくよく見やれば刀身部には赤黒いシミがべったりとできていた。
あれで数多くの魔族を、ヒトを斬ってきたに違いあるまい。ライシは静かに身構える。
「ひっひっひ。さぁクソガキ、その目かっ開いてよぉく拝むんだなぁ」
と、アッシュが不気味に笑った。
その間、マルクは手にした斧をゆっくりと振りかざす。
(あいつ、何をする気だ?)
と、ライシは内心ではて、と小首をひねった。
マルクが攻撃態勢に移ったのはまず、改めて確認するまでもない。
ただし、両者の距離は軽く見積もっても7mはある。
いくらマルクが長身……およそ2m前後はあろうとも、届く距離ではない。
(まぁ、それがわからほど相手も馬鹿じゃないだろうけど……)
いずれにせよ、一寸たりとも見逃せない。ライシはこれでもか、と目を限界までカっと開いた。
「い、いくんだな! 【裂衝烈波】!」
次の瞬間、地面が大きく爆ぜた。
そして見えない刃が地面を荒々しく抉りながらまっすぐとライシへと肉薄する。
「こいつは……スキルか!」
ライシは素早く横に跳んだ。
技の強みはやはり初見という点である。
どのような技なのか、その術理が不明であるからこそ技は真価を発揮する。
したがって通常、同じ相手と再び相まみえるというのは極めて稀な事例なのだ。
ルールによって厳密に守られた試合であればそうした機会はいくらでも得られよう。
これは、互いの命を懸けた殺し合いである。再び戦うという未来は訪れない。
いかにしてライシは初見でありながらマルクのスキルを回避することに成功したのか――彼に前世の知識がなければ、今頃は何もできずに跡形もなく吹き飛んでいたに違いあるまい。
「よ、よけられた!?」
「距離が空いているのに攻撃してくるってことは、たいてい遠距離攻撃だって相場が決まってるんだよ。すごい威力なのは素直に認めるが、それも当たらなきゃどうってことない!」
「――、あぁ、まったくそのとおりだぜ小僧。どんなにすごい攻撃でも当たらなきゃあ意味ないよなぁ?」
「なっ……!」
背中にぞわりと悪寒が走る。
じんわりとにじみ出た汗は氷のように冷たい。
全身の肌という肌が一斉に粟立つ。
振り返って、すぐそこにアッシュがいた。
不敵な笑みを背に、まばゆい銀閃が縦一文字に空を裂く。
けたたましい金打音と共に、ライシの身体は宙を大きく舞った。
何度も小柄な体躯を地面に打ち付け、大木に直撃したことでようやく止まる。
「こいつ……とっさに腕を挟んでガードしやがった」
「ぐぅ……」
耐え難い激痛がライシを容赦なく襲った。
アッシュの斬撃は、結果的には直撃した。
真剣をその身に受けたのだからまず助からない。
しかしライシは咄嗟に腕を硬質化させることで致命傷を免れたのである。
とはいえ、致命傷にならなかっただけで無傷というわけではない。
更にアッシュの武器は聖将器だ。
並大抵の得物であれば、硬質化したライシは斬れない。
(クソ……一瞬だけとはいってもこれだけ疲れんのかよ! こいつは、さすがにやばいかぁ?)
ライシの硬質化はたったの数秒間しか維持できない、その上使用後は全身疲労により満足に動くことさえもままならなくなる。
だがほんの一瞬だけ。敵の攻撃が直撃する刹那であればいけるのではないか。
結果としては――半々といったところ。疲労感はいつもと比較すればまだマシなほう。
それでもやはり、身体が鉛のようにずしりと重くなるのだけは避けられなかった。
使い勝手の悪い魔力だ、とライシは自嘲気味にふっと笑った。額からは滝のような汗がどっと流れ、顔色も出血によるため青白い。
「おいおい満身創痍じゃねぇかぁ。大丈夫でちゅかぁ?」
「このクソ野郎が……そのへらへらとした顔、今すぐ俺がぶっ潰してやるよ」
「……相変わらず口が減らねぇガキだ。だったらお望みどおり、今すぐぶっ殺してやるよぉ!」
「――、ッ!」
剣が振り下ろされた、瞬間――ライシの身体は前のめりになって倒れた。
両腕はだらんと下がり無気力で、糸が切れた人形のように受け身を取る素振りもない。
アッシュの剣が――虚しく空を横薙ぎに払った。