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第四話

 魔王城の朝は、とにもかくにも騒がしい。


 数多くの配下たちが今日も忙しなく一日の業務を始める。


 内容は掃除や畑仕事と、およそ魔族とは思えないぐらい平凡にして穏やかなものだ。


 アスタロッテの城には、魔王としての禍々しさが驚くぐらいない。


 城周辺には美しい花畑が咲き乱れている――これがアスタロッテの趣味だというのだから信じ難い。


 それ以外にも近くには緑あふれる森が広がっている――さらさらと流れるせせらぎと小鳥達のさえずりがなす協奏曲はとても心地が良い。


 本当に自分は魔王城にいるのだろうか、とライシはいつもそう思っていた。


 アスタロッテの息子として振る舞うようになってから数年が経過した現在でも、この感覚が抜ける気配はない。


 食堂は、100人を余裕で収容できるぐらい広々としている。


 にも関わらず、利用するのがたったの数名ともなれば広すぎるがためにひどく物寂しい。


(まぁ、ウチの食事は相変わらずやかましいけどな)


 と、ライシはちらりと視線をやった。



「あぁー! ちょっとエスメラルダ! それは私のご飯ですよ!」


「早いもの勝ちですぅアリッサお姉様~」


「うにゅ……ねみゅい」


「なぁ、勉強じゃなくて個人的には身体をもっと動かしたいんだけど……」


「貴様……アスタロッテ様に注意を受けたばかりだろう」


「犯罪はバレなきゃ犯罪じゃないんだよ。こっそり隠れてやれば問題なし」


「……人間でありながら悪魔のような思考だ。では、貴様の休憩もかねてアレをやるぞ」


「げっ! そっちの方かよ……」



 と、ライシは露骨に嫌悪感を示した。



「何を言う。これも貴様にとっては重要なことなのだぞ、魔王の子供のフリをするのであれば尚更だ」


「それは……わかってはいるんだけどさ」


「ならばずべこべ言わずに早くしろ」


「……はぁ、仕方がないか」



 と、ライシは渋々と席から立った。


 深呼吸をして精神を集中させる。


 しばしの静寂が室内に流れ――次の瞬間。



「ふっ!」



 魔力がライシの身体よりほとばしった。


 赤みを帯びた火雷(ほのいかずち)が激しくばちばちと帯電する。


 中でも特記すべきは両腕である。


 黒く鈍くも光沢のある腕はさながらガントレットのように硬質化していた。


 すっかり異形と化した己の両腕をしばし見つめて―ー不意にライシは力なく片膝を着いた。


 これ以上の継続はもう不可能だ。元の腕に戻ったのを見ることできないライシは、息も絶え絶えの状態だ。


 額からは滝のような汗がドッと流れ、顔色も良好とは言い難い。



「はぁ……はぁ……やっぱ、これきついなぁ」


「ふむ……時間にして約8秒といったところか。それでいてこの疲労……実戦導入は遥か彼方にあるようだ」


「はぁ……これはできることなら、一生使わずに終わりたいけどな」



 ライシはあくまでも人間である。


 また、彼の出自から考察しても魔力を有していないところから魔法使いとはまったく縁もない。


 ごくごく普通の人間として、ライシはこの世に第二の生を受けた。


 ヒトとして生きるのであれば、それも差して問題はないしむしろ至って普通だった。


 魔力を持っている方が稀であるこの世界では、ライシも例外にもれず一般人にすぎない。


 だが、魔王の息子……生きるためとはいえ、契約したからにはなんとしてでも悪魔のフリをしなければならない。


(魔王の子が魔力なしっていう時点でバレるのは確実だ。それは俺にだってわかる。わかってはいるんだけど……)


 いかんせん、アモンからの解決方法があまりにも常識から逸脱している。


 間接的に魔力を得る。それ以外にライシには道が残されていなかった。


 その肝心の方法というのが、悪魔の血を摂取することであった。


(血を飲ませるとか……本当に狂気の沙汰としか思えないんだよなぁ。悪魔だからそういう思考になるんだろうけど、こちとら人間やぞ? 一般ピーポーなんだぞマジで)


 他者の血液を果たして誰が好き好んで口にするだろうか。


 不衛生さ極まりないし、感染症の恐れだって十二分にありえる中でわざわざそのような凶行に及ぶ者はまずおるまい。


 いるとすればよっぽどの酔狂者か、はたまた吸血鬼ぐらいなものだろう。



「はぁ……だいたい、どうして俺の魔力は硬質化なんだよ。もっとこう、あるだろかっこいいやつが」


「贅沢を言うな。こればかりはどうしようもない」



 ライシは間接的に魔力によって、自身を硬質化することができる。


 ただしその効果範囲は両腕のみに限定されていて、使い勝手はお世辞にもいいとは言い難い。


 加えて元が人間であるために身体への負担が著しく、連続はおろか持続させることさえも彼にとっては至難の業であった。


 アモンが言うように、約8秒しかライシはこの魔力を使えない。


 これで敵を倒し切れればそれでよし――よっぽどの格下ならばそれも可能だろうが、そのような手合いであればまず使うことすらもないだろうが


 できなければ――その先に待つのは死のみなのは、わざわざ言うまでもなかろう。



「とりあえず、最低でも1分ぐらいは扱えるようになっておけ。貴様の持つそれは、一見すると極めて地味で平々凡々で使い勝手が悪い以外に評価しようがないが」


「めちゃくちゃいうやん……思っててももう少し言い方ってもんがあるだろ」


「だが、貴様のスキルと組み合わせれば確実に脅威となるだろう――それも小僧、貴様の努力次第ではあるがな」


「こんなことに努力する時間を費やしたくないなぁ……」



 当分、これが課題となりそうだ。


 ライシは流れる汗を手の甲でぐいっと拭い、席に着いた。


 今日はもうこれ以上、勉強する気にはなれない―ーもともとする気などなかったが。



「……はぁ、仕方がない。今日の勉学はここまでにするとしよう」



 と、アモンが溜息混じりにそう言った。


 集中できない時にいくら勉強したとしても、頭に入らないのは目に視えている。


 ならば機を改めて実施する方がよほど効果的だ。アモンもそれを重々理解しているからこそ、そっと分厚い本を閉じた。


 ようやく休むことができる、とライシは安堵の息を深くもらした。


 身体にずしりと鉛のように重くのしかかる倦怠感から逃れるように、ライシはそのままベッドへと身を投じる。


 ふかふかと柔らかい感触は心地良く、また薔薇の香りがふわりと鼻腔を優しくくすぐった。


 午後からは何をしようか。そんなことを微睡の中で考えつつ、ついに意識が安からな闇へ沈もうとした――その矢先のことであった。



「失礼しますライシお兄様!」



 と、幼い入室者が勢いよく扉を開けてどかどかとやってきた。


 壊れるのではないか、とそう錯覚させるぐらいのけたたましい開閉音には、さしものライシも飛び起きざるを得ない。



「えへへ~遊びにきちゃいました」



 と、アリッサがにこりと微笑んだ。


(相変わらず天使みたいな笑顔だなぁまったく)


 とはいえ、どれだけかわいかろうと過ちを正さねばならない。


 一応ではあるものの、兄であるからには妹を時に導いていくのも立派な務めだ。



「アリッサ、毎度言ってるけど入る時は必ずノックしなさいって言ってるだろ?」


「どうしてノックする必要があるんですか?」


「そりゃあ、プライバシーの侵害ってやつだろ」


「私は全然気にしていません。ライシお兄様だったらいつだって大歓迎です」


「あのなぁ、それじゃあモラルがなってないだろ。親しき中にも礼儀ありっていうか……」



 いまいち理解できないのか、アリッサはただかわいらしく小首をはて、とひねるばかりである。


 幼いがために彼女にとっては、この話の理解はまだ難しいのかもしれない。


 かと言って先延ばしにしていては、いざ成人してから常識のない悪魔になってしまいかねない。


 それだけはさしものライシも避けたいところではあった。


(どうしたらこいつは理解してくれるのかねぇ)


 と、ライシはすこぶる本気で悩んだ。


 これまでにも散々、アリッサに注意はしてきた。


 幼い子供でもわかりやすいようにと、ライシなりにそれなりの工夫も凝らしてみた。


 だが、いずれもことごとく失敗しているからこの有様である。


 現状、大した被害が出てないからいいものの、このままでは遅かれ早かれ秘密がバレかねない。


 幼い子供に約束事は、できない。ちょっとした拍子でボロを出してしまうのは火を見るよりも明らかだった。


 成人しれいればよい、という話でもないが―ーとにもかくにも、今後のためにも勝手な入室は断固禁じねばならない。



「……いいかアリッサ。いくら家族といっても、知られたくない秘密はなにかしらある。それをいきなり部屋に入られて見られたらどうだ?」


「それは、つまり……なにかライシお兄様には私たち家族には明かせられないやましい秘密がある、ということですか?」


「こ、こいつ……まだまだおこちゃまのくせしてなかなか言ってくるな」


「どうなんですか? なにかあるんですか?」



 アリッサの視線は鋭利な刃物のように鋭く、それでいて氷のように冷たい。


 普段のかわいらしさはすっかりと鳴りを潜め、悪魔として相応しい冷酷さを露わにした妹にライシは思わず身構えてしまう。相手は自分よりもずっと小さな子供だ、が悪魔であるので普通と思ってかかれば手痛い目に遭う。


 悪魔相手に前世の常識など、それこそ路傍の石にも等しい。


 判断を誤るな、とライシは強く己に言い聞かせた。



「あ、わかりました!」



 と、アリッサが不意に口火を切った。



「な、なにがだよ」



 と、ライシは身構えつつも尋ね返す。



「ライシお兄様……浮気ですね! ひどいです……ライシお兄様には私がいるのに!」


「は?」



 と、ライシは素っ頓狂な声をあげた。


(浮気って……こいつ意味わかってて使ってんのか?)


 むろん、ライシはまず誰とも交際していない。


 そのため自信満々なアリッサの言及は的外れもよいところであった。


 だが、単純な間違いであればかわいらしいで済むが、最後の一言をライシはどうしても見過ごすことができない。



「アリッサよ、俺はいつお前の彼氏になったんだ? 俺はお兄ちゃんだ、それはわかってるよな?」


「えぇ、もちろんです。でもライシお兄様は私の彼氏でもあります」


「ぜんぜんわかってねーじゃねぇかよオイ」


「そんな……ひ、ひどいですライシお兄様! あの時、アリッサのこと好きだよって言って下さったのに……!」


「それ意味が違うだろ。普通恋愛方面として捉えないだろ、後その歳からませてるな」



 この妹はいったい突然何を言い出すのだろう、とライシは怪訝な眼差しをアリッサにやった。


 しかし当人は自分の主張に間違いはない、とそう強く思っているから質が悪い。


 いずれにせよ、今にも泣きそうになっている妹の機嫌取りをまず優先したほうがいいだろう。ライシはそう判断した。


 すでにアリッサの円らな瞳は、大粒の涙によって潤んでいる。


 今にも決壊しそうなダムの修繕へと入るべく、ライシはそっとアリッサの頭を撫でた。撫でるたびに指の間をさらさらと流れる髪が、なんとも心地良かった。



「アリッサ、少し兄ちゃんとでかけるか」


「それって……つまりデートですね!?」


「いやデー……あぁ、もうなんでもいいか。とにかく気分転換しにいくぞ」


「は、はい! ふふふっ……ライシお兄様とデートなんて幸せです」


「はいはい」



 とりあえず機嫌はすっかり直ったらしい。


 右腕に小さな全身をこれでもかと密着させるアリッサの表情は太陽のように明るい。


 それを目前にしたライシもつい、つられてふっと口角を優しく緩めた。



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