転生したけどモブみたいなので自由にさせていただきます
Prologue
いきなりだが、例えば目の前に最推しがいるとしよう。こういう時にはどうするのが正解だろうか。イエス推しノータッチ?その場から速やかに離れ目の保養……ゲフンゲフン、遠くから見守る?多分そうする人もいるだろう。私だって彼が悪役というポジションでなければそうしたはずだ。
悪役は必ずメインヒーローに退治される運命。そう遠くない将来、彼には死刑が待っている。その運命をどうにか変えたくて、せめて良きサポートキャラとして取り返しのつかないことになる前に止められるような関係になろうと努めた、オタクの第一声がこれである。
「好きです!!!」
うっっそだろお前(私)。
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1.はじめまして好きです
前世の私は本を読むのが好きな、所謂文学少女というやつであった。それからなんやかんやあってただの本の虫だった私は、友人の勧めと本好きが高じて見事に立派なオタクへと成長を遂げた。
そんな私がハマっていた小説が『初恋の花園』、題名から察する通り恋愛小説である。この小説は端的に言うと、ヒロインのアイ・オープナーを巡る、メインヒーローのキール・オールド・パルと悪役のギムレット・ネグローニの三角関係モノだ。
そしてギムレットこそが、私の最推しである。
16歳になったギムレットとアイはとある場所の花園で出会う。花が好きなアイにギムレットは次第に想いを寄せるようになるが、素直になれない性格と相手の鈍感さが災いしてその想いは伝わることなくアイは別の男性、キールに恋をし、結ばれるのだ。嫉妬は憎しみに変わり、悪事に手を染めるようになってしまったギムレットは……というのが物語のおおよその筋書きだ。
ギムレットがアイに、ぶっきらぼうながらも好きな花を聞いてその花束を準備するシーンやら、ギムレットが盛大にツンデレかますシーンやら、彼の魅力を全て語りたい所ではあるがここは泣く泣く省略させていただく。ちなむと、花束はアイの手に渡ることはなかった。理由は先程の状況説明からおおむね想像した通りである。それはそうとして、ツンデレもヤンデレも兼ね備えてるとか最高かよ。
閑話休題。
私はどうやら前世では事故に巻き込まれてしまったらしく、ひょんな事からこの小説の舞台に転生してしまったようだった。だが不幸中の幸いか、黒髪黒目のモブとしてこの世に生を受けた。そして最近15歳の誕生日を迎えようやく前世の記憶を思い出したってワケ。何の偶然か一応ヒロイン達と同い年である。
本当にキールでなくてよかったと思う。推しに直接断罪したり三角関係に巻き込まれたりとか耐えられるわけが無い。とまあ、それは置いといて。
私が転生したのはモブであるからして、自由に動ける身だということだ。つまり……推しのタイーホエンドをねじ曲げちゃっても良くね?というのが私の個人的な意見である。
泣き顔も絶望顔も闇堕ち顔も個人的にはおいしいが、やはり推しには笑顔で、幸せでいてもらいたいので。
しかし、だからといってヒロイン達への嫌がらせに協力しようという訳では無い。私が目指すのはもっと平和的解決だ。
ギムレットは気難しい性格のせいか作中では友人が少ない……というかほぼ居ない。そこで、私はギムレットの良さを布教し、決して孤独にさせることなくリアル友達100人できるかなチャレンジをしようと思う。
ついでに私も仲良くなりたい。出来れば何かやらかしそうな時に止めに入れるくらい。
余計なお世話だろって?うるせえ世話焼きオカンに俺はなる!(小並感)
まあ、こんなこと言う前にまず推しと知り合ってすらいないからスタートラインにすら立っていないんだがな!(白目)
そもそも推しを前にしてまともに話せる自信が無い。手汗びっしょりでぐへぐへ言ってそう。完璧な変質者の完成である。推しの死刑回避させる前に私がタイーホエンドってか?流石にしぬ。
とりあえず推しと会ってすら居ないので、作中で推しがよく足を運んでいた我が国最大の図書館のアウレー図書館にお邪魔させていただく。この図書館には市民館とかも合併されているので随分と規模が大きい。
てかこれまるでストーカーだなとか一瞬思ったが気にしないことにした。気にしたら負け。きっと神様もそう言ってる。
やはり国内最大とあってか、かなり広々としており気を抜けば迷子になりそうだ。
しかし!私ほどの地理把握能力があれば問題ない!……多分。
右も左も沢山の本が並べられており、何とも荘厳な雰囲気を感じる。もし時間がたっぷりあれば是非ともここの本を読んでみたい所存だ。
たしかこの図書館の裏にあると噂の、あまり人の立ち寄らない花園でギムレットとアイが出会うんだったか。舞台になった場所に居られると言うだけで浮き足立つ。
なんてことを考えているうちに、迷 子 に な り ま し た。案の定とか言うんじゃない。
さらっと立てたフラグを回収していくとは、私も一級フラグ建築士の仲間入りということか。ってそんなことを呑気に考えている場合ではない。
ただ探索していただけだったのに……。とぼとぼと歩いていると、いつの間にか光の差し込む場所に出ていた。
あれ、いつの間に外に?いや、ここは図書館の外じゃない。ここは、まさか。
中央にはこじんまりとした噴水があり、辺りは色とりどりの花が咲き誇っている。噴水からそれほど遠くない位置のベンチには、小説の挿絵で何度も何度も見返した彼の姿。癖毛の茶髪にアメジストを連想させるような紫色の瞳。
じっと見ていたせいか、バッチリと目があった。
どうしよう、こういう時はなんて言えばいいんだ。本日はお日柄もよく?いやいやまずは名乗ってからじゃないのか。ああ、こういう時に自分のコミュ障さが嫌になる。気まずい無言の間が続く。まずい、なにか、何か言わなくては。
「好きです!!!」
いやなんで???
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2.我々の業界ではご褒美です
自身の口からまろびでたのは、なんともまあストレートで大胆な推しへの愛の告白だった。自分でも信じられない。テンパりすぎにも程がある。アイドルの握手会じゃないんだぞ。
「……は?」
あまりの唐突な言葉に虚をつかれたのか、本を持ったままで固まり目が点になる推し。そんな顔も愛おしく感じる。流石推し。
「ア、いやあの…そう、一目惚れで…」
何 を 言 い 出 し て い る ん だ 私 は。
言い訳をしている場合ではない。まず名を名乗るのが礼儀だろうが。これだからダメオタク(私)は。
「えっと、ライラ・アラスカと申します」
「……ギムレット・ネグローニだ」
座ったまま足を組み、彼はそう答える。
うっひゃああ。なんていい声。推しが名乗るのを生で聞けるとか私の寿命はもう近いのかもしれない。
「悪いが、俺にそんな拙いハニートラップは効かないぞ。1から磨き直すことをオススメする」
そのセリフは気難しいと言われる所以である、作中で皮肉屋と謳われた彼らしいものだった。てか普通知らん人が突然「好きです」とか言い出したらそうなりますよねほんとすみません。
意地悪そうに眉を片方だけ上げてニヤリとシニカルな笑みを浮かべる彼は、まさしくこの舞台の悪役。ウッ、かっこいい。その悪い笑顔も我々の業界ではご褒美です。
彼はもう言うことは無いと言わんばかりに、本へと視線を落とす。本来であれば立ち去るのが正しいのだろうが、ここでへこたれるわけにはいかない。何としても彼にはあんな寂しく辛い目にはあって欲しくないのだ。
「わっ、私、またここに来ます!」
はあ、どうぞご勝手に。
そう視線を寄越して、彼は読書を再開させた。
こういうわけで、つい推しに愛を叫んでしまうモブオタクと、陳腐な誘い文句だと思い辛口な採点をする彼の、奇妙な関係が始まったのだった。
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3.推し活最高〜!
出会って初めの一週間はフル無視されていた私だが、追い出されるのだけは免れたため、ほとんど毎日と言っていいほど通うようになった。よく心が折れなかったなと我ながら思う。その間も私は懲りずに推しへの愛がダダ漏れになってしまったがな。おかげで前よりもスラスラと言葉が出てくるようにはなった。
出会って二ヶ月を過ぎると、少しずつ会話は増え、軽口(というより私の推しへの愛の告白を採点し出す謎の会話)も増えた。
「うわ今日もカッコイイ……尊さで世界を救えるレベルじゃないですかほんと好き」
「とうと……?というか本当にお前はそればかりだな。不合格、出直しだ。その気にさせたいのならもっと語彙を増やしてこい。まあその気になるかは別だが」
悪い笑み最高〜〜〜!!!
今なら何杯でもご飯食べれる気がする。心の声がうるさいって?オタクだからねしょうがないね。
「その表情も大変愛らしく、そう言って無理矢理追い返さずに私の言葉を丁寧に聞いてくださる優しいところも含め全部、とても好ましく思います」
「な……っお前な!調子に乗るんじゃない!」
私が懇切丁寧に尊さを説明すれば、彼は持っていた本で私の頭をトン、と叩く。力加減をしてくれているのか、全く痛くは無かった。ほんとそういうとこやで。不機嫌そうに後ろを向いてしまったが、髪からのぞいている耳は少し赤く染まっている。照れ屋なところも大変可愛らしい。これだから推し活はやめれねえんだよなあ。
「あれ、その本……」
ふと、彼の読んでいるガーデニングの本が目に止まった。もしや原作でよく出てきた、彼お気に入りの本では……?しかもヒロインと一緒に読んでたやつじゃん!!お目にかかれるなんて大変光栄でしかない。
「お前も、ガーデニングに興味があるのか?」
恐る恐るそう聞く彼の瞳は、いつものツンツンした冷たさはなく無垢な幼子のようにキラキラと輝いている。えまって可愛い。そうだよね、まだ15歳だもんね、天使じゃん……。
「多少ガーデニングの知識はある方ですが、ギムレット様程ではありませんよ」
流石にストーカー感が増すので「主にあなたのおかげなんですけどね」という言葉は飲み込んだ。オタクは推しの好きなことも極めがちである。(諸説あり)
「そ、そうか……なら、俺が教えてやってもいいぞ」
何 で す と?
最後の方は声が少し萎んでいて聞き取りづらかったが、聞き間違いでなければ推し自ら教えてくれるようだ。えそれなんてご褒美??
「おい、なんか言えよ」
彼はへの字口で眉をキュッとひそめ言う。唐突な供給過多に気持ちが追いつかないんだちょっと待ってくれ。
「勿論ぜひ!ぜひよろしくお願いします!」
気を取り直して力強く頷くと、彼は少々引き気味で了承した。やっべ、推し引かせちゃったよ。もっと冷静を保たなきゃだわ。
とりあえずベンチで足を組んでいる彼の前にしゃがむと何故が怪訝そうな顔をされた。あれ、なんか間違えたかな。少し不安になっていると、彼が口を開く。
「そこじゃ本が見えないだろう」
彼は手でぽんぽんとベンチの空いている側を叩く。……パードゥン??
これは都合のいい夢なんじゃないのか。だって、推しが隣に座るのを許可してくれるなんて、そんな。さっきまでのツンツンはどこに家出したんですか貴方。
推しを待たせるのも申し訳ないので、ぎこちないながらも隣にそっと腰を下ろした。彼との距離は僅か30センチほどしかない。至近距離過ぎて心臓が爆発しそうだ。
彼の心地よい声に耳を傾ける。普段は素直じゃない言葉が飛び出すその口は、今はただ優しい声色で音を紡ぐ。本の文字をなぞり、時折花園に咲いた花を指差しながら彼の話は進んでいく。その様子は、彼が本当にガーデニングが好きなのだと物語っていた。こういう一面も、彼の良さを引き立たせる。
これだから私は彼に惹き付けられてやまないのだ。
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4.運命の出会い
それから歳月が経ち、彼も私も16歳の誕生日を迎えた。以前よりは頻繁に会うことも減ったが、それでも彼との間には穏やかな時間が流れていたように思う。
今のところ、仲良くなる作戦は順調だ。このままいけば、友人兼サポートキャラ的ポジションにつける日も案外遠くないかもしれない。
今日もいつものようにあの花園へ向かう。
彼がガーデニングについて教えてやると言ったあの日から、あの日と同じ時間に自然と待ち合わせるようになっていた。
最近では、例えば家の話とか、好物の話とか、ガーデニング以外の話題にも花を咲かせている。そんなこんなであまりにも平穏な日々だったから、つい忘れていたのだ。
この世界の常識を。
いつもの場所に向かう途中の通路からその姿は見えた。金色の長く豊かな髪の、エメラルドみたいな瞳をした女の子。遠目で見てもその美しさは十分にわかるほどだった。
間違いない。彼女こそ、この世界のヒロインであるアイ・オープナーだ。
どうやらギムレットと二人で話しているらしい。恐らく、もうすぐはじまるに違いない。
そして、私は物語の幕が上がる決定的瞬間を見てしまった。
ギムレットの頬が段々と赤く色づいていく。何度も見た、小説のふたりが出会うあのシーンを彷彿とさせる。この運命は、きっと何をしても変わらないんだろう。
どうみたってその顔は、確かに恋をしていた。うわー!青春だーー!!現実として目撃する立場になるとなんかちょっと気まずいなこれ。距離があるせいで何の会話をしているか分からなかったが、多分あれは二人の世界なんだろうな。……推しが幸せなのは喜ばしいことだ。
ん?まって、もしかして私今からあの中に入っていかないといけない感じ??
私がワタワタしていると、いつの間にか話は終わっていたらしく、アイはその場から立ち去って、ギムレットはいつも座るベンチに腰掛けていた。あれ、意外と早く終わったんだな。
……こういう場合はそっとしといた方がいいのか?いやでも、推しとの約束?を蔑ろにする訳には……。少し悩んだ末に、微かに痛む心臓を無視したまま結局花園に足を運んだ。
「今日は遅かったな。何かあったのか?」
何かあったのは寧ろ貴方の方では…と思ったのをおくびにも出さずに「少々支度に手間取ってしまって」と答える。彼は納得しきっていない様子だったが深く聞くことはなかった。
彼は今日もガーデニングについて話してくれるが、先程の話が気になってしょうがない。本当に物語は始まったのか、確証が欲しかった。
名前を呼べば、どうしたと不思議そうに彼は首を傾げる。
「好きな人でもできました?」
「へ……はぁっ!?なん、なんでおまえがそれを」
「えっと…何となく、雰囲気ですよ」
会ってもいないのに彼女のことを知っていると不審がられてしまうので「アイさんのことがお好きなんでしょう」とは言えなかった。
冗談交じりに聞けば何ともわかりやすい反応がかえってくる。始まってるな、もう既に。これはサポートしなければ。彼が道を踏み外すようなことがあってはならない。あんな未来にならないように、そのために私は今まで挫けず彼と懸命に関係を繋いできたのだから。
胸の辺りにほんの少し違和感を感じたのは、きっと物語通りになってしまわないか不安なだけだ。
「それで、相手はどんな方なんです?」
彼はしばらく言い淀んだ後、言葉を選ぶようにぽつぽつと話し始めた。
「俺と趣味が合って、ちゃんと俺の話に耳を傾けてくれる人だ。相槌をうつ姿とか、笑顔とか、本当に、とても愛らしくて……」
「……そう、ですか」
もっと用意していたはずなのに、いざとなると喉の奥に何かがつっかかって、その一言だけしかでてこなかった。
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5.自分にできること
彼が運命の出会いを果たした日から、私は定期的に彼の相談相手になっていた。とりあえず当初の目的であるサポートキャラになることが達成出来たので、ひとまずは安心だ。
相談相手になってからは、推しへの愛を大々的に語るのは止めた。流石に恋している人の前で言えるほど強靭なメンタルは持ち合わせていない。それに、単純に恋愛で悩んでいる時に別の人から告白まがいなこと言われたら迷惑になっちゃうだろうしね。
それから、彼との距離を置くことにした。あ、勿論物理的な方のね?元から近いわけではなかったが、あまりベタベタし過ぎるとあらぬ誤解が生まれるのを危惧して、今は手が当たってしまわない位の距離を保っている。これなら彼女も勘違いせずに済むし、彼も彼女に勘違いされないか冷や冷やせずに済むだろう。
……ああ、でも、原作ではギムレットの恋は叶わないんだっけ。
彼とヒロインが結ばれるように応援したいのか、彼が失恋するのを見越して手遅れになる前に支えたいのか、自分でもよく分からなくなってきた。
「おい、どこか具合でも悪いのか」
隣で話していた彼に気づかれるほどに、口数が少なくなってしまっていたようだ。彼にだけは悟られないように気を張っていたつもりだったのに。これではサポートキャラ失格だ。
「……いえ、お気になさらず。私は大丈夫です」
口元をにっと上げて笑顔を作る。彼のアメジスト色の瞳がじっとこちらを見つめている。少しの沈黙の後、彼は言った。
「嘘つけ、俺が気が付かないとでも思ったか」
バレないだろうと高を括っていたのに、案外あっさりと元気がないのがバレてしまった。意外と勘が鋭い。
「確か頼めば部屋くらいは借りれたはずだ。動けるか?そこで休もう」
そこまでしなくてもいいのにと思いつつも、彼の真剣な表情に何も言えなくなってこくりと頷いた。
少々強引に手を引かれ、花園から段々と距離が離れていく。何気に彼から触れられたのはこれが初めてだった。彼と触れ合っている部分の肌が熱い。まるで恋する乙女のような反応をする自分に嫌気がさす。彼はただ、元気のない友人が心配なだけなのに。
ふとそこまで思案して、私の頭の中にひとつの邪な考えが浮かんだ。もしかしたら私は、いつの間にか彼に憧憬と親愛の感情ではなく、恋心を抱いてしまったのではないか、と。あれだけ前世では、推しの好きな人もまとめて推してこそ真のオタクだとか言っていた私が、推しと恋愛感情は別にして、推しの幸せを願っていたはずの私が。
信じられないが、恋でないのならこのうるさい鼓動は何だというのだろう。
その考えはすんなり腑に落ちて、この異物感しかなかった感情にたった一文字、恋というラベルがついた。
手の届かない人に恋をするなんて意味のないことだとわかっているのに、なんでこんなことになっちゃったんだろうね。泣きそうになるのをぐっと堪えて歩く。
彼は図書館の職員さんと何言か言葉を交わした後、鍵を借りてまた歩き出し、この図書館の隅にある部屋の前で立ち止まった。
そこで私の手を離し、ドアを引いて私に先に入るように目配せをする。促されるままに、私はその部屋に入った。
後ろでカチャ、と鍵の閉まる音がする。鍵を閉める必要なんてあっただろうかとちょっとだけ疑問に思ったが、プライバシーの問題なのだろうと見なしてそれ以上考えることは無かった。いや、考える余裕がなかったという方が正しいか。それよりも気になることが、たった今できたからかもしれない。
なんだか、彼の様子がおかしい気がする。
先程まで彼が纏っていた優しい雰囲気が散って、凍てつくようなそれに変わる。
「突然だけど、最近俺の事を『好き』って言わなくなったよな」
随分どストレートに突飛な質問をしてきた。痛いところを突かれ、反応が遅れてしまう。
「えっ、あ、そうですね……?」
何だ。何が起こってるんだ。俯いているせいか彼の表情がうかがえず意図が読めない。
「なあ、どうして?」
おもむろに顔を上げた彼と目が合う。
こちらを見据えるアメジストの瞳が鈍く光った。
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6.正念場
「恋しい人がいらっしゃる方に言うのは失礼かなと思いまして」
嘘は言っていない。あれだけ彼の幸せを願っていたのに、この自分勝手な感情を知られたくないからなんて言えるわけが無い。やましさから彼の方を見れなくて、伏し目がちになる。
「目が泳いでいるぞ。ライラ」
彼に初めてファーストネームで呼ばれた驚きで、弾かれるようにして前を向いた。
彼はいつの間にか目と鼻の先にいて、私の肩をがしっと掴んだ。爪がくい込んで痛みが伴う。
「やはり、本当は俺の事など好きではなかったんだな。だがもう遅いんだ、何もかも。悪いが諦めることも後戻りも出来ない。どうせ、俺には家柄しかないんだ。だったらもういっその事……」
タイムタイムタイム。
矢継ぎ早にまくしたてる彼に思考が追いつかない。
ちょっと待って欲しい。どうして急にヤンデレスイッチがONになっているんだ。色々と気になることはあるが、とりあえず一つだけ訂正させてくれ。
誰が、誰を好きじゃないって?
何やら勘違いしている彼に届くように凛とした声ではっきりと告げる。
「違います」
大きく息を吸い込んで、不安げな彼に向かってその次の言葉を紡いだ。
─────
7.独り芝居
俺は、貴族のそれなりに地位の高い家に生まれた。母は俺が生まれてすぐに亡くなり、父は父でとても厳しい人だったから、幼いながらに俺は誰かに甘えることを諦めた。
兄弟も友人もいない俺はいつもひとりぼっちだった。それが酷く惨めで、段々わざと一人でいるのだと強がるようになっていき、しまいには寂しいという感情に蓋をして精一杯の虚勢を張って生きてきた。
甘え方も素直な気持ちの伝え方も分からない俺に、そばに居てくれる人なんていなかったのだ。
あの日までは。
苦痛な日々の息抜きのために来ていたお気に入りの場所で出会った、初対面で俺の事を好きだとぬかす可笑しなやつ。初めは肩書き目的で近づいてきたのだろうと邪険に扱っていたのに、それでもあいつはめげずにしぶとく俺に話しかけてきた。
結局しつこさに折れて話してしまえば案外良い奴で、一緒に過ごす時間はそれほど苦にはならなかった。
あいつは暇さえあればいつもいつも俺を口説く。笑った顔が可愛いだとか、声が落ち着くだとか、小さな気遣いが素敵だとか。会う度に言われるそれを、無理に止めなくなったのはいつだったか。
どうせおべっかに決まってると思っていたのに、裏表なんてないような澄んだ瞳で真っ直ぐ見つめてくるものだから、疑うのも阿呆らしくなってすっかり心を許してしまっていた。
そうしていつしか、彼女は俺の心の大事な部分にさりげなく居座るようになった。どんなに追い出そうとしても、結局そこに居ることを許してしまう。こうなったからにはもうお手上げだった。
相手と趣味が同じってだけで馬鹿みたいに浮かれるなんて、こんなの俺らしくない。自分が自分じゃなくなった気がして、でもそれも別に嫌じゃなくて……自分のことなのに、自分でも訳が分からなかった。
そうして考えている内に、自然とあの花園へ足が向かっていた。花は好きだ。特に幼い頃は花くらいしか俺の話を聞いてくれなかったから。心が落ち着く。あまり人目につかないこの場所は、嫌なことから逃げられる、俺にとっての秘密基地だった。今はもう俺だけの秘密基地ではなくなってしまったけれど。
ふと、足音がした。あいつが来たのかと思って振り返れば、見知らぬ女がそこに突っ立っていた。一般的に見れば美人の部類だろうが、大して興味もない。
会釈だけして済ませようとしたが、その女はキョトンとした顔で、
「あら、今日は恋人さんと一緒じゃないのね」
と独り言のように言い放った。
「恋人?」
俺にそんなものはいないと言いかけて、ピンときてしまった。まさか、彼女のことを言っているんじゃないかと。
俺たちは、傍から見たら恋人に見えるのか。
顔が熱い。心がふわふわと宙に浮いているみたいだ。恋人。そうか、恋人か。噛み締めるように脳内でその言葉を復唱する。
そのときの俺は、頬が緩みそうになるのを堪えるのに必死だった。
「お邪魔になっちゃうだろうし、失礼するわ」
「あっ。おい、まだ恋人じゃ……っ」
まあいいか、勘違いされていたところで大した問題はないだろ。別に好都合だとか思っていない。…本当に恋仲になってしまおうか。あいつだって、毎回毎回俺に告白してくるんだし。きっと、嫌じゃない……よな?
そうだ。次あいつが告白してきたら、俺も言おう。おまえが好きなんだ、って。
しばらく余韻に浸っていると、ようやく彼女が姿をあらわした。
「今日は遅かったな。何かあったのか?」
「いえ、少々支度に手間取ってしまって」
彼女はそれ以上何も言わなかった。もしかしたらその話題にはあまり触れて欲しくなかったのかもしれない。
気を取り直してこの前の話の続きを切り出すが、彼女はどうも心ここに在らずといった感じだ。やはり何かあったんだろうか。
突然、名前を呼ばれた。努めてなんてことないといった調子で返事をするが、次に彼女が放った言葉にその努力も水の泡になる。
「好きな人でもできました?」
そんな事言われるなんて思ってもみなかったから、あまりのことに動揺が隠せなかった。そこまで俺は分かりやすかっただろうか。
好いている人なんていないとでも誤魔化せばよかったのに、つい口が滑り、暗に恋をしていると言ってしまった。だが、流石に彼女も誰が好きかまでは分からなかったらしい。
「それで、相手はどんな方なんです?」
うっ、と言葉に詰まる。彼女はいつになく真剣だ。これは、言うしかないのか?いや、でも……。今までの人生で誰かに好意を伝えたことなどない。あと一歩の勇気がでなくて、踏ん切りがつかなかった俺は……曖昧に言葉を濁し彼女の名前は言わずに、彼女のいっとう好きなところだけ連ねた。
「俺と趣味が合って、ちゃんと俺の話に耳を傾けてくれる人だ。相槌をうつ姿とか、笑顔とか、本当に、とても愛らしくて……」
話していくうちに、彼女がどんな反応をするか不安になって、声がどんどん小さくなってしまう。今まで彼女が当たり前にしてきたことが、俺には出来なかった。
「……そう、ですか」
彼女の表情を伺うに、俺の気持ちには気づいていないようだった。安心したような、むしろ伝わって欲しかったような……。微妙な気持ちが残る。後悔先に立たずで、それだけ聞くと彼女は話題を変えてしまった。完全にタイミングを逃した。今更、この変わらない距離がもどかしい。
やっぱり、ちゃんと言えばよかった。
─────
8.心の距離
まるで今までのが幻だったみたいに、あれから彼女の熱烈なコールはぱたりと止んだ。あまりにも何も無いから、本当に本人か疑ったくらいだ。それに、心做しか以前よりも彼女は俺の傍に寄ろうとしなくなった。
出会った頃は鬱陶しいほどの口説き文句に早く飽きてくれないかと思っていたのに、今では何も無いのがどこか物足りなくて、寂しい。
あいつの言う『好き』は俺のとは違ったのか?
ただの親愛に過ぎなかったのか?
あいつには別に恋をしている人がいるんじゃないか?
思い浮かんだ嫌な考えは、日に日に肥大化していく。もし俺じゃない違う人を口説いていたら。もし俺の事など眼中になかったら。そればかりが頭の中を埋めつくしている。彼女が距離を置くのも当然だ、俺は以前彼女が言っていたような出来た人間じゃない。
でも、一度彼女のあの優しい表情を知ってしまえば、もう俺には諦めるなんてことは出来なかった。
彼女の様子がおかしいのを利用して、借りた部屋の一室に彼女をおびき寄せる。計画なんてない、あまりにも突発的な行動だった。人が良い彼女はまんまと引っかかって、鍵のかかった部屋には俺たち2人だけとなった。
「突然だけど、最近俺の事を『好き』って言わなくなったよな」
「えっ、あ、そうですね……?」
「なあ、どうして?」
そう聞けば、「恋しい人がいらっしゃる方に言うのは失礼かなと思いまして」と返ってくる。あーあ、駄目だなあ。目が泳いでるじゃないか。
それが本心じゃないのは一目瞭然だった。
どうしても逃げられたくなくて、彼女の肩を掴む。
「やはり、本当は俺の事など好きではなかったんだな。だがもう遅いんだ、何もかも。悪いが諦めることも後戻りも出来ない。どうせ、俺には家柄しかないんだ。だったらもういっその事……」
いっその事、誰にも取られないように、あの花園みたいな箱庭に閉じ込めてしまおうか。
そういう前に、彼女の凛とした声が部屋に響いた。
「違います」
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9.ハッピーエンドを目指して
「違う?何が……」
「っ私は……!本当に、今でも貴方が好きなんです」
彼の瞳が揺れる。肩を掴んでいた手が緩んだ。彼の手をとって、畳み掛けるようにまた言葉を重ねる。
「貴方に好きな人がいるから…相手に勘違いされるといけないから、自重してきたんですよ!」
「いいですか、貴方に捧げた言葉に、嘘はひとつもありません。そして、それ以上私の愛おしい人を侮辱するのなら、例え愛おしい人自身であっても許しかねます」
言った。言い切ったぞ、私は。これできっと誤解も解けた。私の本音も伝わってしまっただろうけど。
彼の眼に光が宿る。そこにはいつもの澄んだアメジストの瞳が、キラキラと輝いていた。
「は……ははは、そうか。はーぁ……カッコ悪いな、俺。本来なら、俺から言うべきなのに」
そういう彼には、先程までの暗い空気は漂っていなかった。
というか、何故私が今でも彼を『好き』じゃないと彼が困るのだろう。せっかく出来た友人がとられるとでも思ったのだろうか。
「あの日お前は言ったよな、『一目惚れ』だって。……幻滅しただろ?こんな醜い奴だと知って。俺はお前がおもうような綺麗な人間じゃないんだよ」
「もう、自分を侮辱しないでって言いましたよね?私は、他でもない貴方だから好きになったんです。このくらいで幻滅してたら、とっくの昔に貴方と関わるの諦めてますから」
「そういえば、お前はそういう奴だったな」
彼にしては珍しく朗らかな笑みを浮かべた。何故か、辺りの雰囲気が甘い気がする。なんだか、これはまるで……。
急に腰に手を回されて、距離がぐんと近くなった。
「なあ。好きだよ、ライラ。大好きだ」
「遠回しに言わずにはじめからこう言えばよかった」
至近距離で彼の微笑みをくらった私は、地べたに座り込むことを余儀なくされた。腰が抜けるってこういう感覚なんだね……。むしろ腰が砕けるという方があってる気がする。
「だ、大丈夫か?」
「なんとか……」
慌てる彼が見れたし、怪我の功名ってことで良しとしよう。うん。
勝手に納得していると、突然宙に浮く感覚がした。こ、これ……お姫様抱っこじゃないですかやだー!!支払い先…支払い先はどこですか!!
「えっと、こんな時に言うのもなんだが……結婚を前提に付き合ってくれないか」
彼の真剣な眼差しがこちらを射抜く。緊張で声が震えているらしく、どこか固い。そんな様子の彼に、思わず吹き出してしまう。
「あはは。告白と言うより、もうプロポーズですね」
「うっ……いいんだよ、そんなことは。それで、返事は?」
照れて頬に朱が差す彼に、私は元気よく返事をした。
「もちろん、末永くよろしくお願いします!」
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Epilogue
賑わう街で、噂好きの貴婦人たちの話し声が聞こえる。話題はもっぱら、かの名家のご夫婦についてだ。
「あそこの家の夫婦、なんでも、はじめは奥様が一目惚れしてアタックしたんだとか」
「図書館裏の花園で出会ったらしいわ。とってもロマンチックよね」
「あの場所の名前にピッタリだわ。たしか……『初恋の花園』だったかしら」
END