37 そのセリフ、どこかで聞きましたね
レナルド様に優しく抱きしめられて、私はそのあたたかな胸に顔を寄せた。
男性に抱きしめられるのは初めてなのに、心臓は驚くほど速く動いているのに、なぜか安心感に包まれているような感覚だ。
「屋敷に戻ってきてくれるか?」
「……はい。女の姿で戻ってもいいんですか?」
「もちろんだ。だが、戻ると言っても使用人としてじゃない。俺の妻として戻ってきてくれるか?」
「…………ん!?」
あたたかく穏やかな空気が一転。
私は寄せていたレナルド様の体から顔を離し、爽やかな笑顔でキラキラと私を見つめるレナルド様を見上げた。
「つ、妻として……って」
「ノエル。今度はフリではなく、俺の正式な妻になってくれ」
「…………」
どこか聞き覚えのあるそのセリフ。
レナルド様に初めて会った日のことが、鮮明に思い出される。
『ノエル。女装して俺の妻のフリをしてくれ』
似ているけれど、意味は全然違う。女装をする必要がなくて、妻の〝フリ〟ではない。〝正式な〟妻になってくれと言われたのだ。
えっ……えええええ!?
正式な妻って、結婚するってこと!? レナルド様と私が!?
お互いの気持ちを伝えただけに満足して、その先のことまでは考えていなかった。〝結婚〟の話になると、簡単に頷くことはできない。
だって、私は平民でレナルド様は公爵家の長男なのだから。
「むむむ無理です!!! 身分が違いすぎます!」
「それは問題ない。大丈夫だ」
全然大丈夫じゃないですよね!?
問題ありまくりです!!
「レナルド様が大丈夫とおっしゃっても、ご両親や周りの人達が……」
「それも問題ない。母に会えば、その理由がわかるだろう」
「奥様に……?」
「ああ。帰ってからきちんと説明するよ。トーマも一緒に戻るだろう? まずはノエルとトーマを雇ってくれていた店に説明するのが先だな」
私がポカンとしている間にも、レナルド様がどんどん話を進めていく。
お店の話題になった時、ふとレナルド様の頬が赤くなった。
「ところで、ずっと気になってはいたのだが……ノエルのその格好は……」
「……あっ!」
膝の出ているワンピースに、白いフリフリのエプロン。2つに縛られた髪の毛にも、白いレースのリボンがついている。
自分の姿は見えないからすっかり忘れていたけど、できるだけ見られたくなかった格好なだけにカアーーッと私の顔も赤くなる。
「あのっ、これは店長に用意されてて断れなくて……っ」
ああっ! 普段ずっと男装してた私が、いきなりこんな格好してたら驚くよね!? 気持ち悪いとか思われたらどうしよう……!
「そうか。……あまりにも可愛いから、正直すごく複雑な気持ちになったぞ」
「へ!?」
可愛い!?
レナルド様が可愛いって言った!?
頬を赤くしながら、少しムスッと拗ねた様子でレナルド様が話してくれる。
「俺の知らない場所で、ノエルのそんな格好を見ていた男がいたかと思うと……おもしろくない」
「…………」
「外ではなく馬車の中に入ったのも、それが理由だ」
これって……もしかして、妬いてくれてる?
嬉しさと恥ずかしさで、また顔が赤くなった気がする。
今までこんな扱いをされたことがなかったから、どんな反応をすればいいのかわからない。
「そ、そうですか……」
赤くなった顔を隠すように、うつむきながらそう答えるので精一杯だった。
レナルド様とお店に戻ると、それはそれは怖いくらいにニヤニヤした店長や女性従業員達、そして白けた顔のアルフォンス様とトーマが待っていた。
女性達の迫力が怖かったらしく、私の隣にいるレナルド様の肩がビクッと一瞬震えたのがわかった。
……女嫌いは治っていないのね。
女性従業員達を警戒していたけど、誰もレナルド様には近づいてこなかった。もしかしたら女性が苦手だということをアルフォンス様から聞いたのかもしれない。
まぁ、近寄ってはこないものの、ギラギラとした視線で見られているレナルド様の警戒心が緩むことはないみたいだけど。
「あの、いきなりすみませんでした」
「いいのよ。なんとなくの話は聞かせてもらったし、目の保養だったし何も問題ないわ〜!」
「目のほよ……?」
なぜかうっとりとした様子の店長が、ニコニコしながら言った。
そんな店長とは真逆のオーラを放つアルフォンス様は、チラリと横目にレナルド様を見ては「はぁ……」とため息をついている。
「で? 話は終わったのか? お前の顔を見れば、うまくいったのかどうかはわかるが」
「ああ。ノエルは屋敷に戻ることになった。……トーマも一緒に戻るだろう?」
アルフォンス様の隣に立っていたトーマに向かって、レナルド様が問いかける。前に洗濯中に会ったことを思い出したのか、その青年がトーマだとすぐにわかったらしい。
いきなり話しかけられて驚いていたものの、トーマはボソッと返事をする。
「……戻ってもいいのでしたら」
「それは大丈夫だ。使用人達にはアルフォンスから説明してもらう」
アルフォンス様が、なんで俺が? という目でレナルド様を睨んだけど、きっと気づいていない。それ以上に、レナルド様が何かを目で訴えるのに必死だったからだ。
しばらくお付きとして働いていた私も、その訴えが何かを察することができた。
これは……何かをお願いしている時の顔!
アルフォンス様は、仕方がないと諦めたように店長に向かい合った。
「はぁ……。この2人は、申し訳ないが今日付で辞めさせてもらいたい」
「今日付ですか? 2人一緒にとは、また急ですね。早く新しい従業員を探さないと」
「新しい従業員が見つかるまでの補助として、この店の3ヶ月分の売り上げを支払わせていただく」
「ええっ!? 何もそんな……」
驚く店長に、私の少し後ろに避難していたレナルド様が声をかけた。
がんばって声を絞り出しているようで、少し震えているのが可愛らしい。
「世話になった分も含めて、受け取ってほしい。それと……今ノエルが着ている服も、そのまま買い取らせてほしい」
「!?」
「あら〜! そういうことでしたら!」
えっ!? なんでこの服を買い取るの!?
店長が今日イチのニヤケ顔で承諾している。
その隣にいるアルフォンス様とトーマは、軽蔑するような呆れたような冷めた目でレナルド様を見ていた。アルフォンス様なんて、忌々しい虫ケラでも見るようなひどい目がメガネの奥に見える。
なんで2人ともこんな顔してるの……? と、いうか……私、ちゃんとトーマに話さなきゃ!
「トーマ……」
「……なんだよ」
トーマの前まで歩いていくと、トーマは一瞬だけレナルド様のほうをチラッと見たあとに私の顔を見た。いつも通りの無表情だけど、どこか寂しそうな色が見える気がする。
「勝手に色々話を進めてごめん。ずっとそばにいてくれて、ありがとう」
「……家族なんだから当たり前だろ」
「!」
トーマの口から家族という言葉が出て、嬉しくなると同時にあの日の夜のことを思い出した。あの時も、家族とかそんな話をしていた──。
「そういえば、トーマの言う通りだったね。本当にレナルド様が来てくれた」
「ああ」
「あの時、レナルド様が2週間来なかったら言うって言ってたあれ……結局なんだったの?」
「!?」
私の質問に、トーマがギョッとして周りを見回した。
レナルド様とアルフォンス様、そして店長がやけに興味深そうにトーマを見つめる。みんなに注目されたトーマは気まずそうに私を睨んだ。
「だから! それはレナルド様が来たから言わないんだろ!?」
「あ、そっか。でもなんで?」
「…………。だから、えーーと、お前の家出につき合うのも面倒だ! って言うつもりだったんだ」
「ええ!? 何それ!?」
そんな風に思ってたの!?
軽くショックを受けた私と違って、レナルド様はなぜか後ろで「なんだ……」と安堵のため息をついているし、アルフォンス様と店長は同情めいた哀れな目をトーマに向けている。
なぜかトーマのことを知らないはずのアルフォンス様が、訳知り顔でトーマに問いかけた。
「それでいいのか?」
「……いいです」
同じように訳知り顔の店長も、会話に入っていく。
「伝えるなら今が最後のチャンスだと思うわよ?」
「……俺は負け試合には挑まないタイプなので」
「???」
3人の会話の意味がわからず、私とレナルド様は首を傾げてその様子を見守った。なぜか最後はトーマがアルフォンス様と店長に背中をポンポンと優しく叩かれて終わっていた。