35 突然のお客様
「ありがとうございました〜!」
ランチ営業最後のお客さんが帰り、私は両腕を上げてぐーーっと背筋を伸ばした。
準備中と書かれたプレートを店のドアに掛けて、店内に戻る。
「ノエル、お疲れ〜! 片付けが終わったらお昼にしよう」
「はい!」
明るい店長さんに声をかけられて、私は急いで店内を掃除する。すでに一般的な昼食の時間は過ぎているので、お腹はペコペコだ。
私や店長のように接客を担当している従業員3人と、調理場で料理や洗い物を担当しているトーマ達4人の計7人で一緒にお昼休憩をとる。
ここのご飯は公爵家にも負けないくらいおいしいんだよね〜。
「いただきます! ……ん〜おいしい〜!」
「ノエルは何を食べてもそれしか言わねーな」
「うるさいなぁ。全部おいしいんだから仕方ないでしょ!」
「はいはい」
隣に座っているトーマが、私からの文句を軽く流してバクバクとご飯を食べている。ここの従業員達も私達の言い合いには慣れたようで、誰も気にした様子がない。
私はご飯を口に運びながら、チラッとトーマを横目に見た。
2週間以内にレナルド様が迎えに来たら……と言われてから2日経つけど、やっぱりレナルド様が来る気配なんてないよね……。
トーマにその言葉を言われてからというもの、ふとした瞬間にレナルド様のことを考えるようになってしまった。
もう会えない人だからと、できるだけ思い出さないようにしていたかったのに。
だめだめ……!
変な期待したら! 余計落ち込むだけだから!
「はぁ……」
「あら。ノエル、ため息なんてどうしたの? 今日の服や髪型、そんなに嫌だった?」
思わずついたため息に気づかれて、私の前に座っている店長に心配されてしまった。
店長の言っている服とは、今私が着ている膝の出ている丈のワンピースのことだ。今朝はとうとう、可愛らしい服まで用意されていたのである。
「違いますけど、でもこれもまだ少し根に持ってますからね。膝が出ているスカートなんて、恥ずかしいですよ。しかも髪も2つに縛るし……!」
「ノエルはまだ若いんだから、そのくらい大丈夫よ。もうすっかりこのお店の看板娘として人気者だしね!」
「みんな、恥ずかしがってる私を見て楽しんでるだけですよ」
そこまで短いわけじゃないけど、ずっと男装してたからどうしても生足が恥ずかしいんだよね。女の子らしい髪型も恥ずかしいし。トーマには見られてるけど、ヴィトリー公爵家の使用人達には絶対に見られたくないわ!
わいわいと盛り上がっていると、カラン……と店の扉が開く音がした。
準備中という文字に気づかずに開けてしまったのかと、従業員全員の視線が扉に集まった瞬間──私以外の女性従業員がガタッと立ち上がり、その黄色い声が店内に響いた。
「まぁっ、ど、どうされたのですかぁ〜?」
「いっ、いらっしゃいませぇ〜」
「あらあら。こんな素敵な殿方がどうして……」
食事中だった上に今の時間は準備中である。にもかかわらず、誰もその飛び入りの客を追い出すことなく迎えようとしている。
しかもみんなどこから声を出しているのかと聞きたいほど、普段よりも声が甲高い。それくらい、ほんの一瞬でここにいる女性陣を魅了してしまった客は──。
レナルド……様!?
出迎えに行った女性従業員達に囲まれているのは、間違いなくあのレナルド様だ。
大嫌いな女性に近寄られて、真っ青な顔をしながらも何かを必死に尋ねている。しかし、その声はさらに大きい女性陣の声にかき消されて何も聞こえない。
「おい。あれ、レナルド様……だよな?」
隣に座っているトーマが、コソッと小さな声で聞いてくる。
頭が軽くパニックになっていた私は、小さく「うん……」と答えるので精一杯だった。
なんで……なんでここにレナルド様が来たの?
偶然? それとも、まさか本当に私を探して……?
ドッドッドッと鼓動が速くなる。
無断で屋敷を出たことを咎められるのかも……。女だと隠していたことを改めて叱られるのかも……。──とても、私を迎えに来てくれただなんて思えない!
その時、レナルド様の碧い瞳と目が合った。
「……ノエル!?」
「!」
一瞬間が空いたのは、おそらく私が普段とは全く違う格好をしているからだろう。
レナルド様は、私であることを確認するように疑問系で名を呼んできた。
見つかった……!
逃げたい……のに、足が動かない!
まだレナルド様と会うのが怖い。
拒否の言葉を言われるのが怖い。
なのに──この場から動けないし、彼から目をそらすこともできない。
「レナルド様……」
「ノエル! 本当にいた……!」
私の名前を呼んでいることで、女性陣がハッとして私を振り返る。その隙をぬうように、レナルド様が囲いから出て私に向かって走ってきた。
怒っている素振りなど微塵もない、明るいいつもの笑顔で──。
「……探したぞ」
「どうして……」
「アル。あとは頼んだ」
レナルド様は、そう言うなりいきなり座っていた状態の私を抱き上げた。
!?
「ノエル!」
トーマの声が聞こえた時にはもう、私はレナルド様に連れられてアルフォンス様の横を通り過ぎていた。店長達で隠れて見えなかったけど、アルフォンス様も来ていたらしい。
なぜかその手にはお金の束が握られている。
「悪いが、今日はこれで店を休みにしてくれ。数日分の売り上げ相当の額を支払う」
とんでもなくいい話をされた上に、姫のように抱きかかえられて連れ去られた私の姿を見て、店長達は大きな歓声を上げながら大興奮していた。
きゃあきゃあといった声が、店の外にまで漏れている。
一体……何が起きてるの……?
うまく状況が飲み込めない私がふと気づいた時には、すでにレナルド様の馬車に乗せられたあとだった。中には私とレナルド様の2人しかいない。
「いきなりごめんな。あんなにたくさんの女性がいたら、ちょっと話どころじゃないからな」
女性……女性?
そうだよ。レナルド様は女が嫌いだから、女性がいるところでは話ができない…………あれ?
でも、私も女だし、それをレナルド様も知っているはずなのに……なんで今、私とレナルド様は馬車の中で2人でいるんだろう?
「ノエル……どうしたんだ? 無理やり連れ出されて怒っているのか?」
私が何も答えずに呆然としているせいか、レナルド様が心配そうに眉を下げて私を見つめる。その子犬のような瞳を、ただ黙って見つめ返す私。
怒ってる? 誰が? 私が?
「怒っているのは……レナルド様のほうでは……」
「え? 俺が? なぜ俺が怒るんだ?」
「なぜって……」
キョトンと聞き返してくるレナルド様は、本当にわかっていないような顔だ。
その反応に、私の頭の中はさらにパニックになる。
え? え?
私が女だって隠して働いていたこと、怒ってないの?
私の困った顔を見て、レナルド様はハッとして目をピクッと見開いた。何かに気づいたらしく、右手を首の後ろに当てて気まずそうに声を出す。
「あーー……そうか。そうだよな。ノエルにとったら、まだその状態だったんだよな。悪い……俺の中ではもうそれはどうでもよくなっていたというか……」
「??」
その状態? それはどうでもいい?
何? レナルド様の言っていることが全然理解できない……。
何を言っているのかはわからないけど、レナルド様が私に対して嫌悪感を抱いているとか恨んでいるような感じは一切しない。
この明るく爽やかな笑顔は、女だと知られる前に見たのと同じだ。同じ空気だ。
もしかして……。
「私が女だと隠していたこと……怒っていないのですか?」
私からの質問に、レナルド様はニコッと優しく微笑んでくれる。
もうこの笑顔だけで、答えを言ってもらったようなものだ。
「ああ。怒っていない。戸惑っていただけで、最初から怒っていないぞ」
え? そ、そうだったの? たしかに文句とか何も言われてないけど……。
「あの、女の私と……話していて嫌ではないのですか?」
「ああ。嫌じゃない。嫌だったら、抱き上げたりしない」
レナルド様は明るい笑顔のまま私の質問に答えてくれる。
「女はまだ苦手なままだし、ノエルが女だというのもわかっている。だが、ノエルなら大丈夫だ。……この答えではダメか?」
「! いいえ……十分です」
ノエルだから大丈夫──。
女とか男とか関係なく、私という人として見てくれたんだ。
こんな嬉しいことがあっていいのかな……。
「ありがとうございます」
私はこの時初めてレナルド様にニコッと微笑んだ。