32 2週間以内に現れなかったら……
「よし! 荷物の整理終わり!」
少ない服をクローゼットにしまい、両親の写真を棚の上に飾る。
ほんの数分で終わった荷物の整理。
1週間、お世話になります!
私はこじんまりとした部屋に向かってそう挨拶をした。
住む家を探す間、トーマと私は小さな宿に泊まることにしたのだ。すぐには見つからないと思い、1週間分まとめて支払っておいた。
いちいち移動するのも面倒だもんね。
できるだけ1週間以内に家を探さないと……。
街に来てすぐに仕事を見つけることができて、安くていい宿にもありつけた。幸先のいいスタートだ。
幸先のいいスタート……のはずだ。
「……これでよかったんだよね?」
できるだけ気を張って元気に過ごしてきたけど、静かな部屋に1人でいるとつい不安になってくる。
女嫌いのレナルド様から少しでも早く離れること──それが1番いいと信じて勝手に出てきてしまったけど、本当にそれでよかったのかまだ迷いがある。
私には会いたくないと思って何も言わず出てきちゃったけど……やっぱり一言くらい挨拶したほうがよかったのかな。
どうするのがよかったのか、その答えが出なくてずっとモヤモヤしたままだ。レナルド様の顔を思い浮かべるだけで、ズキッと胸が痛む。
最後の気まずそうな顔が頭から離れずにいたのに、なぜか今は笑顔のレナルド様が浮かんでしまう。
んんん……なんなんだろう、この気持ち。
申し訳ないっていう気持ちの他に、寂しい気持ちも大きいっていうか、心が落ち着かない……。
「ううーー……でも悩んでても仕方ないっ。奥様に挨拶に行った時に、相談してみよう!」
無理やり自己解決させて、私はベッドに潜り込んだ。
次の日。
私とトーマが食堂に行くなり、店長が笑顔で出迎えてくれた。
「おはよう。今日からよろしくね! ノエルにトーマ!」
「おはようございます。こちらこそ、よろしくお願いします」
「はい。これ、あなた達のエプロンね!」
そう言われて手渡されたのは、黒い無地のエプロンと白いレースのついた可愛らしいエプロンだ。白いエプロンは、昔お屋敷のメイド達が似たようなものを着ていたのを思い出す。
「うわ。フリフリですね……。これ、白いのがトーマのですか?」
「おい。んなわけねーだろ!」
少し慌てた様子のトーマが、私から黒いエプロンを奪い取る。
そんなわけないと思いつつも、この元気で明るい店長ならそんな無茶を言い出す可能性もあると思っているのかもしれない。
「冗談なのに〜。でも、私もこのフリフリはちょっと……。私も黒いエプロンじゃダメですか?」
2年間男として生活してきたからか、女っぽい可愛らしいエプロンには少し抵抗がある。それをトーマの前で着るとなると、やっぱり恥ずかしい。
そんな事情を知らない店長は、ニコニコと私を見つめてキッパリと却下した。
「ダメよ。ノエルは可愛いんだから、うちの看板娘として目立ってもらわなきゃ」
「えぇ〜……」
「それにほら、恋人のトーマにも可愛い姿を見せたいでしょ?」
恋人のトーマ!?
私とトーマがギョッとして店長を見る。
その顔があまりにも驚愕していたのか、店長がビクッと肩を震わせた。
「恋人……じゃないの?」
「違います!」
「だって2人して荷物持ってたし、なんか訳ありな感じがしたからてっきり駆け落ちでもしたのかと……」
「駆け落ち!?」
私達、そんな風に見られてたの!?
焦る私とは違い、トーマは呆れ顔でため息をついている。
どう思われてようがどうでもいい……という雰囲気が伝わってくる。
もう! ちょっとは否定してよ!
「そんなんじゃないです。たまたま一緒に前の職場を辞めただけで……」
「そうなのね。お似合いだと思うのに」
「……えーーと、このエプロン着ますね」
店長はなぜか私達を恋人設定にしたいらしいので、話を切り替えることにした。
トーマのことはもちろん好きだけど、恋人とかそういう目で見たことはない。そんなトーマと恋人扱いされると、なんだかムズ痒くなってしまう。
どういう関係? って聞かれても答えにくいし、もういいや。
その場で白いエプロンを身につけると、店長の顔がパァッと明るく輝いた。どこから取り出したのか、手には白いリボンを持っている。
……まさか。
「素敵よノエル! とっても可愛いわ! これなら若い男がたくさん店にやって来るに違いないわっ!」
「え……っと、そのリボンは……?」
「もちろん、その髪につけるのよ! さらに可愛くなること間違いなし!」
「ええぇ……」
私のイヤイヤオーラなど気にしていないのか、店長はウキウキで私の一つに縛った髪の毛にリボンをつけている。隣に立っているトーマが、顔をそらして笑っているのが見えた。
絶対にバカにしてる……! はぁ……。
もう好きにして状態になった私は、なんとか店長の要望通りに笑顔を振りまきながら接客するのだった。
*
「はぁ……疲れた。ずっと笑顔で接客するのがあんなに大変なんて……」
宿への帰り道、私は隣を歩くトーマにボソッと愚痴る。
途中休憩時間があるとはいえ、朝から夜まで働いたというのにトーマには疲れた様子がない。雑用の仕事を長年やってきたのだから、当然だろう。
私も仕事自体は大変じゃないんだけど、笑顔とテンション高い接客がなぁ……。
「また来るって言ってた客が多かったから、店長が大喜びしてたぞ。あのエプロンも意外と似合ってたしな。ノエルちゃん?」
ノエルちゃん!?
ニヤニヤとバカにするような目で見ながら、トーマが意地悪そうに言う。
ノエルちゃん──という響きに、背筋がゾーーッと震えあがった。
「やめてよ! こっちはすごく恥ずかしかったんだからね!」
「ああ。知ってる。でも途中から慣れてきてたじゃねーか」
「もうどうにでもなれ……って羞恥心を捨てたんだよ」
ハハッとトーマが楽しそうに笑う。公爵家を出てきてから、やけに機嫌がいい気がする。
今日もこれだけ笑顔が多いのは、それだけ私の格好がおかしかったからなのか。
久々のスカートもまだ少し慣れないっていうのに、あのフリフリエプロンにリボンはさすがに自分でもないと思うけどね……。
あの店長のことだから、明日もつけなきゃいけないんだろうな。はぁ……。
小さなため息をつくと同時に、あることを思い出す。
「あっ、そういえば私とトーマって一応恋人に見えるんだね。店長に言われて驚いたよ」
「一応ってなんだよ」
「いや。私の中ではトーマは兄弟っていうか家族だから、そんな風に見えるんだって驚いただけ」
「…………」
あははっと笑顔で話していたのに、なぜかトーマがピタリと足を止めた。薄暗い夜道。周りには誰もいないので、私達の足音がなくなると途端に静かになる。
ん? 急に止まってどうしたんだろう?
「トーマ?」
「ノエル。俺達、本当の家族に──」
「え?」
「……いや。やっぱりなんでもない」
トーマはプイッと顔を横にそらして呟いた。
いつも言いたいことをハッキリ言うトーマが、口を濁すなんてめずらしい。
「何? 気になるよ」
「もし……2週間以内にレナルド様が現れなかったら言う」
何それ?
なんでここでレナルド様の名前が出るわけ? しかも、現れなかったら……って、現れる可能性があると思ってるの?
「レナルド様が現れるわけないじゃん」
「……どうだかな。ノエルとしては、もしレナルド様が迎えにきてくれたら嬉しいんだろ?」
「…………」
少し嫌味っぽく言ったトーマの言葉に、心臓がドキッと素直に反応する。
レナルド様が迎えにきてくれる? 私を?
……そんなのありえないけど……でも……本当にそんなことになったら……。
「ほらな」
黙った私に、トーマが偉そうな口調で言ってくる。
まるでなんでもわかっているかのような、小馬鹿にしてくる感じだ。
「ほらな……って、何がよ」
「その顔を見れば考えてることがわかるんだよ」
「えっ!?」
思わずバッと自分の頬を両手で覆う。
トーマはそんな私を見て「バーカ」と言うなり、スタスタと歩き出してしまった。
え……本当に考えてることがわかったんじゃないよね!?
迎えにきてくれたらと想像したレナルド様の姿に、淡い期待を抱いてしまったこと。それから、そんな彼に会いたいと思ってしまったことを──。
恥ずかしい気持ちになりながらも、私は暗い夜道に置いていかれないようにトーマのあとを追った。