31 男のフリはもうおしまい
8年間使った部屋を綺麗に掃除して、あまり多くない荷物を持って部屋を出る。
今、下位使用人達は朝食の時間だ。みんな食堂に集まっているから、誰にも会わずに建物を出ることができた。
屋敷の門には、トーマが同じような大きさの荷物を持って立っているのが見える。
「トーマ!」
「ノエル。手紙は置いてきたのか?」
「うん。奥様への手紙とバルテル達への手紙と、レナルド様とアルフォンス様への手紙……4枚置いてきた」
奥様は今遠方の親戚のところへ出かけていて留守なのだ。
戻ってくるまではまだ数日かかるため、帰宅後に改めてご挨拶をしようと手紙だけ書いておいた。
レナルド様への手紙は、謝罪の言葉しか書いていない。何を書いても言い訳になる気がして、それしか書けなかった。
「トーマは書いたの?」
「いや。俺はいい」
「……本当に何も言わずに出て行っていいのかな?」
「辞めるって言っても、すぐには無理だからな。ノエルはもうレナルド様のお付きだし、アルフォンス様にも許可を取らなきゃいけなくなる」
アルフォンス様に伝わったら、少し待てって言われそう……。私がここにいるとレナルド様が落ち着かないだろうし、レナルド様のためには黙って出て行くのが1番いいのかも。
あとでアルフォンス様にもちゃんと謝りに来よう。
「……そうだね。みんなに迷惑かけちゃうけど、あとでちゃんと謝ろうね」
「ああ。じゃあ行くか」
「うん!」
門から出て、2人一緒に屋敷のほうに振り返る。
「お世話になりました!」
ペコッと同時にお辞儀をして、私達は街に向かって歩き出した。
*
「それで、これからどうする?」
「近くの街には俺達もよく買い出しに行ってたし、知り合いに会うことが多いだろうからな……隣街まで行ってみるか」
トーマが周りをキョロキョロしながら答えた。
屋敷のすぐ近くにある街は、仕事やプライベートでもよく来る場所だ。どこに何があるか把握できている分安心だけど、ここに住んだら確実にすぐ見つかるだろう。
黙って出てきちゃったから、あまり知り合いがいない場所のほうがいいよね。それに……。
「この髪型で外に出るのは久々だから、なんだか変な感じ」
もう偽って生きていくのはやめようと、茶色の短髪ウイッグは屋敷に置いてきたのだ。今は私の本当の髪──薄紫色の長い髪を1つに縛っている。
ベストもつけていない分、色々な意味で開放感がある。
「やっぱりその髪色は目立つな。ウイッグをつけてたほうがよかったんじゃないか?」
「いいの。もう男として過ごす必要もないんだし」
少し街をブラブラしたあと、昼出発の乗合馬車に乗って隣街まで移動する。
到着した時にはすでに夕方近くになっていたので、まずは食事をすることにした。何も食べずに出てきたからお腹がペコペコだ。
とりあえずしばらく暮らしていけるだけのお金はあるし、仕事は明日からゆっくり探そう! まずは腹ごしらえだ。
「トーマ。何食べる?」
「……腹が減りすぎた。食えるならなんでもいい」
少しげっそりした様子でトーマが答える。
食えるならなんでもいいって……と呆れてしまうけど、実は私も同じ考えだったりする。
「わかる……って、あっ! 見て! あのお店は?」
少し先に、大きめの食堂を発見した。でかでかと飾られた看板には、美味しそうなお肉の絵が描かれている。
「よし。あそこにしよう」
「うん!」
夕食には少し早い時間だからか、店内は空いていた。大きめのテーブルが多い大衆食堂といった感じのお店だ。すでにお酒を呑んでいる客も数人いる。
トーマと一緒に厨房近くの席に座り、オススメと書かれたプレートを注文した。
「はぁ〜〜……いい匂いのお店だね」
「ああ。そのせいでずっと腹が鳴ってる」
「ふふっ。僕も……って、あ。僕じゃなくて私……だね」
ついクセで僕と言ってしまった。2年間の習慣は、簡単には直せない。
今は女の格好してるんだから、僕なんて言ったら変に思われちゃう。気をつけないと……!
厨房からは、調理をしている音やお皿を洗っている音が聞こえてくる。
懐かしく感じるその音に、自然と私とトーマの視線が厨房に向かう。
「……みんな、私達がいないことに気づいたかな?」
「……さすがにもう気づいただろ」
「大騒ぎしてるかな?」
「バルテルやアスリーは騒いでいそうだな」
私が女だって知ってるバルテル達なら、バレたから出て行ったのかって理解してくれそうだけど……何も知らないアスリー達にはなんで出て行ったんだ!? って非難されていそう……。
本邸にいるレナルド様やアルフォンス様は、まだ知らないだろうな……。知ったら安心してくれるかな。
「お待たせしました〜!」
その時、美味しそうなプレートが目の前に置かれた。運んできてくれたのは、少しぽっちゃりした元気なおばさまだ。重そうなこのプレートを軽々と片手で持ってきた。
焦げ目のついたチキン、ロールパン2つ、それにサラダとスープのセットに、私とトーマの顔が輝く。
「わぁっ! 美味しそう〜!」
「ゆっくり食べていってね。せっかくのデートなのに、オシャレなお店じゃなくてうちに来てくれてありがとう」
「デート!?」
私とトーマが同時に叫びながらおばさまを見上げると、意味深な笑顔でニコッと笑われた。私達が否定する間もなく、おばさまは厨房へ戻っていった。
デートって、私とトーマが!?
まさか恋人に見られてるってこと?
「私達……恋人に見えるのかな?」
「…………さあな」
トーマはぶっきらぼうにそう答えると、バクバクとご飯を食べ始めた。あまりの気持ちいい食べっぷりに、私のお腹もグ〜〜と反応する。
まぁ恋人に見られようが兄妹に見られようが、なんでもいっか!
そう切り替えて私もご飯を食べる。
食事を半分ほど済ませた頃──気づけば、いつの間にか店内は満席になっていた。
「まだ肉は焼けないの!?」
「お皿が足りない! 早く洗って!」
「こっちは手が離せないのよ!」
厨房の中からは、バタバタと動き回りながら指示を出し合っている声が聞こえてくる。どうやら従業員が足りていないらしく、仕事が回っていないようだ。
「……なんか大変そうだね」
「ああ」
「…………」
「…………」
「…………行く?」
「行くか」
トーマと目が合うなり、私はニコッと微笑んだ。やっぱり考えていることは同じだと、嬉しくなってしまった。
残りのご飯を急いで食べて、空になったお皿を持って厨房に入っていく。
「ごちそうさまでした! あの! 私達、手伝います!」
「……え?」
いきなり入ってきた私とトーマに、厨房内にいた人達は驚いて目を丸くしていた。そんな反応は想像していたので、怯むことなく服の袖をまくり流し台まで歩いていく。
「ここにあるお皿を洗えばいいんですよね!?」
私がそう言うのが早いか、すでにトーマが勝手にお皿を洗い始めていた。慣れた手つきで洗い物をしていくトーマを、ポカンと見つめるおばさま達。
あっ、トーマに先越されちゃった。
「じゃあ、私はあっちのテーブルを片付けてきます!」
「え……あの……」
最初は戸惑っていたおばさま達も、調理や接客だけに専念できるようになって余裕を取り戻したらしい。
すれ違う時などに、コソッと「ありがとう」と声をかけてもらえた。
そうしてピークの時間帯が過ぎた頃、私とトーマが店長さんに呼び出された。
どうやら私達に食事を運んでくれた太やかなおばさまが、このお店の店長だったらしい。
「本当にありがとう! すごく助かったわ。実はここ数日で一気に3人も辞めちゃって、困ってたところだったのよ〜」
「いえ。お役に立てて良かったです」
「あなた達2人で、4人分くらいの働きだったわ。よかったら、これからも手伝いにきてもらえないかしら?」
「!」
思わず、トーマと無言で顔を合わせる。
実はこの街に来たばかりで仕事を探していたと伝えると、店長さんは笑顔で喜んでいた。