30 出ていくと決めた
「はぁっ……はぁっ……」
バタン!
自分の部屋に入るなり、背中で思いっきり扉を閉めた。
ここまでずっと無我夢中で走ってきて、息が苦しい。でもこの息苦しさは、全力疾走のせいだけではないと思う。
扉に背中をつけたまま、ズルズルと床に座り込んだ。
屋敷に入る前に被ったウイッグを少し乱暴に取り、ベッドに放り投げる。
まさか、あんな状態でレナルド様に打ち明けることになるなんて……。
ショックを受けたレナルド様の顔が忘れられない。
傷つけてしまった罪悪感で、胸が押しつぶされそうだ。
「ごめんなさい……ごめんなさい、レナルド様……」
ポロポロと涙が頬をつたう。
今、レナルド様はどれだけ胸を痛めているんだろう……。
すぐ近くに大嫌いな女がいて、それを仲のいいアルフォンス様や奥様にも隠されていたと知って……きっと深く傷ついたはず。
なぜ黙っていたのかって、アルフォンス様や奥様と仲違いしてしまったらどうしよう。
アルフォンス様が経緯を説明してくれているとは思うけど、だからって許されることじゃない。私がレナルド様を騙していたことには変わりないんだから。
もう1度、ちゃんと謝りたい。
けど、きっとレナルド様は女の私には会いたくないよね……。
「どうしよう……。私にできることは何もないの……?」
女嫌いのレナルド様は、このお屋敷から奥様の侍女数人以外の女性を全て追い出した。それだけ、自分の近くに女がいたら嫌だということだ。
いくら本邸には入らないといっても、この敷地の中に若い女がいることを嫌悪しているかもしれない。
今までの情もあって、あの場で出て行けとは言えなかったのかも……。
もし本当は出て行ってほしいと思っているのに我慢しているのだとしたら──それはすごく嫌だ。
レナルド様に苦痛を与えてまで、ここに残りたいとは思わない。
「自分から出ていくことなら……できる」
次の働き先を斡旋してもらった貴族令嬢とは違って、私ならどこでも働ける。
街に出て、飲食店でも販売店でもどこでも雑用として働ける。
もう、レナルド様に嫌な思いはしてほしくない! 私がいなくなることで、少しでも気持ちが軽くなってくれるのなら……。
出て行こう! と決意した時、いきなり部屋の扉が開いた。力強く開けられたため、軽く寄りかかっていた私の頭にゴンと扉がぶつかる。
「いたっ」
「ノエル! 戻ってきてるって本当……か……」
「トーマ。ノックくらいしてよ」
「おっ、おまっ、なんで髪の毛……!?」
「あっ」
トーマは慌てて部屋に入り扉を閉めると、キョロキョロと中を見回す。たぶんウイッグを探しているんだろう。ベッドの上に乱雑に置かれたウイッグに気づくなり、それを掴んで私の頭にのせた。
「早く被れっ! ノエルが女だって知らない奴らに見られたらどうするんだ!?」
「……別に見られたっていいよ」
投げやりな言い方をした私を、トーマが険しい顔で見てくる。
「そこからレナルド様にまで話が伝わったらどうするんだ?」
「いいよ。……もうバレたもん」
「……は!?」
私の落ち込んだ様子を見て、嘘ではないとわかったらしい。
トーマは床に座ったままの私の前に膝をつき、やけに冷静に問いかけてきた。
「……なんでバレた?」
「……この髪の毛を見られた。女なのかって聞かれて……正直に答えた」
「それで? 怒ったのか? ここを出て行けって?」
「ううん。でも、すごく戸惑ってた。……私の顔も、今は見れないって。しばらくは本邸にも来なくていいって」
「そうか……」
いつも感情的に怒ってくるトーマが、今日は冷静でいるから変な感じだ。バレたと知られたら、もっと怒られると思っていたのに。
今は、怒っているというよりどこか焦っているように見える。
「レナルド様は、本邸だけでなく……この屋敷からもノエルを追い出す気かな?」
「わかんない。でも、女だって知られてから全然こっちを見てくれなかった。……きっと嫌だったんだよね」
「…………」
「前に女性の使用人を一斉に解雇した時とは違って、私1人に対して出て行けって言いにくいと思うの。レナルド様って優しいし。だから、自分から出て行こうと思ってる」
「!」
真っ直ぐにトーマを見つめて、堂々と言う。
被害者にならないように。自分で決めたことだと伝わるように。
レナルド様に、私を追い出したっていう負い目は感じてほしくない。私が望んで、自分から出て行ったと思ったほうが気持ちも軽くなるはず。
そんな私の決意がしっかりと伝わったらしい。
トーマは眉をひそめて何かを迷った素振りを見せたあと、コクンと頷いた。
……!
反対されるかもって思ったけど、わかってくれたんだ!
「トーマ。今までありが……」
「俺も行く」
「…………ん?」
10歳の頃から一緒に育ってきたトーマに感謝の気持ちを伝えようとした時、真面目な顔をしたトーマがキッパリと言った。
え? 俺も行く……って言った?
「お、俺も行くって……どこへ?」
まさか一緒にここを出て行くって意味じゃないよね?
顔を引きつらせながら聞き返すと、トーマはいたずら好きの子どものようにニヤッと笑った。その笑顔に、私の不安は大きくなる。
「ノエルと一緒にこの屋敷の雑用を辞める」
「ええっ!? なんで!?」
「ノエル1人で出て行って、ちゃんと生きていけんのかよ? 危なっかしいから俺がついていく。屋敷を出た瞬間に誘拐されて、どこかに売られそうだし」
「誘拐されないよ!」
「ダメだ。俺が行かなかったら、バルテルが行くって言い出すと思うぞ」
えええ!? 私もう18歳なのに、なんでこんなに心配されてるわけ?
まるで小さい子どもの面倒を見ているお兄ちゃんのようだ。その過保護さに呆れてしまうと共に、嬉しくもあった。たしかに1人で家なし生活になるのは怖い。
でも、せっかくの安定した仕事を辞めちゃっていいの? トーマのことを思うなら、断るべきだよね。
ヴィトリー公爵家のお給金や待遇は、下位使用人の雑用でも一般職よりはずっといいはずだ。家も食事もあるこの恵まれた生活を、私のために捨てさせるのには抵抗がある。
「大丈夫だよ。私はもう18歳だし。街に出て、働ける場所と住める家を探すよ。どんな仕事でもがんばれるし!」
グッと力を込めて拳を握って見せると、トーマは安心した顔どころか不快そうに顔を歪めた。お前はバカか? とでも言いたそうな表情だ。
な……何?
前向きに話してるのに、なんでこんな目で見られてるの?
「トーマ?」
「ノエル……18歳の女だから危ないんだろ! そんな顔して『どんな仕事でもがんばります』なんて言ってみろ。すぐに怪しい店に連れていかれるぞ!?」
「まさかぁ……」
はぁーーっと大きなため息をついたトーマは、ジロッと私を睨みつける。元々目つきが悪いので、本人は睨んでいるつもりはないのかもしれないけど。
そして、私を指差してさっきよりもキッパリと強く言い切った。
「絶対に一緒に行くからな」
「…………はい」
有無も言わせぬ様子のトーマに、私はそう返事をするしかできなかった。