27 レナルド視点②
「妻のフリをするという役目を終えたのだから、今まで通り雑用に戻らせるんだろう?」
そんなアルの言葉を聞いて、俺の頭は真っ白になった。
ノエルが雑用に戻る?
アルの言っていることは何も間違っていない。
ノエルに俺の付き人という仕事をさせたのは、手を荒れさせないようにするためだった。もう女装をする必要もないのだから、今までの仕事に戻るのは普通のことだ。
しかし、雑用はこの本邸に入ることはない。
ヴィトリー公爵家で長く働いているというノエルに会ったことがなかったのも、そのせいだ。
つまり、今までのように……ノエルには会わなくなるということか?
頭や胸を鈍器で殴られたような衝撃が走る。
それが正しい、間違っていない……と考えている自分と、このまま付き人の仕事を続けさせたい……と考えている自分がいる。
「おそらくノエルもそのつもりだと思うぞ。明日からはここには来ないだろう」
明日からは来ない──その言葉が、さらに俺の頭に衝撃を与えてくる。
今まで通りに戻るだけだ。
何を焦る必要がある? 付き人がいなくても問題はなかったはずだ。そうだ。ノエルと会う前の状態に戻るだけ──。
「……アルは、ノエルがいなくなっても支障はないのか?」
そうか……と答えるはずだったのに、口から出た言葉は全然違っていた。
本当に付き人がいなくても問題はないのか?
いたほうがアルは助かったのではないか?
もしそうならば、これからは付き人を正式に雇ったほうがいいかもしれない。
どうなんだ?
付き人は必要か?
…………必要だと答えてほしい。
俺の自分勝手な考えに、おそらくアルは気づいている。
メガネの奥から呆れたような目で俺を見てくるが、そらさずに見つめ返す。
頼む。必要だと言ってくれ。
そう、目から訴えかけた。
なぜなのか……。その理由はわからないけど、この時点で俺は自分がノエルに執着していることに気づいた。
*
ノエルが正式に付き人になって数日後。
俺は高熱を出してしまった。
原因はわからない。朝起きたら、いきなり激しい喉の痛みと眩暈に襲われたのだ。知らぬふりで執務室まで行ったものの、すぐにノエルにバレて寝室に戻されてしまった。
さっき……いきなり顔を近づけられたのは驚いたな……。
熱がある! と気づかれた瞬間、突然ノエルの顔が近づいてきたのだ。額に冷たく柔らかな感触があり、目の前にいるノエルが「あっつ!!!」と叫んだ。
すぐに体温を測ってくれたのだと理解できたが、正直かなり動揺してしまった。
アルとノエルの会話で、どうやら使用人同士こうやって熱を測るのが普通だったらしいと知った。
額を合わせて熱を測るなんて、初めて知ったぞ……。ノエルにとっては、普通のことなのか……。
横になりながら、ボーーッとする頭でそんなことを考える。
俺以外の男にも顔を近づけるノエルを想像すると、なぜかやけに胸がムカムカしてくる。
……なんだか……それはすごく嫌だな……。
アルが、今後はそういう測り方は禁止だとノエルに話しているのが聞こえてくる。ノエルがはいと返事をした瞬間、自分がホッとしていることに気づいた。
なぜ不快に思ったのか、そしてなぜ安心したのか、自分の気持ちがよくわからない。
俺はおかしいのか?
ここ最近、ノエルに執着する気持ちが大きくなっている気がする。男にこんな感情を抱くのはおかしい……よな?
ま、まさか、俺は噂通りに本当に女ではなく男を……!?
アルにこの場を任せて、ノエルは部屋を出ようとしていた。
咄嗟にノエルの手首を掴み、その動きを止める。いきなり手を掴まれたノエルは肩をビクッと震わせた。そんな些細なことですら、可愛いと思ってしまう自分がいる。
行かないでほしい……。
アルではなく、ノエルに側にいてほしい。
熱があるからか、不思議と素直に自分の気持ちを打ち明けてしまった。
アルからなんとも言えない視線を感じるが、今は全く気にならない。それくらい、ただただ今はノエルにいてほしかった。
それから3日──。
俺の熱が下がらない原因は、バロラ熱というものだと判断された。通常の解熱剤では効かないらしい。
薬草畑までその薬の実を取りに行くと、ノエルが医者に話している声が聞こえてくる。
ノエル1人で大丈夫か?
誰か他の使用人に頼めばいいのに……。
などと考えているうちに、すでにノエルは部屋からいなくなっていた。まだ熱があるせいか、いつもよりも思考回路が遅くなっているようだ。
それでもだいぶ体は楽になってきたな。
熱に慣れただけ……かもしれないが。
ノエルが戻ってきて薬を飲めば、すぐに熱が下がる。
やっと治るのかと安堵しながら目をつぶると、そのまま寝てしまっていた。
──どれくらい時間が過ぎたのか。
目が覚めると、部屋には誰もいなかった。
ムクッと起き上がり、ベッド脇のテーブルに置いてある水を飲む。まだ少し体は重いが、簡単に起き上がることはできる。
「……ノエルはまだ戻っていないのか?」
そうボソッと呟いた時、窓の外がピカッと光り激しい雷の音が鳴り響いた。
俺が寝ている時から鳴っていたのか、今初めて鳴ったのかはわからないが、外は雷雨だ。雨はまだそこまで強くはないが、これからひどくなりそうなのが見てわかるほど、空が曇っている。
なんだ、この雷雨は。ノエルはまだ薬草畑にいるのか? この雨で戻ってこれるのか?
もう一度ピカッと雷の光が見えた瞬間、俺は少し前のノエルの姿を思い出した。
雷が苦手で、雷が鳴るとお腹が痛くなるとうずくまっていたノエルの姿を──。
「……ノエル!」
そうだ! ノエルは雷が苦手なんだ! 戻ってこれるわけがない……それどころか、今1人で苦しんでいるかもしれない!
俺はすぐにコートを羽織り、部屋から飛び出した。
自分が今病人であることや誰かに告げてから行くという考えは、一切なかった。