26 レナルド視点①
最初は、ただミラ王女からの求婚を問題なく断りたい──その一心だった。
女性は苦手だ。
髪やドレスを煌びやかに飾りつけ、むせ返るほどの香水の香りを撒き散らし、不自然なほどの笑顔と上目遣いでじっとりと見つめてくる。
上辺だけの甘い言葉を発し必要以上に身体に触れてくる者もいれば、声をかけてこないもののずっと遠くから視線だけを送り続けてくる者、贈り物や手紙をしつこいくらいに届けてくる者など様々だ。
正直、彼女達を見て綺麗だと感じたことはない。
怖い……できるだけ近寄りたくはない、というのが本音だ。
公爵家に生まれ、殿下の補佐として働いている以上、女性と全く関わらずに生きるのは難しいが……。
ある夜、自分の上に誰か乗っている気配がして目を覚ますと、目の前には服を半分脱いだ女が俺を見下ろしていた。その服と顔で、すぐにメイドの1人であることはわかった。
俺と目が合ってもその女はベッドから降りることはなく、怪しい笑顔のまま俺の頬を撫で「レナルド様……」と呟きながら顔を近づけてきた。
ドンッと押し返すと、女は「きゃあっ」と小さな悲鳴をあげて床に転がった。
──限界だ。
俺はすぐに両親の承諾を得て、本邸の女性使用人を全員解雇した。
不当解雇だと訴えられないように、新しい就職先も全て用意してやった。
頼むから、もうこれ以上俺に近寄らないでくれ。
俺の女嫌いの噂が広まったこと、それから殿下の協力もあり、俺の周りには女性の影はほぼなくなってきた。やっと訪れた平穏な日々。
いつかは公爵家長男として政略結婚をしなければいけない時がくるだろうが、今は考えたくない。
そんな時、殿下の隣国視察で挨拶を交わしただけの王女が俺に結婚を申し込んできた。
「悪い、レナルド。女性が苦手だという理由だけでは断ることができない」
申し訳なさそうに言った殿下の言葉に、俺は絶望した。
愛や接触を求めない契約的な結婚を考えていたが、王女相手にそれは通じない。
何か他に断る理由を作らなくては──。
そこから出した答えが、『結婚していることにしよう』だった。
婚約者ではダメだ。
あの王女が裏で動き、婚約を破棄される可能性がある。
だが、すでに結婚していたとなればどうすることもできない。
相手は貴族ではなく平民から選ぶ。
広いようで狭いこの貴族社会では、嘘はすぐにバレてしまうだろう。
それから、できれば──女に変装できる男がいい。
色々と想像してみたが、やはり女性に妻役を頼むのは無理だ。顔が強張り、夫婦であることを見せつけるどころか離婚間際だと勘違いされてしまう恐れがある。
まだ少年であれば、骨格や声も女性に近い男はいるはずだ。
平民で、周りにあまり顔が知られていなくて、背も体格も声も顔も女性に見えるような、そんな少年はいないか──。
「……いたな」
ノエルに妻役を頼んだ日の夜、俺はアルに向かってそうポツリと呟いた。仕事をしていた手を止めて、アルがこちらを振り返る。
付き合いが長いからか、その言葉だけでなんのことか理解してくれたらしい。
「まさか、あんなにピッタリな人材がいたとはな。よかったじゃないか」
「ああ。今の姿ですら、一瞬女性かと思ってしまったほどだ。ノエルならきっと女装が似合うはずだ」
「たしかに、他の男は幼くてもどこか『男』が出ていたからな」
初めてノエルを見た時には、本当に女性かと思って冷や汗をかきそうになったくらいだ……。まだ13歳という年齢のおかげか、男性を感じさせる要素はほぼなかったし。
ノエルなら、男だと疑われることはないだろう。
自分の無謀な考えが意外にもうまくいきそうで、俺は王女に求婚された日から初めて安堵することができた。
雑用として働いていた13歳の少年、ノエル。
茶色の髪色にパッチリとした丸い瞳。小柄で細い身体に、小さい手。声変わりが始まっていないのか、まだまだ高く可愛らしい声。
表情がコロコロ変わり、明るく素直な性格。
仕事に対しても真面目な姿勢。
一緒にいて、笑いが絶えず楽しく過ごせる。
会うたびに好感度の上がる不思議な少年──。
そんなノエルに対しての感情に変化があったのは、間違いなくあの日だろう。
王宮に行った日……ノエルが初めて女装をした日だ。
「ノエル?」
「はい。レナルド様。僕はノエルですよ」
俺の質問に笑顔で答えたノエルは、俺の知っているノエルではなかった。
薄紫色の長い髪の毛、うっすら化粧をしているのかピンク色になった頬や唇。身体のラインがよくわかる綺麗なドレスに、細く白い腕。
……なんだ、これは。完全に女じゃないか。
初めは、本当に知らない女が部屋に入ってきたのかと焦った。
しかしその人物がノエルだとわかり安心したものの、まだ俺の心は戸惑っている。
相手がノエルだとわかる前──女だと思った瞬間に、俺はノエルを可愛いと思ってしまった……。
今まで、どんなに綺麗だと言われている女性相手にもそんな感情を持ったことはない。
相手がノエルだからとわかった上なら理解はできるが、まだわかる前にそう思ってしまっていた自分に戸惑う。
女性だと思った状態で可愛いと思うなんて……。
女っぽいノエルに慣れて、女性嫌いが治ったのか? ……まさかな。
その『まさかな』は当たりであった。
王宮でミラ王女に腕を掴まれた時、じっとりとした重い瞳で見つめられた時、甘く高い声で名を呼ばれた時──見事に俺の心は暗く淀み、嫌悪感に包まれてしまいそうになった。
すぐ近くにいるノエルに焦点を合わせることで、なんとか冷静を保てていたようなものだ。
ああ……やはり女嫌いは治っていなかったか。
ノエルよりも派手で華やかなドレスを着ている王女を、可愛いと思える気がしない。男のノエルのほうが、何倍も可愛いではないか。
そこまで考えて、ハッとする。
いやいや。だからといって、男のノエルを可愛いと思うのもどうなんだ?
自分の思考回路がおかしくなった気がして、再度ノエルをチラリと見た。
初めて会った王子や王女に緊張しているのか、カチコチに固まって黙っている。でも瞳だけはキラキラと輝きを放ちながら、王子や王女を見つめていた。
……可愛いな。
って、だからそれがおかしいだろう!?
いくら女装しているからって、男を可愛いと思うか? ……いや。でも、このノエルは男だとわかっていてもみんな可愛いと思うのではないか? 俺だけ……ではないはず。
俺が結婚していることに納得してくれた王女は、意外にもあっさりと身を引いてくれた。
突然求婚してきて面倒な姫だと思ってしまったこともあったが、今となってはノエルと出会わせてくれた王女には感謝だ。
この件がなければ、同じ敷地内にいてもノエルと出会うことはなかっただろう。
ノエルのいない生活を寂しく思うほどには、俺の中で必要な人物になっているのは間違いない。