21 待って! まだ脱がないでください!
レナルド様のおでこに私のおでこを当てて熱を測ったと伝えたら、なぜかアルフォンス様に睨まれています……。
「あの、いけなかったでしょうか?」
「……なぜ手ではなく額で?」
「私達はみんなそうやって測っているんです。水仕事が多くていつも手が冷たいから、正確にわかるようにおでこで」
「…………」
うう……また黙っちゃった。
昔からみんなでやってたから当たり前だと思ってたけど、貴族の世界ではおかしいことだったのかな。
アルフォンス様は険しい顔のまま近づいてきたかと思うと、目の前で止まって私のおでこにそっと手を当ててきた。前髪を少しズラされて、いつもより顔がよく見える。
そしてどこか元気のない声でボソッと呟いた。
「他の使用人にもそうやって測ってきたと?」
「? ……はい」
「どれくらいの頻度で?」
「え、と。みんなあまり風邪をひかないので、そんなに多くは……」
「そうか」
???
なんでそんな質問をするんだろう??
不思議に思いながらも静かに見つめていると、目を細めたアルフォンス様が急にキッパリと大きめの声を出した。
「これからはその測り方は禁止だ」
「ええっ?」
「ノエルはもう水仕事も少ないのだから、これからは額で測る必要はないだろう」
「そうですが、でも……」
「禁止だ」
ドキッパリと言い切られる。
その迫力に、これ以上言い返すのはやめたほうがいいと私の本能が訴えてくる。
よくわからないけど、ここは素直に返事をしたほうがよさそう。
「はい……わかりました」
「ああ。では俺はこの状況を本邸の使用人に伝えてくる。王宮にもしばらく休むと連絡を……あとは期限の近い書類もまとめて……。ノエルはここで医者が来るまで待っててくれ」
「はい」
アルフォンス様が部屋から出ていったのを確認して、ベッド脇の椅子に座る。
ふぅ……と一息つきながらレナルド様を見ると、薄目を開けている彼とバッチリ目が合った。
「レナルド様! 起きたのですか?」
「……最初がら寝でない。目をつぶっでだだげだ」
「そうだったのですね。ごめんなさい、質問して。無理に喋らなくて大丈夫です」
声がガラガラで痛々しい……!
きっと喉も痛いはずだわ。あまり喋らせないようにしなきゃ。
「今お医者さんが来るそうなので、もう少し待っててくださいね」
「…………」
ギュッ
その時、ベッドの上に置いていた自分の手を急に握られた。
体温の高い大きな手が、私の手を包んでいる。
えっ!? 何!?
「レ……レナルド様?」
「……づめだい」
冷たい?
ああ。私の手が冷たくて気持ちいいのかな? ……なんだ、ビックリした。
ドキドキドキ……と心音が速くなっている。なんで手を握られただけでこんな風になってしまうのか、自分で自分がわからない。
落ち着いて。最近はあまりないけど、小さい頃はよくトーマやバルテル達と手をつないだりしたじゃん。それの延長だよ。レナルド様は風邪で朦朧としてて、ただ冷たい私の手を触っちゃっただけ。
まるで自分自身に暗示をかけるように言い聞かせていると、コンコンコンと部屋をノックされた。医者が来たらしい。
思わずバッと手を離すと、私は急いで椅子から立ち上がった。
「失礼しますね」
穏やかな顔をした年配の医者が、ゆっくり部屋に入ってくる。
常時この屋敷に滞在してくれている、レナルド様の担当医だ。
「よろしくお願いします」
スッとベッド脇から離れて、部屋の壁際に立った。
診察の邪魔をしないようにという気遣いでもあるけど、シャツのボタンを外され今にも上半身を露わにしているレナルド様を見ないためにだ。
私達のような下位使用人は、この先生に診てもらったことがない……。だから、この人は私が女だって知らないのよね。
不自然に顔をそらすこともできないので、目をうっすらとだけ開けている。
薄暗い部屋の中では、私がそんな変な顔をしているとは気づかれないだろう。
「うん。熱が高いから、とりあえず解熱の薬と喉に効く薬を出しておこう」
「ありがとうございます」
「あと、汗がすごくて服がびしょ濡れだ。今すぐに身体を拭いて服を着替えさせてやってくれ」
「はい。…………え、今すぐ?」
「ああ。今すぐだ。こんなに濡れていては、熱も下がらん」
医者はそう言うなり、持ってきていたバッグから出した薬をテーブルに置き、部屋の扉に向かって歩き出した。
ちょ、ちょっと待って!
私がレナルド様の着替えをしなきゃいけないってこと? しかも、か、身体まで拭いて?
チラリとレナルド様を見ると、胸元が少しはだけた状態のままで寝ている。これから着替えさせるため、ボタンはしていないらしい。
顔がボッと赤くなるのを感じた。
「あ、あのっ──」
バタン
そう声をかけた時には、すでに扉が閉まり、医者は部屋から出た後だった。
あああ。行ってしまった。どうしよう。
アルフォンス様は戻ってくるまでにまだかかるだろうし、他に誰か代わりにやってくれる人を探しに……。
「ノエル……」
「あっ、はい」
横になっていたはずのレナルド様が、身体を起こしていた。着替えをするという話を聞いていたからか、おもむろにシャツを脱ぎ始めている。
「レッ、レナルド様っ! 何を……っ」
「着替える……ダオルを……持っでぎでぐれ」
「ちょっ、まっ、待ってくださ……」
私が慌てている間に、レナルド様は上半身裸になってしまった。引き締まった身体が全てさらけ出され、一気に私の体温も上がってしまう。
きゃあーーーーっ!!! どどどどうしよう!!!
その時、レナルド様の肩がブルッと震えた。
パニックになっていた頭の中が、一瞬で冷静になる。
ハッ!
そうよ。レナルド様は高熱なんだから、いつまでもこのままでいたら寒いに決まってるじゃない! 恥ずかしがっている場合じゃない!!!
すぐにタオルと着替えを取りに行き、汗をかいた背中などを素早く拭いていく。頭の中では、これは男の人ではなく岩だと思うことにした。
私は今、大きな岩を拭いているのだ。
「次に着替える時には、お湯を沸かして温かいタオルでお拭きしますね」
「ああ……ありがどう……」
レナルド様はなんとか座った体勢でいてくれているが、頭は項垂れていてかなり辛そうだ。
新しい服を着せて、胸元のボタンを留めている時──背後から扉が開く音がした。
「…………ノエル。何をやっているんだ?」
どうやらアルフォンス様が戻ってきたらしい。
もうっ! もう少し早く戻ってきてくれたらよかったのに!
そんな不満を言いたいけど、もちろん言えるはずもない。喉元まで出かかった言葉を飲み込みこちらに来るのを待つが、一向に来る気配がないことに気づく。
ボタンを留め終えどうしたのかと振り返ると、アルフォンス様はまだ扉の前に立ったままだった。
「アルフォンス様? どうし──」
「落ち着くんだ、ノエル。いくらレナルドが熱で弱っているからって、襲ってはダメだ」
「は?」
上司でもあり、貴族のアルフォンス様に向かってついそんな言葉を返してしまった。
それくらい、心の底から出た正直な反応だった。