11 雷が怖いんです……ということにしておこう
「……はぁ」
執務室のつなぎ部屋になっている資料室。
その部屋の窓枠を拭きながら、私は小さなため息をつく。
天気は大雨に雷。昼間だというのにどんよりと暗い。
私のテンションも同じくらい暗くなっているのだけど、理由は天気だけではない。
ああ……お腹が痛い……。
女性にだけある、月に1度のあの日。
お腹が痛い。頭が痛い。心が落ち着かない。立っているのが辛い。
いつもはここまで酷くないのに、天気のせいか体調は絶不調だ。
「ノエル。この領地に関する資料を探してほしいのだが──」
「はい……?」
「どうしたノエル!?」
げっそりとやつれた顔で振り返ると、レナルド様がギョッとして驚きの声を上げる。まるで幽霊でも見たかのような顔だ。
今日は王子の補佐は別の人が行っているらしく、レナルド様は家で仕事をしている。
「顔が真っ白になっているぞ!? どこか調子が悪いのか!?」
「いいえ? 元気ですけど……?」
「どこがだ!? 今にも死にそうな顔をしているぞ!?」
私の顔をジロジロと見ながら、心配してくれているレナルド様。
まさか、女性特有の月のものです──なんて言えるわけがない。
レナルド様の大きな声を聞いて、執務室で一緒に仕事をしていたアルフォンス様も資料室に入ってきた。
「何事だ?」
「アル。ノエルの顔色がおかしいんだ!」
「おかしいって…………ああ。おかしいな」
私を見た瞬間に、アルフォンス様がキッパリと言い切る。
まあ実際に体調は絶不調なのだから、それが顔に出てしまっていても不思議じゃない。それくらい今の頭とお腹の痛みは酷い状態だ。
どうしよう。なんて説明しようかな。
言い訳を考えていると、ズキッと激しい痛みが下腹部に走った。
あまりの痛みに耐えきれず、「ううっ」と小さなうめき声を上げてその場に座り込んでしまう。
「ノエル!?」
すぐにレナルド様が駆け寄ってきてくれたけど、ズキズキと痛むその苦痛に耐えるのに必死で、返事をすることができない。
痛い、痛い、痛い、いたぁーーーーい!!!
あまりの痛みに、涙が出てくる。でも目を開けていられない。
おそらく苦痛の表情をしている私に向かって、アルフォンス様がボソッと呟いた。
「ノエル。お前、もしかして雷が怖いのか?」
え? 雷?
「今、雷が光った瞬間に座っただろう? そんなにも苦手なのか?」
「そうなのか、ノエル!?」
薄く目を開けると、冷静なアルフォンス様と動揺しているレナルド様が私を覗き込んでいた。激しい痛みで気づいていなかったけど、どうやら私が座り込んだのと大きな雷が鳴ったタイミングが同じだったらしい。
雷は別に苦手じゃないけど、もうそういうことにしちゃおう!
「そうなんです……。雷が恐ろしくて恐ろしくて……雷が鳴ると、お腹に激痛が……」
「雷でお腹に激痛!? なんだそれは……だが、その顔色や涙を見ると本当のようだな」
「雷でそんな症状になるなんて初めて知ったが。……本当に変わったヤツだな」
なんだか変な目で見られているけど、もうなんでもいいや。これで今日はお腹を痛がっていても誤魔化せそう。
先ほどの激痛はいつの間にかおさまっていたので、立ち上がって拭き掃除の続きをしようと布巾に手を伸ばすと──。
「何をしている。今日はもう休んでいい」
「……え?」
レナルド様が私の手首をつかみ、動きを止める。
そして後ろに立っているアルフォンス様に向かって、「いいよな?」と確認をしている。アルフォンス様がコクンと頷いているのが見えた。
「そんな状態でも働かせるほど、ヴィトリー公爵家は薄情ではない。今日はゆっくり休め」
「ですが……」
「これは命令だ。わかったな?」
「……はい」
突然の休み。しかも雷でお腹が痛くなるから──という理由で。
そんなことで休んでいいのかと疑問だけど、正直休めるのは助かる。頭とお腹の痛みがそろそろ限界だ。
「では、お言葉に甘えて休ませていただきます。ありがとうございます」
「ああ。しっかり寝ろよ」
「はい」
嫌な顔せず休みをくれた2人に感謝をして、執務室から出た。
フラフラする足取りで本邸を出て、なんとか自分の部屋に戻ってきた途端にベッドに飛び込む。
ああーーーーもうダメ……。
そのまま寝てしまいたいけど、執事の服をシワシワにするわけにはいかないし、何よりも胸をペタンコに見せるためのベストを着けているのがきつい。
「誰も来ないし、昼間だけどもういいか」
そう独り言を呟くと、私は替えのあるシャツ1枚になった。きついベストも脱いだので、頭とお腹の痛みが少し和らいだ気がする。
毛布をかけてベッドに横になると、あっという間に眠りについてしまった。
*
「……エル」
「……んーー……」
「……ノエル」
何か……声が……。
ボーーッとした状態で目を開けると、メガネをかけた男性が私を覗き込んでいるのが見えた。この下位使用人の暮らす場所に、メガネをかけている人はいない。
……誰?
「大丈夫か?」
「…………アルフォンス様!?」
それが誰なのかハッキリとわかった瞬間、バチッと一気に目が覚める。
貴族でもあり、レナルド様の執事兼仕事の補佐をしているアルフォンス様は、この下位使用人の住む場所には来たことがない。
「雷がおさまったから、これを持っていってやれとレナルドに頼まれてな。何も食べていないだろう?」
アルフォンス様の手には、ハムや野菜の挟まった美味しそうなパンと飲み物がのったプレートがある。
わざわざ私のご飯を用意してくれたこと、そしてそれをアルフォンス様直々にこんな場所まで運ばせてしまったことに、申し訳なさでいっぱいになる。
「すっ、すみません! わざわざ持ってきていただいて……!」
私はそう叫びながら、ガバッと起き上がった。
「大丈夫だ。気にする……な……」
アルフォンス様は、言葉の途中で突然固まった。
目を丸くして、口は少し開いたまま。何かにとても驚いているような様子だ。
ん? 何? 急にどうしたの?
アルフォンス様の視線は、私に向けられている。
私の顔──というよりは、それより少し下だ。
? 何か洋服に付いてる?
食べこぼした汚れでも付いているのかと、顔を下に向けてアルフォンス様の視線の先を見てみる。
「……あっ!!」
そこには、シャツのボタンを3つほど外した状態であらわにされた胸の谷間が、くっきりと見えていた。
慌てて毛布で隠すが、もう遅い。
しまった! ベストを脱いでたの忘れてた! 見られた……よね!?
「ノエル。お前……女だったのか?」
眉を寄せて、真剣な顔でアルフォンス様が問いかけてくる。声がいつもよりも低い。
静かな問いかけなので、怒っているのかどういう感情なのかが全くわからない。
どうしよう……!
アルフォンス様にバレちゃった!