10 このお二人にお仕えできてよかった
レナルド様のお付きになって1週間。
お付きといっても一緒に王宮に行くことはないし、お屋敷で仕事をしている時にだけ飲み物や軽食を用意したり、レナルド様からの用件を使用人達に伝えたりするだけだ。
あとは執務室や寝室の掃除など、簡単な仕事をしている私。
レナルド様は私用のお部屋を本邸に用意すると言ってくれたけど、元々使っている部屋でいいとお断りした。
広くて綺麗な部屋にも憧れるけど、寝るなら狭くて暗い、いつもの部屋が1番だよね。
「〜〜♪ 〜〜♪」
1人でレナルド様のベッドシーツを取り替えていると、いきなり背後から声をかけられる。
「何を歌っているんだ。お前は」
「!? ……アルフォンス様!」
振り返ると、執事のアルフォンス様が立っていた。
メガネの奥に見える瞳は、完全に私を軽蔑しているように冷めきっている。
いつの間に! 誰もいないと思って歌ってたんだけど……聞かれてたの!?
「あの、誰もいないと思って……」
「誰もいない時にはいつも歌っているのか?」
「うっ……」
アルフォンス様ははぁ……とため息をつくと、シーツを敷くのを手伝ってくれる。さすがに慣れているのか、完璧なベッドメイクだ。
気難しいアルフォンス様は最初こそ私を警戒していたようだけど、今は普通に接してくれている。
特に害はないと思ってくれたのかもしれない。
「レナルドが呼んでいる。ノエルの淹れた紅茶が飲みたいそうだ」
「へ!?」
レナルド様が私の紅茶を!?
今まで3回ほど紅茶を淹れたことがあるけど、レナルド様もアルフォンス様の反応も微妙だった。3回目に、もうお前は淹れなくていい──とアルフォンス様から言われたというのに。
レナルド様にとっては、実は美味しかったとか?
「あの絶妙な苦みがクセになるそうだ。今は仕事に集中できないから、あの紅茶を飲んで目を覚ましたいって言っていたぞ」
「…………」
なんだそれ。
スンッとなった私の顔を見て、アルフォンス様がニヤッと楽しそうに笑う。
この悪魔のような笑みにももう慣れた。
「ほら。早く行け」
「わかりましたよ」
渋々と寝室を出て、私はお茶の準備をするべく調理場へ向かった。
*
「うん! 苦い! この苦さがなんだか急に恋しくなってな」
「……至極光栄にございます」
「まぁまぁ怒るな、ノエル。一応褒めているんだぞ?」
「はあ……そうですか。心より感謝いたします」
真顔でそう返事をする私を見て、レナルド様は「ぶはっ」と吹き出す。
1週間彼の近くにいてわかったけどレナルド様はよく笑う方だ。
この方が女嫌いで結婚ができないなんて、もったいない……。優しいし、きっと素敵な旦那様になると思うのに。
「そういえば、特に近々の休みの申請など受けていないようだが、実家に帰ったりしなくていいのか?」
使用人のそんなところにまで気を使ってくれていることに、レナルド様の懐の広さがよくわかる。たしかにこの公爵家は休みも取りやすく、働く環境としては最高の職場なのだ。
──実家のない私は、連休をいただく必要もないけど。
「両親は僕が幼い頃に亡くなりました。命日にだけ、お休みをいただいています。今年はもう済みましたので、大丈夫です」
その言葉に、笑顔だったレナルド様の顔が曇った。
隣の机で仕事をしていたアルフォンス様の手も止まっている。
あれっ? なんか暗い空気になってる?
「あの、10歳の頃の話なので大丈夫ですよ」
「10歳って……まだたったの3年しか経っていないではないか」
あっ、そうか。私は今13歳ってことになってるんだった! 本当は18歳だけど。
やけに同情めいたレナルド様の視線が痛い。
なんとかこの空気を変えたくて、私はニコッと笑顔を作った。
「もちろん悲しいですが、ここの使用人達はみんな僕のもう一つの家族みたいなものなんです。みんながいてくれるから今は寂しくないし、毎日が楽しいし、ここが新しい僕の家みたいで──」
そこまで言って、ハッとして言葉を止める。
このお屋敷の子息様に向かって、『新しい僕の家』なんて言うのはさすがにまずい。
「あ、あの、僕の家……じゃなくて、自分の居場所といいますか……」
「いや。僕の家だと思ってくれていい」
「……え?」
レナルド様が、優しく微笑みながら言った。
思いも寄らない言葉に、一瞬頭が混乱してしまった。
僕の家だと思っていい?
「ここをそんな風に思ってくれているなんて、とても嬉しいよ。ありがとう」
「いえ、そんな……」
「それと、できれば俺もノエルの家族の一員に入れておいてくれないか?」
「!」
久々にした両親の話、そして家族の話──少しだけ寂しくなっていた心に、温かいレナルド様の言葉が届いてくる。
本当に……なんて素敵な人なんだろう。
私、この人のためにこれからもしっかりとお仕えしたい。
「ありがとうございます。レナルド様」
「ああ」
「……軽食もお持ちしますね」
なんだか涙目になってしまったので、ティーセットを手に取り下を向いたまま部屋から出ていく。
足早に調理場へ向かっていると、足がからまって身体が前のめりに倒れかけた。
あっ、転ぶっ! ティーポットが割れちゃう!!
咄嗟に高級なティーセットの心配をした時──ガシッとお腹あたりに強い衝撃が走り、手に持っていたティーセットがなくなった。
誰かに身体を支えられ、なおかつティーセットを奪われたらしい。
「危ないな」
「ア……アルフォンス様!」
アルフォンス様が少し焦った様子で私を支えてくれていた。男の人とはいえ、片手で私の身体を支えていることに驚いてしまう。
片手でバランスよく持たれたティーセットの無事を確認し、ホッと胸を撫で下ろす。
よかったぁ……。割らずに済んだ……。
「大丈夫か?」
「はいっ。割れていません! ありがとうございますっ」
そう元気に返事をすると、いつもクールなアルフォンス様がパチッと目を丸くして私を見つめた。
「……割れてない?」
「はい! アルフォンス様のおかげでティーポットは無事です!」
「…………」
……ん? 急に後ろを向いちゃったけど、何? 肩が震えてるけど……もしかして笑ってる?
「あの、アルフォンス様? どうしました?」
「いや。なんでもない」
「??」
顔をそらしたまま言われても……。というか、なんでここにいるの?
笑いがおさまったらしいアルフォンス様は、大きなため息をつきながらボソッと呟く。
「……ふーー。お前は本当に変なヤツだな」
「え!? 変!?」
「先ほども、ここを自分の家のようだと言っていたしな」
「あれは……その……」
アルフォンス様はティーセットを私の手に戻すと、チラッと廊下の窓から外を見た。
外には、私と関わりのある使用人達が掃除をしているのが見える。
「あと、もう一つの家族だとか」
「それも……その……」
改めて言われると、自分の思い込み発言みたいで恥ずかしくなる。
気まずそうに言葉を濁す私に向かって、アルフォンス様はさらに小さい声で呟いた。
「……俺も入ってやってもいい」
「…………え?」
「だから、もう一つの家族。レナルドを入れるなら、特別に俺を入れることも許可してやる」
「……アルフォンス様……」
聞き間違い? って思ったけど、そうじゃないみたい。
家族に入れていいって、あのアルフォンス様が……?
もしかして、両親がいない私を同情してくれてるのかな?
キョトンとしてる私にジッと見られて、アルフォンス様は少し怒ったようにプイッと顔を背けてしまった。
そして「それだけだ」と言って、執務室へと戻っていく。
え? もしかして、それを言うために来てくれたの……?
意外なアルフォンス様の優しさに、また胸が温かくなる。
やっぱり、無愛想だけど面倒見のいいトーマに似てる。ふふっ。
この2人の近くで働けてよかった──そう感謝しながら、私はまた調理場へと歩き出した。