1 私が男装している理由
「ノエル。女装して俺の妻のフリをしてくれ」
「……はい?」
雑用として働いているお屋敷の公爵子息──レナルド様に呼び出されたと思ったら、何か言われてしまいましたよ。
女装して妻のフリをしてくれ?
──女装?
女装してって言った?
女装って、男が女の格好をするってことだよね?
「嫌だとは思うが、もうこれしか方法がないんだ。その分報酬は渡すつもりでいる」
レナルド様が初めて会ったばかりの私にこんな頼みをするなんて、きっと何か理由があるんだと思う……けど!
女装はちょっと無理です!!
だって私、女であることを隠してる男装中の身なのに!!
私の名前はノエル。現在18歳。性別は女。
生まれた時から平民だった私だけど、私の両親は元貴族だったらしい。祖父の失態により没落した──というのは聞いたことがある。
なぜ没落したのか、その理由はわからない。
平民でも幸せだったし、特に知りたいとも思わなかった。
でも……私が10歳の時に、優しい両親は事故で死んでしまった。
両親が死んでしまったことの悲しさ、突然1人にされた不安。会ったことのない祖父を探すこともできず途方に暮れている私の前に、母の友人だったヴィトリー公爵夫人が現れた。
『私の家で住み込みで働くといいわ』
そう優しく声をかけていただき、10歳の頃から私はヴィトリー公爵家の雑用として働いている。
主な仕事は掃除や洗濯、庭の草むしりに皿洗いに家畜の世話──といった、下位使用人の仕事全般だ。
個別の部屋もあるし、使用人用の食事も用意してもらえる。他を知らないけど、みんなの話によるとヴィトリー公爵家はお給金も多めらしい。
平民の身寄りなし少女にしては、とてもありがたい環境で働かせてもらっていると思う。
そんな私は、現在……女であることを隠して男装している。
茶色の短髪ウイッグをつけて、本来の長い薄紫色の髪を隠す。
特殊なベストを着て、胸の膨らみを隠す。少しキツくて苦しいけど、これで本当に胸がペタンコになるのだ。
そして男性用の服を着れば、この女顔の低身長でも一応男の子に見えるらしい。
ちなみに、このウイッグとベストは奥様が用意してくれた物だ。
なぜかというと……男装しようと言い出したのが、この奥様だから。
なんでそんなことを言ったのか──それは、奥様の息子であるレナルド様が原因だったりする。
2年前。当時20歳だったレナルド様の女嫌いが発症し、女性の使用人が全員解雇されてしまったのだ。
屋敷に残るのを許可されたのは、奥様の侍女をしていた60歳以上の侍女長と、選ばれた数人の侍女のみ。
10代や20代の使用人は、どんなに有能でも辞めさせられた。
ただ、解雇されたといっても職を失ったわけじゃない。きちんと全員次の職場を用意されていた。
退職金もたくさん払われたって聞いたし、みんな笑顔で出ていけたのは良かったと思う。そこは、さすがヴィトリー公爵家! って感じ。
私もここを辞めて出ていくつもりだったけど、奥様に止められてしまった。
身寄りのない私を心配して、反対されたのだ。
『まだ16歳のノエルを追い出すことはできないわ。あなたはここに残っていいのよ』
『ですが、レナルド様に知られては大変です』
『女だと気づかれなければよいのでしょう? なら、男の格好をしていればよいのです。ノエルはレナルドと会ったことがないのですし、雑用として働いているうちはこれからも会うことはないでしょう。何も問題ないわ』
『男の格好……ですか?』
『ええ。あなたのことを知っている使用人には、口止めをしておきましょう。これから知り合う者には、男として自己紹介なさい。そうね……さすがに18歳の男性には見えないから、13歳の少年ということにすればいいわ』
優しく前向きな奥様は、笑顔でそうおっしゃった。
『レナルドにだけ知られなければいいのよ』
そうして、私は2年前から男装をしているというわけだ。
元々ドレスを着ていたような令嬢でもないし、男のフリをするのにたいして抵抗もなかった。
ここを出ていくより、ずっといい。
10歳の頃から8年働いている職場。
同年代の男の子達はみんな兄弟みたいだし、年上の使用人の人達もみんな親切で温かい人ばかりだ。私が女だってことも、みんな協力して隠してくれている。
私にとっては、家族のような人達。
できることなら、離れたくない。
雑用の仕事は裏方だし、今までレナルド様の暮らす本邸の中には入ったことがない。調理場には入ったことあるけど、そこにレナルド様が来ることはない。きっと、これからもレナルド様に会うことはないと思う。
だから大丈夫!
この屋敷に若い女がいるなんて、きっとバレないはず!
「おい! ノエル! 今日はお前と俺が洗濯当番だろ!」
外を掃除していた私のところにトーマがやってきた。
トーマは私より2つ年上で、庭師のおじさんの息子だ。10歳でここに来た時から一緒に育ったので、友達のような兄のような存在だ。もちろん私が女であることを知っている。
黒髪短髪で目つきが悪くて、いつも怒ったような顔をしていて口も悪い。
「あっ、そうだった! ごめん。すぐ行く」
「早くしろよ」
それだけ言うと、トーマはスタスタと洗濯場に行ってしまう。
ああっ。もう! 少しくらい待ってくれてもいいのに。
トーマは口も態度も悪いけど面倒見がいい。
そう言われてからかわれている姿をよく見かけるけど、本当にその通りだと思う。
怒られたり文句を言われることも多いけど、いつも私を1番心配してくれるのもトーマだ。
「昨日雨が降ったせいで、今日の洗濯物は量が多いんだ。早くやるぞ」
「うわーー。それは気合い入れてやらなきゃだね」
「でも、料理長がその分俺達の昼飯を増やしてくれるって言ってたぞ」
「本当に? やった! やる気出た!」
「単純。……でも俺も」
ニヤッと笑ったトーマを見て、私もニヤッと笑い返す。
女であることを隠している生活だけど、特に不満もないし毎日楽しく充実した日々だ。
「そういえば、今日レナルド様が戻ってくるらしい」
真っ白なシーツを2人がかりで洗いながら、トーマがボソッと呟く。
私と同じ雑用であるトーマも、直接レナルド様に会ったことはない。
「視察に行ってたんだっけ? 王子の補佐って大変なんだね」
「優秀すぎて、王子が直々に任命したっていうからな。俺達とは住む世界が違うよ。見た目もアレだしな」
「たしかに完璧すぎるよねぇ。まぁ、そのせいで女嫌いが発症しちゃったんだけどね……」
「まぁな……」
遠目でしか見たことがないけど、レナルド様は容姿端麗な男性だ。
綺麗な銀色の髪の毛に、碧い瞳。22歳の若さで王子の補佐官の1人に選ばれた優秀な公爵子息。
そんなレナルド様は、すぐに貴族令嬢達の憧れの的となった。
婚約者のいないレナルド様のもとには、毎日女性からの手紙や訪問があとを絶たず、職場である王宮やこのお屋敷にも多少の影響があった。
約束もなしに訪問してきた令嬢同士が揉めることも多かったし、その度にうちの使用人達が慌てて仲裁しに行ってたもんなぁ。
私も見たことがあるけど、令嬢達の言い争っている姿は本当に怖かった……!
元々女性が苦手だったレナルド様は、毎日憔悴しきっていたらしい。
そんな中起きた、メイドの夜這い事件。
当時メイドとして働いていた伯爵家の令嬢が、寝ているレナルド様のベッドに潜り込んだのだ。
ここでレナルド様の女性に対する恐怖心や嫌悪感が限界を迎え、女性の使用人を一斉に解雇するという状況になってしまった──というわけだ。
今では女嫌いが平民にまで伝わるほど有名になったし、誰も来なくなって平和な日々を送っている。
……まだこっそりと狙っている令嬢は多そうだけどね。
「とにかく、レナルド様が帰ってくるんだから女だってバレないように気をつけろよ」
「大丈夫だよ。僕はもう2年も男のフリしてるから、完璧だし」
「どこが。ノエル、昨日も転んだ時に『きゃあっ』って言ってたじゃねーか。男はそんなこと言わねぇよ」
「うっ……」
トーマに呆れた目で見られて、ゆっくりと視線を外す。
自分のことを『僕』って呼んだりと色々気をつけてはいるんだけど、どうしても素の瞬間に女が出てしまう時があるのだ。
レナルド様の前で転ぶなんてことはないけど、もしバレたらここを出て行かなきゃいけないんだし……気をつけなきゃ。
大丈夫だとは思いつつ、念の為ウイッグがズレていないか確認しておいた。