六 大人の仕事
付喪神さんしか出てこないです!
よろしくお願いいたします!
早朝。少し肌寒い風が結界桜の桜模様の袖と髪をなびかせます。本堂に向かい歩いていくと綾が空を見上げていました。こちらが口を開くよりも先に綾の緋色の目に見つめられます。
「その、円陣を拝見してもよいですか?」
「え?あ、うん。」
何か気になることでもあったのでしょうか。凝視され緊張します。結界桜は円陣を出したまま、目線だけを下に向けました。
なんか、円陣、大きくなってない?
前確認した時は足のサイズに近かったはずですが、今は両手を広げたほどの大きさがあります。綾は少し考えて、円陣をその場に展開したまま離れて歩いてほしい、と言いました。やったことは無いのです。外側にある足を引き、中心で踏みつけた足をそっと持ち上げました。円陣は変化せず、そのまま輝いています。何が書いてあるかさっぱり分かりませんが、中央には桜を象ったような模様が。綾は千早が地面に着いてしまうのも構わず、円陣に指先を触れさせます。
「あ。」
言葉を残し円陣がしぼんで、綾だけが消えました。綾のいた場所に青い布が出現し、地面に激突します。からんと音を立てました。そっと、手を触れて持ち上げます。ちょうど、そう。結界桜が腰に差している刀に近い形、重さをしていました。
え?何が起こった?綾がワープしちゃった?
青い棒を持ち思案にふけります。どこに行ってしまったのでしょう。
「ガシャを狩りに行こうとしていたのですね。」
青い布が喋っ
「離してください。」
一瞬で戻ってきた。
両手の上に干された布団のようなうつ伏せ状態の綾が乗っかっています。軽く足をバタバタさせているのがかわいいです。よいしょと地面へ下ろしますが人とは思えない軽さ、丁度先程の青い布と同じなのです。
ぽんと地面におりた綾は衣服を整えました。
「さっきの青い刀は綾の本体です。番の付喪神は器があります。人間で例えるなら、天使とかそういう形でしょうか。死者の国に居るのに、肉体があるのです。そして、さっきすぐに帰ってこられた理由は。」
綾は森の方へ砂利の上を歩いていきます。森の領域に一歩足を踏み出すと、その場に先程のような青い布が落ちました。綾は森を何事もなく歩いているようにも見えますが、その体は半透明です。
「器はこの領域から出られないのです。その代わり……」
瞬きする間に、綾が青い布の落ちた森の手前に立っていました。
「器がある場所にどこからでも帰ることができます。緊急時に居ないなんてことがあってはなりませんし。」
先程はこのようにして帰ってきたようです。
「言霊というものがあるのはご存知ですね?」
「一応は。」
古代日本で、言葉に宿っていると信じられていた不思議な力のこと。発した言葉が事実になるという考えのことですが。
「それは、間違っています。言霊はあくまでその事象が起こるよう働きかける力。必ずそうなるわけではないのです。それに、室町時代の頃から言霊の力は弱まりつつあり、今ではほとんど効力を持ちません。しかし、円陣にかかれていた文字。この字は昔使っていた門の接続に利用されていたものと半分ほど一致しています。」
円陣を展開し、それを見つめます。紫色で書かれたそれはいつもと変わりません。
「昔は現と付喪神の国の間では空間転移のため、この陣に書かれている文字を唱和して起動させていたのです。言霊の力が失せてからは門を引き込むことによる、科学に近い方式を取るようになりましたが。結界桜の陣がその方式を取っている以上、言霊の力が回復している可能性があるということです。綾は呪の付喪神、なにか分かれば、またお話させて頂くことがかるかもしれません。」
「なるほどねぇ。」
円陣を消失させました。綾は一通り話し終えたようで、こちらをー正確には、こんな早い時刻に結界桜が起きてきた意味―に意識を向けています。
危険はいち早く認識しておかないと。誰かがやってくれるだろうというのは間違いだ。
他人の込み入った話を聞くときは勇気がいるものです。結界桜は目を閉じゆっくりと息を吸います。開いた瞳には和やかな空気を持つ少女は居ませんでした。
「綾。金の群と何かあったのか、話しなさい。」
綾も神妙な顔つきに代わり、片膝を付き頭を下げる目上の人に行う礼を取りました。
遠くの方から足音が聞こえてきます。高めの身長、上白下黒の服。火の玉流れ。綾が立ち上がろうと動かしたその手首をしっかりと掴みます。伝わってくる、冷たいゴムのような感触にゾッと背筋が凍りました。
こっからは結界桜としてではなく呼び込まれた人間の代表として。質問じゃなく『詰問』。
「綾。何があった?」
綾はびくりと体を震わせてかたまったまま。力の抜けた緋色の目が、泳いで瞬きして大きく開きました。その動揺を跳ね除けるようにさらに鋭く。
「答えなさい。」
躊躇うような沈黙のあと、綾は銀ビラの付いた黄の菊のかんざしを髪から抜き取ります。お手を、と言われかんざしを渡されました。とても軽いそれを握り込んだ右手、それが綾の両手に握り込まれます。人では有り得ない冷たい体温。気持ち悪く感じます。
「いってらっしゃいませ。これは綾の記憶です。」
空間がふにゃりと揺らぎます。周囲が紫に包まれる『桜』とは違う、規則性が無い混沌とした歪み。茶色の風景としか認識できない時間が過ぎたあと、揺れが収まるように風景がはっきりとしてきました。
「呪の壺の守?」
ぶっきらぼうで事務口調の、聞き覚えのない声です。自分の意志とは別に、声の方を向きました。耳元で金属の音が鳴り、綾の体の中に入っていることを認識します。本堂の階段の上を振り仰ぎました。長い白髪をポニーテールで結んだ青い目の和服の男。白い着物には水色で流水紋が描かれ、袴は濃紺です。
『新しく番になった、翠の刀の守 錐。』
綾の考えたことも記録されているようです。
「何用?」
綾の溜口は初耳です。普段ののんびりとした雰囲気はそのままですが。
「門が余計なものをまた吸い込んだようだ。」
『付喪神を呼び込むはずの門に人が巻き込まれたということ。』
半透明の一群が横を通り過ぎました。不定形の白い靄です。
「準備をしておいて。」
どこからか、足音が聞こえました。錐のものでも綾のものでもありません。直後、ヒュウと風を切る音が聞こえました。
『どこかの悪戯付喪神ですか。』
綾が音の方を向きます。音の原因、金色に輝く矢はあらぬ方へ飛んでいきました。
『ここは陰陽の結界で固められている。並の付喪神では干渉できないというのに。』
矢を放った相手が森の奥から姿を現しました。黒い丈長のローブをはおりフードで顔を隠してはいますが。
『金の群 箔。掌の一人がどうして。』
「刀が守の錐を出せ。」
男性の声とはわかるものの、機械に通したようなくぐもった不明瞭な声です。
「世迷言を。番は掌の命は承けぬ。」
綾の低い声が響き渡ります。心の中の動揺は体の外に出ることは決してありませんでした。
「壺の守!」
なにかに絡みつかれたように体が重くなります。
『本体が…!』
庭石の下に目を遣ります。いつの間にか派手に掘り起こされ、赤黒い一抱えもある壺に金糸が絡み付いていました。十かそこらの男の子のような姿をした付喪神が壺の中から立ち上がります。
「頭に血ぃ上らせんなよ兄ちゃん。」
軽口を言いつつ錐の刀による追撃を楽しそうに躱していくのが目に入ります。
『邪気の少ない金の群の銭。そのせいで気が付くのが遅れた!』
「錐、来い。壺を壊されたくなければ。」
『先んじて、番として取るべき対応を。操り人形となる前に、操り糸を断ち切る。』
「錐!退きなさい!離別の泉を持ってくること!」
『離別の泉ならば、器と付喪神を切り離すことができる。番をやめることになるが、存在が消えうせるよりはずっといい。』
錐が追撃を止めました。どうするのでしょう、綾の願いに反して、金の群についていくのでしょうか。錐はすぐに動くわけでもなく、もたもたとした不明瞭な挙動をしています。初対面の結界桜でもわかります。この状況下で取れるはずがない行動だと。
「泉を持っ…」
苛立ち頭を掻き回し始める錐。綾は驚愕を飲み込み、錐に殺気をぶつけました。
「持ってきなさい!」
一喝で錐が本堂の中へと動き始めました。その背中に、金の群の声が響きます。
「『一筋に思いも切らぬ玉の緒の結ぼほれたる誰が心か』」
「造化の神のお言葉である。錐。遥かの記憶に従え。」
錐が頭を抱えていた手を下ろします。整理がついたようですが、それは離別の泉を持ってくるわけではありません。
「『波来ねば独り消えなむ磯の辺の草場の露の命なりせば』それをお望みなら。」
錐は何かを悟ったようでした。そのまま金糸が絡んだ壺に手を向けます。壺が緋色の粒子となって錐の掌に吸い込まれていき、代わりに紺の布に包まれた刀が綾に押し付けられました。
「結界桜様を頼む。」
なんでそこでわたしのなまえがでてくるの!
『誰ですかそれ。』
結界桜と綾の声が被りました。青い布に包まれたものがー恐らく錐の本体でしょう、それが綾の胸に吸い込まれます。
錐が綾の前に出ると、金の群がその体に触れます。錐が紫色の粒子に砕け、その手に収まりました。
「それでは。」
箔が慇懃無礼に言い、金の群は立ち去ります。綾はその後ろ姿を呆然とした様子で見送りました。
「ここどこ?」
聞き慣れた声です。そちらをむくと、手持ち無沙汰に着物の襟をつかんでいる追投機が居りました。
景色が揺れ始めます。始まりと同じように唐突に終わりました。
歌、意訳
(数珠の玉が結ばれているように、一筋に思い切れずにいるのは誰の心であるか)
(波が来なければ打ち上げられた海草のように一人で枯れてしまうだろう。はかない命なのだから)
綾が手を離します。かんざしを綾に返し、黒い髪に挿すのを黙って見ていました。
「錐は何がしたかった?」
またしても謎であります。疑問符が五つぐらい必要です。それは綾も同じようで、浮かぬ表情を浮かべています。
「錐の行動の結果は、綾が番を辞めずに済んだということだけ。崇の鏡の守のお言葉も怪しいものです。この件で金の群は掌を除籍されることになりました。」
「でしょうね。」
即答です。付喪神に詳しくない結界桜だって昨日のことは覚えています。
掌と番は相互不可侵って歴史書の群が言っていたけど、ばりばり干渉しちゃってるもんね。
綾は黙って首を振ります。交わされた歌の意訳をしてみても、意味は全く通じません。
「私の名前を錐が知っていたのも謎。」
綾は俯いています。それに気が付いて黙り込むと、綾は睨むようにこちらを見てきました。
「綾は道具として壊れるべき時に壊れなければなりません。役目を果たさずむやみに生き延びる、これがどんな屈辱か、結界桜様はご存じない。」
多少の罪悪感が湧き上がる。知りたい為とはいえ、申し訳なかった。
「思い出させて悪かった。」
綾はふっと息を吐き、表情を緩めました。
「いいのです。綾の役目は門の番を全うすること。巻き込まれた方々を必ず元の世界にお返しするとお約束いたします。」
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「遅くなりました。」
『桜』を発動させ、泉にやってきました。背の高い木々に囲まれた丸い空間で、細かな白い砂に覆われています。泉のはずなのですが。古株の番に会いに行けば何かわかるかもしれないという綾に付いてきたのです。もちろん綾は半透明で、本体の青い布に入った刀のようなものはきちんと隠してきました。
「ここで合ってるの?砂しか無いんだけど。」
「見ていれば分かります。」
木々で囲まれた丸い空間の中央部が沈み込み、砂地が水面へと変わっていきました。そこから端に向かって、水面は広がっていきます。足元の砂も水へと変わりますが、一向に沈む気配がありません。
怖い。
水面に立っています。水に波紋が来ると、その上の自分も揺れるのです。綾にしがみつこうとしますが、綾は半透明で手がすり抜けました。
「壺の守、隣に居るのは人間か。」
背ぇひっくいのに声ひっく!中学生サイズなのに声と顔がおっさんなんだけど!
泉の中心にいる人影は結界桜よりも身長が低く、赤い直垂を着ています。手には細身の刃が付いた薙刀を持っていました。心の声を読んだかのように、鋭い目つきでこちらを睨んできます。彫りの深い雄々しい顔。下級武士の人相をしているのに、服装は上級のもの。手には細身の刃が付いた薙刀を持っていました。
「久しく。薙の刀の守。」
綾が軽く腰を屈めます。それを見習い、
「初お目にかかります。結界桜と申します。」
「お前には聞いてない。」
ばっさりと切り捨てられました。綾を見習い、それっぽく挨拶をしたにも関わらず、です。心の中を見透したのなら、さすがは老練と言うべきお方。
「久しいな。壺の守、何用か。」
「これについて、意見をお伺いしたいのです。」
綾はかんざしを抜き取り、薙の刀の守に向かって投げます。薙は片手で受け取り、そのまま座り込みました。綾は薙の刀の守の傍まで歩み寄り、隣に座ります。結界桜は先程冷たくされたので、全く動きませんでしたが。
「なんだこれは。」
薙も難しい顔をしています。かんざしを綾に返すと、泉の上に徳利と小皿が現れました。
「そこの小娘、来い。」
言われた通りに水の上を歩き、綾の少し後ろに座りました。目の前に、小さな皿を置かれ、透明な液体が注がれます。
「飲め。」
やっぱり。
付喪神の国は死者の国です。そこの国の食べ物を食べれば、その国の住人になってしまう……ことはなく、数十分後、嘔吐に悩まされることになるのです。木の実とかを食べるのに加わったことがあるので身をもって知っています。ですが、挑戦的に睨まれたので話は別。両手で持ち、軽く頭を下げて感謝の意を出してから一気に腹の中へ流し込みました。あ、味がしない油、ゴクゴクと喉を鳴らし、器を空にすると勢いよく水面の上へ戻します。
幼女のようなにこやかな笑顔を浮かべ、袖で口元を拭います。吃驚した顔をする二人の付喪神を横目に徳利を取り、酒坏になみなみと注ぎました。それも溢れんばかりに。飲めと目配せをしてやります。明らかに度肝を抜かれた顔をしたのを見届けると、今度は大人びた顔を作りもう一度器を空にしました。
「……やるな。」
ことりと器を水面に戻しました。
「これしき事で参るようなら、綾と一緒にこんなところに来る訳が無いでしょう。」
自信ありげにそう言うと、薙の刀の守はちろりとこちらを見ます。
「何か欲しそうな顔をしている。」
図星です。
「薙の刀の守は強い?」
付喪神は黙って酒を煽っています。器で隠れた顔に向かって、真剣な願いを伝えます。
「能力の使う戦い方教えてほしい。」
薙は目を大きく開くと、器を水面に置きました。
「これは異な奴。お前、本当に戦いを知らない現の女か? 」
その器に悲しみを混ぜながら酒を注ぎます。
「母上に言われた。お前は生まれてくるのが遅すぎた、七百年前だったら英雄にもなれたかもしれないのに、ってさ。」
一呼吸置いて、薙の刀の守は酒を消すと綾に向き直ります。
「綾、今の情勢について。」
水面に地図が浮かび上がってきます。和紙に墨で書かれており、中心に掌の文字が。それを囲むように。門と泉の文字が交互に、円周上に均等に配置しています。その話はとっても気になるのですが。
ゲフッ
うえ、吐く。アレだ、お酒らしきものが出る。
ゲロを泉の上にぶちまけるわけにもいかず、走って水面の外に出ます。
「おえええぇぇぇ」
案の定、付喪神の国の食べ物が消化できるはずもなく、上から全部戻す事になりそうです。木の根元に涙目になりながらひたすら吐き下していると、話を終えた綾が隣にしゃがみました。
「調子に乗って飲むから。」
綾に酔っ払い用の声をかけられて、それっぽく返答します。
「これが大人になるってことなんだオエッゲホッツ。」
「違います。付喪神の国の食べ物を口に入れるからです。」
「お花摘みに行くタイミングを完全に見失っゲホッ」
「花に水をやりに行くの間違いでは?」
適当な植物に対して口から透明な液体を吐き散らしている姿はじょうろにも見えなくはありません。但し、お花摘みみたいに一筋縄ではいかないのですが。
「売られた喧嘩を買うからです。綾はもう帰ります。」
呆れたように言われ、むすっとしながら円陣を展開させようとしたのを止められました。
「先程いったことを忘れたのですか?」
きょとんと首を傾げると、綾が楽しそうに笑いました。
「薙が呼んでいます。手合わせしてくれるそうですよ。」
読んで頂きありがとうございます!とっても嬉しいです、
登場した和歌は付喪神記にて読まれたものを、作者がストーリーに沿うよう一部勝手に改変したものであります。
元の歌は数珠の法師によって詠まれた『酷いことされたけどみすてらんないなぁ、というか、ショックで死にたい……』ていう意味でした。