十六 鶴の恩返し
読みに来ていただき嬉しいです!
この期に及んでまだ新キャラ出ます。(前々から出てはいたけど。)
真っ暗な道を歩いていて、後ろから袖を引かれる。二つの人影だ。なにか言っているけれど耳の中で反響してよく聞こえない。
離せ。
必死でしがみついてくる。ゆっくりと重みを増す。怖い。怖い。絡まれる腕で腰の刀を探る。
目の前に一瞬白い影が映る。私の姿をしたそれは、私に向かって何かしら叫ぶけれど、何も聞こえない。
影が消えた。
より一層重く絡みついてきた人影に、反射的に刀を刺す。
人影はゆっくりと倒れ、どちらも動かなくなった。
気分が高まりガクガクと震えてきた手を握りしめる。浅い息を深呼吸して戻そうとする。
どこからか、強い光が当たった。倒れた人影を照らす。
火の玉流れ。
つる枯れ。
狂いもなく、胸元を突かれている。
私の手はぬるっとした感触。刀が滑り落ちた。
急に、さっきの幻の声だけがする。
『つる枯れを、せおんを助けてくれ!お願いだ!』
『その二人は、敵じゃない!私が守ろうとした二人!傷つけないで!』
もう遅い。
遅すぎる。
冷めた目で二つの死体を見下ろす。
不思議なことに、悲しくもない。
ああ、やってしまったなぁという感情だけでただただ見下ろしている。
#############
「桜姉!桜姉!」
水面に顔を出したときのように勢いよく息を吸い込んだ。
目を開けると水布が肩を揺すっていた。目を開いたのを見て、水布はほーっと息をつく。寝汗で服が濡れている。カタカタとまだ痙攣している手を握りしめた。
「よかった〜、桜姉、すごいうなされてたから。」
心臓が恐ろしい速度で鳴っている。起き上がり襟首を握りしめても、その下にはなにもない。
「夢、どんなの見たの?」
「……よく覚えてない。」
嘘だ。嫌なくらいはっきり覚えている。手が濡れた感覚も、空気も、匂いも。
「……すごい怖かった。起こしてくれてありがとう。」
「もー桜姉は他人行儀だなぁ!」
水布の手が肩に触れる。夢と重なって怖くなって、両手を組み合わせた。水布はそんなことお構いなしに、服から寝汗を吸い取ってくれた。
「あ、そうだ、今度一緒にさ、肝試し行こう?桜姉が一緒だったらいいでしょ?」
「……そうだね。」
「やったね、約束だからね!蛍ー約束取り付けたよー!」
嬉しそうに走っていく水布を見送って、組み合わせていた両手を解いた。まだ微かに震えている。
廊下に出て、空を見上げた。仮眠は二三時間は取れただろう。
ダダダダッとせわしない足音がした。
「こら幼竜!」
幼竜使いと幼竜が廊下を追いかけっこしている。
逃げていた幼竜は私の背中に隠れた。そのまま鬼ごっこを続行し、幼竜と幼竜使いはぐるぐる回る。
「待てって!」
「キュルルルル!」
「おい、何やってんの。」
幼竜は鉤爪のついた足で肩をがっちり掴む。
「ちょい、痛い。痛い!」
幼竜は眼前にいる弟に向かってに首を振り振りすごい剣幕で何かを話す。だが忘れないでほしい。私の頭越しにである。
「キュル!キュルルルル!キュリュ!」
「悪かった、ほんとに悪かったって幼竜!」
幼竜は足を離すと空中をすごい速さで泳いで行く。それを追って幼竜使いー私の弟が走り去っていった。
ちょっと痛かった肩を擦る。
「うちの弟は相変わらずだな。」
本堂の方に目を遣るとかげさんー小さな妹が浮破と人形で遊んでいる。
「妹も。」
振り返ったら鳥打ちー父さんが本をめくっている。
いつも通りの日常なんだろう。でも、私と、つる枯れ、火の玉流れだけが異質だ。そして、私だけが何をしたか、何が起きているのか知っている。
私は行かなくちゃ。ここにいたら、夢の中のような事をしかねない。それは嫌だ。
自分が怖い。力を持った自分が。
奥座敷に向かう。障子の中には入る気はない。壁に持たれて耳を欹てた。
身動きの音。火の玉流れが筆を置く音。
つる枯れはまだ、元に戻らないか。
部屋の前から立ち去ろうとしたその時。
「なつか……じゃなかった、火の?」
弱々しいけど、はっきりしたつる枯れの声が。
火のが驚いて、何かを盛大にひっくり返す音がする。
少しだけ開いている障子があって、隙間から中を伺う。
西に傾いた日が差し込んで、奥座敷ご金色に包まれる。障子の隙間から伸びた一筋の光が私に当たる。
火の玉流れは起き上がったつる枯れをきつく抱きしめた。
「……良かった。」
火の玉流れが言葉を振り絞る。
「死んじゃうかもって何度も思った。……俺が、あのとき行かせたから。俺が代わりに行けばよかったって、何度も思った。」
びっくりして目を瞬かせていたつる枯れは、状況を理解したようで顔を赤らめる。
「ひ、火の、ちょっと?」
「せおんが死ぬかもって思ったら目の前が真っ暗になって、動けなくなって、今まで一緒に喋っていたのが奇跡みたいに感じて、後悔ばっかりが頭の中でこだました。」
嫌になるくらい、その気持ちがわかる。
火の玉流れの声が嗚咽に包まれる。つる枯れの手をしっかりと握りしめた。
「もう嫌だ。二度と、二度とあんな思いはしたくない。もう、俺を置いて行くな。」
「火の、助けてくれて、ありがとう。」
つる枯れが火の玉流れの手をそっと手首から引き剥がした。拒絶と勘違いした彼に微笑んで、手に指を絡ませる。
「水臭い。俺の本名、知ってるのに?」
「知ってる。ありがとう、夏蔭。」
「どういたしまして、せおん。」
心の中にもやりと霧が湧く。
この状況を手に入れるため、私はどれだけの代償を払ったんだろう。
ふと、腰をまさぐろうと伸びる左手。刀を抜くときの鞘を握る行動と重なって、夢の中の自分と重なって、右手でしっかりと捕まえる。
絶対に、駄目だ。嫌だ。
音を立てず、奥座敷の前から立ち去った。
気が、重い。少し変わったことをしようと思って、刀を持ち本堂の裏手の人が来ない場所に行く。刀の前に座って、泉を閉じ込めた結界を取り出した。顕現の泉をその柄に垂らす。ふわりと煙のようなものが舞い上がるが、ゆらゆらとして不定形だ。
魂が足りない。
平定の泉を取り出す。小さな小瓶に人差し指を浸けた。指から紫色の光が溶け出してくる。指を抜き、小瓶を光にかざした。
夜明け前の、太陽が差し込む直前の空のような青紫。それが、私の魂の色、か。
その水を不定形のモヤに振り撒いた。
刀が変化を始める。数瞬の後にそこに居たのは、胸辺りで切りそろえた黒髪に金髪が一筋混じった付喪神。十三程の子供だろうか。面立ちは私に似て、真っ黒な着物の腰辺りを紫の細い紐で無造作に留めている。両手に嵌った金色の腕輪がキラリと揺れる。
「何か用?」
気の強そうな、それでも真っ直ぐな声。穏やかに笑って、こちらを見上げる。
「初めまして。私は日鶴と言います。」
付喪神は青紫の目をしばたかせ、首を傾げた。
「知ってる。」
「私は、行かなくちゃならない。けど、あなたはどうしたい?綾に頼めば他の子と一緒に元の世界に送り返してくれるけど。」
事情は全て理解しているようで、気の強い付喪神は鼻をツンと上げる。
「冗談じゃない。子守なんて面倒な真似は嫌だ。連れて行け。」
私は返事をしなかった。連れて行くかどうか、結論が出なかったし道連れにしても良いものか、悩んでいるから。
犬鑑札を取り出して眺めてみる。相変わらず黒い霧がとぐろを巻いている。外を覆っている結界を極限まで小さくして巾着に入れた。その様子をじっと見つめていた付喪神ボソリと呟く。
「火のとつる枯れには会わないんだ。」
巾着の中を整理しながら、答える。付喪神は、私の行動を全部知っている。隠し事をする必要はなかった。
「そう。つる枯れは勘が鋭い。先入観の刷り込みもうまく行かない。そんな匂いがする。」
「匂い?」
付喪神の疑問に巾着を手放しながら答える。
「匂いは相手の動作や雰囲気から感情や性格、次の行動を推測すること。先入観の刷り込みは、言葉だけじゃない、声の質、高さ、速さ、動きそれ以外のすべてを使って自分の考えを伝えるためのもの。人と接するときならなんとでも使える。やる気さえあれば、他人を操ることだって。」
やりたくはないけど。
「それは、そんな使い方をする為のものじゃない。それは全部、言語が通じないクロと意思疎通を取りたくて日鶴が作ったものだったのに!なんでそんな使い方をしているの?それは他人を操る為のものだった?」
付喪神は全部知っていた。私がそんなことができる訳を。
「クロが居ないから。」
ぶっきらぼうに言って、巾着に紛れ込んでいた石を放り投げる。付喪神は目を見開いて、頷いた。
「知ってたよ、ずっと。日鶴はずっと、クロのことが好きだった。でもさ、クロ以外のみんなは日鶴のこと助けてくれたことある?」
過去を思い返してみる。
私が、自分で何もかもしようと思ったのは小学生の頃。学校に入って、虐められた。助けてって色んな人に言った。教師に。友達に。家族に。
『あなたがなにかしたんじゃないの?』
『そんなお子様放って置きなさい。』
思い出して、薄く笑う。私はお前らなんか、信用しない。でも本当に誰も何もしてくれなかったんだろうか。
「分からない、気が付かなかっただけで居たかもしれない。それでも状況が何も変わらなかったのは事実だ。」
私は、助けてほしかった。一人じゃないよと言って欲しかった。
「二人だけ。父さんは違った。建前を言わずに、誰も助けてくれない世界だと言い切った。他人を頼るな、自分が強くなれ、と言った。クロは違った。クロはどんなときでも隣りにいてくれた。自分の領域を犯すようなら、何をしてでも追い払えと私に示してくれた。」
「自分で生き残る力がないなら、助けず放っておけばいい。日鶴がされたように。なぜ、あいつらを助ける?日鶴に何をしてもらったのかも知らないあいつらを。」
捲し立てる付喪神にため息を一つついて、巾着に触れる。犬鑑札はそこにいる。
「そうしたいって、何回思っただろうね。『見捨ててやろうか』って。でももしその時、私が助けてって言った時、誰かが手を差し伸べてくれたらすごい嬉しかっただろうなって。」
「日鶴は優しすぎる。」
「そうでもないよ。誰も信用していないだけだ……あ、クロは別だからね。クロと父さんだけは別だから。」
火の玉流れが私を強いといったのは、弱みを見せないからだ。私は、クロがいなくなってもずっと彼だけを信じている。
面白がった調子で付喪神が首を傾げた。
「私は?」
「まさか自分の刀にも付喪神が居るなんて、あんまり考えたこと無かったなぁ。」
巾着を腰に下げると、すね当てをきつく止める。
刀を拾い上げる。付喪神はなんの変化も無いまま立っている。
「この刀はそのまま使っていいの?」
「言ってくれれば私は刀の中に戻る。好きなときにこうやって出てこれるし、もし私が大ダメージを負っても本体が無事ならいくらでも元に戻る。」
説明を聞きながらさっきの答えを考える。
是か非か、断定は難しい。なぜなら、私は、力の象徴であるこの刀が、怖い。
「言う通り、連れて行くことにする。これでどう?」
怖いからこそ、ここに残してはおけない。
そか。と、小さく付喪神が頷いて、青紫の目をこちらに向ける。
「私には名前がまだないの。信じてくれる気になったら、名前がほしい。」
「考えとくよ。」
「日鶴は仲間が欲しくないの?」
「別に。……そろそろ、行こうか。」
付喪神が疑問ありげに太陽を見る。まだ、日が沈んでないってことか。
「私に、ここにいる資格はないから。」
決めた合図の通り、刀の頭を手の甲で小突く。付喪神は刀の中に吸い込まれた。
最後に寺を拝んで行こうかと、寺の正面に回り込む。小さな頃から見上げ続けてきた寺は、夕日を背負って金色の光に包まれている。
「やっと、見つけた。」
火の玉流れの少し上擦った声。
「つる枯れが、元に戻った。」
知っている。
「……そうか、良かったな。」
火の玉流れの匂いが、安堵から疑念へと変わっていく。
「……どこに行くつもりだ。」
「散歩。」
火の玉流れは信じていない様子で、ポケットから紙を取り出した。ハガキ大のそれは、兵法書の群との取引直後火の玉流れに渡したものだ。
「結界桜に聞きたいことがある。渡されたこの紙、『解呪法』はどこから手に入れた?」
一拍おいて、低い声で牽制する。
「詮索するなといったはずだ。」
「俺たちは、仲間じゃないのか。」
意を決したような火の玉流れの言葉を、ため息混じりに復唱する。
「仲間、ねぇ。」
「辛い時に助け合うんじゃないのか?」
「助け合う、か。」
「なぁ、結界桜!」
左手に握る刀から煙が巻いて、付喪神が現れる。青紫の目を瞬かせると、火の玉流れの前に立ち塞がった。
「日鶴、私、もうこいつの乳臭い言葉聞いてらんない。」
気だるそうに言って、手首に嵌っていた金色の腕輪を抜き取った。火の玉流れに歩み寄り、輪を指に掛けクルクル回す。
「私の記憶。私が付喪神の国に来てからの、日鶴と一緒に戦った記憶。お前が欲している情報はすべてこの中にある。ま、知らない方が身のためだと思うけどね。」
綾の簪と同じ役割のようだ。私が、薙を殺したのも、ガシャの真実も、崇の鏡の守にされたことも、兵法書の群との取引も全部あの腕輪に触れることで見られる。止めようかとも思ったけど、私はそうしなかった。知って欲しいという承認欲求じゃなく、私の後を追わせないための布石として。素人に下手に動いてもらっては困る。
「欲しい?」
付喪神が怪しく笑う。私がそうであったように、火の玉流も迷わず手を伸ばした。
一瞬の後、記憶を見尽くし愕然とした火の玉流れが、よろけて地面に崩れる。
「……知らなかった。俺は全く……」
「日鶴、ちょこーっと刺激が強すぎたみたいだよ。」
腕輪をひったくって取り戻した付喪神はそれを手首に戻す。
「それじゃ。」
柄頭を指で叩く。付喪神は火の玉流れを一瞥すると刀に吸い込まれた。
「俺が悪かった。俺は何も知ろうとしなかった。結界桜、もう、もういい。もう、何もしないでくれ。」
火の玉流れが頭を深く下げる。心の中で行きたくないと何かが叫ぶ。それでも、私は行かなくちゃならない。約束を果たさないと。私が、彼らを恨んでしまう前に。
「火の、これはあくまで私が望んでやったことだ。気にする必要はない。それに、」
優しい声に、絶対という含みをもたせる。
「火のは私を止められない。」
喉が詰まる。涙が溢れる。それでも、止まる訳にはいかない。平気な振りをして円陣を展開させる。
顔を上げた火の玉流れを振り返り妖艶な笑みを浮かべた。
「じゃあね。」
声だけは少し泣いていた。
読んでいただきありがとうございました!
落ちるのはあと2話だけなので、その後ちゃんと上向きになりますから!どうかもうしばしご辛抱を!