『食べ物』
「卵の黄身」
「死ぬ直前、何が食べたい? 各々考えてきてくれ」
リーダーは、ミーティングの終わりにそう言った。
明日はいよいよって日なのに、緊張感の「き」の字も無い。さっきまで明日の予定を綿密に立てていたってのに、最後の言葉が飯の話って……。
「死ぬ直前、ねぇ……何が良いかな」
俺の呟きに、誰かが反応する。
「俺はラーメン!」
「私は断然、満漢全席ね」
「どんだけ食べるんだよ」
「あえてのゲテモノってのは……」
「絶対いや。やっぱり、ミシュランとか、三大珍味とか。普段なら食べられないものがいいな」
みんな思い思いに食べたいものを羅列する。
やれ、「ラーメンは何味だ」。やれ、「満漢全席が何かわかっているのか」。やれ、「ゲテモノはともかく、今や昆虫くらい当たり前だ」。やれ、「普段食べられないものってのが、本当に最後望めば食べられるのか」。
長い間、閉鎖的空間に押し込められた俺たちは、今や何でも言い合える仲だ。遠慮なんかない。むしろ、実の家族の方が下手に血縁がある分、緊張しそうなくらいだ。
はじめこそ、ワクワクが止まらなかった。かの有名なガガーリンの言葉を「案外、そうでもないな」なんて思ったりもした。家族とは画面越しで話すし、何より四六時中、仲間がいる。寂しさなんて感じる暇はない。たまに特別講師なんかしていると、なんだか自分がヒーローにでもなった気分だった。勿論、そんなわけないが。それでも、あのキラキラした目を向けられると、気持ちが大きくなった。
ここまで来るため、苦労の連続だった。頭も体も、そして心も。強くならなければならなかった。憧れを憧れのままで終わらせないために必死だった。だけど、いざ憧れを叶えても、次の試練が待ち構えていた。むしろ、それまでは憧れの下準備。ここからが本番だと言わんばかりに、大変だった。共に頑張ってきた仲間も、一人、二人。消えていくことも珍しくなかった。それでも、残った仲間と共に鍛え続け、折れずにここまで来た。
そして今。俺は、憧れを叶えている最中だ。
周りからはヒーローと持て囃され、自分でもそう思った。まだ見ぬ子どもの夢を、大人の夢を、誰かの夢を、自分が叶えている気分だった。
誇らしい気持ちで、様々なことに思いを巡らせていると、
「なあ、お前は何が食べたい?」
俺にも質問が回ってきた。
「そうだなあ……」
和食・中華・イタリアン・フレンチ。高価なものに、庶民に優しいファストフード。ゲテモノ、昆虫。様々な食の記憶、知識が頭を駆け巡る。
すると、そんな華々しい、そして美味しそうな記憶を掻き分けて、一人の女性の姿が飛び出てくる。
『ほら、あんたの好きな親子丼』
母のニカっとした笑顔と、ホカホカと湯気が立ち上る丼。卵は安いからと言いながら作られる母特性の親子丼は、鶏肉に対して卵が多い。親子丼を作る時に殻から出てくる黄身は、月みたいだと常々思っていた。案外それがきっかけになったのかもしれない。そんな他の家よりも黄色い料理を尻目に、妹と共にチャンネル争いをした、決して広くないリビング。そんな俺らを嗜める、父の呆れた声。
気づけば、俺の目からは涙が飛び出ていた。声の震えは、隠せない。
「俺は……」
「俺は母さんの、親子丼が……食いたい」
言い終えた後、俯き続ける俺の耳に届いたのは、同意の声でも、嘲笑でも、静寂でもなかった。船内には、俺だけじゃない。何人もの静かな嗚咽が響き渡っていた。そして、嗚咽の隙間隙間には、全員で統一したものじゃない、自分の生まれ持った言葉でみんなが、大切な人の名前を呼ぶ。
小さな窓には、最早あの時はしゃいで見ていた青い球体なんてどこにもない。ただひたすらに、真っ暗な空間と光り輝く無数の粒だけがそこにある。
黒い穴は、もう目の前だ。
黄身って お月様みたい