328『灰村解』
自分は恵まれていると、そう思う。
まぁ、なんだ。
言いたかないが、仲間に恵まれた。
境遇に恵まれた。
立場に恵まれた。
生まれに恵まれた。
そんなに才能はないけれど。
生まれ持った想力の大きさに恵まれた。
……恵まれて、ばっかりだ。
それでも今、大きな壁を目の当たりにして。
もう、どうしようもない強敵にぶち当たって。
恵まれていた中で必死に頑張ってきても、それでも届かない化け物が居ると知って。
僕は、考えた。
どうすればいい。
どうすれば、僕はアイツを上回れる。
そんな疑問に答えを叩きつけるように。
目の前の男は、僕へと言った。
『この力は有償だ。貴様が差し出す対価に応じ、我が力は貴様に応えよう』
馬鹿なことを言って、男は僕に力を与えた。
要らねぇって言ってんのに。
お前の力なんて借りたくねぇって。
そう、言ってんのに。
言うことも聞かず、話も聞かず。
有無を言わせず、僕に力を貸し与えた。
しかし……対価、か。
男を見上げる。
男は言った。
『対価。その形を取れば、貴様が我に屈する形にはなり得まい?』
……なんだろう、悔しかった。
自分との会話なんて、二度と御免だな。
自分自身の思っていることを当てられるのは、なんだか無性に腹が立つ。
『これは、何かを燃やして力を得る力。焚べるモノが大きければ、それだけ炎は大きく燃ゆる』
僕は僕へと問いかける。
『……さぁ、お前は何を捨てる?』
その言葉に、僕は少しだけ考えた。
大切なもの。
捨てたくないもの。
僕が戦う上で、必要なもの。
心当たりは、確かにあった。
それは、僕の根幹にある大切なもの。
捨てるには惜しい、僕だけの武器。
されど、それを捨てることに未練はなかった。
「僕は――――」
僕はその日、その瞬間が。
灰村解の最後の戦いになるだろうと、そう理解した。
☆☆☆
拳を握りしめ、深呼吸する。
僕の夢は、過去を消し炭にすること。
すべきことは、10冊のノートを集めること。
やることは、努力すること。
それは既に定まっている。
決して揺るがぬ、僕の根幹。
そこは、何があろうと歪まない。
……はず、だったんだけどな。
『その力は、純粋な強化能力だ。捨てた力に応じ、どこまでも自身を高める力。……それは一時、貴様を全盛期へと戻すだろう』
解然の闇は、そう言った。
全盛期。
僕にそんなものはないと思うけど。
仮にあったとしたならば……それは、中学二年生の当時ではなかろうか。
『今の貴様の記憶や意志を全て残した状態で――我の力を引き出すことが出来る。……無論、人の身で我が力を100%引き出すことは不可能に近い。せいぜい、使えたとしても一割がいい所だろう』
だが、それでも。
そう続けた男は、楽しげに笑ってこう言った。
「たった一割、それで十分だろう」
前を向く。
そこには顔面から血を吹き出す万死の姿。
奴は僕の姿を見て嫌悪感に顔を歪める。
「……どうやって。そんな疑問は置いておくとしようか。ただ、僕を占めるのは君に対する嫌悪感だけ。今すぐに、この手で君をぶっ殺したい。それだけの純粋な気持ちだけさ!」
僕も、何故、という疑問はやめようか。
お前の僕に対する嫌悪感は生理的なものだろう。
ただ、理由のつかない嫌いな感情。
そういうものがあるのだと、僕もお前に教えられた。
僕は大きく息を吐き。
たった一言、呟いた。
「あぁ、僕もお前を殺したい」
次の瞬間、僕の姿は奴の後方にあった。
2度目の奇襲に、鮮やか万死は嘲笑い、背後の僕へと手刀を振るう。
それは、常軌を逸した筋力で固定され、鋼よりも強靭な爪が装備された……文字通りの、手刀。
ここに居る魔物の過半が一撃で屠られそうな威力。
どこをどう切っても、化け物以外の言葉が浮かばず。
僕は、拳を振り抜いた。
「がは……!?」
僕の拳は、最短距離で万死を抉った。
奴の手刀が到達するよりも速く、鋭く、凶悪に。
人体の急所――顎を性格無比に撃ち抜いた。
ぐらりと、万死の体勢が歪む。
奴は大きく目を見開いて。
その頭へと、僕は右手を差し向けた。
「【廻天】」
それは、技術の欠けらも無い一撃。
ただ、力任せにその首を捻り切る。
首の骨が砕け散る嫌な音が響き渡り、僕は目を細めた――次の瞬間、奴の右腕が僕の眼球へと迫っていた。
「……」
咄嗟にその腕を掴み、握力で握り潰す。
その光景に、捻り切られた頭部から舌打ちが聞こえた。
「……チッ」
「……【無窮の洛陽】……不死になる、だけの力じゃないな? 」
僕はそう言って、奴の体を一気に押しつぶす。
その体は数ミリの厚さにまで押し潰されて。
次の瞬間、背後から迫った手刀に首を傾げて回避した。
「……ッ!?」
「その力は、死に作用する力。……だからこそ死の淵にあった暴走列車を呼び戻せたし……そうして、自分の死を無かったことに出来ている」
背後には、無傷で立っている鮮やか万死。
目の前の死体は霧のように消えてゆき、奴は苛立ちげに歯を食いしばる。
……お前は死なないわけじゃない。
自分の死を、無かったことにできるんだ。
死に関連する事象であれば因果律にすら作用し、土足で過去の改変に踏み入ってくる。
僕はお前が羨ましいよ、鮮やか万死。
僕もそんな力があればよかった。
そうすれば、僕はこんな所には立っちゃいないし。
「この手を汚すこともなかったのにな」
貫手、一閃。
僕の右手はやつの心臓を深々と貫いた。
それは鮮やか万死を一撃で絶命させる……と同時に、僕の背後で鮮やか万死は蘇生する。
「はははは! だから何! ネタが割れたからと言って負ける力じゃないんだよねぇ!」
奴は満面の笑顔でそう叫び。
僕は、静かに呟いた。
「【消滅】」
瞬間、僕を中心として。
視界に映る全てのものが、崩壊する。
それは、耐え難い完全消滅、
目の前で、鮮やか万死は崩壊し。
そして、僕のすぐ背後で蘇生した。
「それじゃあ、さようなら! 灰村解!」
僕は目を見開いて振り返り。
奴の拳が、僕の胸を貫いた――。
☆☆☆
『……な』
その言葉に、解然の闇ですら絶句した。
『そ、れは……貴様、だが……!』
「分かってるさ、それも承知だ」
これを捨てるということは。
僕の……灰村解の、事実上のリタイアを示している。
『貴様の願いは……我の消滅だったはず』
「……まぁ、な」
お前というか……お前を含めた黒歴史そのものを、なかったことにする。
それが、僕の戦う目的。
……だったん、だけどさ。
僕は、目を閉じる。
もう、瞼の裏に焼き付いてんだよ。
僕の今の日常が。
楽しく過ごしてる、馬鹿どもが。
僕は頭を掻きむしり、苦笑する。
「…………僕が捨てるのは、想力そのもの」
それが、取り返しのつかないことだと知っている。
それと同時に理解している。
僕が鮮やか万死に勝つためには、それくらいの覚悟がなければいけない。
そうじゃないと、届かない。
それほどまでの……実力差がある。
それを埋めるには、きっと、これしかない。
僕は顔をあげれば、男は顔を歪めていた。
『……諦めるのか、その夢を』
「諦めない。僕はお前を必ず消すさ」
ただ、寄り道をするだけだ。
生きてれば、想力以外にも必ず武器は見つけられる。ノート保持者たちに追いつくための手段は、絶対に……きっと、たぶん……残ってる、はずだ。
自信はないけど確信はある。
無力は、それを見つけるまでの繋ぎでいい。
それに、さ。
今は、はるか遠くの夢よりも。
目の前にある、憎悪を優先したい。
「僕は、アイツを殺したい」
それは、冥府で感じたよりも大きな憎悪。
決死の戦いを、横槍入れて妨害して。
苦しんでる奴に高みの見物決め込んで。
友を殺して、傷つけて。
楽しそうに笑ってるあの男が、最高に嫌いだ。
僕はアイツを、許さない。
今この瞬間、僕はその為だけに動いてる。
確実に殺せるならと、一回はボイドに預けたけれど。
殺せない確率があるというのであれば。
今度は僕が、表舞台に上がるしかない。
僕は解然の闇を見上げて、立ち上がる。
これは矛盾だ。
最終目標のためには無駄な行為。
想力を捨てるなど以ての外で。
それは、道を閉ざすにも等しい愚行。
だけどさ。
なぁ、もう1人の僕よ。
「僕は今、猛烈に怒っている」
それ以外に言葉が要るか?
解然の闇は苦笑して。
僕は、想力の限りを摩耗する。
いつだって、僕らは作者。
理論よりも、感情で動く謎生物。
筆を取れ。
拳を握れ。
理知よりも本能で。
目先の欲に、目を眩まそう。
さぁ、歩きだそう。
僕のやること、すべきことは変わらない。
僕はただ、奪うだけだ。
それが、史上2人目の逸常使い。
禁書の劫略者。
灰村解に出来ることなのだから。
☆☆☆
胸を貫かれて。
傷跡から、口から、鮮血が溢れる。
鮮やか万死は、真っ赤な流血に頬を歪めて。
「……前言撤回は、なしだ」
僕は、男を振り返る。
万死は僕の目を見て、大きく目を見開いた。
「お前さ……生きて帰れるとは思うなよ」
先程と、全く同じそのセリフ。
されど、込められていた殺意は全く別だ。
奴は危機感に大粒の汗を流し、咄嗟に逃げ出そうと腕を引く。
が、胸から生えたその腕を、僕は万力で握りしめ、離すことは無い。
「……ッ!? は、離せよ、このクソが!」
「離さないよ、クズ野郎」
僕は、握る右手へ力を込める。
瞬間、それを見た鮮やか万死は頬を引き攣らせる。
「……ッ!? き、君は、一体何を――」
「なぁ、鮮やか万死」
僕は拳を握りしめ。
その腕へと、ありったけの毒を流し込む。
あまりの痛みに奴の表情が大きく歪み。
僕は、口の端から血を流して笑ってやった。
「苦しませずに殺してやる……なんてのは、格好いい奴のセリフだよな」
なら、僕は格好悪くて結構。
「思う存分、苦しませてから殺してやるよ」
「――――ひッ!?」
僕の目に、何を見たか。
鮮やか万死は、ここに来て初めての恐怖を見せた。
「や、やめろ……この、化け物め!」
「うるせぇよ」
振り向きざまに、横っ面へと肘打ちをかます。奴の首がおかしな方向へとへし折れて、死体となった体は消えてゆく。
視線を移動させると、少し離れたところに鮮やか万死は立っている。
「はぁっ、はぁ……はぁっ」
「どうした? 随分とまぁ、辛そうだが」
その言葉に、奴は歯噛みする。
分かってるさ、お前の力は死なない力。
死を無かったことにするだけの力。
逆に言えば、それ以外の回復能力は一切ない。
そして、お前に与えた毒は特別性。
致死性は皆無。
ただし、凄まじい汚染速度で全身を巡り、宿主をギリギリ殺さぬように毒性を変え続ける。
ただ、宿主を苦しめさせるためだけの毒。
ここまで毒支配の力を使ってこなかったのは、油断したお前に、これを撃ち込むためだよ。鮮やか万死。
奴は身体中から大粒の汗を流し、胸を押えて歯を食いしばっている。
「お前……ァ、お前、お前お前お前ェェ! なにを、何をした! 僕の体に何をしたァァッ!」
「お前がされて嫌なことだよ」
僕は、拳を握って歩き出す。
されどその一歩目で……膝が崩れた。
「……ッ!?」
驚き、自分の足を見る。
……異能者殺しとの戦いから始まって。
暴走列車を相手に、限界を超えて。
瀕死になって、それでも必死に奮い立ち。
そうして今に至った。
「……そりゃ、もうそろ来るか」
体の活動限界が。
僕は苦笑して、膝に手を当てて立ち直す。
万死は僕を殺そうと必死だが……いかにお前と言えど、その猛毒の中動くのは至難の業だろう?
僕は拳を握りしめ。
鮮やか万死の、眼前へと立った。
「……くく、僕を、殺すのかい?」
奴は、僕の殺意を前にそれでも笑った。
それは、次からも必ず生き返ることが出来る、という確信から来る余裕だろう。
僕は思わず表情を消す。
深淵竜ボイドが、僅かに怒気を漏らす中。
それでも、絶対に次のある男は余裕を漏らした。
「さぁ、殺してご覧! もしも万が一、何らかの誤作動が起きて……この毒が消えてくれたら! そうしたら、君の【その力】で燃え尽きるまで逃げ切ろう! 見てご覧、君の気配! もう消える寸前じゃあないか!」
……確かにそうだ。
使えば使うほど、僕の想力は消えてゆく。
今じゃ、もう、感じるのも難しくなっていた。
だから、さ。
これが僕の最後の嫌がらせにしよう。
僕は、拳を開き。
奴の頭へと、片手を伸ばす。
鮮やか万死は、何かを察したように目を見開いて。
僕は、無表情でその言葉を唱える。
それは、きっと。
灰村解が使用する、最後の【異能】だったと思う。
「【禁書劫略】」
円環が、彼の体へと巻きついた。
それを前に唖然とする万死へと。
僕は、1番大切なものを強奪する。
「お前から【生き返る権利】を強奪する」
「……!? や、やめろ! やめるんだ!」
僕の言葉に万死は反応したけれど。
円環は僕の手首へと戻ってゆき、その手首へと、【生】の言葉が浮かび上がった。
「…………っッ!!」
奪われた。
それだけの感覚があったんだろう。
奴は、かつて無い憎悪を僕へと向ける。
それを前に、僕は大きく息を吐く。
今までで、1番大きな強奪行使。
既に、想力の限りは底を着いた。
体に纏っていた力が霧散する。
今まで身につけた力は消え失せて。
僕はまた、一般人へと逆戻った。
「お前! お前は……お前を殺す! 絶対に! 何があろうとぶっ殺す! 殺す、殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すぅぅぅぅ!!!」
目の前で放たれる、憎悪の限り。
されど、その毒は奴の体を蝕んでおり。
僕は笑って、『さようなら』をした。
「じゃあな。二度と生まれ変わってくんなよ」
奴は充血した瞳で、僕へと手を伸ばし。
奴の体へと、深淵竜ボイドが拳を振り下ろした。
その体は、なんの抵抗もなく押し潰されて。
鮮やか万死は、僕の目の前で死に絶えた。
想力を失う。
それは、異能との決別を表していた。
もう、戦う術はなく。
ノート保持者に抗う術もなく。
これが、灰村解にとって、最後の戦いになった。
……はずだったのに。
次回、第三章最終話。
後日談と、第四章への繋りなります。




