327『王の凱旋』
『こうして話すのは――冥府以来か? 我が片割れよ』
解然の闇は、僕だ。
その事実は歪まない。
何がどうあろうと、変わらないだろう。
それでも、此処にいる僕以外の誰かが、その玉座に座っている。
そう理解した瞬間。
僕はもう、察してた。
ああ、きっとその座に座っているのは――コイツなのだろう、と。
僕は、必死に口を動かそうとする。
されど、そんな力も残っちゃいない。
深淵竜ボイドの一撃は、阿久津さんの絶対防御すら打ち砕き、確かにこの身を瀕死に追いやった。
そんな僕を見て、野郎は仰々しく肘掛けに頬杖を突く。
うっわぁ、腹立つわぁ。
何なのお前、それ、かっこいいと思ってる?
せめてイケメンに顔をとっかえ直して出直してこいや。
『……ふむ。そこはかとなく馬鹿にされた気がしたが』
おお、よくわかってんじゃねぇか。
僕は内心そう呟くと、解然の闇の表情がわずかに歪んだ。
『なんだろう。自分と話していると、何も言われずとも何を考えているのかわかってしまう。そして、何も言われていないのに傷ついてしまう自分がいる』
そりゃよかった。
宜しければそのまま死んでくれ。
そう言いたくてたまらなかった。
というか、内心でそう吐き捨てた。
だが、中二病の僕。
解然の闇。
僕は力を振り絞って、男を見上げる。
力を込めるが、既に立ち上がるだけの力はなく。
僕は、両手をつき、上体を無理やりに起こしてヤツに言う。
「……間違っても、僕に、力を与えるな」
その言葉に、奴は大きく目を見開いた。
それはきっと、中学二年生の僕が唯一読み切れなかったもの。
僕の中二病に対する、嫌悪の深さ。
それだけが、僕と彼との違いだろうから。
『……くく、まさか、我の想定を上回ってくるとはな。素直に賞賛すると同時に、解然の闇が問おう。何故だ?』
……クソったれが。
話すだけでも疲れるんだ。
そんなこと聞いてくるんじゃねえよ。
僕は大きく深呼吸して、息を整える。
少しずつ。
少しずつだけ、回復してきた。
活性SSと、超再生でも回復しきれぬ瀕死から。
やっと、なんとか話せる状態くらいにまでは戻ってきた。
「……わかってんだよ。お前のことだ。此処に来た、その事実だけで……どーせ、それだけでゲームバランス崩壊につながる力とか、絶対に負けない力とか……そういうの、渡すつもりなんだろ?」
『ぎくっ』
ぎくっ、じゃねぇよ。
腐っても解然の闇だろお前は。
僕は思わずため息を漏らす。
……僕はな。
目標を達するためには、どんなことだってすると思う。
かつての知識に頼ることも、かつての創作物に頼ることも。
一時、中二病に戻れと言われたって……断腸の思いで我慢しよう。
ただな、解然。
僕は、お前だけは受け入れられない。
他の何に頼ろうと。
どんな部分で折れようと。
「――自分自身には、甘えられない」
そこで折れてしまえば、灰村解は死んでしまう。
僕にできる唯一のこと。努力というものにヒビが入る。
努力は、灰村解が唯一、天才や本物の化け物たちと渡り合うための方法だ。それにひびが入ってしまえば、たぶん僕は失速する。彼ら彼女らに置いていかれて、それっきりになる。
それは嫌だし……それに、なにより。
「中二病は嫌いでも……お前は別格。てめぇの力を借りるくらいなら、この状態で万死に挑むさ、クソ野郎」
僕の言葉に、その男――解然の闇は目を剥いた。
万死はおそらく、僕が死んだと思ってるはずだ。
ならば、明日の日曜日……『暦の七星』で禁書劫略が強化されるその日まで身を潜め、不意打ちでドギツい一発を叩き込む。
さらに言えば、奴の【不死性】を少しでも強奪する。
そうすりゃ、多少なりとも奴の不死に歪みが生じるだろう。
そうなれば、あとはボイドが倒してくれる。
僕は死ぬだろうが……なにも、僕が万死を倒す必要はない。
奴が死ねば、それでいい。
……それに、僕は死んでも、冥府に行くだけ。
何年、何十年、何百年かかるかわからないけど、宝玉を見つけて。
また、生き返ればそれで済む。
僕は解然の闇を見上げて、端的に言う。
「――僕は、本気だぞ」
『……で、あろうな』
奴は僕の目を見下ろし。
疲れたように、息を吐く。
『……貴様の思いは理解した。その覚悟もまた、把握した』
「……なら」
お前は黙って、そこで見ていろ。
僕にも、万死にも力を与えず。
ただ、そこで静観していればいい。
僕は体に力を込めて、立ち上がろうとする。
そして、解然の闇は口にした。
『だが断る。何故、我が貴様の言いなりに動かねばならない』
その言葉に、動きも思考も停止する。
……理解するまでに、数秒を要し。
全てを理解した僕は、青筋を浮かべて男を睨んだ。
「てめぇ……!」
『お前は一体何様だ? 我は神だ。深淵の神。その神に向かって……力を与えるな、だと? くくくっ、我ながらおかしなことを言う!』
解然の闇は、楽しそうな笑顔で肩を震わせる。
こうして、自分自身が笑っているのを見ると、何とも言えない気持ちになるな。
そんな感情を抱いていると――ふと、奴の視線が僕を捉えた。
『我を笑わせた罰だ。貴様には、我が力の一端を与える』
「やめろって言ってんだろうが!」
てめぇ! それ絶対こじつけだろうが!
力を与える、っていう行為にカッコよさを感じてるだけだろお前!
この馬鹿! 中二病! ガキ頭! かっこ悪いタイプの中二病!
人の嫌がることはやめましょう。
あと、中二病に罹るのもやめましょう。
そんな事を母親から習わなかったのか!
まあ、人の黒歴史を平然と売り払う母親から何を習えばいいのか、ちょっと僕自身も分からないけれどね!
『かっこ悪くはない。そして中二病でもない。我こそは神なり』
「セリフがダサい! つーか、そもそもその服からしてダサいんだよ! 黒一色って、典型的な中学生の服装じゃねぇか!」
『ダサくないし、うるさいぞ貴様。少し傷ついた』
「ちょくちょく本音漏らしてくんのやめろお前!」
解然の闇のイメージが崩れるだろうが!
僕は叫ぶが、奴は止まらず。
解然の闇は、僕へと手を伸ばして、こう告げた。
『それに安心せよ。これは無償ではなく―――有償だ』
☆☆☆
それは、化物だった。
後に、鮮やか万死はそう語る。
彼は空中を蹴り、その一撃の回避に移る。
その顔には大粒の汗が滴り、顔は白色を通り越して青白い。
……今まで、実に多くの時を生きてきた。
百年を超え、二百年を超え。
そこから先はもう、数えるのを辞めた。
鮮やかな和装も、かつて誰かから譲り受けたもの。
既に名前も顔も思い出せない故人は、いったい誰であったか。
そんな考えを抱いている自分自身に、万死は苦笑した。
「生まれて初めて見るね、走馬灯だなんて!」
回避した。
その速度は目を見張るほど。
されど、その一撃を避けきるには至らない。
瞬間、その場を通り過ぎたのは破壊だった。
何が起きたのか。鮮やか万死をして見えなかった。
ただ、何百年も生きてきて、その最中に身に付いた危険察知能力。それが痛いほどに叫んでいて……、彼はそれに従って動いているだけ。
それが偶然回避につながり、九死に一生を得ている。
万死は掠っただけで死にそうな威力をその身に受ける。
まるで襤褸雑巾のように吹き飛んで行き、彼は巨大な扉へと激突し、血反吐を吐く。……いかに死なないからと言って、今回ばかりは、鮮やか万死も精神が参りそうになっていた。
「灰村解……とんでもない、置土産だねぇ……!」
男は、その竜を見上げる。
ただただ、巨躯。
あまりに巨大、あまりに強大……に、見えた。
ものの数十メートルしかない竜が山のように見えるのは、その身からあふれ出す威圧感が故か。
【――弱い。なんという弱さか、幼き者よ。その程度で我らが深淵に挑むなど……その身をもって己が愚行を識るがいい】
「弱いとも……幼いとも。久しく聞いた覚えのない言葉だ」
鮮やか万死をして思う。――規格外である、と。
彼は思い切り頬を引き攣らせ、次の瞬間、全身の細胞がどよめいた。
半ば直観に従ってその場を飛びのく。
次の瞬間、彼のいた場所へと凄まじい爪の跡が刻まれて、巨大な扉がまるで薄いベニヤ板のように弾け飛んで行く。
その向こうには、上へと続く深淵の道がある。
「しめた……!」
此処がどこなのかは分からない。
が、上へと行けば、もしかしたら脱出できるかも!
少なくとも、この化け物がいる此処よりはマシなはずだ。
そう考えた万死は、一目散に扉の向こうへと駆け抜けた。
だが、扉をくぐったその直後、目の当たりにした光景に絶句した。
「な……!」
そこに在ったのは――頭を垂れる無数の魔物たち。
岩で出来た竜。
水辺から顔を上げる毒提灯。
白い甲殻を持つ謎の魔物。
死神の鎌を持つ形無き霊体。
全身から無数の剣を生やす鼠。
三つ首を持つ凶悪な狂犬。
見渡す限り、S級格以上の化け物たちが。
皆揃って、扉の向こうへと頭を垂れている。
敬意を表し、出迎えている。
万死は、足を止める。
背後から感じたのは、強烈な嫌な予感。
寒気とも取れる、嫌な気配。
――あの黒竜が追ってきているのか。
最初はそう思った。
だが、あの黒竜の気配は一切動いておらず。
その先。
さらに向こう側。
地下深くから、もう一つの気配が近づいてくる。
「……なんだ、これは」
それは、弱弱しい気配。
吹けば消えそうな、瀕死の気配。
されど……万死はその気配が嫌だった。
気取った瞬間に、危機感が走り抜けた。
――今すぐその男を殺せ。
生理的にではなく、本能的に。
万死は一個の生命体として、その気配を危険と断じた。
【我が王よ、先ほどは出迎えも出来ず、申し訳ありません】
背後から声がした。
万死は焦り、振り返る。
先ほどまで大きく見えた黒竜が、今や頭を下げている。
その姿は、先ほどとは比べようもなく小さく見えて。
黒竜が頭を下げる先。
深淵より、一人の少年が姿を現し、万死は吠えた。
「……ッ! 灰村解! 生きていたのかなァ!」
見間違えるはずもない。
一目見た瞬間から気に入らなかった、その少年。
先ほど、黒竜に攻撃され、死んだと思った存在が、そこには立っていた。
少年は、万死の声に視線を向けた。
先ほどまで、殺意の限りに満ちていた瞳は。
どこまでも静かな――水面のように凪いでいた。
「…………?」
万死は困惑する。
……この男、本当にあの灰村解か?
先ほどまでと、気配が違う。
雰囲気が違う。
それも、決して良い変化ではなく。
(……弱く、なっている?)
まるで、衰弱してゆくように。
刻一刻と、その気配が弱く、小さなものになっている。
彼は小さく息を吐く。
そして、目の前で頭を垂れる竜へと言った。
「聞いたよ、ボイド。……次から客人をもてなすときは、しっかり手加減をしてお連れしろ。危うく死ぬところだったからな」
【はっ、申し訳ございません。……不詳、深淵竜ボイド。御仁を一目見た瞬間から緊張が止まらず……今も、恥ずかしながら体がろくに動きませぬ】
その言葉に、万死は不思議と理解した。
あの一撃――灰村解を吹き飛ばしたものは、殺意による攻撃ではなかった。
どころか、そもそも大前提として攻撃とすら呼称できまい。
なにせ、この竜は最初から【灰村解】に敵意の一つも向けていなかったのだから。
そして……今さっきの攻防ですら【ろくに動けていなかった】と。
その言葉を理解した瞬間、鮮やか万死は本物の死を垣間見た。
やはり、この竜は規格外。
まともに戦って勝てるような類ではない!
そう理解した瞬間、鮮やか万死は逃亡した。
逃げる先は、無数の化け物が頭を垂れる上層方面。
彼は一目散に大地を駆けて。
――次の瞬間、拳が眼前に迫っていた。
「おい、逃げんじゃねえよ」
声が聞こえたのと、ほぼ同時。
灰村解の拳が、顔面に深々と突き刺さった。
「が、は……ぁ!?」
凄まじい衝撃。
下手をすれば……深淵竜の一撃にすら迫る!
万死は勢いよく吹き飛ばされてゆき、ボイドの足元に来て、ようやく体勢を整える。彼はボイドへと警戒の視線を向けたが……すでに、ボイドに万死に対する敵意はなく。
在るのは、ただ、王に対する敬意のみ。
「悪いが、長くは持たない。一瞬で決めさせてもらうよ、万死」
前方から、声が聞こえた。
忌々しい声に万死は歯噛みし、拳を構える。
「……誰に、モノを言っているのかな?」
拳に怒気が乗り、一気に威圧感が膨れ上がる。
対する灰村解は、拳を構える。
拳を握り締めると同時に、その気配はさらに弱いモノへと変わっていく。
「無駄な問答はやめようか。あまり、余裕も余力も残ってなくてな」
彼はそう言って、前を見据える。
「【王の凱旋】」
その身にまとう気配とは裏腹に。
その拳へと、尋常ではない想力が込められた。
その拳を前に、鮮やか万死は目を見開いて。
「灰村解。最初で最後の最強モード。疾くと味わえ」
次の瞬間、その姿は万死の目から消え失せた。
それは、無償ではなく、有償の力。
何かを得るには、何かを捨てねばならず。
今この瞬間、この時点で。
灰村解が、鮮やか万死に勝るには。
きっと、とても大切なモノを捨てねばならない。
次回【灰村解】
自分には甘えられない。
あくまで生きるのは、この現実。
「僕はあくまで正当に、お前に勝つよ」
たとえ、二度と戦えない体になったとしても。




