307『強さ』
多くの生徒から見て。
灰村解という少年は、凡庸だった。
名前なんて聞いたことがない。
その顔も平凡で、佇まいから気迫が感じられるわけでもない。
どこを切り取っても、平凡極まりない少年。
されど、第三席。
S級――六紗優とシオン・ライアー。
あの二人に次ぐ称号を与えられている。
そのことより、少年を入試の際の『界刻使い』と同一視する生徒もいた。
だが、少年は気配の消し方に熟知していた。
冥府で死ぬほど鍛え上げてきた。
それが、生徒たちの目をくらませた。
平凡が皮をかぶったようなあの人間が、あの時の彼と同一人物のはずがない。彼を疑った多くの生徒がそう考えた。
結果として、彼と『界刻使い』を同一視する生徒は、ほぼ皆無。
皆無であった。
今、この瞬間までは。
「嘘、だろ……?」
誰かが呟いた。
生徒たちは驚きのあまり、その過半が声を失っている。
少年の周囲へと浮かび上がった、無数の異能。
時空の渦。
それはまさしく、入試で見た光景そのもの。
少年少女らは喉を鳴らして、相対する少女へと視線を向けた。
すでに、オッズは逆転していた。
そこにあるのは、既に一般人の皮を破り捨てた化け物。
いいや、化け物のなりそこない。
現在進行形で、化け物になりつつある、その見習い。
それを前に、少女は喉を鳴らした。
それでも、怯むことは一切なかったように思える。
「……これでこそ」
少女は笑った。
そして、一直線に駆け出した。
☆☆☆
少女は、察していた。
それがいつからかと聞かれれば、彼をひと目見た、その瞬間から。彼女は、少年が入試の時の界刻使いだと察していた。
まがうことなき、S級の力。
シオン・ライアーには敗北したが、それでもあれだけの戦闘、マネをしろと言われても自信が無い。というか、できない。
そう理解できたからこそ、悔しかった。
無名の少年に、自分の自信をへし折られてしまったのだから。
だから、学園に入った暁には、その少年を打倒し、自分の力を、プライドを取り戻そうと考えていた。
そして、この状況。
「なんたる、好機か!」
少女は、腰のレイピアを抜き放ち、駆け出した。
――次の瞬間、少年の拳が少女を穿った。
「が……ッ!?」
否、腹に穴が開いたかと錯覚するほどの、拳だった。
彼女は短い悲鳴を上げて、吹き飛ばされる。
白い髪に、肌に、砂がへり付く。
地面を転がりながら、全身を使って勢いを殺す。
(なんたる一撃……!)
攻撃しようと思った。
その瞬間を狙われた。
先手を取りたいという気持ちの隙を、狙われた。
(この男……力に溺れるだけの男じゃない)
ならばなぜ、あのような挑発を?
疑念が脳裏をよぎった。
その瞬間には、少年の姿は消えていた。
「なっ!?」
「考え事か。余裕だな?」
自分の体に、影が差す。
驚き上空を見上げれば、踵落としが落ちてくる。
咄嗟に、直前で身をひねるが焼け石に水。
脳天に一撃が炸裂し、膝が崩れる。
「ぐ……っ!」
少女はここ数年、同学年には負け知らず。
稀代の天才と称されていた。
ホワイトフィールド家最高傑作と呼ばれていた。
時期S級候補、筆頭と呼ばれていた。
そんな彼女が。
たったの数秒で、膝を屈していた。
その光景に、驚いたのは観衆の生徒たち。
そして何より、ダリア・ホワイトフィールドその人だった。
(な、なにが……)
額から血が溢れているのか、顔が熱い。
顔を上げれば、そこには一人の少年が立っている。
余裕を崩さず、されど慢心は一部もなく。
油断も隙も無い自然体で、少年は少女を見下ろしていた。
「弱いな。言葉一つでこうも崩れる」
その言葉に、少女は察した。
勝負は……今じゃない、出会った時から始まっていた。
意味なく挑発していたのではなかった。
少年は、性格が悪いのではなかった。
少女の憶測が正しいのであれば――性格が悪いどころの話ではない。
(どこの世界に……格下相手へ、此処まで本気になるものがいる)
普通に戦ったところで、少女は少年には及ばない。
この、わずか数手で嫌というほど理解ができた。
にもかかわらず、少年は策を弄した。
言葉で翻弄した。
あえて怒らせ、こちらの冷静さを削ぎに来た。
(第三席の座を明け渡す、などというのも嘘だったのだろうな)
嘘ではないが、状況的に少女は勘違いした。
勘違いして、笑みを浮かべた。
彼女は膝に手を当て、必死に立ち上がる。
「……謝罪しよう、貴様は……貴殿は、強い」
「ああ、そう。それで?」
少年は拳を握る。
それだけで寒気が突き抜けた。
その感覚を覚えたのは、少女だけではない。
その場にいる生徒全員が、背を震わせた。
――二年前。
今代の悪魔王・阿久津真央は、解然の王こそが特異世界クラウディアを支配するにふさわしいと考えた。
本人に会ったことこそなかったが、その文章の端々から伝わってくる人物像だけで、彼女はそう確信していた。
そして、その確信は、何より正確に的を射ていた。
少年の顔に張り付くのは、至って無表情。
それが、なにより恐ろしかった。
少年は、さして自分に興味はない。
にもかかわらず、これだけ容赦なく攻撃できる。
それは既に一般人とは呼ばないだろう。
人はそれを、異常と評する。
相対するだけで、思わず屈してしまいそうになる圧。
敵対者さえ心を震わせ、付き従うだけの人間性。
加えて、何かを成し遂げるための異常極まる熱量を誇り。
それだけで少年は、一時は願望器すらも造り得た。
その熱量が、今、その過去を消すためだけに向けられている。
それが、この二年間での急成長であり。
人の上に君臨するに足る、【王の器】の芽生えに繋がった。
少年は、自身のことを過小評価していた。
あまりにも、少年の周りには強いものが多すぎたから。
だが、一度他者の視点に回ってみれば、見方は一変する。
野次馬の中で、六紗優は苦々しく笑い。
シオン・ライアーは、獰猛な笑顔で武者震いした。
猛烈な勢いで、後ろから迫ってくる化け物。
それが、強者から見た彼の評価で。
今、ダリア・ホワイトフィールドが感じている者が、弱者から見た彼の評価。
「……私は、貴殿に劣ることを自覚した。……おそらく、何をやったところでかすり傷一つ付けられないのがオチだろう」
「…………」
その言葉に、少年は拳を振り上げる。
それを前に、彼女はレイピアを握りしめる。
そして、余力を振り絞って大地を蹴った。
「だが! だからといって諦めきれるか!」
少女の放ったレイピアを、少年は二本の指で受け止める。
そんな少年へ顔を寄せ、少女は告げる。
殴られても、蹴られても、もう引かない。
覚悟は既に決まっていた。
「貴殿が下らないと吐き捨てた、そのプライド。確かめてみるといいッ!」
かくして、試合は架橋を迎える。
それは、試合開始、30秒経たずしての事だった。
☆☆☆
嫌いなタイプだ。
そう思った。
実力差は明確。
僕が勝つのは目に見えている。
もう、言葉での惑わしは効いてない。
だとしても、ダメージが多すぎる。
もう、立っているだけで精一杯だろうに。
「ふんっ!」
一息で、数発の拳を放つ。
それらは顎と両肩を撃ち抜き、僅かな衝撃に少女の体が歪む。
その隙に、その顔面を掴んで地面へと押し倒す。
押し倒す、って単語だけ聞けば、何だかイケないコトをしてるようにも聞こえるけれど。
少女の顔面を掴んで押し倒すだなんて、男としてやっちゃダメな気がする。
「……もう、いいよ。お前のプライドも、強さも分かった。降参しろよ。……これ以上、痛めつける必要はなさそうだからな」
周囲へと視線を向ければ、既にドン引きムード。
これだけ悪役を演出してやれば、もう僕に挑んでくるバカも居ないだろ。
僕はそう考えて発言し。
少女は僕へと吐き捨てた。
「はっ、私を倒したければ、殺すしかないぞ?」
「…………」
この試合のルール。
挑戦者と受諾者。
どちらかが戦闘不能と判断されるか、あるいは、『降参する』と宣言するか。どちらかでのみ、序列戦は決着する。
「……貴殿は、優しいのだな。そうは振舞っていても、急所のみを確実に狙ってくる。下手に外してダメージが残らないように、とな」
何をふざけたことを……。
そう考えた次の瞬間、少女の体から想力が吹き上がる。
僕は咄嗟に、彼女を投げ捨てる。
――なにか、まずい。
そんな考えが、頭に浮かんだから。
彼女は十メートルほど吹き飛んで、それでも体勢を整え、立ち上がってくる。
「我が家に伝わる、一子相伝の異能」
その全身から、炎が吹き上がる。
彼女はレイピアを逆手に持ち、奇妙な構えを取った。
剣術とはかけ離れた構え。
それはまるで……。
「――投擲」
僕が呟き、次元の渦を正面に展開する。
それを見て、少女はそのレイピアを投擲する。
「貴殿に敬意を評し、一矢報いるとしようか」
彼女の手を、レイピアが放たれる。
それは、特になんの特徴もない投擲だった。
活性の力を込められているため、その速度はそれなりのもの。だが、脅威には当たらない。
僕は渦の位置を調整し、その一撃を飲み込もうと動き出す。
視線の先で、少女は力を失ったように倒れ伏す。
それは、想力の不足によるものだろう。
その光景に、僕は目を剥いた。
何故、どうして?
1度も異能を使ってこなかった少女が、何故このタイミングで倒れているのか。
そう考えた瞬間。
背筋に、冷たいものが走り抜けた。
「――ッ!【渦】!」
僕は次元の力に想力の限りを込める。
そして、僕の渦は彼女のレイピアを飲み込んで――。
……そして、僕の渦を、レイピアが貫通した。
驚くより先に、痛みと鮮血が弾ける。
僕の腹には彼女のレイピアが突き刺さり、貫通しており、僕は思わず吐血する。
膝をつく……程の怪我ではない。
レイピアを抜けば、腹に空いた風穴はすぐに癒えた。僕にとっては、所詮はその程度のかすり傷。
されど、格下に一矢報いられた、その結果。
少女へと視線を向ける。
彼女は既に、気を失っている。
「必中? 防御貫通……いや、そんなレベルじゃない」
今のはまるで、因果に作用しているようだった。
必中するのが最初から定められていた。
そうでもなければ。僕の渦が壊されることも無く貫通することは……無いと思う。
「……くそチートめが」
………なにが、勝ちたければ殺すしかない、だ。
僕は苦笑し、腹に手を当て周囲を見渡す。
ふと、審判の姿が目に付いた。
その審判は、焦ったように合図をして、僕の勝利を宣言する。
上空のモニターにはWINNERとの文字が浮かんでいて、僕は息を吐く。
されど、それは安堵の息ではなく。
落胆とか、そう言った類のため息だった。
「……油断しなくても、この結果かよ」
改めて実感した。
やっぱり僕は、まだまだ弱い。
結果だけ見れば、圧勝でも。
その過程にこそ、意味があり、意義がある。




