221『妄言使いの大切なもの①』
目の前に立つ男は、強かった。
2年前に相対した頃より、ずっと強くなっていた。
あの頃は……きっと、力を奪われていたんだろう。
何者かに襲撃されて。
悪魔王と出会って、そして、僕に会った。
でも、不思議と力が戻ったような様子はない。
彼の力は強いと思う。
それでも、ずっと昔から使っていたような熟練感、老巧さ、とでも言うのだろうか? そういうものが一切なかったから。
だから、僕は理解した。
「……君は、強いんだね」
「あぁ? なんだよいきなり」
熾烈を極める戦闘中に、それでも僕は語りかける。
息を整えろ、呼吸を正せ。
喉の調子は万全だ。
無駄な言葉は口にするな。
僕の口は、今だけは、戦うためのモノでいい。
そう告げる理性。
されど僕は、一人の男として。
この少年に、心の底から敬意を評した。
「君は……強いね。僕とは大違いだ」
僕は、こんなにも弱いのに。
少なくとも、僕自身はそう思うんだ。
どれだけ力が強くても。
どれだけ異能が優れていても。
きっと僕の心は、あの冬の日に、折れてしまったんだと思うから。
☆☆☆
「は? なにこれキモいんだけど」
小学校、5年生の冬。
学校の屋上で。
目の前で、恋文を破かれた。
「あ……」
僕の好きになった人は、クラスメイトの女の子。
クラスのムードメーカー。
いつも明るく、元気で、誰にも優しい。
……恋をする瞬間なんてのは、一瞬だ。
気がついた時には、恋に落ちてた。
なにか、特別な出来事があった訳でもない。
ふとした瞬間に、目で追っていて。
僕は、全てを察し、理解した。
それが、僕の初恋だった。
「あんたさ、鏡、見たことある?」
笑い声が、どこからか聞こえてくる。
視線を動かせば、屋上へと続く昇降口で、彼女の取り巻きが笑っていることに気がついた。
僕は、全て幻想だったのだと理解した。
幼いながらに、騙されていたのだと知った。
……いいや、彼女が騙していた訳じゃない。
僕が勝手に、勘違いしてただけだった。
この世界に、ただ、優しいだけの人なんていない。
皆が腹に一物を抱えていて。
それでも仮面を被って生きている。
それが、現実だった。
僕はそんな現実が嫌になった。
ただ、それでも。
1度好きになった人を、簡単に諦められる訳では無い。
「じゃ、二度とこんなの送ってこないでね」
「ま、待って! 待ってよ!」
僕は咄嗟に、彼女の手を掴んだ。
瞬間、彼女は弾かれたように僕の手を振り払い、怯えたように距離を取る。
「な、なんなのよ! 触らないで、気持ち悪いって言ってんでしょ……」
「ぼ、僕は、それでも君が大好きだよ! べ、別に、何かしたいわけじゃないんだ。仲良くなりたくて……」
「は? いや……ごめん、ちょっと無理だわ」
彼女の目は、本気だった。
まるで、別の生き物を見るような。
蔑み果てた、目をしてた。
僕はその目が、悔しかった。
悔しくて悔しくて、咄嗟に1歩、踏み出していた。
「……は、な、なんなのよ。近寄らないで! 先生にいいつけるわよ!」
「……好きに、したらいい」
何がしたかったのか。
今ではもう、覚えてない。
ただ、僕は悔しかった。
容姿が恵まれなかったから、蔑まれるのか。
生まれが貧乏だから、そんな目で見られるのか。
僕が暗い人間だから、馬鹿にされるのか。
気が弱いから、笑われるのか。
なんだ、なんだよ、そんな現実!
ふざけんな! ふざけんなよ!
僕は歯を食いしばる。
ただ、必死に拳を握りしめ、前に進む。
少女は、気圧されたように後ずさった。
「ちょ! や、やめて、来ないでよ! あんたなんか先生に言いつけてやる! 分かるでしょ、アンタと私、どっちが信用されるかなんて!」
その言葉は、悔しさを増長させるだけだった。
それでも少女は、言い切った。
「お前なんて、誰も信じないに決まってる!」
少女は叫び、後ずさる。
そして、僕は目を見開いた。
マズいと察した時には、既に手を伸ばしていて。
少女は、足場が消えていることに、気がついた。
「あ」
それが、最期に聞いた声。
少女は、僕の前から姿を消して。
そのまま、雪の大地に赤い花を咲かせた。
小学5年生の冬。
僕の好きだった人は、目の前で死んだ。
☆☆☆
翌日からは、地獄の始まりだった。
――人殺し。
そのレッテルを貼られた僕は、地獄を味わった。
クラスメイトから、拷問に近い苛めの日々。
死んでしまいたい。
何度もそう思った。
それでも、納得できなかった。
「お前が突き落としたんだろ!」
「人殺し、人殺し!」
「あの子を返してよ! 私の友達を!」
クラスメイトから突きつけられる、嘘。
視線を移動させれば、死んだ彼女の取り巻きが、僕を見つめて笑っていた。
「そ、そんなの……!」
「うるせぇ! てめぇは黙ってろ人殺し!」
殴られ、僕は言葉も発せない。
信じてくれない、誰も、誰も……。
なんで、どうして。
どうして僕の発言には、こんなにも重さがないんだろう。
痛みの中で考えた。
でも、いつまで経っても答えは出ない。
「僕の言うことなんて、誰も信じてはくれない」
あの言葉が、脳裏に焼き付いていた。
教師は、僕の虐めを止めてはくれる。
だけど、何かにつけて僕を相談室へと呼び出した。
きっとそれは、他の生徒に見られたくなかったから。
「なんで、あの子を突き落としたんだ」
断定するような、恐ろしい声だった。
涙もつき果てていた僕は、諦めていた。
やっぱり、この先生もアイツらと同じだ。
「分かってる。どーせ勝手に好きになって、振られて、それでやったんだろ」
「……僕は、そんなこと」
「口答えするんじゃない!」
先生は……男は、そう叫んで机を叩いた。
あまりの音に、職員室からざわめきが聞こえた。
僕はもう、何も感じてはいなかった。
「……分かっていると言うのなら、聞かなきゃいいのに」
「あぁ? お前、今なんて言った!?」
「ちょ! 先生! 暴力はダメです!」
他の先生が、男を止めた。
それでも、この男は体育教師。
ほかの先生やらを振り切って、僕の頬へと拳を振り下ろした。
……もう、痛みも麻痺してきた。
僕は口から溢れ出る血を拭い、鼻息荒くするその教師へと一瞥くれる。
「ふぅー……っ、ふぅ、ふぅッ!」
「……カッとなって、手を上げる。アンタも僕の同類ですね、先生」
僕はそう言うと、男はさらに激昂した。
男は感情に任せて、僕を殴り。
……翌日、その男は学校から居なくなっていた。
それが、僕にできる唯一の抵抗だった。
殴られることで、相手をたおす。
好きに殴ればいい、好きに悪口をいえばいい。
僕は忘れない、ずっと覚えてる。
どんなことをしてでも。
どんな奴に、魂を売ったとしても。
「……絶対に、復讐してやる」
いつの日か。
僕の折れた心には、黒い炎が点いていた。
☆☆☆
それから、数ヶ月経ったある日のこと。
僕の、人生の転機が訪れた。
「おい人殺し、お前のためにすげー人を呼んだんだ」
そう言って、クラスメイトに連れていかれたのは、近くの神社。
周囲に人の気配はなく、滅多に人も通りかからない場所だった。
そこには、中学生や高校生など、多くの男が集まっていた。
「あ? おい、そいつか? 好きなだけ殴っていいサンドバッグ、ってのは」
「はい! コイツ、頭のおかしいクズ野郎なんで、思う存分に殴ってください!」
そう言って、クラスメイトの男は高校生に媚びを売っている。
あぁ、なるほど。
僕は今日から、コイツらに殴られるのか。
僕は理解して、目を閉じた。
……これは、もう無理だ。
なんなんだよ、コイツら。
違うって言ってるのに。
何度言っても、話は聞かない。
嘘つきだと殴られる。
そして、しまいにはサンドバッグ?
「頭イカれてるだろ……」
思わず呟いた言葉に、高校生が反応した。
「あ?」
「お、おいお前! 何言って――」
焦ったようなクラスメイトを、高校生が殴り、黙らせた。
鮮血が溢れ出し、少年は一撃で動かなくなる。
下手をすれば死んでいるかも。
……まぁ、どうだっていい事だ。
ざまぁみろ。
僕は笑っていると、高校生に胸ぐらを掴まれた。
「てめぇ……癇に障る野郎だな。ちょうどいい、思う存分ぶん殴れそうだ!」
男の拳を、見た。
たぶん、ボクシングか何かやっているのかも。
明らかに、普通の人の拳じゃなかった。
だから、僕は口にした。
「お前こそ、癇に障るイカレ野郎だな」
子供をサンドバッグにする。
その時点で、こいつらの頭はイカれてる。
素直な発言に、男の額に青筋が浮かぶ。
あぁ、どーせここで死ぬのなら。
思う存分、相手をイラつかせて。
満足してから、死んでしまいたい。
僕は、振りかぶられた拳を前に、そう笑った。
「あぁ、やっと」
やっと、楽になれる。
僕はふっと、目を閉じて。
そして、聞き覚えのない声が、聞こえてきた。
「あー、もう、うるさいなぁ。眠れないよ」
それは、間延びした男の声だった。
全ての視線が、その声の方向へと向かう。
場所は、社の中。
誰も、そんな罰当たりな場所には居ないはず。
そう思った僕らを嘲笑うように、社の中から一人の男が姿を現す。
それは、不思議な男だった。
ホームレスのようにも、社会人のようにも見える。
どうにも掴みどころない、雲のような男。
一目見た時点での感想が、それだった。
「……あぁ? てめぇ、何もんだよ」
「ん? 君たちかー、騒いでる子は。こら、人が寝てるんだから静かにしなさい! それと、子供を殴ろうとするのも頂けないな!」
まるで思ってもないようなことを、男は言った。そんな感じがした。
その言葉に、高校生の男は苛立ったようだ。
「うるせぇな……てめぇら! そいつ殺っちまえ!」
男が叫び、多くの高校生、中学生がバットや木刀、様々な凶器を持って男に迫る。
誰もが男の死を想像して。
そんな想像は、容易く打ち砕かれた。
「……な、な、な……っ」
「えーっと、なんなのかな、この子達」
瞬殺だった。
数十名はいたであろう彼らを。
男はたった1人で、殲滅した。
「ば、ばけ、もの……」
「はっはー! 酷いことを言うね! 君、名前は? サンドバッグにされてた子だろ」
男は胡散臭い笑顔で問うてくる。
「……成志川。僕は、成志川景」
「そうかい。なら、俺の名前も教えようか」
そう言って、男は自分の名を名乗る。
「霧矢ハチ。どこにでもいる、自称一般人のおじさんさ!」
少なくとも、その男、一般人ではなかったと思う。
「つーわけで、よろしく頼むぜ、サンドバッグ少年」




