219『第参巻』
負ける? この俺が?
そう考えた瞬間、耐えがたい苦痛が全身を覆い尽くした。
嫌だ、嫌だ、嫌だ……嫌だ!
負けたくない、こんなところで終わりたくない!
俺は終わらせる側の人間だ!
俺が終わって、なるものか!
薄れゆく意識の中、俺は、俺を見下ろす男を睨む。
……ああ、コイツが倒せるのなら。
この生意気なガキを、ぶっ潰せるのなら。
たとえ、悪魔にだって……このノートにだって、魂を売ろう。
人間なんて、辞めてやる。
俺はこれから、ただ壊す。
それだけの、機械でいい。
☆☆☆
倒した。
それだけの感触があった。
むしろ、これを喰らって立ち上がれるのは、人間じゃないと思う。
そう思ったからこそ、僕は六紗たちへと歩き出した。
――僕の背後で、物音がした。
「……ッ!」
音がした瞬間、僕は背後へと蹴りを放ち終えていた。
油断は、一切していない。
慢心もしない、あるのは動揺だけだった。
僕の蹴りが、後ろに立っていたソレを吹き飛ばす。
そいつは壁をぶち破ってその向こう側へと消えていく。
……さっきの一撃と、今の一撃。
これだけやって、倒れないのはイカレてると思う。
「……ああ、クソ。嫌になるな、どいつもこいつも」
こちとらね。
覚醒とか戦闘中の進化とか。
そういう狡いの、一切ナシでやってんですよ。
それが……こう、相手方が毎度毎度覚醒だったり、死の淵に立って以前の力に目覚めたりと……なんなんですか? もしかして神様、僕の苦戦を見て喜んでたりする? だとしたら僕は神様、アンタぁ嫌いだ。
「……おい、カイ。やべぇぞ、この想力量」
「……ああ。下手すれば、僕に匹敵する」
壁に空いた風穴の奥から、どす黒い瘴気がこぼれてくる。
それが、可視化した想力だと気が付いたのは、シオンが話しかけてくる少し前のこと。
シオンに続き、六紗もまた僕の隣へと歩いてくる。
彼女は何か言いたげに僕を見たが、すぐに前方へと視線を戻した。
「あんた、あとで一発ぶん殴る」
「そうか。僕も勝手に自分のハー〇ンダッツ賭けられてイラっと来てるんだ」
「……今のは聞かなかったことにしておくわね」
いいや、聞いてくれていいんだよ。
知ってるから。
阿久津さんと僕の体を取り合って。
『あいつの家の冷蔵庫に在るハー〇ンダッツ二つ賭けるわ。えっ、家がつぶれてる? なら家のモノ売っ払ってハー〇ンダッツ買いましょう』
みたいな発言したってことはな……ッ!
なぁ六紗。
ぶん殴るのは、僕の方だよ。
大丈夫、安心して。
女の子でも、万全の体調で全力の拳を放れるから。
あ、そうだ。面白い奴を紹介してやるよ。
霧矢ハチっていうんだけどさ。
死んだら会えるんだよね。
僕は彼女へ拳骨を落としてしまいたい衝動に駆られた。
だけど、優先順位を間違えたりはしない。
僕は右腕を、必死にこらえ。
そして、眼前に迫る【なにか】を前に拳を握った。
「まあ、お前を殴るのは、これの後かな」
穴の奥から、男が姿を現した。
それは、先程僕が倒した侵入者の男だった。
あくまでも、姿形は、だけどな。
『……アァ、これは、良いな』
その声は、ノイズのかかったものだった。
全身からは瘴気が吹き上がり、あまりの想力量に酔いに近い感覚を覚える。
僕ですら、これなんだ。
想力量の多いシオンですら顔を顰め、六紗や妄言使いの野郎に至っては口を抑えて呻いている。
「なんという……邪悪な」
『邪悪? いいや、これは素晴らしい力さ! 俺を自由にしてくれる! 俺を、純粋な破壊者へと変えてくれた、最高の力だ!』
男は笑い、インナーを破り捨てる。
やつの肌は黒く染まり果て……その胸の部分には、見覚えのありすぎる書物が埋まっていた。
「そ、それは……貴様! その本には手を出さないと――!」
『ガハハははは! 約束ゥ、俺ァ壊すのが大好きだって言ったよなァ、先生ェ!』
それは、妄言使いが持っていたもの。
2年前、しかとこの目に焼き付けていた。
僕は目を細め、男を睨む。
「黒歴史ノート【第参巻】」
僕が1年間、熱意の限りをかけて記した書。
それは、常軌を逸した想力量を誇り、その力は10冊集めることでどんな願いをも具現する。
文字通りの、願望器。
その内の、たった1冊。
されど、願望器の一欠片。
「簡単な願いなら……叶えてくれる、ってか」
『その通り』
気がつけば、男は僕の隣にいた。
目を見開くと、殴られるのと、ほぼ同時のこと。
あまりの衝撃に、僕の体はグラウンドへと吹き飛んでゆく。
咄嗟に衝撃を殺したおかげもあって、ダメージは少ない。すぐに体勢を整えると、男の拳はすぐ眼前へと迫っていた。
「ッ、『次元盾』!」
眼前へと銀色の渦が広がる。
それは男の拳を腕ごと飲み込み、食らう。
僕はその状態で空間を切除すると、右腕は切断されて消失し、断面から真っ赤な鮮血を吹き上げる。
頬に血しぶきが触れて、男は少し目を見開いた。
『ォォ?』
「【異常稼働】!」
対する僕も、全身血乱れ。
拳を思い切り振り抜くと、感じたのは鉄塊を殴ったような硬い感覚。
思わず顔を顰めて拳を見れば、砕け、血にまみれた自分の拳がある。
嘘だろ……防御力貫通の、神狼技能だぞ!
それでもあの硬さって……どういう神経してんだ、強くなりすぎだろ!
顔をあげれば、男は10メートルほど吹き飛ばされて、立っていた。
『へぇ、やっぱり強いなァ、お前。だから、本当に嬉しい。ありがとう強くて。俺は、強いお前をこれから壊せると考えたら……アァ、それだけで逝っちまいそうだぁ……!』
「イカレぽんちの変態野郎が……!」
僕は拳を構えると……視界の端に、左手の銃口を構えたシオンの姿が映った。
「なんだかよくわかんねぇが! こいつ敵だな! なら死んどけオラァ!」
膨大な想力がこもった、強烈な一撃。
その威力、速度は僕が身をもって知っている。故にこそ、男がいとも簡単に弾丸を避けたのを見て目を開いた。
「な……!」
「嘘だろオイ!」
シオンは叫びながら、大地を蹴って駆ける。
直前まで彼女のいた場所を侵入者の拳が通り過ぎ、男は舌なめずりをする。
『お前も強いなぁ。ぶっ壊し確定』
「うるせぇ、死ね!」
身も蓋もない暴言を吐き、シオンは剣を振るう。
男はそれを真剣白刃取り。
あまりの光景にシオンは目を見開き。
そして僕は、その後頭部へと手を触れた。
「【消滅】」
僕が誇る、最強の技能。
杯壊に当たる、全てを無に帰す崩壊技能。
それは男の後頭部を徐々に崩壊させてゆき、さすがに焦ったのか、侵入者は僕へと向けて腕を振り払う。
が、既にそこには僕の姿は無い。
気がつけば、僕の姿は後方にあって。
僕の隣には、六紗優が立っていた。
「無茶しすぎよ、アンタも、あの子も」
「……悪いな。じゃないと勝てない相手みたいだ」
僕は思わず苦笑して。
シオンは、ゼロ距離からありったけの火力を打っ放す。
「Go Ahead、さっさと死にな、変態野郎!」
馬鹿丸出しの、オーバーキル過ぎる火力だった。
10キロ先からでも見えるような、巨大な爆発。
それはグラウンドの中心に大きなクレーターを作り上げる。
砂煙が舞い、自信ありげなシオンが僕らの元まで下がってくる。
「やったか! うし、カイ! じゃあ飯食いに行こーぜ! オレはスペシャル肉弁当な!」
「おい、それをフラグっていうんだよ馬鹿」
煙の中から、人影が現れる。
ほら見た事かぁ。
やったか! と思った時ほど『やったか』って口にしちゃいけないのよ。分かる?
まぁ、僕も六紗も、これで終わったとは思ってもいなかったけどさ。
『イイよなぁ、この本。俺は、強くなりてぇ、壊してぇ。絶対壊れたくねぇ。そう願った。それだけで……こんなにすげぇ力が手に入ったんだからよ!』
この男の異能は、僕が奪った。
つまり、今のこの男は異能も何も使わず、それでもこの状態だということだ。
一言、イカレてやがる。
本当に、そう思う。
インフレ激しすぎんだろうがこの野郎。
どんなに攻撃しても、ほとんど効かない。
理不尽の方向は違うけれど……この感覚、覚えがあるな。すごくある。
どれだけ攻撃しても、勝ち目の見えないこの感じ。
「……暴走列車」
そういやアイツも、胸に【肆】が埋まってたっけか。
僕は思わず苦笑してしまう。
偶然、だろうか?
いいや、必然かもしれない。
この状況、この相手。
この逆境。
僕は大きく息を吐き、隣のシオンが叫ぶ。
「燃えてきたぜ……! うし、一緒に勝つぞ、カイ! でもって美味い飯を喰う!」
その言葉に、僕は苦笑し。
六紗は、噴き出したように笑った。
「……そうだな。もしも勝てたら、僕がステーキ奢ってやるよ」
「あら、なら、その時は私も御同伴願おうかしら」
「お前は嫌だよ」
「なんでよ!」
僕らはそう言って笑い合い、前を向く。
さぁ、逆境だ。
勝ち目は見えない。
けど、勝つ。
シオンはステーキのため。
六紗は僕にたかるため。
でもって僕は……黒歴史の抹殺のため。
おい、名前も知らねぇ侵入者。
お前、いつまでその忌々しい参巻を見せびらかしてるつもりだ。あァ?
僕ァなぁ、その本見てると虫唾が走るんだよ。
分かるかな、身の毛もよだつ黒歴史を常に公開させられている僕の気持ちが。公開処刑ってこういう意味なんだな、ってこの歳にして理解出来たよ。
「とりあえず、お前。その本毟って見えなくするか、返せ」
『はァ? んな事するわけが――』
「なら、黙って死ね。これ以上その本を晒すんじゃねぇよ。ぶっ殺すぞ」
そう言い放つと、男は目を丸くした。
しかし、すぐに笑い始めると、楽しそうな笑顔を浮かべて僕を見た。
『くくく……殺し、壊すのは俺だぜ、餓鬼』
「悪いが、その本ぶっ壊すことに関してだけは、覚悟が違う」
なんせ、その為だけに生きてるからな。
僕は拳を構えると、男は余裕満面に両手を広げる。
ので、僕は情け容赦なく駆け出した。
『さぁ、殺し会おう! そして最後に死んでくれ!』
悪いな。
死ぬのはもう、懲り懲りなんだ。
【黒歴史ノートについて】
世界最大の想力貯蔵庫、灰村解が1年もの間、常軌を逸した熱量の全てをつぎ込んで書き続けた10冊の書物。
10冊全てを集めることで過去の改編さえ可能とするが、個々の書物にも相応の力が込められている。
保有想力の範疇で叶えられる願いならば、どんな妄想であっても実現する。




