003『妄言使い』
妄言使い。
ファントムワード。
……とんでもねえ二つ名だ。
下手をすればただの悪口まであり得る。
というか、ただの悪口にしか聞こえない。
「妄言使い……だと!?」
「ああ、そうさ。聞いたことくらいはあるだろう? 異界の悪魔王」
阿久津さんは、ナルシの言葉に喉を鳴らした。
僕は彼女へと視線を向ける。
だがしかし。
「知って、るんですか?」
「……いいや、聞いたこともない。妄言使いとはなんの冗談だ?」
阿久津さん、知らなかったご様子だ。
その言葉にナルシはわずかに反応したが、すぐにキザったらしく笑い始めた。
「ふっ、くくく、ハハハハハはっは! まさか、この僕を知らないというかい、異界の王! これはまた、特異世界クラウディアの程度も知れるというものだ!」
「……なに? 貴様、もう一度言ってみろ」
ナルシの言葉に、今度は阿久津さんが反応を示す。
彼女の体から……なんだこれ、よくわからない、どす黒いオーラみたいなのが吹き上がる。
さ、さっきからなんなんだよ一体……。
妄言使い? 異界の悪魔王?
夢なら醒めてくれと言いたいが、右腕に走る痛みが現実だと教えてくれる。
「……まさか、マジ、なのか」
考えたくもなかった。
というか、信じたくなかった。
彼女たちの言っていることが、妄想じゃなく現実だって。
だとすれば……なんだ?
僕の書いたディュゥェアルノォーゥトが、何の因果か『本物』の手に渡り、ありもしない秘宝を求めて化け物たちが争い始めようとしてる、ってことか?
そこまで考えて、僕は恥ずかしさで死にそうになった。
やっ、やめてくれよそんな馬鹿馬鹿しいこと……!
つーか、なにやってんの、正気じゃねぇよ!
なんで、中学二年生が書いた黒歴史ノートにマジになってんの!?
恥ずかしいよ! やめてよそんなに熟読しないでよ!
誰か一人くらい、ディュゥェアルノォーゥトを疑おうという人間はいないのか!? 全員アホとバカなんですか、異能力者って!
「異界の悪魔王。正直なところ、君にはあまり用がないんだ。用があるのは、君が持っているディュゥェアルノォーゥト第壱巻と、そこの御仁。……僕の直感が語り掛けてくるのさ。そこの御仁は、きっとディュゥェアルノォーゥトの深淵について知っている、とね」
うるせぇ!
深淵どころか薄っぺらいにも程があるよ!
だって全部妄想なんですもん!
お願いですぅ! もう僕の前で黒歴史について語るのはやめて!
僕のライフはとっくにゼロよ!
「さあ、その人を僕に渡すんだ。僕が最強の力を手に入れたその日には……そうだなぁ。君たちの世界の王になってあげるよ。たしか、君ってそれが望みだったんだろう?」
「馬鹿を言うな! 御仁を傷つけようという輩を信用できるものか!」
阿久津さんは、怒りを浮かべて叫んだ。
「私が求めるのは、善き人格者であり、最強の異能力者だ! 貴様のような、ぽっと出で御仁に怪我をさせるような暴徒、我らの王として相応しくない! 身の程を知れ外道が!」
「……へえ。それが遺言、ってことでいいんだね?」
瞬間、妄言使いの体中から、何かうすら寒いものがまき散らされた。
膝が震え、寒気を覚えて初めて理解する。
――それが、殺気なのだということに。
「僕の言葉はすべて現実へと変換される。しってたかい? 僕こそが最強の能力者、妄言使い! 君に勝ち目など万が一つにもありはしないのさ!」
そういうや否や、ナルシの隣にいた化け物が吠えた。
その化け物を言い表すなら、『凶悪なオーガ』だろうか。
二足歩行の鬼の化け物。
全身は黒一色で、鋼のような肉体は見た目だけで強いと分かる。
オーガは右の拳を振り上げる。
阿久津さんはとっさに回避へ移ろうとしたが……その直前で、僕を視界に映して歯噛みした。
「くっ……!」
彼女は前を見据える。
同時に赤い瞳が金色に輝いて。
彼女の顔から、感情が消える。
「――失せろ外道ッ」
そして、周囲へと金色の光が溢れ出す。
凄まじい衝撃波が僕を襲い、数メートル吹き飛ばされる。
何とか体勢を整えて顔を上げた先では、拳を振り下ろしたはずのオーガが、逆に拳から血を吹き出して倒れたところだった。
「な……!」
「フフフ……なるほどね。これが噂に名高い【臨界天魔眼】」
ナルシが、頬に冷や汗を流しながら呟いた。
阿久津さんは、白い息を吐きながら、黒いコートを風に揺らしている。
血のように赤かった瞳は、今や黄金のような輝きを灯している。
「臨界……?」
「おや、知らないのかい? 代々、悪魔王に伝わる伝説の魔眼。その力は全ての不可能を可能に変えるとされていてね。……消耗が激しかったのが唯一の弱点だったのに、それが、壱巻で緩和されたときたもんだ」
言いながら、ナルシは腕を振るった。
瞬間、彼の目の前へと凄まじいエネルギー体が現れ、一直線に阿久津さん目掛けて放出される。だが。
「無駄だと言うのが分からんか?」
阿久津さんの目の前へ、金色の魔法陣が浮かび上がる。
その魔方陣へと光線が触れた瞬間、まるで慣性の法則などなかったかのように、ナルシへ向かって反射される。
きっとこれだ……さっきオーガを吹っ飛ばした技!
ナルシは驚いた……というより、納得したように目を細め、体格からは想像もつかない軽やかな足取りで光線を躱す。
「なるほどね。近代の悪魔王の眼は【反射】のようだ。どんな攻撃であっても無条件で反射してしまう最強の力。自ら攻めることはできないが、守ることに関しては誰よりも強い。……これは厄介だね」
厄介なんてもんじゃねぇだろ。
えっ、阿久津さん、強すぎない……?
もしかしてとんでもない人と話してたの、僕。
そうこう考えていると、阿久津さんが僕を庇うように前に立った。
「2度は言わん。引け、妄言使い。御仁は決して渡しはしない」
「……へぇ、そんな自信を粉々に砕いてみるのも一興だねぇ」
ナルシの身体中から、獰猛な殺意が溢れ出す。
歯がガタガタと音を鳴らす。
阿久津さんは喉を鳴らし、目を細めてナルシを睨む。
そして――……。
「いたぽよ! 悪魔王はっけんぽよ!」
どこからか、気の抜けた声がした。
☆☆☆
それは、頭上から降って来た。
ピンク色のフリフリドレスに身を包んだ女の子。
……あ、そうだ。昨日のやべぇ人だ。
阿久津さんと戦ってた人。
以前は中学校の制服を着ていたけれど……今回は魔法少女みたいだな。
女の子は華麗に着地を決める。
が、思いっきりスカートが捲りあがり、焦ったように両手で抑え、何故か僕の方を睨んできた。知らんがな。
「優ちゃん! なんだかとってもシリアスな雰囲気を感じるぽよ!」
よく分からない生き物が叫ぶ。
その声を受けて、優と呼ばれた少女は僕らやナルシを見渡して、「あれっ、もしかしてお取り込み中だった?」と体を縮める。
「……そ、そうね。なんだか……お邪魔だったみたい?」
「そんなことないぽよ! 女に必要なのは無遠慮さぽよ! なんの憂いもなくズンズンズンと無遠慮に踏み込み、男を落とす勇気ぽよ! 時には空気を読むということを忘れる蛮勇も必要ぽよ」
蛮勇って言っちゃってんじゃねぇか。
それとお前、女の子の声でそんなこと言うんじゃねぇよ。
いい加減わかってきたよ。
お前、ただの腹話術モンスターじゃねぇだろ。
あれだろ、主人公の相棒的な何かだろ。
特に理由はないけど、魔法少女と言えば相方だよね! 的な作者の都合で生み出されただけの存在だろ。もう察せましたね。
「そ、そうね! 分かったわポンタ! さぁ、悪魔王と……よく分からないナルシストっぽい人! 私が来たからには悪事はここまでよ!」
少女は、決めポーズをかましてそう叫ぶ。
その姿に、阿久津さんは緊張の糸が切れたように魔眼を解除した。
金色に染まっていた瞳が赤色へと戻り、対するナルシストの方も、肩を竦めてやる気を削がれた様子だ。
「……興が醒めたね。まぁいいさ。しばらく、そこの御仁は君に預けておくことにする。……どうやら、僕達が来る前に、御仁は何らかの敵と交戦していたようだしね」
「……!? 本当か御仁」
んなわけあるかい。
僕は内心、即答した。
「当初、御仁が『解然の闇』に近しい存在であると直感し、僕はオーガで彼を試した。が、その結果はそのザマさ。……間違いない。彼は、僕達と出会うより前に何者かと交戦し、その力の過半を奪われた。あるいは封印……とまではいかずとも、全盛の力を発揮できる状態にないんだ」
「な、なんと……! す、すまない御仁。まさかそんなにも消耗していたとは……」
えっ、なんなのこの人たち。
何で僕が解然の闇に関わってるって直感してるの?
というか、なんで初っ端、試そうとするの?
直感したなら試さないでよ。
いきなり鬼でタックルぶちかましてこないでよ。
どういう神経してる訳?
僕は唖然としていると、その唖然を何故か肯定に勘違いされた。
「しばらくは、停戦協定と行こうか、悪魔王。少なくとも、そこの御仁が君との戦いに巻き込まれ、命を落としてしまっては元も子もない」
一方的にそう言って、ナルシストはどこかへと去ろうとする。
その姿に、阿久津さんが『待て!』と口を開く。
しかし、それより先に……僕が、口を開いていた。
「ま、待て……! そのノートを……参巻は置いていけ……!」
痛みに顔を顰めつつ、必死になって立ち上がる。
しかし、依然として恐怖で膝が震えてる。
ナルシストは振り返った。
その目は薄く細められていて、僕は恐怖に喉を鳴らす。
だけど、言わなきゃ。
怖いけど、それよりもっと怖いものがある。辛いものがある。
――黒歴史ノートを他人に熟読されるという恐怖。
それは、いとも簡単に死の恐怖を上回った。
「そのノートは……無関係な第三者が読んでいいものでは無い! そも、出回っていること自体がイレギュラー! そもそも……おかしいと思わないのか!」
「ほう、必死だな。そこまでこのノートに固執する理由があるのかな?」
ナルシストはそう笑う。
僕も笑いたい気分だぜ。
だってそんな理由は、恥ずかしいから、以外にゃ存在しないから。
「……まぁいいさ。僕は、せっかく戦うなら強いヤツと戦いたいんだよ。少なくとも、力を削がれた今の御仁ではない。……出直してきたまえ」
「ま、待て……!」
僕は咄嗟に静止を叫ぶ。
だが、男は闇に解けるように消えてゆき、使役されていた巨大なオーガもまた、霧となって消えていった。
残ったのは、悔しさだけ。
拳を強く、血が滲むほど握りしめる。
ふと、阿久津さんから視線を感じてそちらを見れば、彼女は、どこか悲しそうな目で僕を見ていた。
「……御仁」
「……阿久津さん。本来であれば、こんなことは頼みたくないんですが」
というか、本来なら中二病になんて関わりたくない。
無論、それが本物だって言うなら尚更だ。
だけど、それでも……!
「僕は……あの書物が、他人に読まれると思うと……我慢ならない!」
恥ずかしすぎて、死にそうになる!
この先もずっとあのノートが大切にされていくと考えると心臓が止まりそうになる! 心休まるどころじゃねぇよ! 本当に夜も眠れなくなりそうだ!
僕は、絶対に取り戻さなきゃいけない。あのノートを!
しかし、黒歴史ノートに関することは、話し合いじゃ解決しなさそうだ。今回だっていきなり暴力ぶちかまして来たわけだしな。
だから、こればっかりは実力行使で奪い取るしか方法はない。
故に、僕がしなければならないことは……。
「……あぁ。何も言わずとも分かっている。安心してくれ御仁。私は貴方に協力する。どんなことでも言ってくれ」
「ありがとう、阿久津さん」
ナルシストは、正真正銘、この世界の人間だと思う。
阿久津さんの故郷『特異世界クラウディア』を、異界と言い表していた時点で、こちらの世界出身の可能性は大きいだろう。
ならば、可能性も当然あるはずだ。
僕もまた、特殊な【力】を覚えられるという、可能性も。
「同じ人間、……絶対に、出来ないと言うことは無いはず」
そう呟いて、僕は空を見上げる。
遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。
公園はナルシストが暴れたせいでぐっちゃぐちゃだ。
見ていた人は居なさそうたが……あまり、長居をするのもいただけない。
「……阿久津さん」
「ああ、分かっている。とりあえず御仁の住む拠点へ移動しよう。……ここでは、何をするにも目立ってしまう」
今の戦いも、一歩間違えたら録画&録音、後に拡散でとんでもないことになっていたはず。そこまで想像できたのか、阿久津さんは提案してきた。
無論、本音を言えば却下。
こんな危ない女を自分の部屋に上げたくない。
僕の気の迷いとかそういう問題じゃなく。
ひとつ屋根の下とか、間違いが起きかねないから。特に、第二第三のディュゥェアルノォーゥト保持者の襲撃とかさ。
……だけどまぁ、一人でいても狙われることは狙われそうだし。
「……そう、ですね。じゃあ急ぎますか」
僕は致し方ないと結論を出し、アパートへ向けて走り出す。
僕のすぐ後ろを阿久津さんが追随していて。
その道中、僕は、気づいてしまった。
彼女のもつ黒歴史ノートが、輝いていて。
身体中の傷が、既に癒えはじめていることに。
お気づきだろうか……?
途中で乱入してきた1人と1匹が、放置されているということに……。