111『灰村解の大切なもの』
全てを理解した。
シオン・ライアーが、僕を助けた。
僕の代わりに、あの一撃を身に受けた。
理解した、瞬間。
僕の喉から、裂けるような悲鳴が上がった。
「あ、あぁぁあぁぁぁあぁぁあああああああああぁッ!!」
駆けた。
既に余力など燃え尽きた。
それでも、命を削って彼女の元へ駆けた。
黒い剣が、彼女の体から抜けた。
鮮血が吹き上がる。
シオンは僕の方へと倒れてきて、僕は全身で彼女を受け止める。
「お、お前! な、何して……! おい! シオン・ライアー!」
「う、うるせぇ……な」
その声には、いつものような元気はなかった。
視界が曇った。これは、涙か。
分かっている。
彼女の肩から、胸元まで。
大きく切り開かれた傷口は語っていた。
――手遅れである、と。
「ふ、ふざけんな! し、死ぬな! 死ぬなよシオン!」
「……はっ、オレぁ……天才だ。めちゃくちゃ、強いん、だぜ? そんな……簡単に、死ぬようなタマに、見えるかよ?」
「見えないよ……見えねぇから、絶対に死ぬな!」
もう、彼女の体に力は感じなかった。
自分が死ぬことは、すぐに割り切れたのに。
誰かを……何かを【喪う】ことは、こんなにも、辛いのか。
今、僕の手から零れ落ちそうになっている命。
それに対して、何も出来ない無力感。
彼女を喪ってしまうという、絶望。
全部知ったさ……、もう、理解したよ!
もう二度と……もう、絶対にこんなミスはしない!
絶対にだ! 二度と目の前で、人を殺させたりしない!
だから、頼むから……ッ。
「頼むから……死なないで、くれよ……」
僕の言葉に、彼女は笑った。
「……あぁ、クソが。なんで、だろうな……」
「喋るな! もういいから……傷が、血が……!」
彼女の傷口から、血が溢れだしてくる。
零れてくる、際限なく垂れ流れてくる。
僕は傷口を必死に押さえて声を上げる。
でも、止まらない。
……止まっては、くれない。
「オレ……さ。昔っから……友達なんて、いなくて、よ」
それは、シオン・ライアーという少女の過去だった。
彼女の片目が見えていないことは、もう、ずっと前に知っていた。
頑なに眼帯を外そうとしない。
外しているところを見た事がない。
それはきっと、彼女のトラウマだからに他ならない。
だから、僕は彼女の過去について、探ろうとは思わなかった。
それを……なんで、どうしてこんなタイミングで……!
「後で聞く! だから、今は……!」
叫ぶ僕と、僕の手を、握るシオン。
「……今じゃなきゃ、ダメだって、分かってんだろ」
「……ッ!」
理解したくない、言葉だった。
僕は唇を噛み締め、嗚咽を殺す。
僕を見上げて、シオンは儚く笑った。
「オレ、何かを失うのが……嫌だったんだ。ぜんぶ、ぜんぶ……オレのものじゃないと、気が済まなかった。誰かに奪われるのが嫌だった。……だから、力を……がほっ、げほっ!」
「シオン……!」
言葉に混じって、血の塊が零れてくる。
それでも彼女は、笑っていた。
いつもとは違った、穏やかな笑顔だった。
「……だから、力を求めた。……ヘンテコな、ノートにも手を出した。……まぁ、そのせいで殺されちまっちゃ世話ねぇ、けどよ……。なぁ、カイ」
彼女は、僕を見上げている。
その目に映る僕は、とても不細工な顔をしていた。
涙を流し、嗚咽を噛み殺し、顔を歪めたその姿。
きっと見るにも耐えない光景だったろう。
でも、シオンはとても嬉しそうだった。
「どうだ、オレは……1番大切なもの、守ったぜ」
その言葉に、僕は目を見開いて固まった。
涙が頬を伝い、体の芯が熱くなる。
彼女の、とっても嬉しそうな笑顔を見て。
僕は、奥歯を噛み締め、僕は涙を袖で拭った。
「お前……こ、こんな状況で、泣かせに来んなよな!」
なんだよ、なんだよそれ……!
なにが、1番大切なもの、だ。
そんなこと言われたら、コロッとイっちまうよ、僕も。
お前が中二病みたいな格好してなかったら、きっと惚れてた。
僕は無理矢理に頬を吊り上げると、彼女を見下ろす。
「……バカタレが。覚悟しとけよ。……次に目ェ覚めたら、頭が馬鹿になるくらい叱ってやる。ついでに、腹いっぱいなるくらい、美味いもん食わせてやる」
「……な、はは! そりゃ、楽しみ……だな」
シオンの瞼が、次第に落ちてゆく。
僕の手を握る彼女の手から、力が失われてゆく。
僕は必死に笑顔を作る。
僕の顔を見て、シオンは最期にこう言った。
「……お前と……出会えて、楽しかった、ぜ」
彼女の体から、力が消える。
……それは、抗い難い終焉だった。
その瞬間、シオン・ライアーは、死に絶えた。
何の誇張もなく、なんの冗談もない。
僕の友達は。
僕の手の中で、死んで逝った。
冥府における、死。
それが何を意味するのかは、分からない。
それでも、二度目の終焉を目の当たりにして。
僕は、1度目とは比べ物にならない【怒り】を感じた。
「――ぶっ、殺す」
生まれて初めての、殺意。
どす黒い感情が腹の底から沸き立った。
振り返れば、冥府の王はつまらなさそうに立っている。
「……白けたな。興が醒めた。そして、貴様も脅威たりえぬと理解した」
白けた?
興が醒めた?
こいつは何を言っている?
疑問だけが溢れかえる中。
それを、ひたすらに重い憎悪が飲み込んだ。
僕は、冥府の王へと一歩踏み出し。
その直後、霧矢が僕の両腕を羽交い締めにした。
「お、落ち着いて! 落ち着いて解くん! ダメだ! それだけは許さない!」
「退け。殺すぞ霧矢」
「退かない! これだけは譲れない!」
本気の殺意に、霧矢は一切動じなかった。
今の僕に、霧矢を押し退けるだけの力は……残ってない。
それでも、腕を失おうと、四肢をもがれようと、首だけになっても、魂だけになっても、意地と根性と……この憎悪だけで、イミガンダを殺す。
冥府の王だろうが、なんだろうが。
僕のこの手で、ぶっ殺す。
そうじゃなきゃ……なんのために、シオンは死んだ?
なんの意味があった。
彼女の死に、なんの理由があった!
「やめろ、退けろ霧矢! こいつ、こいつだけは……!」
叫ぶ僕から、イミガンダは視線を外した。
既にその目は、僕から興味を失っていた。
「その程度の力であれば……私が手を下す必要も無い」
その言葉を最後に。
冥府の王イミガンダは、僕の前から姿を消した。
☆☆☆
イミガンダが姿を消して、一日。
僕は、シオンの前で、ただひたすらに座り込んでいた。
霧矢の姿は見ていない。
もう、自分が何を考えているのかも分からない。
ただ、胸の内に残る、熱き激情。
胸の内を焼くような、激しい痛み。
きっとこの感情を、怒りと言うのだ。
耐えきれない、耐えきれない。
胸の内に手を突っ込んで、掻きむしりたくなるような。
あまりにも熱く、苦しく、激しい感情。
「……少しは、頭が冷めたかい?」
「……霧矢」
ふと、背後から声がした。
霧矢ハチだ。
彼は僕の方へと歩いてくると、シオンを前に、僕の隣へと腰掛けた。
そして、僕の目の前へと、見たことも無い【宝玉】を置いた。
「……これ、は?」
「俗に【冥府の御魂】と呼ばれるものさ」
冥府の御魂。
青い水晶玉の中に、紫色の光が浮かんでいる。
どうやら霧矢も同じものを持っているようで、彼はもうひとつの宝玉を手で弄びながら、僕へと言った。
「これはね。番人の中でも特に強力な存在……【階層守護者】と呼ばれる者たちの心臓にあたるもの。僕のが、低層守護者の心臓で、そこに置いてあるのが、殺された中層守護者の心臓になる」
「……気色の悪い物を、持ってきたな」
つまり、この男は……あの、低層守護者を殺したってことか?
僕は目だけで彼を睨んだが、彼は僕を見ようともしない。
まるで、既に用済みだとでも言いそうな姿だった。
「この心臓は、言ってみれば10冊の黒歴史ノートの縮小図。簡易的な願望器の役割を果たしているんだ」
そこまで言えば、もう、分かってしまった。
「……なるほど。これが、脱出の鍵、か」
「その通り。長らく冥府の想力に触れ続け、ついには番人を超えた守護者の原動力。心臓。これを使えば、冥府から外に出られる」
願望器。
なんでも願いを叶える奇跡の道具。
つまり、冥府から出たい、でも、現実世界に生き返りたい、でも、大抵の願いは叶うということ。
縮小図、と言うからには、黒歴史ノート10冊には及ばないらしいが……。それでもきっと、その奇跡は人間の蘇生程度、簡単に実現できるはず。
ここに来て、僕は霧矢ハチの目指していた【脱出方法】を理解した。
なるほど、な。
階層守護者を【殺さなきゃいけない】なんて、霧矢としても、ギリギリまで僕には隠しておきたかっただろう。
「元より冥府の王と殺り合う必要なんてなかったのさ。結局のところ、低層守護者と中層守護者。その二人が倒せたのならそれで良かった。……まぁ、そうなるとシオンちゃんがアレだし? なんとか冥府の王も倒して、3人で脱出したいなー、とも、考えていたんだけど」
シオンは、死んだ。
なら、冥府の王を倒す必要性はなくなった。
僕と霧矢が、今此処で宝玉を使えば、それで終わる。
元の世界へと、戻ることが出来る。
そこまで考えて、僕は宝玉を手に取った。
良かった。
これで、また戻れる。
今度はもっと、上手くやろう。
10冊の黒歴史を燃やすために。
もう二度と、死なないように。
失わない様に。
シオンの死を、無駄にしないように。
今度は絶対に、上手くやらなきゃ。
コイツに、顔向けなんて出来やしない。
強く、宝玉を握りしめて。
僕は、シオンへと宝玉を差し出した。
「霧矢。願望器ってことは……願いはなんでも叶うんだな」
「……解くん」
霧矢は、僕に向けて呆れの混じった視線を向けた。
だけどその目は、どこか優しげに見えた。
「即決て。もうちょっと考えた方がいいんじゃないの? その宝玉は、そう簡単に手に入るようなもんじゃない」
「……考えるまでもない。僕は、僕の大切なものを選ぶだけだ」
僕の――灰村解の大切なもの。
シオン・ライアーは、僕を命をかけて守り通した。
自分の命よりも、何よりも大切なもの。
それが『灰村解』だと、彼女は言った。
ならば、僕にとっての1番大事なものは、一体なんだ?
黒歴史を燃やし尽くすこと?
それはもちろん最重要だ。
絶対にそれだけは貫き通す。
だけど、それでも……。
「今この瞬間だけは」
僕は、宝玉をシオンへと当てた。
使い方は、なんとなくわかった。
自分が、現実世界に戻ること。
戻って、阿久津さんたちと再会して。
また、黒歴史ノートを巡ってワイワイやって。
最後には、黒歴史そのものを燃やす。
その事に優るものはないと、思っていた。
思って、いたのに。
「……約束、したんだよ」
叱ってやるって。
美味いもん、沢山食わせてやるって。
どれだけ黒歴史に胸を痛めていようとも。
どれだけ辱めを受けていようとも。
僕は、お前が死んでいる方がずっと嫌だ。
……僕は、お前との約束の方が、ずっと大事なんだよ。
「僕の願いは――【シオン・ライアーが生き返ること】」
宝玉が光り輝く。
眩い光がシオンの体を包み込む。
やがて、光は奇跡となって具現と化す。
シオンの体が、解けるように光となって、天井へと消えてゆく。
「……これで、シオンは……」
「間違いない。彼女は生き返っているだろうね。冥府じゃなくて、現実世界で。……これで、君は冥府の王を倒さなきゃ、彼女との再会を果たせない」
霧矢の言葉に、苦笑する。
ま、流れ的にそうなんだろうな。
僕が冥府を抜ける条件。
もうひとつの、【冥府の御魂】の在り処。
そんなもの、冥府の王イミガンダを除いて、他には無い。
「霧矢。お前はさっさと生き返れ。……僕があの域に達するには、多分、1年じゃ効かないだろうから」
「……はっはー。解くんは優しいね。……うん、1年。多めに見積っても2年くらい? まぁ、それくらいなら全然耐えられる範囲内さ」
「…………霧矢?」
僕は目を見開いて、彼を見た。
霧矢ハチはどこか楽しげに笑うと、僕の前で奇跡を行使する。
「俺の願い――【ねぇ、解くんの零巻を、こっちに頂戴】」
「…………は?」
想定外すぎる、彼の願い。
僕の目の前に光が瞬き、そして、見覚えのあるノートが具現化した。
表紙に【零】との表記がある、黒いノート。
間違いない、ディュゥェアルノォーゥト第零巻だ。
《新しく技能を習得できます》
《技能が進化しました》
《新しく技能を習得できます》
《技能が進化しました》
インフォメーションが唐突に流れ出す。
僕は唖然と霧矢を見ていた。
彼は僕の視線に気がつくと、あっけらかんと笑ってみせる。
「なーに。俺だって根っからの冷血漢じゃないんだよ! 2ヶ月も苦楽を共にしたカイくんと、シオンちゃん。そんな2人をボコボコにして……ぶっ殺した冥府の王様」
そこまで言って、霧矢は目を細めた。
それは、ゾッとするほど恐ろしい笑顔だった。
「吠え面かかせてやりたいのは、俺も一緒なのさ」
それは、異能使い霧矢ハチとしての顔だった。
間違っても、自称一般人の浮かべていい笑顔じゃなかったと思う。
「で、でも……それじゃあ霧矢の分が……」
「いいってことさ! 2年もあれば、1個くらい見つかるかもしれないしね!」
しかし、すぐにその雰囲気も霧散する。
僕は思わず苦笑し、霧矢は僕の肩へと腕を回した。
「なんとかなる! じゃなきゃ、あまりにも報われないだろ!」
霧矢の無駄にポジティブな言葉が、今回はとても頼もしかった。
「……ありがとう、霧矢」
「いいってことさ! それより、早速修行と行こうじゃないか! シオンちゃんを待たせるにしても程度ってものがあるからね!」
彼の言葉に、僕は一日ぶりに立ち上がる。
片手には、今まではなかった黒歴史の塊が。
視線の先には、ちょうど都合よく現れた、番人達がいて。
「あぁ、待ってろシオン。今、会いに戻るから」
僕は、拳を握りしめる。
もう僕は、負けたりしない。
誰も傷つけさせはしない。
二度と、目の前で誰かを死なせない。
そのためには、力がいる。
圧倒的な、力がいる。
そのために何をすべきか。
答えは簡単。
レベリング。それだけだ。
覚悟は決まった。
憎悪も据えた。
準備は全て整った。
――さぁ、主人公の覚醒が始まるぞ。
 




