Epilog-2
いつだって。
死んだ先で待っているのは、お前だった。
沈んでゆく、どこまでも。
まるで漆黒の海の中。
何も見えない、感じない。
冷たいとも暖かいとも分からずに。
ただ、死という重石を結ばれて、どこまでも深い底無しの海に沈んでゆく。
『言っただろ、君は間違っていると』
聞いたことの無い声がした。
だけどその声は優しくて。
どこか懐かしい声だった。
意識が急に浮上する。
まるで、海面から顔を出すように。
僕は、冷たい空間へと吐き出された。
「がほっ! げほ、ごほっ……!」
思いっきり咳をして、荒くなった息を吐く。
まるで長い間息を止めて居たような感覚。
空気を求めて大きく深呼吸して。
ふと、僕の目の前に影が差した。
「なんとまぁ、お早い再会だね。カイ君」
その声に顔を上げる。
だけど、目が上手く見えない。
事故の影響か?
……そうだ、事故だ。
僕はトラックに引かれた。
たしかに死んだ、間違いなく。
なのに、どうして……。
「死んだのに生きている。その状況に驚いているのかな? ……って、前も似たようなセリフを言った気がするけれど」
「……誰だ、お前は」
目を細めて、その男を見上げる。
かろうじて輪郭が見えた。
黒い髪に、黒っぽい衣服。
彼はどこか優しげに僕を見下ろしていた。
「誰だ……ね。君にそう問われるのは二度目だが、一度目とは違い、少し心が痛くなる質問だ」
「何を言ってる……さっきから!」
目を擦り、近くの岩に掴まり立ち上がる。
改めて細目で周囲を見渡せば、まるで洞窟の中のよう。
病院の中には見えないし……どうなってるんだ。本格的に頭でもイカれたか?
あるいはここが……死んだその先ってのも考えられる。
「凄いよね……君は。たった一つの妄想から、世界を本当に変えてしまった。生まれてから未だかつて、己が力でここまでの奇跡を具現した人間は……見た覚えがない」
奇跡、具現、妄想?
先程からこの男は何を言ってる。
というか、本当に誰なんだ?
僕は男を睨むが、彼は肩を竦めたように見えた。
「まぁ、今の君に言っても仕方の無いことだろう。君は何も覚えていない。うん。覚えているのは、この世界出身ではない者達だけ」
そこまで言って、男は僕に1歩踏み出した。
その手が僕に触れる。
正確には、僕の腹に掌が触れた。
不思議とそれを振り払おうという気はなく。
僕の姿を見て、その男は微笑んだ。
「ありがとう。なにも覚えていなくとも、拒絶はしないでくれるんだね」
至近距離に来て。
初めてその男の顔を見た僕は。
考えるより先に。
なんとなく、その名前が溢れ出た。
「……き、霧矢」
「うん、俺だ」
その声が聞こえてまもなく。
僕の腹に、灼熱が走った。
熱い、熱い、熱い!
鋭い痛み、焼けるような熱。
声にもならない悲鳴をあげて、その場に僕は崩れ落ちる。
「な、ぎ、……がぁ、っ!?」
「俺はね、カイくん。君を止めたかった。こうなるって分かっていたから。だけど、俺じゃ君に勝てないかもしれない。そう思って、保険をかけておいたんだ」
腹の中で、何かが揺らめく。
瞼を閉ざした、その裏で。
まるで、浮かび上がるように【黒い宝玉】が目に見えた。
「全てを捨てた灰村解。それは、初代悪魔王すら一方的に屠った、本物の最強。……さしもの俺も、それを相手に確実に勝てるという確証はなかったんだ。今だから言うけどね」
男は、崩れ落ちた僕を見下ろす。
何故、僕の名前を知っている?
誰なんだこいつは。
そう考えた瞬間、頭が割れるような痛みが襲った。
「が、ぁッ!?」
「だから賭けた保険。それは、黒歴史ノートを単体で幾つか『使っておく』という、簡単なもの」
記憶が、雪崩のように溢れてくる。
腹の底の宝玉から……。
あぁ、そうだ、至高の暗淵。
星を記録する深淵のアーティファクト。
僕は、この宝玉を知っている。
「成志川少年、ナムダ・コルタナ。そして俺。ノートを単体で使い、想力を消耗することで、10冊集めた際の【奇跡の質】を低下させた。……でなければ、僕らの記憶も、深淵に関わる存在も、全部無くなってただろうね」
「お、お前……!」
記憶が少しづつ蘇ってきた。
そうだ、僕は灰村解。
1度、僕は死んだ。
そして、一人の男と出会った。
今と同じように。
彼に助けられ、命を繋いだ。
僕の頬を涙が伝う。
それを見て、男は優しく笑った。
「俺に出来るのは、ここまでだ」
やがて、僕の視界は白く染まってゆく。
かつても感じた、蘇る前兆。
まだほとんど思い出せない。
記憶も疎らで、お前のことだって、まだ、ぜんぜん思い出せちゃいないのに――。
「お、お前は……ッ!!」
現実に体が引かれる。
僕は咄嗟に手を伸ばす。
だけどもう、彼には届かない。
一緒に肩を組んで生きたかった人。
何としてでも、死なせたくなかった人。
そうだ。お前の名前は――。
僕の叫びに、彼は笑った。
いつものように、胡散臭い笑顔で言った。
「霧矢ハチ。どこにでもいる、自称君の友達さ」
☆☆☆
「…………ッッ!!」
目が覚めて、すぐに体を起こした。
場所は、見慣れない病室だった。
身体中には包帯が巻かれていて、窓の外には……見覚えのある光景が広がっている。
しかしそれは。
今の僕に馴染みのある光景ではなく。
夢の中で見ていた光景……世界が変わったあとの街並み、そのものだった。
「う、そだろ……!」
思わずベッドから飛び起きる。
腕につながっていた点滴のスタンドが倒れ、鋭い音が鳴り響く。
心臓がドクドクと、強く脈打つ。
目を限界まで見開いて、窓の外を見る。
地元じゃない、ここは……僕が一人暮らしをしていた街だ。
周囲へと視線を向けると……、近くのテーブルに画面がひび割れたスマホがある。
その画面を付けて検索する。
名前は【シオン・ライアー】。
検索結果はすぐに出た。
確かにその人物は存在する。
外国で活躍する一流モデル。
ただし彼女はつい先日、突然にモデルを辞めていた。
シオン・ライアーは『忘れてたけど、日本に会わなきゃいけねぇヤツが居た』と言っていたらしく。
それを見た瞬間、僕は思わず笑ってしまった。
「あの野郎……!」
スマホを投げて、僕は点滴の管を引きちぎる。
だけど、走り出した瞬間、体がぐらついて思い切り倒れた。
「ぐ……ッ」
「ちょ、ちょっとお兄ちゃん!? い、いきなり事故に遭ったって聞いて来てみたら……何してるの! もしかしなくても脱走しようとしてない!?」
驚いたような声が聞こえた。
顔をあげれば、病室の扉を開いて目を見開いてる妹の姿があった。
彼女は僕のそばにしゃがみこむと、心配そうに目を潤ませる。
「き、昨日からおかしかったもん……! なんか変なこと言ってるし、明らかに体調もおかしそうだったし! 全然帰ってこないと思ったら、こんな遠い街で事故に遭ったって電話来るし!」
「……なる、ほどな」
窓の外の、変わり果てた街並み。
戻りつつある記憶。
にも関わらず、世界の全てが戻ったわけじゃない。
奇跡の質が、落ちている。
あの男はそう言った。
ならば、全てが『戻った』わけじゃない。
僕が願う前の世界と。
僕が願った後の世界と。
二つの世界が混じりあって、僕の知らない世界になった。
そう考えるべきだと……思う。
僕は、妹の肩へと手を伸ばす。
何とか体に鞭を打ち、肩に手を乗せ立ち上がる。
「悪い。ちょっとだけ、確かめないといけないことがある」
「ちょ、ちょっとお兄ちゃん!?」
僕は、歩き出す。
妹の静止も振り切って。
力一杯に、大地を駆け出す。
確かめないといけないこと。
僕が大切に思ってたこと。
命よりも大切な人達。
あいつは言った。
鏡面世界は変わらなかったと。
なら、きっと。
あの二人と一匹は、待ってくれてる。
「もう! お兄ちゃん!!」
後ろから妹の声がする。
僕は病院服のまま、病院を飛び出した。
駆ける、駆ける。
裸足でアスファルトを駆けてゆく。
変わった街並み。
異能が溢れて変わった世界。
だけど、僕に迷いはない。
一直線に走ってゆく。
ふらつきながら、転びながら。
奇異の視線を一新に浴びて。
それでも笑顔を貼り付けて。
僕は、裸足のまま駆けてゆく。
「はぁ、はぁっ、はぁ……」
どれだけ走ったことだろう。
身体中は傷だらけ。
足の裏はずり向けて。
駆けてきた道には血の足跡が残ってる。
僕は駆けてきた道を振り返り。
そして、前を向く。
それは、学校の帰り道。
僕が何の気なしに立ち寄った、裏路地の前。
「はぁ、はぁ……ッ、すぅ」
息を整え、その奥へと視線を向ける。
……全てを、思い出したわけじゃない。
僕が飲み込んだ【至高の暗淵】。
それから与えられる記憶も、まだ不完全。
だけど、これだけは確実に覚えていた。
――全てはここから始まったんだと。
「フッ、ハハハハハハハッッ!」
笑い声が、路地の奥から聞こえてきた。
「手緩いぞ勇者! 御仁がこの街にいることは確実であろう! ここはもう、殴ってでも記憶を取り戻す他あるまい!」
「ば、バッカじゃないの!? 殴るのは賛成だけど、流石にあれよ! 面と向かって『お前誰だよ』って言われたら心折れるわよ!」
「大丈夫ぽよ! 覚えてないなら、優ちゃんの拳で一から調教し直せばいいぽよ! 今度こそ、ボクに生意気な口を利けないようにしてやるぽよ!」
そんな会話が聞こえてきて。
僕は……頭が痛くなってきた。
いやぁ……どうしようかな。
さっきまでウキウキしてたけど。なんだか、無性に行きたくなくなってきた。帰ろっかな。
うん、帰ろう。
僕は普通に帰ろうと思って歩き出す。
しかし、その時。
バキッと、足元から音がした。
「あっ」
足元を見る。
小枝を踏んでいた。
路地裏からの話し声は、消えていた。
「や、やば――ッ!」
猛烈な嫌な予感。
そうだよ、そうだ。
こういう時に小枝を踏むのはバカの所業!
でもって、この後の展開なんて分かりきってる!
おそるおそると、背後を振り返る。
裏路地の奥、2人と1匹が姿を現した。
それは、まるで闇の中から這い出てきた悪魔のようにすら見えた。
「ひっ」
彼女らの目がきらりと輝く。
妙に嬉しそうな顔に。
今は恐怖しか感じなかった。
僕は思わず頬を引き攣らせ。
彼女らは、ニヤリと笑ってこう言った。
「「「みぃつけた!!」」」
「ぎゃぁぁああああああああッッ!? こ、こっち来んな中二病どもが!!!」
僕は思わず逃げ出した。
その後、思いっきりボコられたのは言うまでもない話であろう。




