101『死者の語らい』
本日二話目!
遠い異邦の地、出身だった。
この国でも結構知られてる国だ。
世界でも、結構有名な方だと思う。
ピザとか、ワインとか……ダンスとか。
そういうので、有名な町だった。
だけど。
オレが、それを見たことは一度もなかった。
覚えているのは、第一に血の味だった。
いつも、殴られていたのを覚えている。
オレを殴るのは、主に二人。
失敗続きで仕事すらやめた父親と。
ヒステリックに叫ぶばかりの母親。
父は酒に溺れ、母とオレを殴り。
負の感情を募らせた母は、オレを殴った。
結果、オレだけが二人から殴られ続けた。
痛い。
苦しい。
それだけが、オレの持つ感情のすべてだった。
生まれてこの方、幸せなんて感じた記憶はない。
たったの二つ。
それだけの感情で生きてきた。
当時のオレは、まだ10にも満たなかった。
それでも、あの最悪の環境下で10年も生き延びることができたのは……オレにとって、幸運だったのか不運だったのか、今でもよくわからない。
まあ、少なくとも奇跡だったろう。
10年間もの間、殺されなかったのだから。
だけど、奇跡は何度も続きはしない。
オレはその日、死を垣間見た。
「……いッッ!?」
オレはその日、その瞬間。
生まれて初めて、痛みに声を発した。
ぶたれるのが当たり前。
殴られるのが日常生活。
それが普通になっている中で。
その痛みは、鮮烈にオレを襲った。
――11歳の春。
オレは、片目を潰された。
オレの目を潰したのは、父親だった。
酒に溺れて、現実と妄想の区別もつかなくなって。
しまいには、危ない薬にまで手を出して。
最後には、ナイフでオレの目を抉り裂いた。
右目へと手を当てて。
赤色よりも、透明な液体の方が多く流れていることに気が付いた。
その時だろう。もう、自分の片目が【終わっている】と理解したのは。
『■■、■■■■■、■……■■■! ■■■■■■■■■■■!』
『■■■! ■■■■■■! ■■■■!』
怒鳴る父親と、同調して叫ぶ母親。
片目を奪われた痛みから、二人の声がうまく聞き取れなかった。
外国語のように……下手をすれば宇宙人の言葉のように。
……いいや、本当のことを言おう。
オレは肉親の声が、家畜の叫び声にしか聞こえなかった。
『■■■■■■■、■■■■■■■!』
オレは、ナイフを振り上げた父親を見て、顔をしかめた。
生まれてこの方、無表情以外を知らなかった。
そんなオレが、死の淵に立って初めて、意志を持った。
ただの表情が、オレにとって劇的なものだった。
死にたくない。
そんな感情は、不思議と抱かなかった。
胸の内に生まれ落ちたのは、真っ赤に燃える痛みだった。
体を内側から食い破るような。
全身を蝕み、喰らい尽くさんとするような。
パンよりも水よりも、純然とした原動力。
体を突き動かす、大きな痛み。
痛い、痛い。
胸が痛い、頭が痛い、体中に激痛が走る。
今までに感じたことのない、不思議な痛み。
耐えきれるような、外的な痛みじゃなくて。
内側から焼かれるような、耐えがたい激痛。
オレは焦った。
この痛みだけは、耐えきれない。
殴る、蹴られる。そう言った、いずれ治る痛みは耐えられる。
だが、喪失を伴う痛みには、オレは耐えられない。
その事実を、唐突に理解して。
オレは、痛みに突き動かされた。
『……■、■■』
目の前が真っ赤に染まって。
気が付いた時、オレは近くのナイフを手に取っていた。
――血に濡れた格好で、道を歩く。
日の当たらない、裏路地を。
誰もが顔をしかめるような悪臭を放ちながら、歩き続ける。
物乞いも、路上生活者も。
誰も彼もが、オレを見ては逃げ出していく。
ふと、雨が降り出した。
表通りが、ちらりと見えた。
今の自分と似た色をした、丸い傘が道を覆い尽くす。
雨が、オレの体にへばりついた血を、流していく。
褪せていく。
返り血も、潰れた眼球からの血涙も。
それでも、心の内に感じた『痛み』だけは、決して褪せることはなかった。
痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い痛いいいたい痛い痛い痛いいたいちちちあいたちたちいたいちいたいちたいちあちいいたいちあちいいたいちちいたいたいちあちいちあいちあちあちたいたいたいたいちあいちあちたいちちたいいちたいちたいちああちあいちあいあいたいちあいたいちあいたいちあいあいちあいいたいちあちあいちあいちあいちあいちあいちちあいちいちいちあいちいあいちいいちあいちあいちちいあいいいあいたいちあいいちちあちちあちいっちあちいいたい。
――痛い。
胸を掻きむしり。
頭を抱えてうめき声をあげる。
その場に崩れ落ち、名も知らぬ痛みに慟哭した。
――その先で。
裏路地からひっそりと見えた。表通りの映像が。
『……………ぁ』
それは、建物へと投影された、映画の予告映像だった。
両親や恋人を惨殺されて、復讐を誓う主人公の姿。
今にして思えば、実にありふれた映画だったと思う。
だけど、その時オレは。
痛みと苦しみしか知らなかったオレは。
――その感情の、名前を知った。
『――ああ、これが、怒り』
その名を知った時、既に、痛みは消えていた。
これは痛みではない、怒りであると。
理解した。オレは知ってしまった。
三つ目の感情を手に入れた俺は、血濡れたナイフを眼前に掲げる。
『……二度と、奪われないためには、力がいる』
奪われるのは、嫌だ。
そのために、絶対的な力がいる。
もう二度と、負けないように。
自分のすべてを守れるように。
オレは、力を欲した。
そして、手に入れたんだ。
異能を。
もう、二度と奪われないための、オレだけの力を。
☆☆☆
暗い。
冷たい。
体が重い。
鉛の海に沈んだような。
全身の血が、汚泥に変わったような。
身の毛のよだつ気持ち悪さと。
なにか、大切なものを失ってしまったという喪失感。
ただ、ひたすらに。
生命感が薄れてゆくのを感じた。
死んだ。
という、感覚だけがあった。
いつまでたっても何も変わらぬ、冷たい死の海の中。
揺蕩うような感覚が身を包む中。
不意に、世界へ変調が起きた。
「死んでくれて助かった。本当に、君が死んでよかったよ」
脳内に、直接叩き込まれるような声だった。
眠っていた意識が、一瞬で覚醒する。
目を見開いて上体を起こした。
「……な、なん、で……?」
「おや、死んだのに生きている。その状況に驚いているのかな?」
声がした方向へと、視線を向ける。
そこには、1人のおっさんが座っていた。
大きな岩に腰を下ろし、片足だけ胡座を組むように座っている。
頬杖をつき、僕を見下ろすその目は、楽しげだった。
全身から伝わる余裕は、自信によるものなのか、あるいは、特に何も考えていないからなのか。
「…………アンタは、誰だ」
「おや、命の恩人に失礼だね君は」
命の、恩人?
その言葉に、自分は歯噛みした。
「……間違いなく、死んだ。それに、恩があるとでも思うのか?」
隠すつもりも、その事実に触れないつもりもない。
自分は死んだ。暴走列車に殺された。
残酷なまでの現実に遭った。
【本物】ってヤツとの差異に……力量差にぶち当たって、そのまま死んだ。
即死だよ即死。なんにも出来ずに死に絶えた。
「それとも何か、アンタ、助けてくれたとでも言うのか?」
自分がまだ、生きているとでも?
そんな事を抜かすなら、お前は信用できない。
今、死んでいるか、生きているか。
それも直感できないほど、自分は馬鹿じゃない。
知らず、言葉に苛立ちが混じっていることに気づいた。
志半ばで死んでしまったことへの後悔。
自分を殺した相手への、少なくない憎悪。
大切なものを失ってしまったという、喪失感。
様々な悪感情が混ざり、溶け合い。
放つ言葉にトゲとなって現れていた。
「そんなわけないじゃん。だってここ、冥府だし?」
しかし、男は関係なしにそう答えた。
改めて周囲へと視線を巡らせる。
周囲には……なんだ、これは。
よく分からない、青い火の玉が浮いている。
少なくとも、現実じゃない。
あの世界とは別の世界。……よく分からない世界だ。
「ここはね。俗に冥府って呼ばれる世界さ。現世と幽世との境界にある世界。とても言えばわかりやすいかな? 現世で死んだものたちを、ここを経由、選別して幽世へと渡す。そのための場所さ」
「……そんな、場所って」
……あるん、だろうな。
じゃないと、今、こうして意識があるわけが無い。
「ま、端的に言っちまうとさぁ。俺、けっこーまえに死んじまったワケよ。でもさ、現世にはやり残したことばっかりだし……だから、天国に送ろうとしてくる輩から逃げ回って、嫌がらせ工作しまくって、なんとか捕まらずにいたわけだけど……そんな折に、君が来た!」
そう言ってこちらの肩を掴んだ男は、言った。
本来であれば、一般人の知るはずのないことを口にした。
「お前さん、異能使いだろう? しかも、逸常使いと見た」
「……ッ!?」
彼の言葉に、思わず目を見開いた。
おっさんはしたり顔で笑っており、彼は指を鳴らして道の先を指し示す。
「命の恩人、ってのはこれからの話。俺が君を案内する。この、冥府のすべてを教える。どうすれば助かるかも、みーんな教える。代わりに君は、俺を連れてこの冥府を攻略すること。……なぁ、そういうのは大の得意だろう? 史上二人目の逸常使い」
「……お前、いったい何者だ?」
眼を鋭くして、自分は問うた。
おっさんはこちらの警戒に楽し気に笑い。
あまりにもあっけなく、自己紹介した。
「霧矢ハチ。どこにでもいる、自称一般人のおじさんさ!」
霧矢、と。
そう名乗ったおっさんは、こちらへと右手を差し出した。
「つーわけで、よろしく頼むぜ、イレギュラー異能力者」
「その呼び方は……やめてくれ。中二っぽくて身の毛がよだつ」
その言葉に、彼は目を丸くして。
改めて、僕に対して笑いかけた。
「そんじゃ。よろしく頼むぜ、灰村解」
何故、僕の名前を知っているのか。
おっさんは、いくら聞いても答えはしなかった。




