410『闇の王』
――第三者から見たときに。
自分の過去は、暗くなんてないかもしれない。
自分の過去は、黒いだけのものかもしれない。
大したことが無いように、映るかもしれない。
ただ、自分自身がそれをどう思うかは、きっと別の話だ。
自分は決して強くない。
元々、そういう考えを僕は持っていた。
僕は特別なんかじゃない。
至って平凡な人間であると。
そう考えていた。
考えなければいけないと、考えていた。
昔、1人の少年が夢を見た。
夢を現実に垣間見た。
あれは、何がきっかけだったか。
寒空の星の下、何かを見たような気もしたけれど、正直なところよく覚えていない。
僕は何かをきっかけに、自分が特別な存在であるように思い始めていた。
それは、子供ながらの英雄願望……だったのかもしれない。
特別になりたい。物語の中の最強になりたい。特別な力を使ってみたい。
そういう願望が狂い歪んで、いつしか『ああいうもの』に成り果てたのかもしれない。
そして少年は、その先に地獄を見た。
自分は特別である。
そんな理由の付かない自信は、粉々に砕け散った。
特に自信のあった学力で、大敗を喫した。
それは、大きな衝撃だったと思う。
平均以上の力を持っていただけあって、並大抵の勝負事では勝ってきた。
学力にしても学年3位。
他と比べりゃ大記録だろう。
それでも、突き詰めて行った先では。
何ひとつとして、僕は1番にはなれていなかった。
その瞬間、僕は自分が何者かに劣っていると自覚した。
それまで見ていた『自分だけの独りよがりな世界』にヒビが入り、鮮烈に声がしたのをよく覚えている。
それは、決して大きな声ではないだろう。
ただ、嘲笑うような声が、いくつもあった。
……人は、それをくだらないと笑うだろう。
暗い過去ではなく、黒い過去だと一蹴するだろう。
だけどさ。
人間、どんな出来事が自分の中で大きかったかなんて、その人その人によるんだと思う。
人によっては、それは大したことの無い過去であっても。
人によっては、黒歴史足りえるんだ。
今でもたまに、夢に見る。
思い出して死にたくなる。
これが、僕の黒歴史。
あの日、あの瞬間。
僕が味わった羞恥こそが、今の僕を作っているんだと思う。
だから僕は、考えない。
自分が特別である、等と。
自分は絶対に負けない、等と。
自分こそが最強であるなどと、僕は絶対に考えない。
☆☆☆
「ハァッ!」
鋭い一撃が、最短距離を走ってきた。
咄嗟に後方へと上体を反らせど、ポンタの一撃は僕の顎を捉え、思わず衝撃にたたらをふむ。
脳が揺れて視界がブレる。
その中で、ポンタは次弾の拳を固めていた。
「仮に今のが偶然でも。最早、手加減などしまい」
瞬間、迫り来る無数の拳。
力の世界で見れば分かった。
それは連打など、生易しいものでは無い。
限りなくほぼ同時に、10数発の拳が飛んできた。
まるで、拳がそのまま増えたような。
あまりの攻撃に、その過半を防ぐことも逸らすことも出来ずに体に受ける。
……武の極致とは、正にこの光景を言うのだろう。
全身から血が溢れ出し、ポンタは一時、拳を止める。
そして、自身の頬へと視線を向けて、その目を薄く細めて見せた。
その頬には、一筋の傷跡が刻まれていたから。
「…………男、お前」
「がほっ、げほ……ッ、どう、したポンタ。まだ、立ってるぜ?」
口から絶え間なく血が溢れる。
痛いし辛いし、嫌になるけど。
確かに、こうして戦えば僕に何が足りないのか、よく分かる。
動体視力についていけるだけの速度がない。
仮に速度が用意できても、それについていけるだけの肉体強度が足りてない。
伴って、相手に打ち勝つための筋力量が足りてない。
なにもかも、足りてない。
僕は察した。
こんなにも多くの【不足】。たったひとつの『天戒』でカバーしきるのは、まず無理だと。
ならば、2つ以上の天戒を取る?
いいや、だとしても。
二つ三つで以前と同等の力を得るなど、まず不可能に近いだろう。
ならばと僕は考え、右の拳を開く。
五指をゆっくりと広げ、ポンタへと向ける。
「――以前の力に『こだわる』のは、もう辞める」
元よりそのつもりだったろう?
なにも、天戒で取り戻せると考え、捨てたわけじゃない。
相応の覚悟をして、僕は全てをドブに捨てた。
なら、もうそんなもんにこだわるな。
『そういや爺ちゃん。その……爺ちゃんの天戒とかもさ。どうやって覚えたんだ? なんか、能力に応じて特別な修行方法とかってあったりするのか?』
ふと、そんな会話を思い出す。
神力をある程度操作できるようになってきて。
ふと気になったのは、能力を編み出す時もまた、似たような修行があるのか、ってことだった。
そして、あるのだとしたら、爺ちゃんはどんな修行をして、その力を手に入れたのか。
そんな僕の質問に、爺ちゃんは簡潔に答える。
『いいや、そんなものは無い』
『…………ないのか?』
想定外の言葉に、僕は思わず固まった。
そんな僕を見て、爺ちゃんが言った言葉。
それが、今唐突に思い起こされた。
『元来、天戒とは妄想だ。神力さえ修めてしまえば、あとは心の持ちようひとつで、どんな能力をも具現できる』
『……つまり?』
『君だって、私の【力】を使える、という話だよ』
僕は五指に力を込める。
……妄想、イメージする力。
そんなもん、僕のとっちゃ朝飯前さ。
想力が妄想力に直結するというのなら。
僕の妄想力は、紛うことなき最強だ。
なにせ、黒歴史ノートの生みの親。
こと『妄想』に関していえば、僕は誰にも負けるつもりは無い。
指先に力を込めて、一気に具現する。
イメージは、神力を想力に見立てて、基礎三形の『具現』を発動させるように。
僕は、記憶の中のその力を、現実へと呼び起こす。
「完全模倣――【老巧蜘蛛】」
その時、その瞬間。
僕の中で、その天戒が完成する。
溢れ出した神力に、ポンタの足が止まる。
強く周囲を警戒した彼は、僕の指から伸びる糸を見て顔を顰める。
「これだから嫌だったんだ……。お前は、必ず戦う度に強くなる。それも、信じられない速度で、だ」
「そりゃどうも。そんだけ必死こいてるってこったろうさ」
そうでもしなきゃ殺されちまうような相手ばっかりなんだよ。残念ながらな。
それも、今回の相手は飛びっきりでな。
僕が1番【最強】だと思う奴に、相手してもらってるんだ。
「……最低限。一矢報いなきゃ失礼ってもんだろ」
「一矢報いる……か」
僕の言葉にポンタは反応したけれど。
その目は、先程までと一転。
獲物を狙う狩人のモノへと変わっていた。
「……お前を相手にした奴の気持ちが、よくわかったよ」
威圧感が、一気にふくれあがる。
これこそが、近接最強の征服王、ポンタの本気。
僕は思わず両手の糸を構えて。
それと同時に、ポンタは僕へと向けて走り出す。
……さすが、僕がされて嫌なことを分かってやがる。
思わず頬をひきつらせ、全ての糸へと【攻撃性】を付与させる。
爺ちゃんの天戒【老巧蜘蛛】。
糸それぞれに攻撃性、防御性、捕縛性等、多くの性質を付与して、ありとあらゆる面から相手を追い詰める嫌な能力。
それをコピー出来たとはいえ……それはあくまでもコピー。
――当然ながら、本物に比べれば大きく劣る。
「フッ!」
全ての糸を、一気に薙ぐ。
凄まじい斬撃がその場を削り取り、それを見たポンタは難しい顔をしながら、それでも掠ることなく距離を詰めてくる。
「戦う度に強くなる。戦いの中で、更に強くなって攻撃してくる。……男、お前は本当に嫌な奴だ。清々するほど忌々しい!」
拳が振るわれ、僕は防御用の糸を束にし、防御する。
凄まじい衝撃が響き、糸の束にヒビが入る。
「そして同時に、彼らの敗因も理解がついたよ」
「……なに?」
僕は思わず問いかけて。
ポンタは、拳で糸束を粉砕した。
「お前に時間を与えすぎた。それが、お前に負けた全員の敗因だ」
瞬間、目の前からポンタが消える。
それでも僕の瞳は微かに捉えた。
その体がその場に残した、僅かな力の『流れ』ってヤツを。
「……ッ!?」
咄嗟に背後を振り返る。
そこには一人の男が、僕へと拳を振り下ろしていて。
「だからボクは、お前に時間を与えない」
その拳を理解したその瞬間には。
既に、回避は不可能な場所までやってきていた。
脳裏を過る走馬灯。
かつての記憶が一気に思い上がってくる中。
ふと気にとめたのは、深淵での出来事だった。
技能を選ぶため、ノートを開き。
ああでもない、こうでもないと頭を悩ませ。
結果として、黒狼技能を取ってしまった。
あの時に見た、いくつかの技能。
その中に――確か、こんな力があった気がする。
僕は限界まで目を見開いて。
力の世界で、なにか、自分の中に新しく生まれる力を視た。
「――【泡沫】」
瞬間、ポンタの拳が『僕を透過した』。
僕の体は打ち砕かれて、無数の泡へと変化する。
彼は大きく目を見開いて、後に立っている僕の姿に唖然とした。
「泡沫技能。1度だけ、自分の受けた攻撃を、死を、無かったことにできる技能」
まぁ、言ってみれば鮮やか万死の【無窮の洛陽】、あれの便利版だな。
ポンタは拳を握りしめ、僕へと裏拳を叩き込む。
だけどその姿……その『未来』は、数瞬前に視えてたよ。
「【振動】」
僕は、奴の横腹へと拳を当てて、技能を使う。
振動技能。
指定したものを振動させる力。
また、相手の体内へと衝撃を流す力。
「が、は……!?」
「擬似発勁、さっきのお返しだ」
自分の中に、新しい力が生まれては、使う度に消えてゆく。
真眼で捉えるその光景は、僕が生まれて初めて見知る事態だったと思うけど。
その傍らに。
心の芯に、ひとつ、それらとは別に巨大な力が存在していた。
闇より黒い、深淵の力。
その力を中心に、無数の力が産まれてくる。
僕は糸を強く引くと、ポンタの四肢が縛られる。
いくら糸を強くしようが、ポンタがその気になれば、この程度の糸、容易く引きちぎることが出来るだろう。
だけどポンタは、攻撃よりも警戒心を優先した。
「お、お前、何故そんなにも、複数の……ッ!」
「……複数? いいや、僕が使ってるのは、たった一つの天戒らしい」
老巧蜘蛛も、泡沫も、振動も。
それぞれを天戒として覚えたのではなく。
僕が見知った技術をそのまま、完全コピーしているだけに過ぎない。
僕が手にした天戒はそういう類のものだった。
……真似する、っていう考えが、あまり宜しくなかったのかもしれない。
そのため、元々僕が持っていた力は真似出来ないし、真似だから本家本元には絶対に及ばない。
それでもあまりある有用性。
そして、思わず笑っちまうようなチート加減。
しばし考えていたポンタは……やがて、ひとつの可能性に行き着いたらしい。
「ま、まさか……いや、そんなこと、絶対に不可能だ! 天戒について詳しくないボクでも分かる! そんな反則みたいな力、よっぽど、飛び抜けた才覚でもなければ……!」
そこまで言って、彼は思わず口を噤んだ。
悪いな、僕はどうやら天才らしい。
自分が特別だと認めるのは嫌だった。
なんだか、昔に戻った気がするから。
昔の記憶を思い出してしまうから。
僕は平凡であると、言い聞かせていた。
でも、それはあくまで昔の話。
今は違う。
この世界に身を置いて。
もう、特別だなんだと言ってられる次元は過ぎた。
僕が歩く先に待つのは、いかに反則を押し付け合うかの反則合戦。
自分の特別性を主張し合うだけの、泥仕合。
そんな世界に、僕は足を踏み入れたんだ
もう、過去から目を逸らすだけの僕は居ない。
ここにいるのは、無能力者に堕ちた灰村解で。
たった今、反則系異能力者に舞い戻った、陰陽師・灰村解だ。
「天戒【闇の王】。見知った力を全て再現する力」
下手をすれば、禁書劫略よりもチートな力。
それを前に頬を引き攣らせるポンタに対し。
僕は、五指に力を込めてこう言った。
「悪いな、こっから先は――本気でお前を倒しに行くよ」
な、なんだってぇえええ!?〈作者の心の声〉
作者すら予想だにしない展開が此処に。




