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7 皇帝

小説の途中で、初めて前書きを書かせていただきます。「ホアキン年代記 ー英雄たちの物語ー 」お読みいただき、ありがとうございます。

作者は、本小説投稿サイトへの投稿を始めてから間もなく、他の投稿されている方の小説もこれまでは、ほとんど拝見しておりませんので、このサイトでの慣例、まだ把握できていません。ここで本小説の現時点での本文と直接関係のないことを書いていいものなのかどうか? 書きますね。m(._.)m。

「神々の物語」「英雄たちの物語」と続きました本小説。もうこのあと、それほど多くの章を重ねることはなく、完結に向かっております。

アクセス解析から拝察するに、「神々の物語」「英雄たちの物語」ここまで全て読んでくださっている方も何人かはおられるのかな、と拝察致します。ありがとうございます。

本小説の原型は、もう17~18年くらい前に書きました、これまで、ほとんど誰にも読んでいただいたことは、ありません。このまま誰にも読まれることは、ないのだろうな、と、ずっと寂しく思っておりました。先日テレビで、「きみの膵臓をたべたい」を観たことを切っ掛けに、この小説投稿サイトの存在を知り、そこに投稿したら誰か読んで下さる人がいるかもしれない、と思い、映画を観た翌日だったでしょうか。投稿を始めました。これまでに書いていた小説、本小説以外に、あと三編投稿しており、そちらは、いずれも既に完結しております。

さて、ここまで本小説に関する感想はまだひとつもいただいておりません。作者としては、少しは面白いと思っていただけているのかどうか、気になります。もし感想をいただけたなら、精一杯、ご返信させていただきます。本小説に直接関係ないことであっても歓迎です。


 チャン・ターイーはヴァン・トゥルクの官舎を訊ねた。

 ヴァン・トゥルクの書斎に入った。

 ヴァン・トゥルクの執事バルが飲み物を持ってきた。

 応接机の上にそれぞれの好みの飲み物を置いた。

 チャン・ターイーは茶托から椀を取り上げ、左の手のひらに載せ、右手を脇に添えた。一度息ふーっと吹きつけゆっくりと喫んだ。一口喫んではーっと息を吐く。

「うーんうまい。ありがとう、バル。今日はサヤマだね」

「さようでございます」

ヴァン・トゥルクが顔をしかめた。

 そんなヴァン・トゥルクをチャン・ターイーはにやりとして見る。

「香りといい、熱さといい、茶の葉の量といい申し分ないな。父のてほどきだな」

「ええまあ。昔、仕込まれましたから」

「たまには父親と会っているのか」

「いえ、ここ一月ばかりは会っておりません」

「どうして。遠くに住んでいるわけでもあるまいに、たまには父親に顔を見せてやれ。隣ではないか。ロイも待っているだろうに」「は、ありがとうございます」

バルは恭しく礼をすると書斎を出ていった。


 バルは思う。

 チャン・ターイー様はヴァン・トゥルク様のご友人として申し分のないお方だ。

 何と言ってもホアキン最大の英雄なのだから。

 しかし、人の私生活に口を出すのが欠点だな。いらっしゃる度に同じ事を言われる。ほっておいていただきたいものだ。二十歳を過ぎた男が自分の父親と何を話すことがあるというのだ。


「お前本当に嫌みな奴だな、チャン・ターイー」

「ん」

「仕方なかろうが。俺とお前では育った環境が違う。俺は二十歳まで一番安いインスタン地方の豆で煎れたコーヒーしか喫んだことはなかったんだからな」

「何だ、その話か。お前も東洋茶にしろ。いいぞ東洋茶は。俺がじっくりと教えてやる」


「さてと、やはりシューター子爵は上への報告を同意されなかったのだな」

「うむ、、立太子問題で頭がいっぱいのようだ。もう少しは物の判る方だと思っていたが、ことの軽重が判っておられぬ」

「お前にしては珍しく迂遠なことをしたものだな。ことを即時に決することのできる権限をもつ人物に直接話さねば意味をなすまい。参謀総長への報告を希望したというが、総長とて、ことを即、決するという訳にはいかぬ立場だぞ」

「うむ、俺としては帝国軍人としての筋を通したかったのだが、そうも言ってはおれぬようだな」

「うむ」

「で、ヴァン・トゥルク。お前は誰に話を持って行くべきと考えているのだ」

「今、帝国で自らの判断で大事を決することのできる立場にいるのは二人だけだ。ひとりは言うまでもなく、オットー陛下。そしてもうひとりは」

「オビディウス・ローザン公だな」

「さよう」

「で、お前はどちらに話を持って行くつもりだ、ヴァン・トゥルク」

 この問いについての答えは、ヴァン・トゥルクは、既に決めていた。

 帝国にとって、最も望ましいのは。

その答えも、ヴァン・トゥルクには、分かっていた。が、その答えを選択することは・・・ヴァン・トゥルクの十四歳からの人生を否定することになる。

 ヴァン・トゥルクに、その答えを選ぶことはできなかった。

それに、ヴァン・トゥルクは思う。

ニキタ皇子のことだ。

 あの方は、皇帝になるに、相応しい方ではない。

 お母君が一般民の出身であるから。東方民族の血が流れているから、というようなことではない。

いや、今、そういう出自の皇帝が誕生することは、帝国のこれからの歴史の展開のなかでは、むしろ望ましいことではないかとさえ思う。そのことにより、皇帝は、より普遍的な存在になる。

相応しくない、というのはあの方の資質だ。六歳ともなれば、あの方の人となりは分かる。

皇帝となっても過不足なく、その座を守られ、職務に忠実に勤められるだろう。だが、それは、あの方が本来、望まれる人生ではないだろう。

あの方は、ご両親の気質を濃厚に受け継がれている。優しすぎる。


「オビディウス公だ」

「そうか」

「お前は違うわけだな」

「俺は、近衛の連隊長だ。陛下側近の立場にいる者だぞ。俺としては陛下自らに動いていただきたい、と思う」

「たしかにそれこそ最も望ましいことだ。それが正当な形だ。だが、チャン・ターイー。お前は本当にそれがいいと思っているのか」

「ううむ」

「かつての陛下であられたら、そうするのが当然のことだったろう。政務をとって誤りのあるお方ではなかった。しかし、今の陛下は違う。そうでなければ、ニキタ殿下を皇太子になさろうなどどはなされまい。これはいかにも無理のあることだ。今の陛下は現実をご覧になる目が曇っておられる」

「俺に同意しろというのか」

「チャン・ターイー、お前に訊ねる。お前の、最大の忠誠の対象は何なのだ。陛下個人か、それともホアキンなのか」

「判った。同意しよう」


 しかし翌日、事態は急変した。

ヴァン・トゥルクの元へトクベイから手紙が届いたのだ。

トクベイはその手紙で、キプタヌイ汗と自らのやり取りをそのままに正確に記述していた(最後の部分は省いていたが)。

 そしてその手紙の末尾にはこうあった。

「今、そなたたちが為さねばならぬ事を為せ」


ヴァン・トゥルクはその手紙を持ち、チャン・ターイーの官舎を訪れ、ただちにチャン・ターイーに披露した。

チャン・ターイーは読み終わった。

「いつもは簡潔明瞭な手紙を寄越すトクベイ殿も今回は違ったな。キプタヌイ汗とトクベイ殿のやり取り、まるで戯曲を読んでいるようだった。もっとも、たしかに此の方が、汗がどういう人間なのかがより判る」

「チャン・ターイー」

「何だ」

「俺は方針を変えるぞ。事態はより切迫している。オビディウス公を動かし、草原に対応するに足る体制を作り上げようと思ったが、そのやり方では間に合わぬ」

「で、どうする」

「「俺達が帝国の実権を手にするまで待つ」

か、成る程、汗がそう望んでいるのであれば、それに答えなければなるまい。」

「ふむ」

「なあチャン・ターイー」

「ん」

「どうだ。ふたりで帝国を奪うか」

チャン・ターイーはヴァン・トゥルクを見た。

その目には非難の色があった。


「やはりいやか。それが一番早いのだがな。戦いが終われば陛下に大権を奉還すればすむことだ。しかしまあやめておくか。俺もお前と戦う気はないしな。要は俺達が帝国最高の実権を握れば良いことだ。俺達にそれを与えることができるのは陛下だけだ」

「しかし、お前は昨日、今の陛下は現実をご覧になる目が曇っておられると言っていたではないか。陛下を説得できるのか」

「陛下に変わっていただく」

「何だと」

「陛下がなぜああなられたのか、俺には判る。その原因を取り除いて差し上げればそれで良い」

ヴァン・トゥルクはこの言葉を苦悩に満ちた顔で告げた。


「さあ、チャン・ターイー。陛下に会っていただこう」

ヴァン・トゥルクは応接机の上に広げられていたトクベイの手紙に視線を落とした。


「それにしてもトクベイの奴、良くぞ言ったものだな。「私ひとりで充分です」か。キプタヌイ汗の身近にいながら、俺とほぼ同じ時期にしか、汗の野望を見抜けなかったくせに。奴が帝国に戻ってきたら、さぞや働いてくれることだろう。俺は高見の見物としゃれこむかな」


 帝国職階表にその名を記した者は、皇帝と直接、面談する権利をもつ。

 それはホアキン法大全に記された条文である。

 従って、ヴァン・トゥルクもチャン・ターイーも確かに皇帝に面談を求める権利はあった。

だが、今ではその条文は形骸化しており、実際には直接皇帝に面談できるのはよほどの高官に限られていた。

が、ふたりは宮内省を通して古来の条文施行規則どおりに皇帝に面談を申し込んだ。


 面談希望者がいる旨の侍従よりの報告を受けた皇帝オットーは侍従の捧げる面談希望者の名前を見た。

そこに興味あるふたりの名前を見出した皇帝は即座に面談を許した。ふたりは侍従の案内で皇帝の謁見室に通された。


「帝国最大の英雄と、帝国最高の頭脳をもつ男が予に何の用かな」 ヴァン・トゥルクが答えた。

「陛下、結論から申し上げます。われらふたりに臣下としての最高の実権をお与え下さい」

「これはまた唐突な申し入れだな。理由を聴こうか」

「まもなく、草原の騎士がこのホアキンに侵攻してくるからです」


 ヴァン・トゥルクは、簡潔にオットーに説明した。

草原の現下の情勢とキプタヌイ汗の野望を。

オットーは聴き終わった


「で、草原がこの帝国に侵攻してくるというのか。いつだ」

「草原が統一されたあと、遠からずやってまいりしょう」

「とはいえ、現実には、そのキプタヌイ汗という男は未だ、草原の三分の一をまとめただけではないか。仮にその男が将来、草原を統一することが出来たとしてもそれはずっと先のことであろう」

「いえ、私は、その日は近いと考えております」

「根拠は何だ」


 ヴァン・トゥルクは言葉につまった、キプタヌイ汗は天才だからです。と言ってもオットーに理解できることではない、と思った。 まして自分も天才であるから、草原が直ちに統一されることが判るのだ、と言うことは躊躇した。

 

 また、ヴァン・トゥルクが観察するに皇帝は何か別のことに気をとられている。

であれば、皇帝に話をさせるべきであろうとヴァン・トゥルクは考えた。


「どうやら根拠はないようだな。今日はいささかがっかりしたぞ。そなたが、風説と推定だけで取り乱す男とは思わなかった。そなたの望みをかなえてやることはできぬ。が、まあたしかに、ホアキンはこれまで草原を意識の外においていたのは事実だ。今後はその動きに注意をはらって行く必要があるな。で、用件はそれだけか」「はい。とりあえずは」

「では折角、帝国最大の英雄と帝国最高の頭脳が来てくれたのだから、訊いておこうか。既に聴き知っているだろうが、近く立太子問題がホアキンをゆさぶる。候補は予の一子ニキタと弟のニコラスだ。

予はニキタを皇太子にしてやりたいのだ。これまで良く尽くしてくれたシュアンにむくいてやりたいと思うのでな。

が、正直言って状況はいささか予に不利だ。皇帝といっても、そんなことも自由にできぬのだからつまらん話だ。

どうだ、予につかぬか。

高名なそなたたちが予につけば、状況は変わるだろう。

ニキタ立太子の暁には重く用いるぞ。最初にそなたが言った申し入れも考慮する」

「いえ、ニキタ殿下は皇太子としてふさわしいお方ではありません」

「ニコラスを推す側につくというのか」

「いいえ」

「では中立を決め込むつもりか。若いに似ず世慣れたことだな。だが、そのような態度では帝国最高の権力は手に入らぬぞ」

「ホアキンの皇太子にふさわしいのは、皇后陛下がこれからお生みになる皇子です」

「何を言う。予とシモネッタが不仲なのはそちも知っていよう」

「陛下、陛下にお尋ねいたしたいことがあります。ご質問をお許しいただけますでしょうか」

「許す」

「陛下は皇后陛下に陛下のお気持ちを素直にお伝えしたことがおありですか」

「予の気持ちだと。予がどう考えているというのだ」

「陛下は誰よりも皇后陛下を愛していらっしゃいます」


オットーは一瞬虚を突かれたような顔をした。しかし、すぐに元の表情に戻った。

「ヴァン・トゥルクよ。もう一度言おう。そなた、予と皇后が不仲であるとの評判を耳にしたことはないのか」

「ご評判ならいくらでも聴いております。しかし、私はそのことに関して直接、陛下からお気持ちをお聞かせいただいたことはありません。陛下どうかお聴かせ下さい。いえ、実はお聴きするまでもないのです。陛下が皇后陛下を愛していらっしゃることはあまりにも明瞭ですから。しかし、陛下。陛下ははっきりとお口にお出しにならなければなりません。皇后陛下を愛していると」


 ふっとオットーの口元に微笑が浮かんだ。

「不思議なものだな、ヴァン・トゥルク。予がシモネッタと結婚してから十一年経つが、予のまわりにいたものの誰ひとりとして、予の気持ちをそのようにあっさりと言い当てたものはいなかったぞ」  

 オットーは言った。

「愛しているさ。予は誰よりもシモネッタを愛している」  


ヴァン・トゥルクは完爾と微笑み頷いた。


「ヴァン・トゥルクよ。何故判った」

「皇后陛下が余りにもお美しいからです」

「何」

「此の世に男として生まれて、あれほど美しい方を愛さずにすませられるはずがありません」


 皇帝は笑い出した。

「そうか、一体何故判ったのか不思議だったが、そのように単純な理由だったのか。そうだな。たしかにそうだ。此の世にシモネッタほど美しい女はいない。シモネッタを知った以上、他の女を本当に愛せるはずがない」 

 このとき、そうオットーの中にシュアンの姿はなかった。

シモネッタが、私を愛しているだと。

ヴァン・トゥルクの言葉は、皇帝に我を忘れさせた。


 ヴァン・トゥルクはうやうやしく一礼した。


「しかしヴァン・トゥルクよ。予の気持ちはたしかにそのとおりだが、シモネッタは予のことを愛してはおるまい。結婚した当初から予とほとんど口をきいたこともないのだぞ。もし、いささかなりとも愛しておればそのような態度はとるまい」

「申し上げます。それは陛下にあらせられても、皇后陛下にあらせられても特別なお育ちだったことが原因です」

「ん」

「陛下はご幼少のころより特にご自分のお気持ちをおん自ら述べられなくとも陛下の、まわりのお付きの方々が陛下の意あるところを忖度なさっておられたはずです。ですから陛下はいざ、ご自分の愛する方をおん目の前にしたとき、その方も陛下のお気持ちをきちんとそのままに想像されると思われたのです」


皇帝はヴァン・トゥルクの話しを黙って聴き続けた。


「しかし、ここでもうひとつお考えにならなければいけないのは皇后陛下も又、陛下とご同様にお育ちになったということです」

「では……、では……」

皇帝が驚きの表情を浮かべた。

「シモネッタも予のことを愛しているというのか。そして、あやつも予が自分のことを嫌っていると思い込んでいるというのか」

「ご賢察のとおりです」

「莫迦なことを言うな。そなたはさっきこう申したではないか。此の世に男と生まれてシモネッタを愛さない男などいないとな。シモネッタも自分がどれほど美しいかは判っておろう。なぜ、嫌われていると思うことがあるのだ」

「陛下、帝国の臣民はそのように思っております。そしてみな不思議がっております。何故、あれほどお美しい皇帝陛下と皇后陛下がお互いに不仲なのであろうと。そして陛下。陛下ご自身もおん自らその誤解をお解きにはなりませんでした。陛下は先程、こう申されました。「予とシモネッタが不仲なのは知っていよう」」と。


皇帝は黙ったままだった。

「陛下、先程、陛下がおっしゃられたことを、立場を変えてそのまま繰り返します。此の世に女と生まれて陛下のことを愛さない女性はおりません」

「何故だ。さっき予のことを美しいといったな。しかし、仮にそうであったとしても、男と女の違いを考えにいれてもシモネッタの美と予のそれとでは美しさの桁が違うぞ」

「ご一緒です、と申し上げればそれは陛下に諂っていることになりましょう。陛下のおっしゃるとおりです。しかし、陛下は特別な方なのです。若い女性が将来の伴侶を夢に描くときにこういう言い方をします。「白馬に乗った王子様がいつか私を迎えに来てくれる」と。陛下は文字どおり、正真正銘の王子様でいらっしゃいます。いえ、王子様以上ですね。皇太子であらせられたのですから。若く、美しく、心優しい皇太子殿下。これだけものをもっておられた若き日の陛下以上に若い娘の胸を焦がすことのできる男はおりません」 「そうか、結局そういうことなのか。予は皇帝になるべき男であったからこそシモネッタに愛されたというわけなのだな。予自身ではなく」

「陛下、どうか思い違いをなさらないで下さい」

「ん」

「陛下は先帝陛下のご長男としてお生まれになり、生まれながらにして皇太子であられました。帝国の民にとってオットー・キージンガーという人間は存在しません。皇帝オットー・キージンガーが存在するだけなのです」 


このことばを聴いたとき、オットー・キージンガーの全身を電光が貫いた。 皇帝は立ち上がった。そして、天を見た。しばらくして、皇帝は再び座った。その時、皇帝は生まれ変わった。皇帝は自らの運命をようやく理解した。皇帝はただ皇帝として生きるべきであるということに。


「陛下、それでは本日はこれにて退席致します」

「ん、先程の用件はどうなった。草原に関する事柄は」

「陛下、事の軽重を誤ってはなりません。今の陛下にとって一番大切なことは一刻も早く皇后陛下のもとへいらっしゃって、

「愛している。初めて逢ったときから愛していた」

とおっしゃることです」

「そうか、なあヴァン・トゥルク」

「はい」

「思えば予も無駄な人生を歩んだものだな。その一言を言わなかったばかりに十一年も苦しむことになった。シモネッタも今は、若い貴族と浮き名を流している。無理もない。予にずっと放っておかれ、予は他の女性との間に子までなしたのだからな。予さえ素直であったなら、シモネッタが他の男に身をまかせることなどなかったであろうに」

「そのことでございましたら、ご懸念には及びません。陛下は皇后陛下から最もお聴きになりたかったことをお聴きになるでしょう。ではこれにて失礼いたします」


ヴァン・トゥルクはチャン・ターイーに呼びかけた。

「チャン・ターイー、帰ろう」

ヴァン・トゥルクとチャン・ターイーは退席した。

謁見室を出るなりヴァン・トゥルクはチャン・ターイーに言った。「お前、とうとう最後まで一言も話さなかったな」


 皇宮を退出したその足でヴァン・トゥルクとチャン・ターイーはチャン・ターイーの官舎に直行した。

 執事ロイが二人の好みの飲み物をそれぞれの席に置いた。

 ロイは驚いた。コーヒーに口をつけたヴァン・トゥルクが何も言わないのだ。

 ロイはじっと待った。

 しばらくして、チャン・ターイーがロイに下がるように命じた。ロイは寂しかった。


「ロイ」

ロイが部屋を出ようとしたとき、ヴァン・トゥルクが呼びかけた。


「はい、はい、何でございましょう。ヴァン・トゥルク様」

「いつもありがとう。今日はエスプーリャの豆だね」

ロイは吃驚した。そのとおりだった。


「ヴァン・トゥルクよ。今日は結局、本来の目的は果たせなかったな」

「いいや、果たしたさ」

「うん」

「なあチャン・ターイー。人が自分の最大の悩みをある人に解決してもらったとき、その人にどういう態度をとると思う」

「どういう態度をとるのだ」

「その人に対する大いなる感謝と、全面的な信頼だ。数日も経たない内に陛下からお呼びを受けるさ。おそらくは明日だろうがな」「そうか、成る程なあ。だがそれにしてはお前ずいぶんと表情がすぐれないなあ」

「お前、判らないのか。本当に鈍い奴だな。俺は今日、失恋したんだぞ。それも最大のライバルに最高の恩恵を施してな。俺は人生の最大の目標をなくしてしまったんだぞ」

「そうか、そういうことだな。なあ、ヴァン・トゥルク」

「なんだ」

「話してくれ。じっくりと聴いてやるぞ。二十九回目だな」


 ヴァン・トゥルク、チャン・ターイーとの面談が終わった後、皇帝はただちに皇后の居室におもむいた。

 そして、ヴァン・トゥルクに言われたとおりのことをシモネッタに伝えた。 

 その瞬間にシモネッタの目からこぼれる涙を見て、皇帝はヴァン・トゥルクの言ったとおりであることを全て理解した。


 皇帝はヴァン・トゥルクの退席間際に彼に告げたおのれの後悔も皇后に話した。皇后の返事はこうだった。

「陛下、そのようなご心配をおかけして誠に申し訳ありません。しかし、私には、陛下がおっしゃっておられるようなことはいっさいありません。たしかに、私は、陛下にはっきりと疎んじられていると思ったときから帝国内の若い貴族の方々との遊興に時間を費やしました。時に朝までともに時を過ごしたこともございます。

 でも、陛下がご懸念なさっておられるようなことはいっさいございません。この唇も誰にもふれさせてはおりません。個室で殿方と二人きりになったこともございません。

 陛下と結婚する前もです。

 私は生涯、陛下以外の殿方とそのようなことを行ったことはございません」

 皇帝は皇后を抱きしめた。

「そうか、そうだったのか。帝国の臣民はこのように言っているそうだ「十五歳を過ぎて男を知らない女を捜すのは砂の中に砂金を捜すようなもの」とな」

 皇帝はさらに皇后を強く抱きしめた。

「ここに砂金があった。いや砂金などではない。シモネッタよ。そなたこそ、この帝国において最も美しい宝石だ」


 その夜、二人は眠らなかった。

 愛の行為が為されたというだけではない。

 二人はお互いが出会ってからの歳月を、

 十数年の歳月を取り戻すかのように

今日のこの時に至るまでのお互いの気持ちを語り合ったのだった。そう、

 まるで少年と少女のように。

本小説については、過去に書いたものをほとんど、そのまま使っている部分もありますし、今回の投稿にあたって、新たに書いた部分もかなりあります。このあとの章は、はじめのほうの箇所以外は、新たに書くことを予定していますので、次回更新は少しお時間をいただくかもしれません。

この「ホアキン年代記」は、神々の物語と英雄たちの物語で合わせて、原稿用紙換算で、1000から1500枚くらい使って書くべき内容であろうと思うのですが、要点と思われることだけを、書き連ねているかと思います。

ひとつは、作者は、ほかにやりたいことが多いということ(この小説サイトへの投稿を始めてから、まだ一冊も本を読んでいません)。

もうひとつは、本小説におけるような特別な人間を描くというのは、私にとっては、精神的にかなり疲れることなので、早く終わらせてしまいたい、という気持ちになってしまうのです。

では、このあとも、また、引き続きお読みいただけたらとても嬉しいです。どうかよろしくお願いいたします。(^-^)v

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