5 ジョセフ
ジョセフの母ソフィーは美しい人であった。が、奴隷階級の女性であった。
十代の後半を迎えようとするとき、ソフィーはジョセフを身篭った。
父親は母の仕える貴族階級の男だった。
貴族の息子の母となったソフィーは奴隷身分から解放され、主人の邸宅から程近いハイツーの街中に一軒家を与えられ、そこでジョセフを育てた。
時折その家を訪れる父は、いかにも貴族然としており、風采も立派であったから、ジョセフにとって父は憧れの存在であった。
しかし、その父はジョセフをかまうことはしなかった。
ジョセフは父親が家を訪れたときはいつもひとりで兵隊将棋をして遊んだ。
ジョセフが五歳の時のことである。その日は何か良いことがあったのか、いつになく機嫌の良かった父親はジョセフに 「どうした。今日はいつものように兵隊将棋はやらないのか」
と話し掛け、さらに
「よし、今日は私が相手をしてやろう。兵隊将棋を持っておいで」
と告げた。常に無い、優しい口調だった。
傍らにいたソフィーもこの突然の出来事に驚いた。
父親が声を掛けてくれた。しかも遊んでくれると言っている。
ジョセフは有頂天になった。 ジョセフは大急ぎで、自分の部屋から兵隊将棋を取ってきて父親の元に走っていった。
だが、あまりにも慌てていたせいで、ジョセフは父の足元に兵隊将棋の駒を全部ぶちまけてしまった。
あわてて駒を集めようとするジョセフ。
しかし、駒がうまく手につかない。あせればあせるほど、何度も駒を取り落とした。
「ちっ」
父の舌打ちする音がジョセフの耳を打った。
「たまに遊んでやろうかと思ったら、何だ、その様は。もういい、外で遊んで来い」
ジョセフの目から大粒の涙がこぼれた。
ソフィーが叫んだ。
「旦那様、お願いします。遊んでやってください。この子は旦那様にとても憧れているのです。ほら、ジョセフ、早く、旦那様にお詫びして」
しかし、一旦気分を害した父親の気持ちが元に戻ることはなかった。
ジョセフは父親との間に何の美しい思い出も持てなかった。
ジョセフにいつも優しかったソフィーは、ジョセフが七歳の時に亡くなった。
ジョセフは父の邸宅に住むことになったが、その日常は貴族の息子としてのそれではなく、下男同然の扱いであった。
母のことを思い出すたびにジョセフは、その幸うすき人生を偲んだ。
「何故、人間には身分があるのか」
少年ジョセフが心に抱いた最大の疑問だった。
長ずるにつれて、ジョセフは世界のあり方に深い疑問を感じた。
ジョセフは夢想する。
身分の一切無い世界を。
そして、人々が愛に満ち溢れて、毎日を過ごすことのできる世界を。
青年となったジョセフは世界と対峙して、おのれの思想を人々に対して説いた。
彼の思想の中核にあったものは、上層階級の人々に対する恨みでは無かった。
ジョセフは人々にかく語った。
「私は、この世界に存在する身分制度をそのままに受け入れることはできない。
私は貴族階級の男を父として、奴隷階級の女を母として生まれた。
私は母に育てられていく中で、社会の最下層にいる奴隷たちの悲しみを知った。
しかし、私は、成長するに連れて、人々から低く見られている人々こそが
神の栄光により近い場所にいる人であることを理解した。
虐げられる人の心の中には自惚れも高慢も無い。
人間としての栄光や名誉に無縁な人々こそが神の栄光を受けられる人だ。
謙虚さと感謝の感情こそが神の栄光に最も近い。全ての人を神の栄光に浴するようにするためにも身分制度をこの世界からなくさなければならないのだ」
ジョセフは、三十歳になった。