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12 皇帝、勅を発す

 トクベイは首都ホアキンに到着して、最初に当然のごとくヴァン・トゥルクの官舎を訪ねた。

 帝国宰相となったヴァン・トゥルクであったが、官舎はそのままだった。 

 ヴァン・トゥルクの官舎では、チャン・ターイーも一緒にトクベイを待ち受けていた。 

「トクベイ。良く帰って来てくれたな。遠路疲れただろう」  「いや、大丈夫だ」

「四年ぶりだな」  


 ヴァン・トゥルクとトクベイはお互いを見た。

四年の歳月が一瞬のうちに消え去った。 

 トクベイはヴァン・トゥルクの隣に立つ偉丈夫に視線を移した。


「ああ、こちらがチャン・ターイーだ」

「はじめまして、トクベイです」 

「チャン・ターイーです。初めてお逢いするような気がしません」 「はい、私も同じです」  

 三人はヴァン・トゥルクの書斎に移った。

 バルが三人の前に飲み物を置く。

 トクベイの前にはヴァン・トゥルクの官舎の中に置いてある中で最も高級なコーヒー。 チャン・ターイーの前にはいつもの東方茶。  

ヴァン・トゥルクの前にもトクベイと同じコーヒーが置かれた。 


「それにしてもトクベイ。帰国するのが早かったな。突厥とテグリの会戦を見て、草原が統一されてから帰国すると思っていたぞ」 「いや、それでは間に合わないのだ」  

トクベイはキプタヌイ汗が何を考えているかを告げた。


 そしてそれはオゴタイの示唆によって分かったのだということも同時に告げた。ヴァン・トゥルクはうなった。  

「そうか、成る程、そういうことか。たしかに、であれば、今帰国しなければ間に合わないな。それにしてもオゴタイ王子か。それはまたおそるべき人物だな」  

「ああ、俺はオゴタイ王子に忠誠を誓った」  

「何だと、では何故ホアキンに戻ってきた」


 トクベイはオゴタイと、おのれの間に交わされた誓約を話した。


「来るべき戦いを最少の犠牲で済ませるために、さらにそのあとに来る世界を、最も素晴らしい世界にするためにか……」

ヴァン・トゥルクはじっと考え込んだ。  

「オゴタイ王子は、トマスの教義、ジョセフの思想をも包み込んだ新しい世界の創造を、十四歳にして考えているということか。

確かにそれは、この俺が懸命に考え抜いて至った結論とほぼ同じだ。トマス教は、やがて新しい国を作ることになるが、

それは、帝国との戦いが終わってのちのことで、まだ、そのことは、明らかには、していない。お前にもまだ伝えてはいない。

それを自ら構想したというのか。トクベイ、お前の言うとおりだ。オゴタイ王子の器量は、キプタヌイ汗を、オットー陛下を、そして俺たち三人を凌駕しているな」  


 トクベイは語った。オゴタイが描く新しい世界の構想を。キプタヌイ汗、オットー・キージンガー、ヴァン・トゥルク、チャン・ターイー、トクベイ。そして、トーマス、ジョセフ、オゴタイ。これらの軍事的英雄、政治的天才、思想的天才が同じ時代に生を授かった今、最も素晴らしい新しい世界を創造することが、後世に対する義務であると結んだ。  

 ヴァン・トゥルクは、思った。俺と同じことを思い付いた男がもうひとりいたのか。それが、十四歳の少年か。


 三人の間をしばらく沈黙が支配した。  

 先ず、沈黙を破ったのはヴァン・トゥルクだった。 


「分かった。だが、とりあえずは来るべき戦いだな。帝国はどのように対応するか。トクベイ、何か策はあるのか。最少の犠牲で済ませるための」  

トクベイは自らが考えた策を披露した。  

「面白い」  

ヴァン・トゥルクは即座に応じた。

「その作戦では、オゴタイ王子が、どういう人物であるかが最大の鍵となるな。その策で戦いを終わらせるには、王子の力が必要だ。が、先程のトクベイの話から推察すれば、たしかに全幅の信頼をおいて間違いのない方だな」 

「ちょっと待ってくれ、ヴァン・トゥルク。本当に、今、トクベイ殿の言われた策を採るのか」  

「そうだ。このあと、陛下の元に赴き、ご勅許いただこう。もっともそのためには、帝国元帥であるお前がその策を了承し、お前に、陛下の勅をいただいてもらわなければならぬ。お前は、不同意なのか」

「見事な策だと思う。だがその策では我が帝国軍が活躍する余地はないではないか。俺はキプタヌイ汗と心ゆくまで戦ってみたいぞ。軍略においてもだし、一対一で剣を交わしてもみたい」  

「それは私人の情だ。たしかにお前の言うとおりにしたら後世に残る伝説も生まれるだろう。まして軍令についてはお前が最高決定権者だ。だが、お前になら分かるだろう。今、トクベイの語った策こそが最善の策であると」

「チャン・ターイー殿。お気持ちは分かります。しかし、キプタヌイ汗は戦いの天才です。むろん、チャン・ターイー殿もまた、天才であると確信しておりますが、

キプタヌイ汗にはその配下に草原の騎士がいます。

草原の騎士はそのひとりひとりを見ても騎乗技術の巧みさもあって、帝国の騎士とは比較にならない強さをもちます。

帝国騎士剣技会においては帝国全土より百人の騎士が選ばれますが、もし、草原を含めればその百人は全て草原の騎士で占められるでしょう」  

チャン・ターイーが咳払いした。

「失礼しました。そうであってもチャン・ターイー殿はその百人の中に入るでしょうが」  

チャン・ターイーがさらに大きな咳払いをした。

「申し訳ありません。再度、言い直します。仮にそうであっても優勝するのはチャン・ターイー殿ですが(キプタヌイ汗と比べたら、どちらが強いか判らないが黙っておこう)、その他の九九人は草原の騎士で占められるでしょう。

こればかりはチャン・ターイー殿おひとりの力では如何ともしがたいことです。まともに草原と戦えば必ず帝国が負けます」

「しかし、いくら一騎、一騎が精強の騎士であっても、率いる者がいなければ軍団は成り立たぬ。キプタヌイ汗ひとりを倒せば、帝国が勝つ」

「おっしゃるとおりです。それこそが、私が先程の策を成した所以です」  


 チャン・ターイーもついにトクベイの策を了解した。

が、その落胆ぶりは激しかった。 


「そうそう、私はチャン・ターイー殿に縁談を持って参りました」  トクベイがクサンチッペからの申し入れをチャン・ターイーに伝えた。  

 クサンチッペ。その名を聴いた途端に、チャン・ターイーの胸が高鳴った。だがそれは、一瞬のことだった。今のは何だったのだ。


「それは有り難いお話ですが、そのクサンチッペという方はおいくつなのです」   

「十八歳です。」  

「十八歳ですか……」  

「チャン・ターイー殿の名高い信条には決して反することはない方です。草原は帝国とは違います。草原は帝国と違って純潔を重んじる慣習がありますので、男女は生涯ただひとりの相手と愛を交わすことが価値あることとされています。

あのキプタヌイ汗でさえ、ご身分からいって正妻とはなれない愛妾のホルフェ様をもたれたときは、かなりの反対を押し切った上のことであったと聞いております。クサンチッペ様も生涯、チャン・ターイー殿おひとりを愛されることは間違いありません」  


 チャン・ターイーは黙ったままだった。

「ああ、言い忘れました。クサンチッペ様は大変な美女です。草原の若者は全てクサンチッペ様に憧れ、恋しております。それほどに美しい方です。

あの方には、たとえシモネッタ皇后陛下といえども匹敵できませんでしょう。あの方ほどチャン・ターイー殿にふさわしい方はおりません」  

「おい、トクベイ、冗談はよせ。シモネッタ陛下より美しい方がこの世にいる訳がないだろう」 

そのヴァン・トゥルクの抗議を遮るように、チャン・ターイーが大声を張り上げた。 


「そうですか。シモネッタ陛下より美しいのですね。分かりました。クサンチッペ様を妻に迎えたいと思います」  

「お前、何を言う。……まあいいか。今こそ美しさの頂点にあられる皇后陛下と、他の女性とその美を比較するというだけでも陛下に対して不敬だ。だがまあ、良かったではないか、チャン・ターイー。待った甲斐があったな」 

「先程、皇后陛下のことを話しておられたが、トクベイ殿は皇后陛下を拝見されたことがあるのですか」 

「はい、おそらく皇后陛下とトゥルクの出会いについてはチャン・ターイー殿は何度も聞かされたとお察し致しますが……」  

「三十四回、聞かされました」  

「それは、羨ましい。私は八十一回聞かされました。そのオヅでの神殿修復式で、皇太子妃に花束を捧げたのはトゥルクですが、その隣で皇太子殿下に花束を捧げたのは私だったのです。本当ならオヅの学校で最優秀であったトゥルクが皇太子殿下に捧げるはずだったのですが、彼のたっての頼みで、次席であり、皇太子妃に捧げる役であった私が代わってやったのです」

「成る程、そうだったのですか。篤き友情ですね」  

「おい、トクベイ。自分に都合の良いことだけ言うのはやめろ。そのあとずっと、お前が苦手にしていた古文注釈の課題をお前の代わりに俺がやってやっただろう」  


 童貞将軍は十八歳の草原の王女を妻に迎える。

このことが発表されたらどんな騒ぎになることだろう。

ヴァン・トゥルクは想像してひとり楽しんだ。

さて、祝辞の文面を考えねばなるまい。  


「ところでトゥルク」  

「なんだ」  

「お前が帝国宰相。チャン・ターイー殿が帝国元帥と。で、俺は何なのだ」 

「ん」 

「何か、俺にふさわしい、かっこいい職名を用意してくれているんだろう」 

「……」 

「おい、まさか何も考えていなかったのではないだろうな」  「いや……。うむ、すぐに皇帝陛下にご勅許いただく」 

「そうか。で、どういう職名だ」 

「帝国副宰相だ」 

「何で俺がお前の下に付かなければならないんだ。よし、俺が自分で考えよう。……帝国宰相指南役でどうだ」  

「何で俺がお前に指南されなきゃならんのだ。そうだな。では、こういうのでどうだ。高等官任用試験筆頭不合格者」   

「あ、貴様、ひとが一番気にしていることを……。待てよ。……ふむ。成る程、悪くないな。いや良いセンスだ。俺を落とした帝国政府に対する皮肉もきいているし、帝国宰相ヴァン・トゥルク。帝国元帥チャン・ターイー。高等官任用試験筆頭不合格者トクベイ。と、こう三人並べてみると俺の無欲さが際立つな。

いかにも風の吹くままに草原と帝国を漂泊する流浪の天才軍師にふさわしい。これは良い職名を考えたものだ。三人の内、後世の伝説で最も人気が出るのは俺かもしれないな。いや、まいったな」  「おい、考えたのは俺だぞ」

「やかましい。俺が考えたのだ。そうでなければ意味がない。いいな、考えたのは俺だからな。……ふうむ、しかし、やはり一番人気がでるのはチャン・ターイー殿か。史上最強の騎士にはかなわぬかな。まあ、ひとつはっきりしているのは、トゥルク。おまえが一番不人気になる、ということだな。可哀想に」

「ご懸念には及ばんよ。俺は玄人好みのヴァン・トゥルクと評されるだろうからな。分かる奴にだけ分かればそれでいいさ。一般大衆はそちらにお任せする」  


 三人は直ちに皇帝の元に赴いた。

ヴァン・トゥルクは、十年前の数分間を除けば初対面となる皇帝に、トクベイを紹介した。

「おお、ヴァン・トゥルクが持参したあの書状の男だな」


 次にヴァン・トゥルクは、トクベイに授与したい職名を申し述べ、その由来を説明した。

 皇帝オットー・キージンガーは、笑いながら、その職名を認めた。


 帝国元帥チャン・ターイーは、皇帝に述べた。

 草原の、帝国への侵攻は、もう間もないと。

 そして、その侵攻に対しての、トクベイの策を述べた。

 皇帝は、息を飲んだ。

「その策を考えたのはそなたか、チャン・ターイー」

「いいえ」

「では、そなたか、ヴァン・トゥルク」

「いえ、トクベイでございます」


 皇帝は、あらためて、トクベイを凝視した。

「ヴァン・トゥルク。そなたの友は、とんでもない男だな。

帝国政府は、この男を不合格にしたのか」

皇帝は、ため息をついた。


「のう、トクベイ。先ほど認めた職名だが、取り消させてくれ」

「いやです」

「察してくれぬか。予はつらいのだ」

「いかに陛下のお言葉であっても、このホヅ・トクベイ。生涯、この職名を変えるつもりはありません」

「そうか。やむを得んな。どうせ、後世、ホアキン史上最も愚劣な皇帝と呼ばれるのだ。今さら、トクベイを不合格にした皇帝の汚名が加わってもいかほどのこともないか。

ではせめてあとのふたりに合わせて帝国だけでもつけてくれ。

以後、そなたたち三名を帝国三職と称する。

帝国高等官任用試験筆頭不合格者は、帝国宰相、帝国元帥と同格の権限を持つ。この職名は、トクベイ一代限りの職とし、ホアキンは、以後、誰もこの職名を名乗ることはできぬ。以上だ」


「陛下、トクベイ殿の策、裁可なさいますか。あるいは、否、でしょうか」

「チャン・ターイー。そなたが軍令の最高責任者ではないか。予が決めていいのか」

「陛下のお答えを知りたく存じます」

「予を試しているわけか。そなた、いきなり大胆になったな」


 皇帝オットー・キージンガーは、瞑目した、が、その目は直ぐに見開かれた。


「勅」

帝国三職は、すっくと立ち上がり、踵を揃えて頭を垂れた

「草原の騎士の侵攻に対し、帝国は、帝国高等官任用試験筆頭不合格者、ホヅ・トクベイの策をもって、これに臨む」


勅は下った。


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