メルヘンの一欠片もない現実
ある家に、ひきこもり姫と名高い少女がおりました。
ひきこもり姫は、それはもう地味な容姿をしており、一度もモテた経験がありません。だからでしょうか。ひきこもり姫は、”好き”の気持ちを知りません。
――カッコイイから好き。
それは顔や雰囲気が好みだったからであって、ブサイクだった場合は好きという感情は芽生えていないということでしょうか。
――優しいから好き。
人は誰にでも優しくするし、優しくされたらその人のことを好きになってしまうということでしょうか。
――なぜ好きになるのか。
どうすれば好きになるのか。
わかりたい。
でも、わからない。
このように”好き”を素直に考えることができないお姫さまでした。
――だれか好きを教えて。
ひきこもり姫の願いが天に届いたとき、ひきこもり姫の物語は動き出すのです。
はじまりはじまり……。
☆☆☆☆☆
「はぁ、ねむ……」
選択肢が出現したところでセーブ。
セーブがされたことをしっかり確認して、携帯ゲームを投げ捨て、ベッドの上で一休み。
トイレに行こう、そう思って休憩を挟んだけれど、ベッドに身を委ねるとその気力も消え失せてしまう。
ペットボトルで済ませようか。
ベッドの上から部屋を見渡すが、見える範囲にペットボトルはない。
「ゲームの中だったら、トイレでのイベントがない限り、トイレに行く必要がないのに……現実は不便で、つまらない」
私は藤宮有栖、16歳。
ひきこもり歴約7年の女の子。
小学4年生の頃に乙女ゲーにどっぷりハマり、現実がバグだらけのつまらないクソゲーであることに気づいた日には、職業欄にひきこもりと書けるレベルの駄目人間になっていた。
とくに好きな乙女ゲームは、『ひきこもり姫』。『ひきこもり姫』の主人公を目指して、自室から一歩も出ないことを目標にしている。
「まあ、無理なんだけど……」
尿意を我慢できず、仕方なく自室を飛び出し、トイレへ向かう。我慢の限界が近いのか、歩くスピードが段々と速くなり、自室から便座に座るまでの移動は10秒足らずだった。
「漏れるか、漏れないかの競争はいつもヒヤヒヤするけど、なんだかんだでいつもギリギリ間に合うのよね。これが火事場の馬鹿力ってやつ? ――ん?」
リビングから、低い声と普段以上にウキウキした妹の声が聞こえる。
「ねえねえ、夏休みはどこいこっか? 海? 花火大会? それとも――ラ・ブ・ホ♡」
「は!? 馬鹿じゃねえーの!」
「ふふん、行きたい癖に。鼻の下、ダラダラ伸ばしちゃってさあー素直になりなよ」
リビングでは、妹とその彼氏が夏休みの予定を立てているようだ。
イチャイチャしていて、端から見れば幸せそうだが、妹の腸を想像するだけでもう――。
「――きも」
トイレを済ませ、自室に帰還。またベッドの上に寝転ぶ。
「ほんっときもい。別にいまの彼氏も大して好きでもないのに付き合っちゃって。これで何人目よ」
記憶が正しければ、さきほどの彼で8人目。しかも、その8人全員がかっこいいから好き、優しいから好きという中身のない理由で付き合い、身体まで許しているらしい。私の妹は、世間でいうビッチという括りで間違えない。
「まあ、私がどうこう言える立場じゃないから、詮索はしないけど」
私は”好き”の気持ちを知らない。
ひきこもりを始めて以来、一切現実の男の子と関わる機会がなかったのだから至極当然である。
もちろん、ゲーム内の男の子は除く。
「あーあ、誰か”好き”を教えてくれないかしら」
とくに意味もなく。誰かにお願いしたわけでもなく。
何気なくそう呟いた。
すると、天井に歪みが発生し、
『はいはい、この人類愛の塊であるワタクスィが教えますヨ! 愛とはですネ』
ハート模様をあしらった服を身につけた、長い耳が生えたピエロと邂逅した。
ピエロと呼称したのも、肌は人間離れしているといっていいほど真っ白で、顔は趣味の悪いデザインの仮面に隠されていたからだ。
さらに胡散臭さを匂わせるそのしゃべり。聞くだけで耳が詰まった感じがする。
「え……?」
布団に包まっていたはずの体が、深海に沈んでいく。
水の中で溺れていると気づいたときには、体の穴という穴から、水が浸入していた。
それでも息を止め、必死に腕を掻いて、脚をバタつかせてもがく。
しかし、自由が効くはずもなく、息を止めるのもそろそろ限界。
死んだ――と悟る。
「ん、あ……」
『そもそも愛というのはですネ――』
意識が遠のいていく私を尻目に、ピエロは軽快に言葉を紡ぐ。
一度開いた口は、疲れるまで閉じないのだろうか。
『おやおや、引きこもり姫には、お話が長すぎましたか』
「(こくこく)」
『ではでは、愛が溢れる世界にご案内ダヨ』
ピエロのかけ声とともに、海の底に大穴が開く。
そこに私の体が吸い込まれて――。