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綿菓子な時間

「さよならは君から言ったんだろ!」


俺は目の前にいる真希に怒鳴る。

彼女は怯えた表情で、俺を直視することができないでいた。

よく見ると、彼女の目には涙が浮かんでいた。


「君は便利だよな!忘れようとしなくても勝手に忘れられるんだからさ!」


違う……俺が言いたいことはこんなことじゃないのに、言葉が溢れて止まらない。


「……ごめん……」


真希は悲しそうに俯いている。


「バイバイ。君はあのノートを捨てれば明日には俺のことなんて忘れられるから」


そう言って俺は乱暴にドアを開けて、教室を飛び出す。

なんでこんなことになったんだろう。

俺はどこかで間違えたんだろうか。

もう修復不可能であろう関係について頭を悩ませる俺は、やっぱり彼女に未練があるのだろう。




俺が真希と最初に出会ったのは大学一年生の時だった。

真希は引っ込み思案な性格で、なかなか俺に心を開いてくれなかったのをよく覚えている。

それでも、俺が真希にアプローチを続けて1週間くらいが経った頃だろうか。

真希が俺の告白にOKをしてくれて、俺たちは交際し始めた。


それからは毎日が夢のような時間だった。

真希が遊園地が好きだと言うから、初デートは遊園地だった。


付き合い始めてちょうど1ヶ月記念日の日、真希から、『話したいことがあるから遊園地に来て』というメールが来た。

俺はそのメールを見た時、思わずガッツポーズをした。

結婚の話だと信じて疑っていなかったからだ。


俺がウキウキしながら遊園地の、待ち合わせのベンチに向かうと、そこにはすでに真希が座っていた。

真希は俯いていて、どこか悲しげだった。


「ごめんね、遅くなっちゃって」

俺はそう真希に声をかける。

真希は俺の声で始めて俺がいることに気づいたようだった。


「あのね……今まで言ってなかったんだけど……」


そこで真希は一度口を閉じた。


「何?」


耐えきれずに俺が聞く。

正直声が上ずっていたと思う。


「私、記憶障害があるの」


頭を殴られたような気分だった。

想像と全然違う言葉だった。


「起きてる間のことは覚えてられるんだけど、一回寝ちゃうとそれまでのことを全部忘れちゃうの」


そう言いながら真希はカバンから手帳を取り出す。


「これにね、毎日日記をつけてるの。私がどんな人間なのか、どんな人と関わっているのかを知るために。だからね、本当は私、いつもあなたと初対面なの。ううん、あなただけじゃない。私が会う全ての人のことを私は知らないの。ごめんね、こんな大事なこと黙ってて。でもこんなこと言ったらあなたは私に興味がなくなるだろうなって思ったら言い出せなかった」

「そんなことない!」


反射的に声が出ていた。


「そんなことで君と別れるなんてありえない!君が俺のことを忘れないような思い出を一緒にたくさん作ろう。そしたら君の記憶障害も治るかもしれない」

「本当にこんな私でいいの?」

「君じゃなきゃダメなんだ!」


真希はハッとした顔で俺を見つめる。

真希の目にはうっすらと涙まで浮かんでいた。




真希に記憶障害のことを教えられてから2週間の間は、まさに多忙の一言だった。

俺は真希の思い出に残るような体験をするために、毎日真希と色々な場所でデートした。

1日で1万円を使い切ることも多く、正直、一瞬で溶けていく貯金をもったいないと思うこともあったが、その度に真希のためだと思い直して毎日を過ごしていた。


そんなある日、真希が前と同じように『話したいことがあるから』というメールを受け取った俺は遊園地のベンチへ足を運んだ。

俺は、前ここに来たときの晴れやかな気持ちとは違った、どこか憂鬱な気分だった。

あのベンチにいい思い出がなかったことが原因だろう。

真希はまた、俺よりも早く来てベンチに座り、俯いていた。


「話したいことって?」


俺が声をかけると、真希はゆっくりと顔を上げる。


「あのね……私たち、もう別れた方がいいと思うの。私と付き合ってくれるっていうのはすごい嬉しい。私の記憶障害のことを知っても、私と一緒にいてくれるっていうのはすごい嬉しい。でも、このままじゃ私は幸せかもしれないけどあなたは幸せじゃない。あなたは私のために毎日たくさんのお金を使ってる。そんなのおかしいよ」


真希の言葉は衝撃的で、俺の心にずっしりと響いた。

俺の今まで費やしてきた時間全てが音を立てて崩れ去っていくような、そんな感覚を覚えた。


「私があなたのことを嫌いになったわけじゃない。むしろあなたほど優しい人はいないと思ってるし、私があなたほど好きになる人はいないと思ってる。でもやっぱり、このままじゃあなたに申し訳ないから」

「そう……じゃあね……」

俺はそんなことを言うのが精一杯だった。

何も考えられないし、何も言うことができなかった。


その日の夜、俺は必死に考えた。あのとき何を言えばよかったのかを。

けれど、結局その答えはわからないまま、気づいたら朝を迎えていた。



学校に行くのが心底嫌だった。真希とどんな顔をして会えばいいかわからなかった。


「ねぇ、今日はどこへいくの?」


俺が驚いて声のした方を見ると、そこには満面の笑みで俺を見つめる真希の姿があった。

真希が昨日のことを忘れてしまったんだということに気づくのに、そう時間はかからなかった。

その瞬間、俺の中で何かが弾けた気がした。


「さよならは君から言ったんだろ!」


俺は目の前にいる真希に怒鳴る。

彼女は急に声を荒げた俺に怯えていた。

よく見ると、彼女の目には涙が浮かんでいた。


「君は便利だよな!忘れようとしなくても勝手に忘れられるんだからさ!」


違う……俺が言いたいことはこんなことじゃないのに、言葉が溢れて止まらない。


「……ごめん……」


真希は悲しそうに俯いている。


「バイバイ。君はあのノートを捨てれば明日には俺のことなんて忘れられるから」


そう言って俺は乱暴にドアを開けて、教室を飛び出す。


「全部……思い出した……」


そんな真希の言葉は、俺の耳には届かなかった。







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― 新着の感想 ―
[一言] 悲しいけど素敵なお話ですね。 続きが読みたくなりました。
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