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生きた、描いた、愛した。  作者: 逢坂悠
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001

 僕のクラスメイトである青山未来(あおやまみらい)は、何でもできる。

 成績面では常に学年のトップを維持している。日常的に予習復習と週三回の塾は欠かしていないようだが、テスト週間に入るとそれに加えて、夜遅くまでテスト対策の為のノート作りと勉強をしている。これだけで、学校から出される課題にしか手をつけない僕との努力の差が窺える.

 そんな努力家の彼女は、誰にでも平等であるはずの神様からも好かれていた。成績面でトップの座を手に入れている彼女は、運動能力に関しても学年一位という座を手に入れ、全校集会などで表彰を受けている場面を何度か見かけた。

 どっかの誰かが完璧な人間など存在しないという名言を残したらしいけど、そんな言葉は迷信だったと僕は思っている。 

成績でも運動能力でも優れている彼女は、人望も厚かった。先生からは絶対的信頼をおかれているし、男女問わず友達も多い。誰に対しても平等に明るく接し、どこのグループにも所属するができずに、一人ぼっちになってしまったクラスメイトにも躊躇わずに声をかけることが出来るような人間だ。 

 僕は、彼女より優れている人間を見たことがない。

 地球に存在する人間は、学習能力や運動能力、人柄に優れていると、だいたい絵が下手だったり意外と大雑把だったり。どこかに欠点があるものなのだ。

 だがしかし、この青山未来という人間には欠点というものが見当たらない。もしかしたら僕という人間に優れているところがなく、そう見えてしまっているからかもしれないのだが。

「・・・・杉浦くん?」

 ふとかけられた声に思考を遮られ、ゆっくりと閉じていた瞼を持ち上げる。完全に目を開ききって、目の前の人物にピントを合わせると、司会いっぱいに青山未来の顔が映っていた。

「ちゃんと起きてないと駄目だよ。デッサン中なんだから」

 女の子らしい長い人差し指を僕の顔の前に立てて、めっとでも言うように言った。

 ここは彼女の家の敷地内にある、いわゆるアトリエのような場所。、哀愁日曜日に、彼女は僕をモデルとしてデッサンの練習をしている。

 実を言えば、今もその最中だった。ひたすらに鉛筆を動かす彼女とは違って、ただ座っているだけの僕は退屈しすぎて、いつの間にか船を漕いでいたらしかった。それに気がついた彼女が、放っとけばいいものの、わざわざ声をかけてきたらしい。

「・・・・おはよう」

 何を言うべきか迷った挙句に、そんな言葉を口にしていた。僕の思考回路はまだ眠っているようだ。

 彼女は珍しく何も言い返さない僕を少しだけ怪訝に思ったのか、恐る恐る僕の目を覗き込んだ。失礼な奴だ。そして、僕に他意が含まれていないことを分かってくれたのか、少しだけ微笑んでおはようと返してくれた。彼女の普段の性格からは考えられない控えめな笑顔に胸を打たれる男子は少なからず存在する。僕には微塵も分からないが。実際にクラスメイトの男子の数人が、彼女の笑顔に惹かれて想いを寄せている。僕には微塵も理解できないが。

 そんな意外にもモテている彼女は、片手で持っていた黄色と黒のスケッチブックを両手に持ち直し、僕のちょうど正面2メートルほど先にある椅子に腰掛けた。彼女は、僕が再度居眠りをしないようにするためか、会話を続行したままデッサンの続きを始めた。

「杉浦くんっていつも眠そうだよね。何時くらいに寝てるの?」

「10時くらい」

「え、私よりも早いじゃん! 私、2時くらいに寝てるけど全然眠くならないよ」

「へぇ」

「杉浦くんははもっと私に興味を持とうよ」

「それはちょっと難しいね」

「なんで」

「僕が興味を持てないのは、君だけじゃなくて他人に対してだからね。今さら君に興味を持てって言われても無理な話だよ」

 彼女は絶対に分かっていない様子で頷いた。

「杉浦くんの思考を理解することができないって事は分かった」

「それはどうも」

「じゃあ、私に興味を持ってくれない杉浦くんのために、その分私が杉浦くんに興味を持ってあげよう。ってことで、杉浦くんは何でそんなに眠そうな顔してるの?」

「いつもならこういう顔だって返すところだけど、今に関してはとてつもなく退屈だって断言できるよ」

「退屈しないように喋ってるのにー」

 彼女は話しながらも、手元の鉛筆は途切れることなく僕を描き続けている。視線は僕と自分の手元を行き来しており、だんだんと完成に近づいているのがなんとなく分かる。

 背筋をピンと伸ばし、椅子の背もたれにかかってはいけないというのは、普段から猫背で姿勢の悪い僕にとっては辛すぎる。しかも、この状態ですでに一時間。辛すぎる。

「よし、描けた」

 いつの間にかなくなっていた会話の代わりに、鉛筆と紙の擦れる音に耳を澄ませていた僕は、絵が完成したのだと思った。 

 まさに僕の予想通りで、彼女はじっくりと自分の描いた絵を眺めた後、約三十分ぶりに言葉を放った。

 時刻はちょうど午後六時。

 始めてから二時間の時が経っていた。

 彼女はもう一度絵をまじまじと眺めて、満足いかなさそうに眉を下げた。

「やっぱりうまくいかないなあ」

 長時間慣れない姿勢で座ってじんじんと足が痺れている僕は、しばらく動くことが出来なかった。やっとのことで立ち上がって軽く足首を回して、足の痺れがなくなったのを確認したら、まだ絵を見て唸っている彼女に近づく。そして、二時間もかけて彼女の手によって描かれた絵を覗いた。

 鉛筆だけで描かれたそれは、明暗や服のしわもはっきりしており、絵に関してまったくの素人の僕が言えたことじゃないのかもしれないが、とても上手い。髪の毛一本一本まで細やかに描かれていて、子供のような感想かもしれないが、こんな絵を二時間で書き上げてしまうなんて信じられないと思った。

 僕だったら、何日かけてもこの絵を再現することはできないだろう。

 というか、僕はこんなに寝癖かあるのか。

「やっぱり人って難しいね、思った通りの絵が描けないもん。杉浦くんだって、こんなにイケメンじゃないし」

「おいこら」

 彼女がポツリと呟いたそれに、思わず反応してしまう。

「え、どうかした?」

 きょとんと首を傾げるが、僕の反応を面白がっているのが見え透いている。

「杉浦くんって、わりとこんな感じだよ? もうちょっと足は短いけど」

「もうちょっとオブラートに包めないの、君は」

「オブもうちょっと足は短いけどラート」

「そういう意味じゃないの分かってるよね」

「うん」

 はははとわざとらしく笑った彼女は、今度はその顔から表情を消して、崩れ落ちるように深く椅子に腰掛けた。そして首だけを回して、部屋中に乱雑に置いてある絵画を眺めた。

「やっぱり私には無理かな」

 彼女の呟きになにがとは聞かなかった。そのネガティブな言葉は、彼女が絵を描き終えてから毎回吐き出される。あえて聞かずに、僕は彼女の隣に立った。

 それ以降、何も言葉を発しずにただひたすら絵を眺めるのも毎回の恒例。 

 部屋に飾られているのは、立派な博物館にでも置いてありそうなものから、どこにでもあるスケッチブックの切れ端に描かれたようなもの。部屋の隅々に置かれたそれらはすべて、青山未来の父親が描いたものだという。

 写真に見える絵、ピカソが描いた絵のように凡人から見れば意味の分からない絵。

 彼女の父親は、海外で個展を開いたことのある有名な画家だったそうだ。残念ながら、絵に興味関心を持たない僕は、彼女から聞くまで名前も作品も知らなかったのだが。

 十分ほど経ったころだろうか。本当はもっと短かったかもしれない。互いに言葉を交わさず、何度も見たはずのそこらに転がっている絵を見ていた最中。

 僕は見つけた。

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