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第四章 女男の国

 タクミはエグーロに入門した日のことを思い出した。そのころのタクミは心の声が恐くて、恐くていつもびくびくおどおどしている子どもだった。そんなタクミにエグーロはやさしく言ってくれた。言葉にならない心の声で。

(私には子どもがいない。だからおまえを自分の子どものように愛するつもりだ。おまえにはもう父親はいない。だからおまえも私のことを自分の父親のように愛してほしい。すぐには無理かもしれない。だんだんと、だんだんと。そう思ってくれればいい)

それはとてもやさしい心の波動だった。なつかしい、脳のふるえ。


 そんな昔の夢からタクミは目覚めた。

(自分はエグーロを父親のように愛せたであろうか)

そんなことをタクミは思った。そして足をあげて、勢いをつけてはね起きた。タクミは客船「ザメンホフ」号の二等客室のベッドで眠っていたのだ。自分の国を出港してはや一週間、予定では「ザメンホフ号」はあと五時間で隣国イーノ女王国に到着する。タクミはとりあえず隣国にいってみることにしたのだ。

もうタクミに心の声は聞こえない。なぜだかは知らないけれど出発日の朝にアゾトの屋根裏部屋で目覚めた時にはもう心の声が聞こえなくなっていた。五本足のキンドは

「エグーロさんが心配して、魔法をかけて聞こえないようにしてくれたんじゃないか?」

と言っていたけれど本当のところはわからない。しかし出発する前の晩にエグーロが現れて、何かを言われたような気もしていた。それにしても聞こえるときは単にうるさいだけの心の声も、無ければ無いでさびしいものだった。なにか、世界とのつながりを奪われて一羽、大空をただよう鳥のような心持ちだ。

タクミはバックパックをひきずって客室から出る。おへそを見てみるとキンドはまだ眠っていた。本当に寝てばかりの使い魔である。甲板に立ったタクミの目の前には見渡す限りの大海原が広がっている。太陽でほてった肌を潮風がひんやりと冷やしてくれる。心地よい潮風にしばらく身をさらしていると、パリッと白い制服を着た上品な船員さんとすれちがった。タクミは気になっていたことを聞いた。

「すみません、イーノ女王国ってどんなところなんですか?初めての旅なので心配で」

船員さんはタクミのつむじからつまさきまでを一通りながめて

「一人旅ですか?」

と聞いた。

「そうなんです。だから心配で」

そうタクミが言うと船員さんはタクミの肩をたたいて豪快に笑いながら言った。

「ははは、若いうちから旅をできるなんてお客さんは幸せ者です。本当にいいことです。イーノ女王国はその名の通り女王陛下が治める国です。女王はとりあえず女性です。まぁ、その国ではそんなことはあいまいですけどね。その国では女性が働き、男性が子どもを育てます。おもしろい国です。いい勉強になるでしょう」

そう言って笑いながら船員は去っていった。その船員さんの目はきれいな南の海のようにとても澄んでいた。

船員さんの言葉を聞いて、イーノ女王国はとても進んだ国のようだ、とタクミは思った。なぜならタクミの国では昔から男性が働き、女性が子どもを育てるということになっている。しかし、新聞などでは女性の政治家が、もっとこの国を女性が働ける社会にしならなければならない。といっていたからだ。タクミは、イーノ女王国に行けば自分も何かが進んでしまうような気がしてわくわくしてきた。

「はーやく、つかないかな、イーノ女王国。はーやく、つかないかな、イーノ女王国」

と鼻歌まじりに唄ったりもした。

 五時間後、客船「ザメンホフ」はイーノ女王国の港に接岸した。船から見たイーノ女王国の街は青銅の時計塔と教会の鐘つきの塔とが立ち並ぶ街だった。客船「ザメンホフ」をあとにして港に降りてみると、港で作業をしていた人はすべて女性だった。みんな長い髪を頭の後ろで小さく束ねて、紺色の作業着を着ている。バックパックを背負ってタクミは初めての外国、イーノ女王国に入国した。

 タクミは港から街に入っていった。街はタクミの国とそんなにかわりは無かった。しかし、街のにおいは違った。どこからともなくいいにおいがした。街の様子もどことなくお話の中の街みたいにやわらかな感じがした。

街の様子を眺めているとタクミは気づいたことがあった。それはこの国では女性が男性っぽく、男性は女性っぽい、ということだった。女性はみんな紺色の作業着を着て、何らかの仕事をしていた。女性がやっていた仕事は大工、消防士、警察官、家具職人などで、会社で働いている人もみんな女性だった。そして男性が働いている姿をほとんど見なかった。男性は乳母車を押していたり、子どもの手をつないで買い物をしていたりした。タクミの国とまったくさかさまだった。タクミの国では男性が働いていて、女性が子どもを育てていたからだ。けれどこの国では女性が働き、男性が子どもを育てている。それは「ザメンホフ」号の船員の言っていたとおりだった。

 しばらく街を散歩していると、タクミはおしっこをしたくなったので公園にあった公衆便所に入った。「男子用」と書かれた男子便所に入ってタクミはびっくりした。そこには男子便所なのに立小便器がなかったのである。タクミが小学校に通っていたころに、いじめられて入らされた女子便所と全く同じ光景がそこには広がっていた。しょうがないからタクミは個室の便器に腰かけておしっこをした。ズボンをおろしてシャツを胸のところまであげていると、涼しくなったからかキンドが目覚めた。そしてキンドは腹から胸、首筋に髪の毛をつたって右の耳たぶをくすぐって、タクミの右の耳穴に入っていった。

「おはよう、タクミ君。くさいな。まだイーノ女王国にはついていないのかい?」

「おはよう、キンド。今はもうイーノ女王国のどっかの公園の公衆便所の中だよ」

するとキンドはとてつもなくがっかりして

「あーあ。初めての外国での第一印象がトイレだなんて、最悪だ。」

と残念そうに言った。タクミはそれを無視して言った。

「そんなことより、キンド。この国っておかしいんだよ。男子便所なのに立小便器がないんだ」

するとキンドはあきれたように言った。

「タクミ君。この世界にはいろいろな国があるんだ。ある国では常識なことでもちがう国では非常識にもなりうるんだ。ということは、このイーノ女王国ではタクミ君の常識の方がおかしい、ってことになるんだよ」

本当にキンドは偉そうな使い魔だ。

「はいはい、そうですか」

タクミはトイレを流すと服をととのえて、バックパックを背負って、公園を出た。また街を歩いて道行く人を観察するために。

そうしたらタクミはおもしろいことを見つけた。この国では、女性がおしっこをするためのチャックがついたズボンをはいていて、男性の方がスカートをはいて武骨な足をスカートの下から出しているのだ。また、ある公園のベンチでは男性がふくらんでいない胸を出して乳首を赤ん坊の口にふくませていたのである。これじゃあ、母乳じゃなくて父乳だ。

「この国はおもしろい国だね」

とタクミがキンドに言うと、キンドは耳穴の中で

「タクミ君、この国では君の方がおもしろい人間なのだよ」

とまじめくさって言っていた。しかし、タクミは右の耳穴の中でキンドが「おぇ」と驚いていたのを聞いていた。だけどあえて何も言わなかった。使い魔のご機嫌をとってあげるのも主人の務めだとエグーロは言っていたからだ。

 そうやってタクミとキンドの一人と一匹が物珍しそうに街を散歩を続けていると

「君はこの国の人ではないね。身分証明書はあるかな?」

と声をかけられた。タクミが声のした方をふり向くとそこには婦警さんが立っていた。婦警さんと言っても少し男っぽい。赤銅色の針金のような髪を後ろでぎゅっと結わえているし、はいているものもズボンだ。

「はい、そうです。タクミと言います。身分証明書は、これです」

婦警さんはタクミがさしだした証明書を受け取ると、じっくり裏まで見てからタクミに返した。

「なるほど。ではタクミさん、私は警察官のマコトといいます。よろしく。この国では外国からの旅行者を警察官が案内することになっています。ですから私がタクミさんを案内しましょう。では、ついてきて下さい」

そういうこともあるのか、と思って言われるままにタクミはマコトのあとについていった。こんなに簡単についていったのは、マコトの目が悪い人の目じゃなかったからだ。それからタクミはマコトに案内されて街の名所をめぐっていった。

 まずはイーノ女王の宮殿を見た。屋根が青銅のかわらでおおわれ、とても質素で飾り気のない宮殿だった。今の女王はもうおばさんになっているのだという。次は最初に女性が男性をはったおした家の遺跡、それからはじめてスカートをはいた男性の銅像、そして最後に街で一番大きいという教会へ行った。

 その教会の前には男性が子宮などのついた女性器を両手で持ち、女性がいろんなものがぶらさがった男性器を片手で上にかかげている二体の銅像があった。タクミはそれを見てはずかしそうにマコトに言った。

「エッチな銅像ですね」

するとそれを聞いたマコトは、にっこり笑ってタクミに言った。

「外国から来た人は、みな、そのようなことを言います。けれどこの銅像はわが国の歴史にとって、とても重要な記念なのです」

「へぇ。なぜですか?」

マコトはいたずらっぽく笑って

「では、たとえば私は男性器を持っていると思いますか?それとも女性器を持っていると思いますか?」

と問題を出した。

右の耳穴でキンドが「イヒヒ」と笑っている。タクミははずかしそうに答えた。

「そりゃ。じょ、女性器でしょう」

するとマコトはウフフと笑って答えた。

「まちがえ。私が持っているのはあなたと同じ男性器なのよ」

タクミはびっくりした。

「えっ?ではマコトさんは男性なんですか?てっきり」

マコトが続けた。

「てっきり女性だと、思ったの?でもそれは正解よ。私は女性」

タクミはわけがわからなくなった。

「え、でもさっき男性器を持っているって、そう言ってませんでしたっけ?」

「そうよ。私は男性器を持っている女性なのよ」

「よくわかりません」

タクミは頭がいたくなった。男性器を持っている女性なんて想像ができない。ちょっと想像したらはずかしくなった。

「そうでしょうね。じゃあ、私の家に来てください。そうすればイーノ女王国の秘密がわかるでしょう」

そう言われてタクミはマコトの後をついていき、教会を離れた。

「これで宿をさがさなくてすんだな。良かったな、タクミ君。」

とキンドが右の耳穴であくびをしながら言っていた。

 マコトの家は街の外れにあって、かなり歩いたので、タクミはへとへとにつかれた。

「歩いて疲れたでしょう」

そういうとマコトは家の扉をノックして言った。

「帰ったわよ」

すると中から鍵をあける音がして

「ただいま、マコト」

と中から出てきたのはエプロンをかけた男性だった。やわらかそうな黒髪をしていた。男性はマコトの隣にいるタクミを見つけると

「あれ、お客さんかい?外国の方だね」

と聞いてきたので、タクミは

「あ、はい、そうです。タクミと申します」

とあいさつをした。マコトが男の人を紹介した。

「私の夫のカオルよ。そしてこちらは外国から来たタクミ君」

「よろしく、タクミ君。カオルです。まあ中に入って。夕食もたくさん作ったから食べていってね」

と家の中にさそわれた。タクミはそう言われたので

「おじゃまします」

と言って中に入った。家には小さな男の子がいて、カオルの太い足にかくれてタクミの様子をうかがっている。その男の子はマコトに似て、赤銅色の針金のような髪をぱさつかせていた。

「こんにちは」

それを見てカオルがその男の子の頭にやさしく大きな手をあてて

「こら、ヒロミ、ごあいさつなさい」

と言った。するとヒロミ君はカオルの足から出てきて、おもいっきりタクミにあっかんべーをするとどっかに行ってしまった。

 タクミはあっけにとられてしまった。

「すみませんね。しつけの悪い子で」

とカオルがあやまる。

「いえいえ」

右の耳穴でこれまたしつけの悪い使い魔が笑っていた。


それからヒロミ君のごきげんもなおったようなので四人で食卓を囲った。ヒロミ君は急に見知らぬ人が来たので驚いたのだろう。今ではすっかり笑顔である。晩ご飯のメニューは魚肉、エビ、イカ、それに野菜をお米とごっちゃまぜに混ぜて煮た食べ物だった。はじめて見る食べ物だったけれど、なかなかにおいしかった。

食べ終わったあとでタクミは教会の前の銅像の下での話が気になっていたのでマコトにたずねてみた。

「そういえば、なんでマコトさんは、男性器を持っているのに女性なんですか?」

するとマコトではなくカオルが、タクミの質問に質問で返した。

「では私は男性器と女性器のどちらを持っていると思う?」

タクミは少し考えてから答えた。

「ということは、女性器ですね」

カオルはにっこり笑った。

「正解。でもね。私は昔、男性器を持っていたの。それを今は誰が持っていると思う?」

タクミはカオルとマコトの顔を見比べた。すると立て続けにマコトが問題を出した。

「私も昔は女性器を持っていたの。それを今は誰が持っていると思う?」

また、タクミはカオルとマコトの顔を見比べた。タクミは驚きをかくせない。

「え、もしかして?」

するとカオルとマコトの夫婦はうなずいて一緒に答えた。

「そう、二人で性器を交換したのよ」

「え、どうやって」

「もちろん手術で」

とカオルが答えた。

「なんのために」

それにはマコトが答えた。

「それがこの国の風習なの。結婚したら夫は妻に男性器を、妻は夫に女性器をあげるの。永遠の愛をちかうために」

「じゃあヒロミ君を産んだのは」

「私」

とカオルさんが手をあげた。男性器を持っていたけれど、今は女性器を持っている夫のカオルさんがヒロミ君を産んだ、ということだ。ヒロミ君はうれしそうに笑いながら自分の分をまだ食べている。

「そんな、恐くないんですか?手術とか」

「恐くないわよ、この国ではあたりまえのことなんだもの。」

マコトはそう言ってにっこり笑った。


 その晩、タクミはマコトの家に泊めさせてもらった。チョコレートをかじりながらタクミは今日あったことを思い返す。本当にびっくりすることだらけだった。

「キンド、一回きりの人生で男性と女性をそれぞれ経験できるって、良いことなのかなあ。どう思う?」

キンドは眠そうに答えた。

「まあ人それぞれだろうね。良いと思う人もいるし、悪いと思う人もいる。タクミ君はどう思う?」

「うーん、わからないな。女性になってみたいと思ったことはあるけれど、男性をやめるのももったいない気がする。じゃあさ、逆に女性の方はどう思っているのかな」

キンドはあくびをしながら答えた。

「まあ、おいらは蟻だからわからないけどね」

本当に蟻っていいかげんな生き物だ。

「それに、手術って痛いんだろうか?」

返事はない。どうやらもうキンドは眠ってしまったようだ。


 翌朝、扉をドンドンとノックする音でタクミは目覚めた。部屋を出てみると玄関でマコトが婦警さんとなにやら話し合っている。数分話して、その婦警さんは帰っていった。タクミはマコトに近づいた。

「おはようございます、マコトさん。どうしたんですか?」

マコトはふりむいて答えた。

「おはよう。ちょっとした行方不明事件よ。結婚前の女の子がいなくなっちゃたの。よくある事件だけどね、探しに行かないと。一緒に来る?」

「あ、はい。行きます」

タクミはそのままマコトについて行った。

あちこち歩きまわったけれど、それらしき女の子はいなかった。一時間くらい歩き回って、また道端で別の婦警さんと会った。マコトが彼女と話して聞き出した情報によると、どうやら行方不明の女の子は無事に見つかったようだ。

「結婚前の女の子がいなくなるっていうことは、よくあるの。まあ誰だって男性になるのは不安だから」

婦警と別れてからマコトはそう言った。

「マコトさんは、どうでした?」

「私は別よ。私は男の子になりたかった女の子だから」

とマコトはたくましく笑った。なんとなく赤銅色の髪も朝日に照らされてきらきら光っているように見えた。そんなマコトさんは素敵だな、とタクミは思った。

 タクミはマコトについていって、その見つかった女の子の家に行った。多くの婦警と彼女のお母さんらしきおばさんにとりおさえられて、タクミと同い年くらいのかわいらしい女の子が髪をふり乱して泣きさけんでいる。

「男性器なんて欲しくない。女の子のままでいたい。おかあさん、やめて。はなして。私は女の子のままでいたいの」

それを聞いて一人のおばさんが女の子をさとした。彼女のお母さんだろうか。

「だめよ。もう結婚するって決まったんだから。男性器もいいもんよ。それに男性器が無くちゃ、一人前の女にはなれないんだしね。いつまでも女の子のままじゃいけませんよ」

周りにいる婦警はそれを聞いて、そうだ。一人前の女にはなれないぞ。と言っている。それを見てタクミは何も言えなかった。タクミはなんだか、暗い気持ちになった。


 その日のうちにタクミはイーノ女王国を離れて次の国へ行くことにした。マコトとカオルに泊めてもらったお礼を言って、チョコレート一枚をヒロミ君にあげた。ヒロミ君は包み紙をとって、チョコレートをかじると

「あまーい」

と喜んでいた。この子も将来は女性器を手術でつけられることになるのだろう。その時にどう感じるのだろう。タクミはチョコレートをかじる男の子を見てそんなことを思った。マコトが聞いてきた。

「そういえば、タクミ君はどこに行こうとしているの?」

「星の谷というところです。でもどこにあるのか分からないんです。マコトさんは、星の谷ってどこにあるか知っていますか?」

とタクミは聞いた。するとマコトもカオルも

「星の谷?そんなところは知らないな」

と口をそろえて答えた。星の谷はあまり有名な土地ではないようだ。こんな旅を続けていても本当に見つかるのだろうか。いったいこんな旅に何の意味があるのだろうか?しかし、それでもタクミは旅を続けなければならない。それがエグーロの言いつけだからだ。タクミはマコトとカオルに別れを告げた。

 街を出ると荒野が広がっていた。次のエガーラ共和国まではずっと荒野である。タクミは濃い緑色のバックパックを前に抱えた。

「どうしたんだい、バックパックを前に抱えて?それは背中に抱えるものだろ」

と右耳穴のキンドは聞いた。

「うん。でも、急にでんぐり返しをしたくなったんだ」

「また、なんで?」

「さっき、泣いていた女の子の気持ちを考えるとさ、どうしてもでんぐり返しをしたくてたまらないんだよ」

キンドはあきれたように言った。

「ふーん、勝手にしな。恥かしい奴。そういうところが子どもだってんだ」

 タクミはでんぐり返しをしながら次の国、エガーラ共和国を目指した。

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