第二章 仕事しなくちゃ
タクミには両親がいた。しかし彼らはもうタクミの両親ではない。なぜなら魔法使いに弟子入りした場合、弟子は人間界での家族関係は全て断ち切らないといけないからだ。だからタクミはもう六年間も両親や二歳年下の妹に会っていない。そして彼らはもうタクミの家族ではない。
家族がいないタクミはふだん、エグーロの友人である錬金術師アゾトの家の屋根裏で寝泊りしている。この錬金術師は物静かな人で、いつも実験室にとじこもっているのでめったにタクミに顔を見せない。工房と言わず実験室というのが今の錬金術師の流行らしい。
そしてタクミは気づいたのだが、錬金術師という職業をやっている人からは心の声がほとんど聞こえないのである。家主のアゾトもそうだし一ヶ月に一回くらい彼を訪れる友人の錬金術師からも心の声は聞こえなかった。その秘密をアゾトがタクミに教えてくれたことがある。
「錬金術の実験をやる時には心を無くさないといけない。心を無くさないと物質に自分の心が映ってしまうからね。だから錬金術師は心を無くす訓練ができているのさ。だから我々はふだんでも心を無くしているんだろう」
タクミはなんだかかっこいいな、と思った。
タクミが朝、目覚めて屋根裏部屋から降りてくると食卓の上に朝ごはんが置いてある。献立はパンとハムと目玉やきとジャムだ。六年間ずっと変わらない。
ジャムはミカン味とイチゴ味の二種類ある。タクミはイチゴ味のジャムばかり食べている。だって北部平野産のイチゴで作ったジャムは甘くておいしいんだもの。朝食をだまってひとりで食べて、実験室の扉に
「行ってきます」
と言ってから家を出て、エグーロの部屋を訪れるのがタクミの十歳から十五歳までの朝の日常だった。典型的な魔法使いの弟子の生活である。
けれど今日からは違う。返事がめったに返ってこない実験室に
「行ってきます」
と言うところまでは同じだけれど今日はエグーロの部屋へは行かない。フルーツタルトのおいしい喫茶店「ルデーヨ」に出勤しないといけないのだ。これからは喫茶店のアルバイトの生活になる。心を切り替えなくちゃいけない。アゾト手作りの鏡の前で顔をひきしめてタクミは家を出た。
それで。新しい勤め先でのタクミはどうだったかって?
店長からしてダメだった。四十歳くらいのでっぷり太ってヒゲをはやした店長は、自己紹介の時から、十五歳だけど十歳くらいにしか見えないタクミのことを疑ってかかっていた。
「よろしくね。タクミ君」
(本当に十五歳か?まったく中学生くらいにしか見えやしないじゃないか。エグーロじいさんの紹介じゃなかったらとっとと追い出していたところだ。文字くらい読めるんだろうな?)
「はい、がんばります」
タクミはけなげにも答える。心の声はこのさい無視だ。
「エグーロさんの紹介だからって甘くはしないよ。仕事だからね。」
(まったく、あのおじいさんの紹介だから仕方がないけれど、もっとちゃんとした青年をくれるかと思ったよ。まだほんの子どもじゃないか。まったくここは「遊び場」だけど子どもの遊び場じゃないんだぞ)
「はい、覚悟しています」
(やれやれ、こちらが早く追い出してほしいさ)
最後のはノロロの心の声だ。
店長の心の声を聞けばわかるように最初からタクミは信頼されていないのだ。これじゃあ、やりづらいことこの上ない。
心の声がうるさくても、こちら側から声のスイッチを止められないのが本当につらいことだ。嫌なことも聞かされてしまう。これでは心のうるさい人のひとり勝ちだ。
とりあえずタクミは店長から一通りの仕事のやり方を教わった。お客さまへのあいさつの仕方とお金の受け取り方、お皿のならべ方に、照明の具合を考えたタルトのおいしそうな置き方、店内での歩き方、トイレ掃除の方法を教わった。たいていはエグーロのところでやっていたことと変わりなかった。
(ふむ。これならなんとかできそうだ)
店長との人間関係はともかく仕事の方はうまくやれそうだった。そうして喫茶店「ルデーヨ」がさっそく午前十時に開店した。タクミは専用エプロンを着てホールに出て行った。
その喫茶店にはいろいろなお客が来た。背広姿のサラリーマン、主婦、学生、おじいさん、ものすごく陰気な男もいた。みんないろいろな注文をして、いろいろな心の声をタクミにぶつけて、飲んで食べて、帰っていった。タクミはその度に脳をピリピリ言わせながらもがんばって働いていた。
しかし、ものすごく陰気な男だけは何も心の声を発していなかった。ただ心に黒いものがちらちらと見えただけだった。変なこともあるものだ。と思ってタクミは仕事を続けた。この世界にはいろいろな心の声があるのだな、という感想だけを持って。午前中は何も失敗をすることなく、タクミはこなしていった。お店の一番人気はやっぱりフルーツタルトとコーヒーのセットだった。
正午を少しまわったころ、たぶん恋人だろうと思われる男女が入店して窓際の席に座った。その時にちょうど手があいていたタクミが注文を聞きに行った。男の人の注文はすぐに決まった。
「オレはコーヒー一杯」
けれど女性の方の注文はなかなか決まらなかった。
「えーと、何にしようかなぁ?」
しかしタクミには、テレビで字幕を見ているように女性の考えていることがわかるのだ。
(腹減った。ハンバーガー十個は丸呑みできるくらい腹減ったわ。でもラズベリータルトって頼めば、この人もかわいいって思ってくれるかしら。でもそれじゃあ、お腹にはたまらない。ハンバーガー十個は食べたいなあ)
「えーと、何にしようかなぁ?」
女性は甘ったれた声をだして考えている。
(あーあ、ハンバーガー食べたいなあ。十個は食べたいなあ。食べられるかな?でも大丈夫よ。この前は十二個食べたのだから。)
タクミは少しイライラしてきたので
「ではコーヒー一杯とハンバーガー十個ですね」
と思わず言ってしまった。思っていたことを口にすべらせてしまったのだ。自分の失敗に気づいて思わず口をおさえた。けれどもう後の祭りだ。
それからが大変である。
「なんで知っているの?ちがう!そんなこと思っていない。ちがう!私、そんなに食べられなーい」
と女性があわて始めた。心の声を聞かれたことに気づいたからだ。心の声をのぞかれた人はたまらなく恥ずかしくなるものだ。女性ならば特に。もうしょうがないや、と思ってタクミは続けて言ってしまった。
「でも、この前はハンバーガー十二個を食べたそうですね」
それを聞いて女性は顔がまっ赤になってうつむいた。男性が女性のおかしな様子を見て、タクミにたいして怒りだした。
「おまえ、何しやがった?」
感情が高ぶって机をバンバン叩いている。店にいたお客がこちらを注目し、中には席をたって、ちらりとこちらを見ながら帰ってしまう人もいた。タクミはあからさまに恐がっているような態度をとった。なにしろ本当に恐かったのだ。
「なんだ、その態度は。それが客に対する態度か?ああっ?ふざけるんじゃねえぞっ!」
タクミは男性のそんな怒鳴り声と恐ろしい剣幕で泣きそうになった。
その時である。
「すみません。お客様」
と店長が間に入って男性を止めたのだ。そして、立ちつくしてどうしようもできないタクミをわきにどけて、その場はなんとか店長がしずめてくれた。
「他のお客様のご迷惑にもなりますので、どうか今日はおひきとりください。もうお帰りください」
と店長は静かに男性に向かって頭をさげた。店長のその行為は男性にいっさい何も言わせない力を持っていた。タクミはそれを見てびっくりした。働いている人が持っているすご味を初めて目にしたからである。
それを見て男性も少し驚いたようだった。まさか自分がお店から追い出されるとは思っていなかったみたいだ。いたたまれなくなった男性は
「こんな店、もう二度と来るか!」
と捨て台詞をのこして、混乱している女性の手をひいて店を出ていった。それを見てほっと胸をなでおろしたタクミは、店長に肩をとんとんと叩かれた。
「タクミ君。ちょっと」
さてさて、今度追い出されるのはタクミの番だろうか。
店長に店の奥の暗い廊下に呼ばれて、タクミはたっぷりしぼられた。
「まったく、初日からお客をあんなに怒らせたのは君が初めてだ」
(あーあ、はやくやめてくれないかな)
「これからは君をもっときびしく教育していくつもりだ」
(あーあ、はやくやめてくれないかな)
「そのつもりでこれからは今よりもなおいっそう努力して仕事してほしい」
(あーあ、はやくやめてくれないかな)
あんまりにも心の声がよく響きすぎるのでタクミはこれまた思わず言ってしまった。こういう日はどうしようもない。
「なら、やめます」
店長はそれを聞いてぎょっとしたみたいだった。
「えっ、そんなことは言っていないぞ」
今度は心の声は聞こえてこない。その言葉が店長の本心だから、だろう。だけど、もし、(やめないで。)という声が聞こえていたとしても、タクミは喫茶店「ルデーヨ」をやめるつもりだった。それは男性に対する店長の立派すぎる態度を見たからだった。
だっていくらがんばったって、タクミは店長みたいにあんなに立派にはできないんだもの。そう考えるとタクミはもう十六歳で魔法使いとしては一人前の年齢だけれど、魔法使いとしては落ちこぼれ、人間としても落ちこぼれ。タクミは何もまともにできない自分に、ちょっぴりだけ悲しくなった。
さて。どうやってこのことを、エグーロ先生に言い訳しようか。




