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第十章 上がり星

 タクミは黒いコートを羽織って星の谷の領域とフォルタ帝国の間にある細い川をひとまたぎで飛び越えた。

 タクミは筋肉もりもりの星の谷の兵士たちの横をするりと抜けた。筋肉におおわれた顔の中の目はこれっぽっちも動かない。兵士たちはタクミにまったく気づいていないのだ。いないいないばあコートを羽織ったタクミは星の谷の兵士たちの間をどんどんすり抜けていく。まるで自分が空気になったかのように。

 もうかれこれ三十もの部隊をやりすごした時だろうか。目の前の地平線から大きな青白い球が顔を出した。タクミは月かな、と思ったけれどそれにしては近すぎた。

 タクミは歩いてその球を目指して行った。その青白い球はだんだん大きくなっていった。それはタクミが近づいているからだけではない。自分自身で大きくなっているのだ。そしてその球はある程度まで大きくなるとふわりと空中に浮かんでんでどんどん天高く昇っていったのだった。

「なんだろう、あれは」

もしかしたらあの下に星の谷があるのかもしれない。そう思うとタクミは青白い岩石の大地をふみしめて先を目指した。

 星の谷の領域は草がまったくなくて表面がつるつるしているのでタクミは何度も転びそうになった。歩きにくい道なき道だった。そんな道をかれこれ三時間は歩いた時である。

 日はすでに沈んであたりはもうすっかり暗く、夜になっていた。ぱっと後ろの方で何かが光ったような気がした。ふり返ると大きな流れ星が流れている。それは普通の流れ星のように上から下に流れるのではなく、地平線から上に向かって、天頂めざして昇っていった。そして天の一番高いところにたどりつくか、つかないかのところですうー、と消えていったのだ。

不思議な流れ星もあるものだな。とタクミが思っていると、急にタクミの体から力がぬけて楽になった。そして懐かしいあの感覚、脳がふるえる感覚が戻ってきたのである。そして聞き覚えのある金属と金属とがすれあうような声がした。

「ああ、上がり星ですね」

タクミが振りかえると、そこには蟲男がいた。その心の声は黒いものがちらちらと見えるだけだった。タクミは自分の脳を疑った。

「蟲男?心の声が聞こえる?」

そうだ。聞こえなかったはずの心の声が聞こえるようになったのだ。

「タクミさん。」

蟲男が呼んだ。その声が金属音であることを別にしても、タクミはその声の聞き方になかなか慣れることができなかった。だって声と心の声とを同時に聞くなんてほんとうに久しぶりだから。

「あなたならばそのコートで兵士をすりぬけられると思いました。最近はフォルタ帝国がやたらと攻めこんでくるので兵士をおかずにはいられないのです。星の谷としては充分な量の星石水を帝国に与えているのですけれど。」

蟲男が少し肩をすくめた。タクミはコートをするりとぬいでバックパックにしまった。

「ところで、タクミさん。」

急に蟲男が深刻そうに低い声でタクミの名前をもう一度言った。タクミはまだ聞くことに慣れていない。

「なんでしょう?」

「魔術師エグーロは今、死にました」

金属のきしむような声だった。

「えっ?」

タクミには蟲男の言うことが理解できなかった。聞き方を間違えたのだろうと思った。

「偉大な魔法使いが死ぬと上がり星があがります。そしてあなたの心の声を聞く能力をおさえていたエグーロの力が失われた。ということは、今、エグーロは死んだのです。力を使い切って」

そんなはずはない。

「うそだ。エグーロが死ぬものか」

タクミはあらんかぎりの声を出して否定した。蟲男の複眼はしめっぽく濡れていた。

「いいえ、あの血筋はもうとだえようとしていたのです。この地球に人類が誕生してからずっと人類を見守ってきた血筋が。それが今失われようとしているのです」

「何を言っているのか、わからない」

蟲男はタクミをじっと見つめる。

「エグーロは死にました。これだけは間違いありません。だからあなたは私についてきてください。星の司のもとへ」

タクミはだまって蟲男のあとをつけていった。よくわからないけれど今はこの蟲男について行くほかはなかった。それにエグーロはこの蟲男とコートのことを知っていたんだ。

エグーロ。あんなにやさしいおじいさん。タクミの父親がわりだった人。世界を切ってはりつける魔法使いのエグーロ。彼が死んだなんてタクミには信じられなかった。タクミは自分のほっぺたに手をあてた。よくエグーロはタクミのほっぺたをそのしわだらけの、だけど温かい手で包んでくれた。そのぬくもりを思い出したかった。

「タクミさんは、私たち蟲男がどういうものかを知っていますか?」

歩きながら蟲男は後ろにいるタクミにたずねた。タクミはほっぺたに両手をあてながら答えた。

「知りません」

「そうでしょうね。蟲男というのは最初の人類が生まれる前に、この地球を支配するために生み出された種族です。本当は人類のかわりに蟲男が何十億にも増えるはずだったんです。でもなにかが原因になってそれは失敗してしまいました。かわりに人類がうまれて、彼らに追い出されるように蟲男はあっという間に滅んで、この地球で残った蟲男はとうとう私だけになってしまいました」

タクミはだまって聞いていた。

「だから私は一人ぼっちです。しかし人類は違います。今でも何十億という人類がこの地球には暮らしています。それだけではありません。エグーロが上がり星になったように、人類は死んだあとでも星になって地球で暮らす人類を見守っているのです」

蟲男はつづけた。

「だから私は蟲男を滅ぼした人類をうらんだり、ねたんだりはしません。人類は本当にいい生き物だからです。なにしろあの美しい星をつくる種族なのですから」

タクミはだまって聞いていた。

「タクミさん。そういうわけでエグーロが死んでも悲しむことはありません。エグーロは今でも星になってあなたを見守っているのですよ」

するとタクミは口をはさんだ。

「それは夢物語だ。お話の世界だ。つくりごとだ」

するとそれを聞いて蟲男はふりかえった。複眼がしめっている。

「これが単なるつくりごとではないことをお見せしましょう」

蟲男は歩いていく。すると目の前に大きな、そして深い谷があった。その谷も周りと同じように青白い岩石でできていて、そこは純度が高いのか、ぼおっと弱く光っていた。

昼間では気づかなかったけれど、この星の谷の領域の青白い岩石はどうやら光をたくわえて、暗くなると光る性質があるらしい。タクミは谷を見下ろした。その顔を青白い光が照らす。

「これが星の谷、ですか?」

蟲男は答える。

「そうです。そしてもっと、下に降りていきます」

谷の底の方へと蟲男とタクミは降りていった。五十メートルほどおりていった谷の中腹にできた少し広い空き地には、白い衣装を着た一人の女の子がいて、地面の青白い光に、ぼおっと照らされてたたずんでいた。蟲男につれられてタクミは少女に近づいていった。

 そして蟲男はその白い衣装を着て、青い髪と青い目をした女の子の前にひざまずいた。

「タクミを連れてきました」

(ありがとう、蟲男)

脳がふるえる。でも耳では何も聞こえない。少女は心の声だけで話していた。

礼を言われた蟲男はだまって谷をのぼって戻っていった。空き地には少女とタクミだけが残された。青い髪の女の子は青い目をタクミに向けた。澄んだ美しい空のような目だった。

(あなたがタクミさんですね)

「はい、そうです」

タクミはその少女の美しさにあっけにとられながらも、答えた。少女が美しいのは顔が美しいからではなく、心が美しいからだった。

(ではエグーロからもらった宝石を持っているはずです。それを見せてください)

そう言われて何かを思い出したタクミはバックパックをおろして、エグーロからもらっただいだい色の宝石を出して、少女に手渡した。

「これだけど」

宝石を右手で受け取った少女はそれを口から出した、ちっちゃな赤色の舌でぺロリとなめた。するとだいだい色だった宝石はだんだんと黒ずんで、うずをまいた黒い汚らしいものに変わってしまった。

「何をしたんだ、エグーロの大切な宝石を!」

タクミは少女にそう言って怒った。すると少女は笑って答えた。

(これは宝石なんかじゃありません。昔私とエグーロとを結んでいた、へそのお、です)

タクミはけげんそうな顔になった。へそのおって、確か赤ちゃんとお母さんとを結んでいるものだったような、

(そうです。エグーロは私の子どもなんです)

そんなはずはない、タクミは思った。エグーロはあんなにおじいさんで、この女の子は僕とあまり年がかわらないくらいじゃないか。

(そう見えるかもしれません。でも私の方がエグーロよりも年は上です。さっき私の子どものエグーロが死にました。まもなく私も死ぬでしょう。ですから私はあなたに私の仕事をうけついでほしいのです)

タクミはやっとわかった。これがエグーロの言っていた、仕事を探す旅なんだ。この人の、エグーロのお母さんを名乗る人の仕事をつぐ、ということが。そう考えるとこの人はやっぱりエグーロのお母さんなんだと、思えてきた。そしてもうすぐ自分はエグーロに言われたことを達成しようとしているのだ。

 そしてまちがいなく、エグーロはもうこの世にはいない。

「仕事ってなんですか?」

(タクミさんには星の司になったほしいのです。この世界を見てきたあなたに)

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