第七十八話 バロシュ領攻略戦⑤
ウラディミーラ率いるチェルニー軍百は、秀雄の命を受けてからすぐに行軍を開始し、バロシュ軍を迎え撃つための森へと移っていた。
彼女は前日に草の者を飛ばして周囲の地形を調べさせており、秀雄に迎撃を買って出たときはすでに作戦は練り上げていたので、迷いなく動くことができたのだった。
「私が率いる伏兵二十人は、森へ向い、息を殺して待つだけ。爺は八十人を率い、森が切れるこの場所で街道を塞いでちょうだい。明日にはアキモフ軍も来るみたいだから、兵数は問題ないはずよ」
カラフの南、およそ五キロメートルの地点にあるこの森は、街道の東側面に位置している。
ウラディミーラは、そこに伏兵として隠れる予定である。
一族の固有能力である擬態を使えば、森と一体化できるため、容易に敵の背後を突けると考えたのだ。
「わかり申した。爺はここで陣を敷き、敵を迎え撃ちます」
「ええ、頼んだわよ」
爺はウラディミーラの申しつけに従い、八十人の兵を引き連れて、街道で陣の設営を始めた。
彼等はここで一夜を過ごし、明日のバロシュ軍の襲来を待つのである。
「さあ、私達は森へ向かいましょう」
ウラディミーラは、これまで苦楽を共にしてきた精鋭二十人に指示を出し、伏兵として隠れる予定の森へと移動を開始した。
そして、目的地へ到着するとすぐに寝袋に入り、そのまま森の中で日を跨いだ。
翌朝、彼女は携帯食の干し芋を食べ、適当な場所で用を足してから、再び息を殺す。
そのまま数時間程待ち続けていると、コツコツコツ、という蹄鉄音が彼女の耳に飛び込んできた。
バロシュ軍のお出ましである。
彼女は耳を澄まし、両手で四十の文字を作った。
蹄音から騎馬の数を予測したのである。
数分後、彼女らの前をバロシュ軍が通りすぎた。
編成は騎兵四十の歩兵が百十の総勢百五十である。
彼らは急ぎカラフへと前進したため、隊列は間延びしバラバラとなっており、兵の息も絶え絶えとなっている。
そして彼女の前を、バロシュ軍の最後尾が通り過ぎたところで、
「いくわよ」
ウラディミーラは、口元をほんの僅かに動かし言葉を発すると、すぐさま行動を開始する。
彼女の狙いは、間延びした隊列の最後尾である。
敵将に気付かれないように、後ろから一人ずつ殺していくのだ。
彼女は足音をなるべく殺し、最後尾の兵に後ろから近づき、喉元に小剣を突き刺す。
その兵は、何が起きたか分からないまま絶命した。
そして、彼女はすぐに森の中へ帰って行った。
まさにゲリラ戦のお手本のような一撃。兵法三十六計で言えば、『順手牽羊』である。
そして他の兵たちも四人一組で、後方の兵を次々と仕留めてはすぐさま森へと帰る。
結果的に僅か数分で、六人の敵兵を屠ることができた。
しかし敵はまだ気が付いていないようで、急ぎ前進を続けている。
「あと一回はいけるわね」
ウラディミーラは、身を隠しながら余裕たっぷりに呟いた。
そして森の中を、音を立てないように移動し、再び敵の最後尾へと襲いかかる。
今度も、敵兵の背後から小剣を突きたてて瞬殺する。
残りの二十人の精鋭も同様に敵を昇天させた。
結局、この襲撃でも六人を排除させることに成功した。
するとようやくバロシュ兵が、異変に気付く。
バロシュ騎兵が、隊列を確認するために後方を振り返ったら、バタバタと味方の兵士が倒れているのを目撃したのだ。
すぐに大声で、
「敵襲ー! 伏兵がいるぞー! すでに十人以上がやられている! 相当の手馴れだ!」
と叫び、警戒を促す。
伏兵というフレーズにより、バロシュ軍に動揺が広がる。
するとその瞬間、街道に布陣していた爺が、好機と見て打って出た。
足止めだとばかり思っていた、八十の兵がいきなり突っ込んできたのだ。
ただでさえ、伏兵の存在に浮き足だっているところに、正面から攻撃も受けたことで、バロシュ軍は一瞬にして混乱に陥った。
「ナイスだわ爺。この機を逃さずに、私たちもいくわよ。狙うは騎兵ね」
ウラディミーラは、森の中を移動しバロシュ騎兵の近くへ向う。
そして彼女が手を上げると、十の精鋭達が一斉に騎兵に向い、投げナイフを投擲する。
残りの十人も他の騎兵に対して、投擲を行った。
彼等の投擲技術は、普段から訓練しているだけあって精度が高い。
放たれた二十本のナイフは、一本も的を外すことなく、騎兵の体か騎馬の胴体へと吸い込まれていった。
そのうち何本かのナイフが騎兵の頭部に突き刺さり、彼は一瞬で落命した。
と同時に、突然の激痛を覚えた騎馬は、ヒンヒンと泣き叫びながらその場で暴れ出した。
「うわぁー! また伏兵だぁー! 今度はゾルダン様がやられたー!」
雑兵共は、騎士が一瞬で殺されたのを目撃すると、次は我が身と思い、たちまち恐慌状態へと陥った。
こうなったら、ウラディミーラ達にとってはやりたい放題である。
「よし! 敵は混乱している。私達も打って出るわよ!」
彼女は森から飛び出すと、恐慌状態になっている兵をざくざくと斬り殺す。
さらに十人程を昇天させたところで、ようやく前線にいた十騎が踵を返し、彼女を排そうと突撃してきた。
「騎兵と真っ向からぶつかるな! 退却!」
ご丁寧に付き合う必要はないとばかりに、彼女はまたまた森の中へと入り、偽装の魔法をかけた。
これで敵から見つかることはない。
「ぐぬぬ、なんたることだ。奴らはどこに隠れおったのだ!」
と、バロシュ軍の大将が怒っている。
前線の防衛を緩めてまでわざわざ戻ってきたというのに、すでに敵は森の中なのだから。
バロシュ軍は、数の上で劣るチェルニー軍に、完全に撹乱されてしまったのだった。
「くそ! 一旦下がって、軍を立て直すぞ! このままではいいようにやられてしまう」
一刻でも早く援軍に行かねばならぬ状況にもかかわらず、バロシュ軍は引くことを決めた。
すでに一部の精鋭を除く者たちは戦意喪失していたため、このまま戦闘を継続しても、さらなる被害が出るのは目に見えている、と考えたからだ。
「皆の者! 退却だ!」
大将の言葉を聞くなり、バロシュ兵たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出していった。
その結果、ウラディミーラの予告したとおり、チェルニー軍は、兵の数で勝るバロシュ軍に大勝したのであった。
そして、この戦いで被ったバロシュ軍の死者は四十を超えた。
その半数以上が、ウラディミーラが率いる精鋭部隊の戦果であった。
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ウラディミーラは、バロシュ軍が退却したことを確認すると、前線で奮闘してくれた兵八十人と合流を果たした。
「これで何とかなりそうね」
ウラディミーラは、充実した様子で、合流したばかりの爺へと話かける。
「ええ、これで秀雄様からご褒美を頂けるでしょう」
爺は、自信有り気な表情で、手柄の大きさを表現した。
「そうね! これなら来年には、跡継ぎを抱くこともできるかもしれないわね」
彼女は領地ではなく、別の褒美を欲している。
「そうなれば、宜しいですな」
「ええ」
二人が戦後の褒美を妄想しながら話していると、後方から馬蹄が響いてきた。
何事かと、ウラディミーラが振り返ってみると、そこにはアキモフ家の旗を掲げた兵達がこちらへと近づいてきた。
「流石はアキモフ家だわ。秀雄様の言う通り、最高のタイミングでのご到着よね」
「ははは、そうですな」
一戦終えたこのときを見計らったかのようなタイミングで、着陣したアキモフ家に対し、二人はなんとも言えない感情を覚えた。
「取りあえず、挨拶はしておきましょうか」
「それがようございます」
「でも、わざわざこちらから行く必要はないみたい。ボリスさんが近づいてくるわ」
すでに戦闘が終わっているのを確認し、これはまずい、と思ったボリスが、何とか機嫌を取ろうとウラディミーラへ挨拶に訪れた。
「はぁ、はぁ。チェルニー家の方々、流石の槍働きでした。これからはこのボリスが敵を食い止める故、安心なされよ」
なぜか上から目線で、発言してくるボリスに不信感を覚えたが、ここで仲違いをしては、愛する秀雄に迷惑を掛けると思い自重することにした。
「ボリス殿のご好意、感謝いたしますわ。ではここはアキモフ軍にお任せして、私達は休ませて頂きますわね」
「ああ、大船に乗ったつもりでいてくれ」
ウラディミーラはあとはボリスに任せ、後方へ向い、悠々と体を休めることにした。
その日、大きな被害を受けたバロシュ軍だったが、カラフの町が一刻の猶予も無い状況との報告を受け、再突撃を決意する。
手負いの猛獣とはいかなかったが、バロシュ軍は死力を尽くして攻撃を加えてきた。
ボリスは大口を叩いた手前、助けを求めることもできず、アキモフ軍は単独でバロシュ軍の突撃に、対処するはめになった。
彼も前線に参戦するほどの激戦が繰り広げられた結果、なんとかバロシュ軍を追い返したものの、自身も骨折を負うほどの被害を被った。
どうせ敵は攻めてこないと思い、高を括っていたボリスであったが、最後に手痛いしっぺ返しを食らったのであった。